第二章 2
「警視庁の乙木です」
若い男性の警官が慌てて敬礼を返す。
「お疲れ様です!」
張りのあるいい声だ。怜子は若い警官に向かって微笑んだ。この警官は特になにも知らされてないのだろう。ご苦労様と声をかけて病室へ入った。
池袋から程近い要町の病院。その一室には対象の青年が眠っていた。怪我の処置は終わっているようだ。目に包帯を巻かれており顔はよく確認できないが、あの青年で間違いないだろう。早くここから運びださなければいけない。病室の時計の針は深夜を回っていた。現場の混乱と予想よりも怪我人が多かったことで発見が遅れてしまった。
怜子はくたびれた様子でベッドの横にある長椅子に腰かけると、深いため息をついた。スーツパンツのポケットからスマートホンを抜きとり、上司へ連絡を入れる。
「対象を発見しました。これから身柄を移す手配をお願いします」
簡潔な報告で通話を終えると同時に、疲労からくる眠気がいっきに襲ってきた。
しかし、このあとも面倒なことが山ほどある。熱いシャワーも浴びたいところだが、そんな時間の余裕はないだろう。あぁ、煙草吸いたい。そう思いながら長い髪の毛をかき上げてぼりぼりと頭をかく。ヨシ。怜子は小さく気合を入れると、病室の外へでた。先ほどの男性警官に声をかける。
「ねえ、キミ。あとは私がやっとくから、もう離れてもらってだいじょうぶ」
「いや、しかし……」
それはそうだろう。おおかた大した説明もなしに、なにがあっても現場を離れるな。とかなんとかいわれてここに配置されたのだろう。
そのうえ、本庁からふらっと女刑事がひとりきて、今度は必要ないからもう帰れといわれるのは、あまりに気の毒だ。若い警官の目が、なにか説明しろと訴える。気持ちはわかる、大いにわかるのだが……。
「これはトクヨンの案件です。所轄のアナタに説明できることはなにもありません」
「トクヨン……?」
男性警官は一瞬考えたあと、はっとした表情を浮かべた。
「ゴメンね」
最後に怜子はできうるかぎり愛想よく振舞った。なんで毎回こんなに気を遣わなければいけないんだ。そう心のなかで毒づく。
警視庁公安部特事第四課四係主任。これが現在の怜子の職だった。
警察のなかでも特殊な存在である公安部。その活動は、主に国家の脅威となる組織や人物の動向把握、活動の抑制、それらが及ぼす社会への影響の緩和や一般市民の保護等があげられる。そのなかでも更に特殊かつ限定的な事件を扱うのが、怜子の所属する特事第四課だ。そのため警察内部でも特事第四課のことを忌み嫌う者が多い。扱う事件の性質上、他の部所への情報共有が皆無なのだ。常に秘匿の『トクヨン』周囲は侮蔑の意味を込めてそう略称した。
バフォメット・コア いさみけい @isami1127hy
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