特別ショートストーリー 伏線回収
「待っていたよ、マサ」
将純が扉を開けると、部屋の奥から声が聞こえた。
武庫之荘にある住宅アパートのここ一室は、そのおんぼろな外見に見合わないほど、文明の利器で埋め尽くされている。何台あるのかと数えるのも億劫になるほど大量のパソコンで埋め尽くされ、配線が蜘蛛の巣状に張っていて、さながら機械のジャングルのようだと感じた。
数年前に訪問したとき以来となる、竹見大助の部屋だ。
薄暗い。ともかく、そんな印象が浮かんだ。天井の明かりは点けておらず、光源はただ不規則に瞬く機械類のLEDだけ。まるで満天の星空に浮いているようだが、そこかしこで響く冷却ファンの駆動音が似合わない。
呆気に取られたのも一瞬で、将純は配線に引っ掛からないよう隙間をくぐり抜け、その奥へ目指した。
「ようこそ、僕の城へ」
将純を出迎えたは、ヘッドフォンを首に掛けた大助だ。彼はゲーミングチェアへ背中を預けると、にやりと笑った。
「ああ。けれど、狭いな」
「まあね。数年前にマサが来た時はそうでもなかったんだけれど、今はプログラマーとしての仕事が多いから、機材も多くなったんだよ。しかも、最新機種がリリースされる度に取引先企業がくれるから、加速度的に増えるばかりで……」
そこまで言ってから、大助は思い出したかのように、肩を竦めた。いつもの飄々とした態度だが、その瞳は将純の心を見透かしているかのような、底知れぬ冷たさを纏っている。
「それで、どうして僕の城に来たんだい?」
「それは……」
言い淀んだ。
将純は、特筆するような趣味や特技なんて何もなく、ただ流されるがまま生きてきた人間であった。しかし、一ヶ月前に平池彩華というマンガ家に出会い、全てが変わった。ラノベ作家になるという夢を決めたことも、まだ記憶に新しい。
しかし、考え直してみれば、その出来事は不可解なことが多かった。全てがあべこべで、何か意図的なものが影響しているように感じられた。だから、将純は大助の部屋に訪れたのである。
覚悟を決めると、決定的な一言を尋ねた。
「……なあ、竹見。裏で俺を操っていたのはお前だよな?」
「急になんだい?」
「お前の行動はあまりにも不自然だった。それを確かめに来たんだ」
将純が言うと、大助は笑みを深めた。何人もの女子が惚れるのもわかる、人当たりのよい笑み。
だが、この時の将純には、それがとても不気味で恐ろしく感じた。いったい、なぜこんなにも飄々としていられるのか、想像もできない。
そして、そのうえ、予想外なことを大助は喋る。
「マサが何を聞きたいのか知らないけれど、その推理は大正解だと答えよう。全ては僕が操っていた、マサの考えも全てね」
「…………」
「でも、どうしてマサは僕がそうだと気付いたんだい。できるかぎり証拠は残さなかったはずなんだけどね」
「…………」
「先に言っておくよ。マサが探偵の真似事をするなんて、本当に似合わないね。でも、僕はマサの親友だから、最後まで聞いてあげよう。そうさ……僕らは親友だからね」
支離滅裂だ。普段の大助からは考えられない、ぞっとする雰囲気を孕んでいた。
ことさら竹見は親友という言葉を強調している。
将純だって竹見のことは親友だと思っている。しかし、この話が終った時に、まだ親友であるかは不明だった。
だが、将純はしっかりと大助の両眼を見据えた。どのような結果になろうとも、ここで確認せねばいけないのだ。
「まず、竹見はプログラマーのようなもの、って自称していたよな? ハッキングも得意だとか何だとか」
「そうだね、あの屋上での会話を覚えていてくれて嬉しいよ。僕は主にシステムプログラムの仕事をしていて、偶にハッキングも趣味でするかな。悪用にはならない範囲でね」
「そして、入学式の日、竹見はマンガ家の彩華が同クラスになると知っていた。事前にリークでもなければ、その情報は学校のデータをハッキングしたと考えるのが妥当だ」
「んー、ちょっと違うけど。やっぱり個人情報の扱いは厳しいから、学校自体のデータは閲覧しにくいんだよ。僕が覗いたのは、入学する時のメールやり取りだよ」
「ここで気になるポイントがある」
将純は人差し指を立てた。大助の視線が吸い寄せられるように動く。
「それなら、竹見は彩華が腎臓病を患っていると知っていたはずだ」
「うん、知っていたよ。でも、それがどうしたんだい? 一度としてマサに聞かれなかったから、教える必要もないだろ?」
「そして、あのとき竹見は確か『俺好みな様相だから一目惚れするかも』とか言っていたよな」
「事実、マサは一目惚れしちゃったけれどね」
「それまで俺は恋なんてしたことがなかった。だから、竹見とは好みの話なんてしたことがなかったはずだ。それなら、竹見はどうやって俺の好みを知ったんだ?」
「まあ、毎日マサのスマホを覗いているからね。好みの把握なんて簡単だよ」
「…………」
覗いているというのは甚だ気持ち悪い発言だったが、それは予想の範疇内だ。今のところ推理は良好である。将純は緊張を誤魔化すように、唇を唾で濡らし、続けた。
「――まず、俺がこの部屋に入った瞬間、竹見はこう言った。『待っていたよ』って」
「うん」
「おかしいだろ? 俺は竹見には今日訪ねるって伝えた覚えはないはずなのに、どうしてその言葉を言えるのか。他にもお前は俺の行動を先読みしすぎていた節があったが、確証は持てなかった。でも、この言葉で裏付けが取れる」
「何がだい?」
「つまり、お前は俺のスマホを覗くだけでなく、俺の位置情報もトラッキングできていた、ということだ」
「そうだね。マサが僕の家の方向に歩いて来ていたから、あるいはと思ったんだ。なにせ、近くにマサが訪れる場所なんてないしね。――――ああ、もちろんマサの位置情報だけじゃないよ。紗季や彩華の位置情報だって特定できる。今は二人でカフェにいるみたいだね」
大助が眼前のパソコンを素早く操作すると、ここ周辺の地図に赤い二つの点が表示された。これが紗季と彩華なのだろう。
本当に、覗き魔だなと思った。
でも、それよりも重要なことがある。
「――――あの日、俺が彩華と水族館へ二人で行った日のことだ」
「ああ、デートの日だね」
「大水槽を二人で見ていた時に、お前から電話が掛かってきた。内容は、ラノベ作家だという嘘を彩華に伝えるべきだ、だったな? 凄く簡単だ。それなのに、お前は必要以上に話を伸ばした。考えてみれば、不自然だ」
「…………」
「そして竹見は俺たちの位置情報をトラッキングできる。それなら、あの通話の瞬間、俺の背後に彩華がいたということも知っていたんじゃないか?」
「…………」
「つまり、お前は俺の嘘を彩華に露呈させようとしていたわけだ。以上のことからわかるのは、俺を彩華に合わせたのも、そして、俺の嘘を彩華に露呈させたのも、お前の仕業だ。――なあ、竹見。お前の目的はいったい何なんだ?」
「……弱いね」
「弱い?」
ぼそりと呟いた大助の言葉を聞き返す。将純はその返答次第で、大助を殴ってやるつもりでもある。
「ああ、弱いよ。そんなに弱い証拠じゃあ、僕がシラを切れば、深く追求できないだろ? 他にも僕が隠せなかった証拠が山程あるのにね。でも、やっぱり探偵には及ばないけれど、マサにしては見事な伏線回収だね」
「…………」
「じゃあ、見事な推理を見せてくれたマサに、ご褒美でとびっきりな真実を伝えてあげよう」
そう大助は言うと、大仰に手を広げた。空気が変わった。これから大助の独白が始まるのだと、将純は肌で感じた。ぴりりと空気が張り詰めたのだ。
「以前、僕には才能がないって話をしたのを、マサは覚えているよね。僕は本当に才能がなかったんだ。いや、人より優れていることはあったよ。僕は記憶力がよかったんだ。例えば、そうだね、ちょうど一年前の今日は何をしていたなんて簡単に思い出せるんだよ。でも、僕はそれを何かに役立てようとは思っていなかった。そんな時だよ、紗季と出会ったのは。僕の何に惹かれたのか、当時の僕は陰険な雰囲気だったらしいから、紗季と真反対な性格に惹かれたのかもしれないけれど、紗季は僕を好きになった。僕は好きという感情がよくわからなかったとしても、実害があるわけじゃないから紗季と付き合うことにしたんだ。そこまでは普通のどこにでもあるラブストーリーで語れるのに、紗季に素晴らしいスポーツの才能が開花してしまったんだ。笑えるだろ、マサ。剣道のジュニア大会を優勝してから、紗季はあらゆるスポーツで賞を総なめし始めたんだ。驚いたよ、オリンピック組合の偉いさんが紗季へ会いにわざわざ日本まで来たんだ。もちろん僕は紗季を祝福したけれど、それと同時に思ったんだ。釣り合わないってね。彼女は日本人の誰もが知るほどの才能があるのに対し、僕はただ記憶力がいいだけなんだから。そう、彼氏なんだから彼女に釣り合わなければいけないよね。だから、僕は持ち前の記憶力でプログラムの道を進もうと考えたんだ。それからは大変な毎日だったよ。ずっとパソコンの前に座って、画面とにらめっこしているんだから。それでも、僕は天才だから、結果が現れるのも早かった。新しいソフトウェアを個人制作して、いくつもの大企業に絶賛されて…………ああ、話がズレてしまったよ」
大助はうっかりした、といった様子で肩を竦めた。
なんだか、将純は無性に恐ろしくなった。こんなに流暢な喋りを見せる大助は始めてだが、それ以前に、大助が大助でないように感じた。
大助はペットボトルの水を口内に含みと、話を再開させた。
「そして、中学生になった時だ。紗季はマサに絡むようになった。彼氏として少なからず嫉妬らしき感情は覚えたけれど、それよりも僕は期待したんだ。紗季は才能のある僕を見つけたのだから、新しく紗季に見つけられたマサにも、人より優れる才能があるのかもしれないってね。でも、がっかりした、マサには素晴らしい才能がなかった。まあ、多少は人よりも物事への慣れが早かったようだけれど、誇れるようなものではなかった。とはいっても、僕の友達になるのは全て才能がなければいけないと言うほど、僕も鬼じゃない。まだ中学生だったし、そんな飛び抜けた才能が開花するような年齢でもないしね。僕は気長に観察するに留めたんだ。――――けれどね、マサ。あのだらけた毎日は、いったい何だい? いくら僕が待っているといいつつも、自分の才能を探そうとしないのは、流石に呆れるよ。ちょうど高校生にもなるし、マサは親友である僕たちに釣り合わなければいけないから、僕はマサを叱咤しようと思ったんだ。だから、彩華が入学するあの高校を選んだ。彩華はマサの好きなマンガ家で、容姿もマサ好み。自身が腎臓病のため、小説家を探してるというのも調べた。全ての状況を利用させてもらったよ。マサに自分の殻を割らせるためにね。そこまでしたのに、マサはラノベ作家だと嘘を付いて逃げた。予想外に、いつまで経っても努力しなかった。仕方がないから、僕はマサの背中を押してあげたんだ。手段は問わなかったけれど、それのおかげでマサは自分の夢を見付け、罪悪感がないまま彩華と関われるようになった。つまり、全てハッピーエンドで終ったわけだ。この観点からすると、僕が皆を幸せな結末に導いたわけだから、マサは僕に感謝することはあっても、僕を叱責する資格はないと思うけれど? いいかい、ライトノベルみたいなラブストーリーは落ちていないんだ。全ては誰かが用意しただけの舞台で、マサと彩華はそこで演じていただけの役者なんだよ。そうさ、全ては僕が操っていた、マサの考えも全てね」
「……竹見は俺の気持ちを考えなかったのか?」
「考えたさ。スポーツの才能に溢れた紗季、あらゆる情報を網羅する僕、そんな天才に挟まれる一般人のマサは、劣等感という感情を抱いているかも、とね」
「彩華の気持ちは?」
「もちろん、それも考えたさ。腎臓病で後がない人生で、だからこそ、自分の夢も託せる小説家を望んでいるはずだってね」
「……わかってない。竹見はわかっていないよ。悩んで苦しんで辿り着いたハッピーエンドが、誰かに用意されたただの舞台だなんて、あんまりだ。お前は俺たちの気持ちを弄んでいただけだ」
「弄んでなんていないよ。僕はただ、マサを成長させたかっただけさ。色々と脱線してしまったけれど、望んだハッピーエンドには辿り着いたじゃないか。これ以上、マサは何を望むっていうんだい?」
ああ、と将純は覚った。
こいつは、竹見は人の心を知らないんだ、と。
大助はこう言った。
『好きという感情がよくわからない』
『劣等感という感情』
なんともあやふやだ。まるで、そんな感情を知っていても、経験したことがないような。大助は感情を知らないのかもしれない。だからこそ、将純たちの運命を捻じ曲げても、何とも思わない。
でも、確かに大助がこのような出来事を起こさなければ、将純はずっと夢のない一般人のままだっただろう。感謝もしなければいけない、ごちゃごちゃとした気持ちだ。
もう今は大助と何も話したくなかった。自分の時間が、考えて整理する時間が欲しかった。
「……わかった。俺の知りたかったことは、これだけだ。俺は帰る」
それだけ言うと、将純は踵を返して、またもや蜘蛛の巣状の配線をくぐり抜ける。
帰る瞬間、薄暗い部屋の奥から「マサ、僕たちは親友……だよな?」と聞こえたが、将純は何も答えぬまま、家へ帰ったのだった。
★☆――――――――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。これで本作は完全完結です。
面白かったよ、と思ったら評価して下さい。あんまり評価してくださる方がいないので、ちょっと寂しいです。重ねてお願いします。評価、宜しくお願いします←必死
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【限定公開】なのはな高校の青春事情 沿海いさで @enkai-isade
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