夏休み、小学生の頃。祖父母の家に泊まりに来ていた僕は川遊びをした帰りにその人に出会った。

 烏みたいに真っ黒なワンピースを着ていて同じ色の手袋を着けていて、身長は僕の大体二倍位。ロングの黒髪や溶けそうなくらいに白い肌を隠すように麦藁帽子を被っていた。

 蒼い、綺麗な虹彩をしていた。

 電柱の他は遠くにある民家しか何もないような夕暮れの田んぼ道の中心にいたから少し不思議な気持ちになったけれど、そんなこともあると結論付けていた。

「こんにちは」偶然目が合ってしまった所為で少し気まずくなってしまい、彼女に挨拶をして紛らわせた。今思い返せばそれが切っ掛けだったのかも知れない。

「ぽ、こぁぽ、ぼぉっ」

 上擦った呼吸音。少なくとも返答ではなかった。すると彼女が手を伸ばした。振り返っても誰もいなくて、何かが起こっている様子もなかった。

 ふ。

 と、左の肩。

 前を向く。下顎骨辺りに手を添えられていて、膝立ちになってこちらを見ていた。

「ぇぼぁっ、ぱぇあっ、あ、っ」

 変わらず機械音にも似た呼吸音が繰り返されていた。動揺する最中彼女の付近、それと口元から気泡のような物が上がっているように見えることに気付いた。直接触れたそれは間違いなく水中で息を吐いた時に生ずる泡だった。

「水?」気道も食道も水で埋め尽くされていて、それで声が出ないのかも知れない。そんな現実を視野に含まない事を考えてしまう。彼女が見ている。

 怖いと、この時初めて思った。我ながら鈍感が過ぎると思うけれどそれでも抵抗をしなかったのは、下手に何かしたら最悪死んでしまうかも知れないと予測したのもあるが沈黙してされるがままになるのが怖かった。本当に、自分に呆れる。

「どう、したの?」真意を訊こうとしたが、どうしたらいいのかがわからなかったからこんな不器用な質問をしてしまう。

「・・・ぼごぁっ、ぼぽぁっ」

「気に障ったことをしたのなら、あやまるよ。失礼なのはわかっているけれど、貴女にしたことが何なのかについて教えて欲しいんだ」

「ぱぼぁっ、ごばっ、ぽ、ばあっぼぁっ」

 恐らくではあるけれど予測は当たっている、彼女は喋ることが出来ない。詳細は不明としか言いようがないけれど何かしら話そうとしているらしいことは伝わる。表情に違いは見られない。怒ってないと、いいのだけれど。

「あの、提案なんだけれど、いい?」

 首肯。

「有難う。・・・・・・その、筆談しない?言い辛いことだったら尚更」

 同反応。

「じゃあ、家から紙と鉛筆。とってくるから。一寸待っててもらえるかな?」

 拒否反応。

「え、どうして」

 彼女がしゃがみ、指で文字を書き始める。

「こわい?独りが?」

 首肯。

「そっか・・・。じゃあ、家に来る?」

 拒否反応。

「・・・っ。そんなにやなの?」

 首肯。

「じゃあ、どうしよっか」

「おい」

「っ?」僕と彼女以外の男性の声がした。見ると僕の祖父が心配そうにこちらに近づいてきている。

「おじいちゃん」

「お前、こんな所で何してんだ?」

「え?ああ、それは」そう言いながら振り返ると彼女の姿が初めから何もなかったみたいに消えていた。

「・・・・・・」

「どうした?何も無い所をぼうっと見つめて」

「・・・いや、何でもない。一寸景色を眺めてたんだ。おじいちゃんこそ、どうしたの?」

「ああ。散歩がてらお前を迎えに来たのさ。時間が時間だし、この辺のやつは知り合いしかいないが、若しもの事があったらと思ってな」

「心配性」

「この辺の夕暮れ時を甘く見てはいかんぞ。何が出てくるかわからんからな」

「でてくるって、何?妖怪でも出てくんの?」そうお道化て言ったけれど祖父はいたって真面目な顔で

「御巫山戯で言っている訳じゃない、本当の事だ。さっきだって少し焦ったんだ。あの様子だとはっしゃく様にでも魅入られたんじゃねぇかってな」

「八尺?」

「ああ。お前みたいな可愛らしい子を攫っちまうんだ。背ぇの高い女の妖怪さ。ぽぽって笑ったような声を出しながらな。私も会った事があるが、下手をすれば死んでしまうところだったらしい。小さかった頃の話だ。それに連れ去るんだったらまだ少しは対処できるが、他にもそれ以上に如何しようもなくなる奴等もこの辺には色々いるんだ。雨砢うらだとかはまあこの辺じゃそうそう遭わんだろうが、乆根々々くねくねとかな。あれに遭ったりでもしたら洒落にならん」

「へえ・・・」あまり怖いだとか彼女が化け物じみているとか、そんなことは考えられなかったけれど、若しかしたらと考える。そもそも特徴は一致しているだけで彼女は違う存在なのかも知れない。

 連れ去る。と言っているけど、そのあとにどうなるのだろう。食材になり最終的に白骨化するのだろうか。魅入られるというくらいなのだから若しかしたら・・・。まあ、それについては考えないでおこう。まだ早い気がする。

「お。なんだ怖ぇのか」

「止めてよ」

「ははは、そんじゃ、早く帰ろう」

「・・・・・・」そうして帰路に就いた。振り返ってまだいないか確認したかったけれど、結局出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やまい 片坂 果(千曲結碧、他) @katasaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ