TRV -トーキョー革命-

@cyank

【第一章】Overflow #1

 0




 気怠い足を引きずり進む。


 前しか他に道はない。




 たった一つだけ、守れたものがあった。


 それ以外のすべては、守れなかった。




 でも死は敗北ではなかった。




 唯一残された希望。


 荒野にぽつんと転がり取り残された拡声器。




 砂埃の下から拾い上げた時に感じた熱だけが、確かな道標になる。






 1




 あまりにも進まない自由研究に痺れを切らして、タバコをくわえながら外に出た。


 少し前に知ったタバコの味はようやく馴染みはじめていた。吸い続けていたら習慣か依存かになるのだろうと考えて手放さないようにしていた。何か俗物と依存物にぶら下がっていなければ、この世界に生きている心地がしなかった。


 そういえば、視界を遮るゴーグルが邪魔だった。気がついたらずっと地面を見ていた。視野狭窄。いい加減、前か後ろか、上か下かを見ないと、目的地を見失う。


 ゴーグルを外した先に見えた景色は、信じられないほどの喧騒だった。


 その人の山が、ダルマに今日が新入生歓迎祭、通称皐月祭の日だということを嫌でも思い出させた。


「あー……うっせぇ……」


 研究棟から出てすぐの芝生広場には数多の屋台が並んでいて、騒がしいことこの上ない。射的、ドリンク、かき氷、ポップコーン。普段食べないような飲食物の屋台が並んでいる。祭の雰囲気に釣られたか、学園都市大学に通う人間はすべてここにいるのではないかと思えるほどの人の多さだった。


 ダルマには、このイベントに参加した記憶がなかった。一年生の春どころか、推薦合格が決まった高校三年の冬から、研究室に籠りきりだったダルマ。大学にも「クラスメイト」というくくりがある事自体知ったのだって、全教科で単位が取れたと思っていたのに知らぬ間に落としていた二単位の詳細を調べた時だった。


 自分にとって不都合な情報は、知らぬ間に視界から外れ、耳をすり抜けていく。その体質は今日まで改善することはなかったし、今後変わる気配も、ない。


 しかしそのせいで、ライブだの出店だので騒然としたこの空間を移動せざるを得なくなっている。良くない傾向だと頭の片隅でだけくゆらせた後、その思考はすぐに散っていった。その代わりに、今日はタバコ以外の何も口にしていなかったことを思い出した。太陽の方角を見るに、十五時前。そろそろ摂取カロリー不足でアラートに急かされる時間。せっかくなので、屋台から得るのも悪くないと思いつく。かき氷ならどうだろうか。こぼしてしまうかな。


 氷屋を探す狭い視界に、ひときわ騒がしいギターの音が割り込んできた。


 春風との相性が悪い、歪みの強い音。


 普段なら道端の音楽に耳を欹てたりはしない。だがそこに重なってきたバンドのボーカルであろう歌声が耳を撫でた時、立ち止まらざるを得なかった。




 その声は、忘れもしない、勿忘草色だった。




 確かに、記憶の底に、心の奈落に、確かにずっとひっそりと咲いていた。


 けれど、改めて主張することもなかった、淡い水色。厳密には、もう少しくすんでグレイがかっていると思うこともあるけれど、それは時折、あいつが歌唱表現としてハスキーな響きを含ませるからであって、まっすぐ伸びる声には、くもりひとつなく透き通っている。


 雑多数多の狂騒喧騒をすり抜けて、勿忘草は耳に一直線に届いた。


 随分と久々の感覚に、ダルマは思わず陶酔した。文字に色が見える体質だったが、色がこうまではっきり見える声は「あいつ」のものだけだった。


 この響き、この色。顔を見なくても、間違えようがない。ただ、どうしてここにいるかだけが分からなかった。けれど、この運命を絶対に手放してはならないと思った。


 喫煙所の灰皿に煙草を揉み消し捨てる。ステージ手前に密集している観客を強引にかきわけて歩みを進める。


 そうこうしている間に演奏が終わり、割れんばかりの拍手を背に、ダルマはステージの上によじ登って、去ろうとしたサトリの腕を掴んだ。


 ――勿忘草色の声の主は、真っ赤な革のジャケットを羽織っていた。


 似合っていない、とダルマは率直に思った。


「よ、サトリ」


 舞台上の乱入者に困惑するスタッフと、ダルマの顔を見て目を丸くする、『サトリ』。


「え、ダルマさん!? 嘘!? なんで!?」




 ◇




 周囲からストーカーかなにかと勘違いされたダルマを「おれの先輩なんです! ちょっと変な人で! 久々に会ってびっくりしたんだと思う!」と言い訳をして無罪放免にした後、二人は校内の芝生広場に足を運んだ。


 サトリは長い前髪に、人懐っこそうな垂れ目を隠していた。朗らかな表情に似合わぬ赤ジャケットは今は尻に敷いて、通りすがりのファンからもらったドリンクを飲んでいる。知らないひとから物を貰わない方がいいとダルマが忠告したが、サトリは「内容物は明らかだから」と全く気にしていないようだった。


「ステージの上に来るとか、相変わらず大胆すぎますってダルマさん」


 そういって笑うサトリの笑顔は、前髪こそ伸びたが記憶の中とさほど変わらず、無邪気で明るく見える。


「バンドやってんだな」


「そうなんです、高校入ってから同じ学校の人に誘われて、そこからずっと活動してて」


 当然だとダルマは思った。この声と歌唱力の持ち主を放っておく音楽家は大馬鹿だ。


「っていうか、会うの超久々ですね! ダルマさんが中学卒業して以来じゃないですか」


「うん」


「でもすぐダルマさんってわかりましたよ。全然変わってないし、鼻筋とか」


「判断基準、鼻かよ」


「ダルマさんの鼻、綺麗なんだもん」


 ふは、と笑い声が漏れる。どうにもサトリに弱いのは変わらないようだった。


 ダルマは口数が多い方ではなく、喋るのも不得手で、人付き合いを積極的にしてこなかった。そんなダルマを過呼吸になるまで笑わせたのは、唯一サトリだけだった――笑わせたといっても語弊がある。遠くでサトリの話を聞いていて勝手に笑って、勝手に苦しんでいた。そんな、柔らかく幸せな思い出がダルマの脳裏に蘇る。


「ダルマさんは高校ってそのまま学園都市大付属?」


 サトリが尋ねた。


「そりゃそうだろ。普通に理系コース」答えながら、白衣のポケットからタバコを探り出す。「吸う?」


「おれ、まだ未成年す」


「吸ってるくせに。匂いで判る」


 サトリのジャケットのファスナーを勝手に開け、シャツの胸ポケットに入ったくしゃくしゃになった箱をひらひらと見せる。


「かなわねーっ。鼻だよやっぱり」


「喉、大事にしろよ」


「お互い様ですよ。ダルマさんは? 歌ってないんですか?」


「面倒くさくてやめた」


「何がめんどさいんすか」


「ヒトと集まんの」


 ダルマの言葉に、のけぞりながら笑うサトリ。


「あっは! もったいない! トリプルの先天能力(アビリティ)が泣きますよ。ねえ、おれと一緒にバンドやりません?」


「ヤダよ、その赤いダッサいジャケット着るの」


「そのシオシオの白衣よりマシですって」


 服を指摘されて、ダルマはようやく自分が研究の休憩中だということを思い出した。


「やっべ、機材放置してた。戻るわ」


「え、もうちょっと喋りましょうよ。せっかく会えたんだし」


 前髪の下の人懐っこい目で見つめられ、かなり名残惜しく思ったダルマ。一瞬逡巡してから、瞬きをして大手SNSであるコネクトアプリを立ち上げた。


「コネクト交換しとこうぜ」


 コネクト越しにサトリのデータを閲覧する。サトリの所属は文学部コミュニケーション学科。考えられる進路といえば、声優、役者、言語学者、そのあたりだろうか。どの進路を選んだってかまわない、ある程度の自由意志が尊重される立場であえてそれを選んだということは、サトリはよほど誰かと関わって生きたいのだろう。


 俺とは正反対の生き方だ、とダルマは微笑ましく思った。


「ダルマさん、工学部? なんで?」


 サトリもコネクトを起動させていた。サトリの視界の中、ダルマの顔のサイドには、この大学の工学部物質工学科二年生であり、学園都市の市民であることが表示されている。今見えているようなパブリックデータ以上のものを知りたければ、このように一定の距離で相互に通信する必要がある。


「銃、カッコいいし、作りたくてさ」


「銃? 軍入ればすぐ触れるのに。なんで回りくどいことを」


「オレが軍隊に馴染めると思う?」


「あーそっか。ダルマさんは一日でクビになるか、総統になるかの二択かな」


 その言葉を聞いて、失礼なやつだとは思わなかった。ただ笑いだけがこみ上げた。よくわかってんじゃん、と吸いかけのタバコを咥えさせ、連絡先を交換するコマンドを実行した。



 ◇




 タスクとしての研究は思いの外、順調に進む。


 ダルマに課せられているのは、謎多き元素・マナと、金属系の元素を化合して利活用するための研究。


 マナ技術は一つの巨大企業によってほぼ独占されている。そんな状態で、出所も性質もまるで不明なマナの研究をしている人は、ろくでなしか相当な物好きしかいない。すなわち犯罪者か、先進的なスタートアップ企業がごく少数ある程度。ダルマは大企業の社員でも犯罪者でもなかったので、小さな企業との産学連携での研究開発を進めている研究所に所属している。


 期限も結果も妥協できないからシビアだけれど、心配するほどではない。一定の成果を出せばある程度の自由もあるし、評価も受けている。


 しかし、その「自由」な研究ほど脇にそれ、道に迷う。真剣に向き合えば向き合うほど、結果にそっぽを向かれる。


 同じ物質で、同じ工程を踏んで、こちらも同じ動作をするのに、毎回違う結果が出る。その理由もわからない。まだ、マナを理解できておらず、根本的に何かが誤っているからなのだろうが、何が誤っているかはずっと判らない。おおよそ現代科学的に解明できないことが平気で起こる、それがマナという物質。


 結局、マナ研究は遅々として進まず、大企業の技術独占状態は続く。


 ろくな先行研究は見当たらないし、結果も出ない。苛立ちがますます結果を悪くするのか。もしかすると、自分の精神が結果に作用でもしているのかと考えるが、落ち着いてタバコを吸っても苛立ち紛れに引き金を引いても、導き出される結果はめちゃくちゃ。


 行き詰まっていることは明確だった。ちょっと気分でも変えようか。ダルマは思考と瞬きでアイズのホームを開いた。


 アイズ――巨大企業こと「レッドフォール社」が開発販売するコンタクト型のウェアラブル端末「Iz(アイズ)」。コンタクト型の端末もこの会社が市場独占状態。先程サトリとダルマが連絡先を交換していたが、これもアイズアプリ「コネクト」の機能として提供されている。


 アイズは思考だけで起動することも可能だが、思考が飛んだときの誤反応を防ぐために、瞬きのトリガーが設定できる。思考のみで動作するという利便性を捨てた機能のはずなのに、案外広く支持されており、学園都市外での普及促進に「瞬きが、つながる合図」なんていう広告が打たれたこともあったほどである。


 ダルマはログを遡っていく。十五時まで遡り、広場のエアスペース――空間アーカイブの商標である――が残っていることを確認した。学生全員に閲覧権限も付与されている。


 その他には、なんの情報も入れたくない。先程のサトリのライブ音源を、ボイスオンリーで再生して、目を閉じる。


 ――耳元にそよぐ涼風で、脳が冴えわたるようだった。


 このライブの惜しいところは、ギターがあまりうまくないことだ。まあ、しょせん趣味の活動だから下手でも好きにすればいい。文句は言わない。


 ただ、サトリの声をもっと落ち着いて聴きたかった。他の楽器の音の周波数を削り、サトリの声だけを抽出して聞いてみるも、イマイチだった。あの乱雑なギターも、実はあの声には合っているのかもしれない。音楽は、様々な周波数の重ね合わせで織りなされる波の芸術。ここにもおそらく何かしらの理屈があるのだろうが、ダルマには専門外だった。




 サトリの歌を聞いたあと、もう一度マナを纏わせた銃弾の弾道計算と実験をした。


 五回中五回、計算通りの結果が出た。初めての成果だった。


 安定しない要因は結局判らなかった。再現性がないようではこのまま進められない。何度かやりなおしたが、やっぱり大きな誤差は生まれなかった。今度は誤差が生まれるまでリトライし続けるのか?




 ◇




「ダルマさん、今忙しいですか?」


 銃弾を込めているダルマの視界に、コネクトアプリからのメッセージが割り込んできた。


 手で振り払おうとしたが、送信相手がサトリだということに気付いて手を止める。忙しくないと言えば嘘になるが、サトリの声をもう一度耳に入れたいという気持ちが圧倒的に勝った。


「大丈夫。どした?」


 ボイスでレスをすると、サトリからも声が返ってきた。


「あっダルマさん! メシ、よかったら一緒にどうですか? こっち用事終わったんで、いつでも」


 歌声は透明度の高い勿忘草色をしているが、地声は少し不透明でまろやかなクリーム色。どちらにしても、柔らかく優しい響きを纏う声色。サトリの声はサトリの性格を明確に表しているとダルマは常々思っていた。


「いいよ。どこで?」


「おれの家とかどうですか? メシ作りますから」


 サトリが中学の頃に調理に関する能力開発プログラムを受けていたことを思い出す。能力が先天能力(アビリティ)扱いされたところで、能力開発プログラムを受けるかどうかは個人の判断に委ねられていた。サトリの先天能力(アビリティ)は同じトリプルである他のクラスメイトと比較しても群を抜いて数が多く、更に教師に勧められた授業を端から積極的に受講していた。


「いいじゃん、サトリのメシ、超久々。行くわ」


 ダルマが答えると、テキストで寮の住所と部屋番号が送られてきた。ルートを確認する。大学からは少し距離があるが、徒歩で行けそうだ。


「今研究室だから、三十分後くらいに着けそう。支度するんなら、もっと遅いほうがいいか?」


「作るって言ったけど、実はもうメシ、できてるんです。なんならもっと早く来てほしいかも」


「はは、わかったよ、なる早で行くわ」


「やった! 待ってまーす」


 通話が切れる。サトリの声も明るかったが、ダルマも浮かれた気分だった。こんなにもすぐに、サトリとまた再会できるとは。


 どうせ、明日も一番最初に研究室に足を運ぶのはダルマである。片付けもそこそこに研究室を出た。




 外に出ると満天の星空が浮かんでいた。もうそんな時間かとダルマは時計を見る。二十時を過ぎていた。


 新歓はもうとっくに終わっていて、広場には電灯の下で、黙々と片付け作業をしている人たちがいた。


 新歓の打ち上げ中なのだろう、少し遠くからはしゃいだ学生たちの声が聞こえてきた。学園都市大学に通う人間が、テントやゴミを片付けることは、まずない。片付けやゴミの処理は全て業者に委託している。あの人たちは清掃に関する能力を持ち働く人たちなのだから、適材適所の思想からすると当然だった。


 でも、その仕組みのせいで、学生が美味しいところだけを持っていっているように感じる――考えすぎだろうかとダルマが小さく首を振る。


 ダルマの足元の地面には、紙コップが転がっていた。しゃがんで拾い上げ、それを業者が持つゴミ袋に放り込んだ。驚いたような顔で清掃業者がダルマを見た。小さく微笑んで、サトリとの待ち合わせ場所に向かって早足で歩き出した。




 ◇




 サトリの家は、予想通り学校から少し距離があった。途中、少しだけ遠回りをして差し入れ用の酒を手に入れたが、その店の前では羽目を外した学生たちが組んず解れつしながら飲んだくれていた。たとえ知能が高いSレイヤーであろうと、酒を飲めばぐだぐだにもなる。


 そういえば、サトリは新歓の後の打ち上げには参加しなかったのだろうか。後で尋ねようと思いつつ、打ち上げがあったらこうして会える時間もなかったのかも、と思うとありがたかった。


 マンションの前には既にサトリが立っていた。さすがに真っ赤なジャケットから着替えて、ボタニカル柄のシャツを着ていた。


「服、そっちのほうが似合うぜ」


 ダルマがそう言いながらサトリに歩み寄ると、心外だと言わんばかりの表情でサトリが答える。


「そんなにおれの赤ジャケット嫌い?」


「めちゃくちゃ嫌い。だっせーもん」


 ダルマは笑いながらサトリの肩を叩く。なんだかこの空気感も久々で、心地よいと感じた。


「赤ジャケット、ダルマさんが着たら似合うと思いますよ」


「ああいうファッション興味ないな」


 ダルマが今着ているのは、白いシャツの上にありきたりなグレーのカーディガン、特筆すべき点もないジーンズとスニーカー。大学生の普遍的なスタイルだが、それなりに小洒落て見えるのはダルマの顔立ちがパッとしているからだろう。


「ズタボロの白衣のほうが好きなんですか?」


「いや、クリーニング出したてのがいいな」


「あの白衣、クリーニング出すんですか」


「硝酸こぼした時に出してさ、半年前」


「硝酸こぼした後って、クリーニングに出していいの?」


「すげー大量の水で流してから出した」


 くだらない話を続けながら、二人並んでサトリのマンションのロビーに入ろうとした時。


 ――車の急ブレーキ音が、背後で耳障りに響いた。


 このあたりは閑静な住宅街。道幅も狭く、清掃等の特別な業務以外の目的の車両は進入禁止のはずだった。珍しく思い、二人が立ち止まって振り向く。


 道路には、道幅ギリギリの白いワゴン車が一台止まっていた。


 運転席と助手席から二人が慌てて降りてきて、走っている。向かいの建物の裏に二人が消えた瞬間、「イヤーッ! アー! アアーッ!!」と妙に高い声が響いた。これもまたひどく耳障りだった。動物かなにかの声か?


 しばらくすると、建物の裏から人が出てくる。二人が何かを左右からがっちりと抱えていた。


 四肢と胴体と頭部があることからそれを人だと認識したが、それにしても人にしては骨格や肉付きがまるで違う。胸部に極端な膨らみが二つあり、身体の凹凸がはっきりしている。


 人ならざる、人。


「宇宙人か?」


 ダルマがつぶやくとサトリは消え入りそうな声で「さあ……」と答えた。


 宇宙人らしきものは四肢をばたつかせて、拘束から必死に逃れようとしているが、追跡者よりも圧倒的に華奢な体つきをしているため、抵抗虚しくワゴン車の中に押し込まれる。ドアを乱暴に閉めた後、すぐにワゴン車は走り去っていった。


 暗闇で起きた、ほんの一瞬の出来事。


 目撃したのは、おそらくサトリとダルマ以外いないだろう。


「なんだったんだアレ」


「……わかん、ない」


 サトリがぼーっとしているのを不審がったダルマが、サトリの目の前に手をかざした。


「サトリ」


「あっ……いや、なんでもないっす。なんか変でしたね。あれ宇宙人なのかな」


「宇宙人確保してるんなら、ニュースにしてくれりゃいいのにな」


 その方がロマンあんのにな、とダルマが言うと、サトリは「ロマンねえ」と苦笑いした。


 サトリの記憶の中のダルマは、中学の頃からかなりのロマンチストだった。人付き合いが嫌いな割には、愛を知りたがっていた。でも、結局は人付き合いを面倒くさがって、最終的に人間以外と向き合っている時間のほうが長い――ボロボロの白衣を見るに、その傾向は今でも変わらなさそうだ。




 ◇




 サトリの部屋は、一人暮らしには広すぎるくらいの立派な部屋だった。


 ダイニングテーブルに置かれた黒い革張りのソファに促されて座ったダルマは、部屋の中をぐるりと見渡した。高い天井にはシーリングファン。家具もモダンで良いものが揃えられていて、隅にはつやつやで手入れの行き届いた葉をぴんと伸ばした観葉植物まで置いてある。リビングには革のソファと、大きなテレビと、木目調の加湿器。モデルルームみたいで、いまいち生活感がない。ダルマが部屋を見ていることに気付いたのか、サトリが言う。


「いい部屋でしょ。広いキッチンがないとさ。そういう物件あんまなかったんですよ」


「そんなに料理好きだっけ?」


「好きですよ。ダルマさんにも食べてもらったことあったでしょ?」


「授業で作ったやつだろ」


「あの頃から、ずーっと料理好きなんです」


「へえ」


 サトリが対面式のキッチンに入っていく。クッキングヒーターのスイッチを押してフライパンの上の料理を温め直し始めた。


 その様子を見ながら、ダルマがタバコを取り出す。


「吸っていい?」


「いいですよ。灰皿、そっちの棚の中にありますから……あ、やっぱりおれが取ります」


「いいよ、自分で取る」


 棚を開くと中にはゴムの箱だの、おもちゃだのが乱雑に入っていた。サトリの本質はこっちだと感じて、ダルマに笑顔が浮かぶ。


「ははは、かっこつけんなよ」


 見られたのが居心地悪かったのだろう、唇を少しとがらせるサトリ。


「……かっこつけさせてくださいよぉ。久々に会えたんだから」


「オレ、サトリにカッコいいは求めてないし。次、オレが来る時は全部出しとけよこのへん」


 ステンレスに灰がこびりついた灰皿と、何かのおまけであろう、チャチな作りのミニカーを一緒に取り出して、ダイニングテーブルの真ん中に置く。


「その間におれの恋人でも来たらどうするんですか?」


「オレが恋人だって言い張ってみようか」


「修羅場を起こさないで!」


 笑いながら、サトリが手早くテーブルに料理を並べていく。前菜にチーズ、シーザーサラダ、ミネストローネスープ、メインはチキンのマスタードグリル、ズッキーニとじゃがいものジェノベーゼパスタ。すでにサトリは食べ終えていたのか、ダルマの分の一人前だけが置かれていた。しかしよくもまあこの時代にこんな食材が手に入るものだとダルマが感心して思わず拍手するほどだった。


 推奨エネルギー摂取量は優に超えているが、薄っぺらいダルマの体型と生活を鑑みるに、一日くらい大量に食わせても大丈夫だとサトリが判断した結果の豪勢な食事だった。そう判断はしたが、単純に誰かに手料理を食わせたいとサトリが思っていたということも、否定できない。料理好きな人間というのは、そういうものである。


 テーブルの上を見て、目を細めるダルマ。


「すげえ。そういうお店みてえ」


「すごくない? これはモテそうでしょ」


「モテるためにやってんの?」


「モテたいじゃん?」


「さっすが。コミュ力専攻はちげーな」ダルマの脳裏には接待で通された高級飲食店がひとつふたつ浮かんだが、それでもサトリの料理の方がクオリティが高いように感じた。味を褒める語彙が少ないことを後悔したほどに。「これで何人落とせた?」


「……どうだか」


 曖昧に微笑むサトリ。自慢があるなら言うだろうが、ここで濁すなら何かあったのだろうと察したダルマは、それ以上聞かなかった。


 しばらく黙って料理に舌鼓をうってから、どうしても気になっていたことを口にした。


「それにしても何だったんだろうな、アレ」


「……さっきの車のこと? 捕まえてた人も、結構慌ててましたね」


「研究所から宇宙人が逃げ出したんなら、そりゃ慌てるよな」


 ケラケラと笑いながら自分の持ってきたビールを缶のまま飲んでいると、サトリがグラスを持ってきて注いでくれた。「宇宙人、ねえ」


「サンキュー。……だってあんな胸筋垂れ下がってんだぜ? 生物学的に何の意味があるんだ?」


「胸筋だけ異様に発達してましたね。ていうか、筋肉って質感でもないし……脂肪?」


「ふは! なおのこと、何の意味が」


「骨の太さから違った。骨盤が発達してたけど、肩幅が狭すぎる。筋肉量がまるで違う」


「さすが。あの一瞬でよく観察してたな」


 映像記憶型だから、とサトリは軽く言って側頭部を指でとんとんと叩く仕草をした。アイズの機能ではなく、自身の脳で記憶したということである。


「エアグラフィ、できたらよかったけど、さすがに一瞬すぎて間に合わなかったですね」


 エアスペースの写真撮影機能の名前を挙げたサトリ。ダルマも同様に、そのシーンが重要だとは思っていなかったために撮影はできていなかった。


「となると、エアスペのアーカイブ見たほうがいいよな」


 サトリのライブ映像と同じように、エアスペースのアーカイブが残っているかと思い、検索をかけてみた。


 ところが、アーカイブは存在するものの、Forbidden(アクセス禁止)のエラーが返された。


「オレの権限でForbidden……? ちょっとありえねーな」この周辺から、車が去っていった方向にまで検索範囲を広げたが、前後三十分ほどのデータに一律してアクセス禁止のエラーが表示される。「データはあるけどアク禁……ってことは、編集後のアーカイブが未登録のときの挙動か」


 直近の出来事であるが故に、エアスペースの編集が間に合っていない。その上に、見られると困る内容だから、アクセス禁止にしているということだろう。サトリも同じように考えたらしく、「十中八九、何か隠してるんでしょうね」と言った。ダルマが頷く。


「サトリの記憶力だけが頼り。何か覚えていることないか?」


「どんな情報がほしいですか?」


 サトリの脳裏には、あの時の様子が鮮明に再生されていた。いつでも脳内の映像記憶にアクセスできたが、再生してその映像を読む動作はやけに脳が疲労するため、常日頃からアクセスしようとはしてこなかった。だが、この能力がダルマの役に立つなら喜ばしいことだった。


「車の出所が特定できそうな情報。車種、あとはナンバープレートとか」


「車のこと、よく知らないんですよね……まあ、学校の駐車場でもよく見るような、普通の業務用ワゴン車。人も荷物も運搬できるタイプですね。ナンバープレートは暗くてよくわかんないですね」


「業務用……企業なら企業ロゴとかついてんじゃねえか」


「ロゴ……? ちょっと待って……あった!」


 そう言ってサトリは空中に指を滑らせる。ペイントアプリで描いたものを、コネクト経由でダルマに送信した。


「これ、出生研ですね」


 ダルマが送られてきたロゴを見て、フゥと息をついた。


「間違いねえな。出生研の車だ」


 出生研――正式名称は『国立人類出生研究所』、国営の巨大組織である。


「ここ(学園都市)って出生研の本拠地ですもんね。業務車が走ってても不思議じゃないですけどね」


「間違って宇宙人みたいなの生んだんじゃねえの? そりゃまあ、隠蔽もしたくなるよな」


「そうね……」


 そう言って黙り込んだサトリの脳裏には、宇宙人らしきものが車に押し込まれているシーンが何度も繰り返し再生されていた。


 あの異常に発達した胸筋(あるいは、脂肪?)や、華奢な身体にはありえないほどの肉付きをした臀部を思い返し続けて――テーブルの下、サトリの下半身が、勝手に反応していた。痛いほどに勃起したそこに戸惑いつつも、上がり続ける心拍数でアラートが出る前に、思い返すのをやめようと、手元にあった缶ビールを一気に半分ほど飲み干した。宇宙人に情欲を抱くとは、欲求不満なのかもしれない。平常を装ってダルマに話しかける。


「……ダルマさん、気になります? あの宇宙人のこと」


「宇宙人もだけどさ、出生研ってさ、気に食わねーな」


「出生研が?」


「色々気に食わねーけど……サトリ、ノルマのことどう思うよ」


 ノルマ――すなわち精子提供。


 出生研は月に一回のペースで特に優秀な人間の精子を採集している。ダルマもサトリも、最上位レイヤーであるSレイヤーの中でも最も高いトリプル(SSS)と呼ばれる立場にいた。優秀であるが故に特権が与えられているが、その代わりに月に一回、精液を提供する必要があった。ダルマはそれが面倒だと言っているわけだ。


「ダルマさんの精子はそりゃ優秀でしょ」


「どうかね。サトリの方がイケんじゃない。アビリティの数でオマエに勝てるやつはそういねーだろ」ケラケラと笑いながらまたビールを煽るダルマ。「しかしまあ、『ノルマ』に来られたときの萎えっぷりっちゃねーよな。一日憂鬱っつうか」


「わかりますよ。おれ、ちょいちょい逃げてますし」


「逃げてやんなよ。あっちだって仕事なんだから」


「だって、抱きたくないじゃないですか。見ず知らずの回収員を」


 精子の採集には当然射精が必要になる。トリプルの数は少ないといえど採集対象になっているトリプルは八百人ほどいる。特殊なコンドームの中で射精して精液を回収するという目的のためには、性行為が最も手っ取り早い。故に、一般的な採集方法といえば、回収員との性行為だった。


「アレ、回避法あるんだぜ。別室で待ってもらってゴムの中でシコんの」


「それでもいいんですか?」


「ゴムの中に出しゃいいんだからそれでも別に問題ない。唯一の難点は、回収員の子が傷ついた顔すること」


「ああ……回収員だって、セックスが仕事ですもんね」


「そ。でも好きじゃねー子は抱けねーから、オレ」


「そういうタイプねえ。ダルマさんに抱かれたい回収員も居そうだなー」


 ダルマは比較的美形の多いトリプルの中でも、際立って顔立ちがよかった。


「サトリはさ、オレに抱かれたら嬉しい?」


 妖艶な瞳でサトリを見据えるダルマ。一瞬言葉を詰まらせたサトリは目をそらして答える。


「……そりゃ、嬉しいでしょ、誰でも」


 誰でも、という言葉が気に食わないダルマは口の端を上げながら冷たい声を出す。


「ぜってーサトリ抱いてやんねー」


「ほら見て。うまいメシを作ったところで、いい人は落とせないんです」


 ダルマが大口を開けて笑った。




 結局二人は、くだらない話と冗談と昔話に花を咲かせ、大笑いしながら夜を明かした。


 ただ……サトリの脳裏にはどうしても、あの「宇宙人」のことがこびりついて、離れなかった。




 朝方にダルマが帰ったあと、サトリは半分ヤケになりながら、宇宙人を思い浮かべながら自慰をした。


 自己嫌悪に苛まれながら吐精した瞬間、強烈な快楽が脳裏を突き抜けた。その後は、とてつもない虚無感と戦うはめになったが……。



(続く)



おしらせ

2023年11月10日に行われる文学フリマ東京で「TRV -トーキョー革命-(1)」を頒布予定

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