【第一章】Overflow #2

 3

 

 翌朝。


「世界最大の研究所って言ってるくらいだもんな、そりゃでかいよな」


 ダルマとサトリは地上何十階か、まるで天を突くかのような見当がつかない巨大なビルを見上げていた。これが世界人類研究所の本部である。

 サトリの家と大学と出生研、繋げばだいたい正三角形くらいになる位置で、いつだって行こうとすれば行けなくもない距離だが、あえて自分たちから出生研に積極的に関わろうとは思ったことがなかった。

 建物のサイズ感を前にして、サトリは若干の不安を覚えていた。本当に、自分たち二人の力で謎を暴くことができるような相手なのだろうか、と。


「ダルマさん、予約の時に見学させてほしいって頼んだんですよね? よく許可されましたよね」


「そりゃ目的聞かれたぜ」


「何て答えたんですか?」


「『中学のときの復習をしたくって。全部すっかり忘れちゃって』」


「無茶な言い訳」


 サトリが笑う。トリプルが「すっかり」忘れるなんて有り得ない。サトリほどの映像記憶ではなくとも、記憶力が高くなければ知能検査の段階でトリプルと認定されない。ダルマが無理な言い訳をしたのにもそれなりの理由があった。

 今回やるべきなのは、宇宙人の正体を明らかにすること。

 しかし真正面から「宇宙人って何者なんですか」などと尋ねたところで追い返されるのが関の山だ。ならば、初手としては回りくどく、出生研からにじみ出てくる情報を啜るのがベター。しかも、より純度の高い情報を。

 ダルマは「復習」「すっかり忘れた」という言葉を使うことで、「一定以上の情報を詮索してくることはないだろう」という水面下の油断を誘ったわけだ。事前に質問が予測されて対策した解答と、急な質問に対しての人の反応や対応は大きく変わるもので、相手にとって都合の悪い問いを投げかけても、それが予測された内容であればその分だけあっち側は取り繕うことができる。その反面、予期せぬクリティカルな質問に対しては、言語としての回答はなくても、感情は引き出せるだろう――何がタブーであるかくらいの、感情の情報なら。初手ならこれくらいでいい。


「サトリ」


「はい?」


「ヤバいと思ったら、一人で逃げろよ。オレも一人で逃げるから」


「わかってますよ」



 ◇


 数多のセキュリティゲートと身分確認・手荷物検査の手厚い歓迎を受けた後、出生研の担当者・コウヘイは、予想より温かく出迎えてくれた。


「お二人のご訪問を出生研一同、心より歓迎いたします」


 広めの会議室に通されて、にこやかな担当者はそう言いながら、温かいお茶まで出してくれた。

 念の為にダルマはお茶の内容物をアイズで確認したが、不審なものは特に入っていなかった。


「オレらも一応、出生研に協力している身ですからね。自分たちのやっていること、知っておきたいじゃないですか」


 ダルマが微笑みながら言う。


「いやはや、トリプル様はさすがでございます」コウヘイのその言葉に、皮肉めいたニュアンスは感じられなかった。純粋に驚き喜んでいる様子だった。「学び直したいとおっしゃる方は、滅多におられません」


「正直なところ、無駄なことしてるんだったらやめたいって思いますよ。ほら……「ノルマ」

とか」


「はい。ダルマ様とサトリ様からは、精子のご提供をいただいておりますね。ありがとうございます」


 担当者がアイズを確認しながら言う。サトリは苦笑しながら言う。


「月一提供ってのは、なんとかなりませんかね? 苦言を言いにきたわけじゃないんですけどね、やっぱり精子って限りあるじゃないですか」


「大変ご不便おかけいたしまして申し訳ございません。精子採集頻度の調整も可能でございます」


「できるんですか? 知らなかった!」


「もっと早く来たらよかったな、サトリ」


「ホントですよ〜」


 上辺の会話で担当者の様子を伺う。外に他の人間がいる気配もない。今のところは警戒されていないと踏んでよさそうだ。


「本日のご案内で出生研についてより深く知っていただき、調整につきましては今日の見学を終えてからご検討いただけますと幸いでございます」


 チャーミングに笑うコウヘイ。アイズで確認する。レイヤーはAA。出生研の研究員だと表示されている。これ以上の詳細は出てこないが、総務などの総合職ではなく、専門の研究員が自ら案内してくれるのならかなり好都合と言えた。


「それでは先のご説明通り、中学生用の動画をご覧になっていただく流れとなるのですが……こちらで本当によろしいでしょうか?」


 ナメていると思われたら困るという自衛の確認。それほどにトリプルは特権階級扱いをされているという証拠でもあるが、ダルマにとってはどうでもいい気遣いだった。


「もちろん。それを見にきたんで」


「かしこまりました。ご準備しますので、通知が届き次第、接続の入力許可をお願いいたします」


 少しすると、サトリとダルマのアイズに外部からの入力可否の通知が送られてくる。許可をするとゲスト用のネットワークに接続され、そこ経由で学習動画のデータが同時投影される。

 

 出生研という機関の簡単な説明と、業務紹介として「人類出生」の過程が映像化されていた。


『トリプルの皆様から精子を提供していただきます。その精子は、特殊な液体の入った試験管の中に注がれます。このとき、空気に触れると精子は死んでしまいますので、研究員の手で丁寧に作業します』


 研究員が説明に合わせて、精子を注ぐ画が映る。ゆっくりとカメラが寄って、手元の試験管に入った水が大写しになる。そのズームカットからエフェクトを経て、カメラは引きながら養育槽がずらりと並んだロングショットのカットへ。

 

『試験管で細胞分裂を促した後は、養育槽へと移動します』


 液体がゆらめく水槽が薄暗い空間に大量に並んでいて、その間を研究員がゆっくりと歩いている。一つの水槽の前で立ち止まり、近くにある機械を操作する。濁った試験管の中の液体が注がれた。

 映像を見ているうち、ダルマは小さな違和感を覚えた。数秒睨みつけて、理由が判った。

 

 ――試験管のシーンと養育槽のシーンで、映像のFPS、つまりフレーム数が違うようだ。

 

 おそらく試験管の映像は毎秒三十フレームで、養育槽の映像はその倍の毎秒六十フレームで作られている。フレーム数が高いほうがなめらかな映像になる。最終的に低い方に合わせてまとめれば違和感がなかったのだろうが、高い方に合わせたせいで、ほんの僅かな違和感が生まれている。

 

 いや、この違和感、フレーム数だけではない、と更に目を凝らし――そもそも作り方さえもが違うことに気がついた。

 養育槽のシーンはCGで作成されているらしい。

 現代のCG技術を駆使すれば、実写とCGを肉眼で区別するのは不可能である。ただ、それは「判断するのが不可能な作品を作れる」というだけで、全てのCGがそうであるというわけではない。

 つまり、中学生が見る教育用の動画に、判別不可なほどのリッチさを求めはしないということ。注目すれば、確かに水面の光の反射に若干の違和感がある。しかしフレームレートの差異に気づかなければ、あるいはそもそもこの映像を疑り深く見ていなければ、このわずかな粗にも注目しなかっただろう。

 続く出生シーン。養育槽から、育ち切って出生となる子を、機械の手がピックアップしている。泣き叫ぶ赤子の表情も、同様に実写ではないらしかった。

 シーンは保育期間の説明に移り、CGではない実写映像に戻った。

 元気な子どもたちが走り回る後ろ姿のあと、「よりよい未来と人類へ 世界出生研究所」というロゴが出て、映像は終わった。

 

 ダルマは、これを見た当時の中学生の自分の反応を思い出していた。

 中学三年、修学旅行で少し遠くの出生研までバスで行った。学園都市コロニーの外に出ることが珍しく、コロニー外に広がる景色の記憶の方が圧倒的に強かったが、見学を完全に忘れているわけでもなかった。当時のダルマは、この映像で紹介されなかった精子の回収方法が気になっていた。結局十八歳になって知らされたが、出生研の回収員が訪問してきて、持ち込まれた容器の中に任意の方法で射精する仕組みになっている。回収員に手で刺激してもらい射精する人もいれば、回収員とセックスをする者もいた。回収員との「精子回収」という名の性交渉を楽しみにしているトリプルもいるという。

 

 ダルマは十八歳から今日まで、ノルマは欠かさなかったが、回収員を抱いたことは一度もなかった。愛情の湧かないような知らない相手を抱きたいほど性欲は強くなかったし、性行為は最上級の愛情表現だと思っている。だから、一人で部屋で容器の中に精液を入れて渡すスタイルを続けていた。

 

 映像が暗転して、入力信号が途絶えた。


「この映像、前見た時からアップデートされていませんか?」


 サトリが尋ねるとコウヘイが頷く。


「はい。昨年、資料をリニューアルいたしました」


「オレたちの見た頃はダブルの採集もあったからな」


 数年前にこのムービーを見たときは、ダブル(SS)の一部の精液も採集していた。トリプルの人口が増えたこともあってか既にダブルからの採集はされていないようだった。


「ええ。おかげさまでトリプルの人口が徐々に増加しております。より良い人類へと向かっておりますね」


 優秀な遺伝子をたくさん回収すれば、優秀な子がたくさん生まれる。結果として、絶対的評価である出生後知能検査でトリプルと判定される人間の人口比率が向上する。

 そういう目的で、月に一度の精液採取が行われている。出生研としては、最終的に全人類がトリプルに近い優秀な頭脳を持つことが目的なのだろうか。

「よりよい人間を、出生研はどのように定義されますか」


「先天才能(アビリティ)をはじめとした、能力が高い人間のことを指します」


「能力値の高い人間が増えれば、人類は『良く』なる、と。

 では、能力の低い人間は、どうなるんでしょうか?」


 その問いに対して、担当者は答えた。


「いずれ、淘汰されてゆくでしょう」


 ――それが、明らかな最適解であるというように。


「なるほど。ありがとうございます」


 ダルマは肩をすくめ、質問を切り上げた。これ以上つつけば、この先で警戒されるリスクが高まる。まだ宇宙人の情報の核心には、まるで触れられていない。


「それでは、見学にご案内いたします」


 ◇

 

 エレベーターで地上十三階へ。ここより上は出生に関する研究施設であるためということで、白い防護服を着せられた。

 フロアには、数百、数千の試験管が、六列×二の十二本で一セットになって並んでいる。その中にはいわゆる特殊な液体が入っていて、その中に研究員たちが、さらに白濁した液体を注いでいく。


「注いでいるのは、みなさまから採集された精液でございます」


「はは、すごいなあ。こうやって子どもを作ってるんだ」


「このフェーズは、オートフォーメーションしなかったんですね」


「その通りでございます。何故か手作業のほうが成功率が高く」


「そういうこともありますよね」


 自分の研究のことを思い出すダルマ。現代の科学で解明できないことなんて、まだザラにある。


「手作業が故に、皆様にお見せできます。この先の工程は完全に機械でコントロールしておりまして、見学はできません」


「機械化されているから見せられない、とは?」


「技術盗用のリスクがあるためです。研究施設を見学されるゲストは多岐に渡ります。ここだけの話でございますが、国営ではなく民間で出生研を立ち上げようという者もおりまして」


 ない話ではないだろう。

 そもそも、出生という人類における最大とも言える重要イベントを、国営とはいえ企業が独占している現状を憂う人間がいてもおかしくはない。


「出生関連業に民間介入を禁止するのは何故?」


「トーキョー国及び出生研では、出生段階から厳密に人口のコントロールをしております。弊社では食糧供給量や居住地の密度に応じ人口を計算、最適化を行っております。身勝手な民間企業の出生介入でバランスが崩れてはなりませんので」


「見せるくらいなら別に問題ないんじゃないですか?」


「最近、エアグラフもかなり高精度になっておりますのでね……空間のトレース保存をされては困ります。技術流出になりかねません」


 サトリが苦笑いする。まさに昨日、脱走した宇宙人の様子をエアグラフで撮影できず悔しがっていたのだ。それを見た担当者はサトリの機嫌を損ねたと思ったか、慌てて言い繕う。


「大変失礼いたしました。お二人を疑っているわけではございません。しかしこうした理由で一律で規則となっておりますので、ご理解くださいませ。代わりに、アイズでご覧になれるようなエアスペースアーカイブをご用意いたしておりますので、こちらをご覧ください」


 アーカイブではまるで意味がない。アーカイブといえど、映像と同様にいくらでも加工編集可能なものだ。

 結局、中学生向け説明動画でCGになっていた部分は全てアーカイブでのこの目で確認することができなかった。

 その後は更に上階層に連れて行かれ、養育槽から出され出生した子どもが、保育士に世話されている様子を見た。出生後初期は保育士による定期的かつ綿密な観察が必要だという。出生直後のトラブルを避けるためである。


「この期間から徐々に能力検査を進め、出生後半年後には、ほぼ完全にレイヤー分けされております」


 能力検査の様子は純粋に機密にあたるため、見せられないという。そんな機密で今後の人生何十年を決められてはたまらないと思うダルマだった。


「皆様の育たれたトリプルの保育の様子をご覧になりますか?」


「その辺は見せてもらえるんですね」


「人間のやることはコピーできませんからね。保育士の専門技術は、アイズで盗用できません」


 トリプルの保育施設は、最上階に近い階層にあった。広く、柔らかな暖色照明と外からの光が差し込む部屋だった。柔らかそうなカーペットが敷かれており、子ども一人につき二人の保育士がついている。


「このトーキョー国あるいは世界作っていく層の皆様ですから。世界を俯瞰していただく、という意味合いも持っております」


 レイヤーで構成された人口ピラミッドの図を思い出していた。Sレイヤーは人口上位一パーセントで、SSS(トリプル)は上位〇.〇一パーセント。Aレイヤーは三十パーセント。残りはBからDのレイヤーがほぼ同率で分布。徐々に下位レイヤーの人口割合は低下しており、反対にSレイヤーは増加傾向にある。

 

 一通りの見学を終えたあと、防護服を脱いで会議室に戻った。また新しい茶が置かれていたが、ここにも特に異物は入っていなさそうだった。


「ご見学なさって、いかがでしたか?」


 ダルマが尋ねる。


「……やっぱり気になるんですよね。アイズを外しても見れませんか? 養育槽の様子って」


 コウヘイは「規則ですので」の一点張りで首を横に振った――なるほど、これは「予想された質問」なのだ。

 ならばアプローチを変えるしかない。努めて柔和な笑顔を浮かべる。


「いえ、オレの中で一つ仮説がありまして。

 卵子って、人類の生殖に不要なのかな、って」


 その一瞬、担当者の表情が変わった。空気がひりつく。だが、ダルマは変わらずに続ける。


「実はオレ、動物の繁殖に興味があるんですよ。動物、とくに羊なんか、非常にふわふわで可愛い。いっぱい羊を増やしたくて、調べていたらね、羊には雌雄があり、オスの精子とメスの卵子――それらが合わさって子が生まれて増えると。どうやら羊以外の動物の生殖もそうしてるって話で」


「そのお話は、どちらでご覧に?」


 担当者の声がこわばり、発汗量が一気に増える。強く瞬きをしている。緊張状態もあるだろうが、アイズで外とコンタクトをとっていると見たほうがよいだろう。すぐに脱出できるように意識をしながら会話を続けるダルマ。


「単なる興味で、友人に聞いたんで。信憑性は定かではないからお尋ねしたんです。人間の繁殖には卵子は不要なんですね?」


「……そもそも下等生物の羊とは違い、人間に卵子という概念はありません」


「へぇ」


「皆様の精子を特殊な液体に浸して、養育槽へ移すことで完全に生殖が可能です」


「じゃあ最後にもう一つ聞かせてください。試験管と養育槽……その手の仕組みって、人間が作ったんですよね。

 それらが作られる前って、どうやって人間って生まれてたんでしょうね?」



「……そちらの疑問にお答えすることは、私どもの業務の範疇ではございません。どうぞご理解ください」


 ご理解くださいという言葉は、トリプルに対する最大限の拒絶だった。


「ありがとうございます。大変有意義な見学でした」




 続きは10月15日にアップ予定

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