【第一章】Overflow #4
オープンカーは速度を落とし、ダルマの研究室がある棟の駐車場に停車した。
「はい、おつかれさん」
「っていうか今更マニュアル車っすか」
「敬語やめろって言ったろ」
ダルマがレバーを引く。
「ワカバ、降りれる?」
まだ怖いのだろう、ワカバはサトリの身体にぎゅっとすがりつくように抱きついていた。
「宇宙人とアツアツかよ」その様子を見てケラケラと笑うダルマ。「オープンカーでセックスするのはおすすめできないけどな」
「するわけないでしょ!」
サトリとワカバが車から降りた。少し離れると、ダルマがなにやら口の中でつぶやいた。その瞬間、車の色が黒に変わり、オープンカーは、無難な軽自動車に変わった。魔導は車の形すらも変えられるのかと少し驚いた。
そして車のサイドにいつの間にか貼られていたUFOマークのステッカーを剥がす。
「なんだよそのステッカー」
「こうすりゃ、出生研相手じゃなくて、宇宙人を狙った誘拐事件って印象づくだろ。あとはまあ、車の特定を避けるため」
そう言ってダルマがナンバープレート、いや、ナンバープレートの上にかぶせていた数字の書かれた板を外した。確かに車種とナンバープレートが違えば、特定は困難だろう。ラボのそばだから、エアスペースのログもダルマが削除することができる。完全な手腕にサトリが舌を巻いた。
「……根っこから犯罪者なの?」
「なんか言った?」
ダルマはナンバープレートを燃やして処分した。
「いや、なんでも」
「まあ、これも時間稼ぎにすぎないけどな。サトリと一緒に出生研に行ったオレにターゲットが向くのも時間の問題だ。次どうするか、考えようぜ」
そう言いながらラボへと足を向ける。サトリはワカバを抱きかかえ直した。
ワカバはきょろきょろして、あちこちを興味深そうに見ている。
「面白い?」
「……」
それにしても、コミュニケーションが取れないのは少々面倒だ。なんとかしてワカバたち宇宙人の言葉を覚えるか、自分の言葉を教えるかのどちらかをしなければいけないと心に決めたサトリだった。
◇
「外部からはジャミングがひどすぎてネットワークに侵入できなかった」
ダルマがそう言いながらコーヒーを淹れている。
「ごめんって! 養育槽、見たかったよな」
「ほんとだぜ。宇宙人のケツ追いかけやがって」にや、と笑ってサトリの前にコーヒーを置いた。「ていうかさ、宇宙人ってコーヒー飲むのか?」
「飲む?」サトリがワカバにコーヒーを差し出した。ワカバがカップを傾け、眉間にシワを寄せた。「ダメっぽいね」
「ここ、ミルクも砂糖もないから」
「ジュースなら飲むのか……っていうか、そもそも同じメシを食うのかもわからない」
ダルマとサトリの会話を理解していなさそうにコーヒーの黒い液体を眺めているワカバ。カップを持つ細い指。折れそうで心配だとサトリは思った。
とりあえず水道水を出したら飲んでいた。
「コミュニケーションは取れないのか? オマエの専門分野だろ」
「まだ入学して二ヶ月とかだよ? まあ少なくとも、おれの知ってる範囲の言語ではないかな。そもそも会話するのかどうか……」
念のため、ワカバがアイズのような端末を持っていないかと検索してみたが、当然何もなかった。紛失時用の所有者検索機能を使って、網膜で端末検索をかけてみたが、少なくとも公開されている情報はヒットしなかった。
「なにか喋ってみてって伝えてくれよ。そうしたら似ている言語くらい出てくるだろ」
「宇宙人と喋ったこと無いからわかんないって。テレパシーで会話してるかも」
ダルマが機材の横にあった紙を持ってきた。
「あ、すごい。紙あるんだ、ここ」
「絵描く先輩がいるんだ」
「へえ。紙に」
絵は端末に描くことが一般的で、紙は粗悪なものしかない。だから書いたところで満足した保管もできないと思われていたが、先輩はその儚さを重んじるのだとダルマが言った。
「いつか物質として喪失されるものこそが本物なんだと。命と一緒で……それはともかく」
ダルマが紙にいくつかの絵を描いた。お世辞にもうまいとは言えなかったが、十分伝わる絵だった。
ワカバがそれを見ながら、一つずつ指さして言葉を発した。声は高く、鈴の音のようだった。
「やっぱり言葉はあるんだ」
サトリがワカバの発した発音と単語を聞き取りながら、類似の言語を調べる。途中、サトリもいくつか絵を書き足した。サトリの表情は徐々に険しくなる。
「……うーん」
「何?」
「まず、地球上に類似言語はない。それにあまりにも言語自体の語彙が少ないみたいだ」
「こいつが物事を知らないってだけじゃないわけか」
「そう。あー……そうだな、簡単にいえば、「良い」「悪い」っておれたちは言うでしょ。でも、この子には「悪い」っていう概念がない。「良い」か「良いではない」っていう感じ。暑い、とも言わない。「寒くない」って表現するみたいだ」
ダルマの描いた震えた人の絵と、その隣に描かれたサトリが描いた汗をかいた人の絵。
「なるほど。語彙が少ないってことは、大した文化も発達していない星だった可能性があるな」
「あるいは、出生研があえてそういう言葉を覚えさせたか、ね」
ダルマが顔をしかめた。
「嫌な話だな」
「あと、もう一つの悲報。発音が難しすぎる。声の高低差がかなり重要っぽいんだけど、まだはっきり法則性が読み取れない。語彙が少なすぎて、発声のサンプル数も少ないからもうちょっと時間がかかりそう」
「それは追々でいい。一旦は絵を認識することはできそうってだけでも収穫だぜ」
確かに、絵と指差しでコミュニケーションが取れるのは救いだった。もし目が見えていなかったり、足だけではなく手も切られていたら詰んでいた。
「オレらの言葉覚えてもらったほうがいいんじゃね?」
「複雑な言葉をワカバが理解できるかどうか」
「そいつ、ワカバっていうんだ」
「おれが勝手につけた」
「へえ。いい名前じゃん」
「研究はその現象に名前をつけるところから。でしょ?」
「なんでそんなことすんだよ。名前をつけると愛着が湧くだろ」
「愛着湧かせるためにつけたんだよ。これから連れ去るんだもん」
はは、と笑いながらダルマは煙を吐いた。
◇
ダルマの証拠隠滅のおかげか、追っ手はまだ来ていなかった。
ワカバが眠たそうにうつらうつらしはじめた。絵での会話を試みて二時間ほどが経っていた。
「ああ、疲れた? ごめんね。ちょっと休憩しよっか」
「毛布。これ使え」
ダルマがワカバに毛布を放り投げた。ワカバはきょとんとした目でダルマを見てから、毛布を見て、微笑んでぎゅっと抱きしめた。
「……」
ワカバは小さな声で何かを言った。その言葉をサトリが慌てて調べる。
「えっと……これは『冷たいではない』、だから、『あったかい』ってことか」
言葉を発することはできないが、理解をすることはある程度できるようになってきたらしい。
「毛布なんてあったかいもんだろ」
「宇宙には毛布なかったんじゃない?」
ワカバは嬉しそうに毛布に頬ずりしている。
出会ってからワカバが笑顔を見せたのはこれが初めてだったかもしれない。サトリもさぞかし微笑ましそうにその様子を見ていた。
「……」
またワカバが何か言った。サトリがしばらくかけて調べ、そのうち吹き出した。
「今度は何て?」
「『におい いいではない』ってさ」
毛布には確かにタバコの煙の匂いが染み付いていた。
「貸してやらないぞって伝えとけよ」
「言葉わかんないから伝えらんないよ」
ワカバが眠りに落ちて、少し離れた場所でサトリとダルマが喋っていた。
「オマエ、これからどうする?」
ダルマが尋ねる。サトリは長い沈黙のあと答えた。
「……もしも出生研がワカバの足を切ったんだったら、許せない」
「まあ、そうだよな」
「ワカバの正体も知りたいよね」
「サトリ、宇宙人にホレたんだろ」
ダルマの言葉に顔を真っ赤にするサトリ。
「そ、そんなことあるわけないじゃん!!」
「発汗量の増加、体温の上昇、言葉の詰まり上ずり、意図しない質問に対する焦燥感は的確であることの証拠だな」
「違う! 冷静に分析しないで!」
焦るサトリと、楽しそうにケラケラと笑うダルマ。
「……ホレるとか、そういうの正直おれわかんないんだよ」
「分かんないことあるかよ」
「……なんかさ、みんな普通に恋して、セックスして、相手のこと大事に思ったりするらしいじゃん。それで、ツガイみたいな関係になるひとたちもいる。一生、特定の一人とずっと過ごすっていう生き方を選ぶ人までいる」
「うん」
「おれ、まだそういう感情になったことないんだよね。セックスはまあ、そりゃ気持ちいいけど……なんか、違うなって……いつも心の端っこで思ってて」
ダルマが目を閉じてうなずく。
「そうなんだ」
「だからさ、相手にいつも言われるんだよね、本当にサトリは私のこと僕のこと愛してるのかって。それにおれ、心の底から愛してるよって言えたことがないから……多分、恋がまだわかってないんだな」
「モテるために観葉植物置いてる奴がなあ」
「逆だよ。モテて、わかるようになりたい」
「数撃ちゃ当たるってか。残酷だな。そういうこともうやめとけ」
ダルマの指摘はもっともだった。恋ができないのに、自分は恋に積極的だというアピールをすることは、たしかに相手に対する裏切りだった。自分が理解したいという思いだけが先走って、相手がどういう思いをするかまで思い至らなかった自分に気づいたサトリはダルマの言葉にうなだれた。
「……そうだね。ごめん。もうやめる」
ダルマは笑いながらサトリの頭を撫でた。
「恋愛なんざゴラクなんだからさ。別に恋してもしなくても大した違いはないだろ。ツガイの有無で納税額が変わるわけでもなし」
「たしかにね。なんか、みんな楽しそうに恋人の話するから、ちょっと焦っちゃったのかも」
「オレは宇宙人の体型より人間の方がいいな」
「おれはワカバみたいなのもアリだと思うけどな。華奢な子」
「膨張した胸筋は? 異形すぎるだろ」
「車に乗ってる時に触らせてもらったけど、やっぱり大きくてすごく柔らかかった。おしりと同じ脂肪かな」
「脂肪か。何の目的で胸部の脂肪が発達するのかわからんな」
「ね。ワカバに聞いてみたいけど……」
二人はワカバの様子を確認した。ワカバがその気配に気づいたのか目を覚まして二人をじっと見た。まだ少し眠そうな大きい瞳がぱちぱちと瞬きをする。その直後、ぐう、とワカバのお腹が鳴った。
「腹減ってんのかな」
「何食べるのか聞いたけど、多分おれたちと同じような固形か液体っぽい」
「食えるものが同じならサトリの手料理も食えるんじゃねえの」
「確かに……でも、今おれが家に戻るとやばくない? 追われたりしてないかな」
「ああ、大丈夫。出生研はサトリを探しちゃいないからさ」
「へ?」
◇
確かにダルマの言う通り、サトリの家の前に追っ手の姿はなかったし、盗聴器なども設置されていないようだった。そんなバカな。
サトリだと名乗って出生研に行き、忘れ物を探させ、挙げ句三十二階に侵入して、ビルを大胆に破壊して宇宙人を抱えて逃げているのだ。
追われていないはずはないだろうし、特権階級であるトリプルといえど最低でも事情聴取、最悪殺されるくらいはされると思っていたので少々拍子抜けだった。きっとダルマがまたなにかやってくれたのだろうが、さすがにちょっと怖くなって尋ねられなかった。
しかし、さすがにワカバを抱きかかえながら歩くこともできないため、ダルマが黒い車でサトリとワカバを家まで送ってくれた。
ソファにワカバの身体をそっと下ろす。本当に、細い。やっぱり人間とは違う。骨格も肉付きも違うけれど、根本的に、何かが……。
食事を作る、寝ていても良い、と絵で示してやるとワカバは頷いてソファに横になった。もう少し眠りたいようなのでそうさせた。
ダルマに振る舞った料理の材料の余りがあってよかった。ワカバに好き嫌いがあるかもわからなかったから何を作ればいいか迷ったが、結局サラダ、グリルチキンのトマトクリームパスタとフライドポテトを作った。
「ワカバ、ご飯できたよ」
言葉は通じていないだろうが、ワカバがぱっと目を開いた。ぱちぱち瞬きをしている。
抱きかかえて、ダイニングテーブルに座らせる。目の前の食事をまじまじと見つめるワカバ。
食べて良い、と絵で伝えると、ワカバがパスタを手づかみしようとしたので慌てて止めた。スプーンやフォークの使い方を知らないらしい。出生研で教えておいてほしかったなあとサトリは思った。
「こうやってね、フォークで巻くの」
目の前でパスタを巻いている様子を見せてやると、ワカバも真似してパスタを巻きはじめた。昔、地元の出生研の施設でこうやって保育士に教えてもらったことを思い出してなんだか懐かしい気持ちになった。保育士になるアビリティもあったが特に学んでこなかったのを今更後悔するサトリであった。
ワカバがなんとかパスタを巻いて、口にする。
「!!」
目を見開くワカバ。
「おいしい?」
サトリの質問には答えず、ひたすらフォークにパスタ巻いて、あちこちにソースを飛び散らせながら勢いよく食べている。
美味しい、を絵で表現するのは難しいなと思いどう伝えようかと悩んでいたら、ワカバが言った。
「おいし」
「美味しい?」
「おいし。おいし」
そう言って、破顔するワカバ。口の周りはソースがいっぱいついていたけれど、目はきらきらと輝いていて、ワカバが心底幸せそうなのがわかった。
――ああ、この笑顔を、なんとしてでも守りたい。
あの庭で見かけたような真っ暗な瞳は二度と見たくない。ずっと、こうやって笑っていてほしい。
ワカバを、出生研に戻しちゃだめだ。サトリはそう確信していた。
◇
集中できなかった。
サトリを家に送ってからラボに戻り、依頼分の研究を進めていたけれど、タスクの進捗すらまともに出なかった。集中力をあげようと何本もタバコに火をつけたけれど、ぼんやりとして部屋に煙が充満して、結局口をつける前に灰になっていた。
あの宇宙人は何なのかと、そればかり考えていた。
奇妙な身体は、動物のメス個体にありがちな特徴の一部でもある。メスの膨張した乳房はウシや羊にもみられる。どうやら乳やりに必要らしい。ワカバのあれも、宇宙人のオスの子供にやるためなのか? 宇宙人は似たような肉体を持っていながら、単性生殖できないのだろうか。
宇宙人の正体や生態系についても気になるが、それよりもサトリの様子のほうがダルマにとっては問題だった。
サトリがワカバに向けた表情は、明確に恋愛感情に基づくものだ。
おそらくサトリはまだその感情に自覚的ではないのだろうが、いずれわかること。
宇宙人に恋。トリプルはおろか、人間にあるまじき感情。倫理的な問題も生物学的問題も何もかも大きすぎる。自分が宇宙人の事件に巻き込んだとはいえ、ようやく芽生えたらしいサトリの初恋を、ダルマは素直に応援できるはずもなかった。
同時に、あのきな臭い施設に対する好奇心を抑えることもできずにいた。
サトリによれば、施設の中ではネットワークになんとか入れたらしい。しかし、施設の外に出るとどんな手段を講じても入ることができなかったし、今もあれこれと試しているがうまくいかない。電波からの物理的な距離でアクセスの可否を決めているらしい。シンプルだがこれほど強固な条件もない。
こんなことをしているから、研究が進まないのだ。
ふと、監視カメラのハッキングではなく、監視カメラそのものを見ることを思いついた。
監視カメラは監視カメラのみのネットワークがあり、そこから館内ネットにつながる。まだ処置が手薄な監視カメラのみのネットワークにアクセスすればどうだろう。ログが残らないようにランダムにさまざまな回線を経ているから、速度は遅い。焦るな。時間をかけても別に足がつくわけでもない。
――今サトリが追われていないのは、ダルマが監視カメラにクラックしたからだった。結局外部から研究所内部のネットワークに侵入することは不可能だった。しかし監視カメラの方は多少手薄だった。研究所内の監視カメラのメーカーがわかったので、どんな形式のどんな映像が書き出されるかを予測できた。それが監視用モニターに出力される前に、別の人物の顔に加工することくらいなら可能だった。
なんとかして書き換え前のデータを表示できれば、室内の様子が確認できるはず。データを単に読み込むことより加工する方が楽だというのは変な感じがするけれど、そうなっているのだから仕方がない。それがインターネットなのだ。
たっぷりと時間をかけて、ようやく三枚の映像を取得できた。場所はよくわからない。どこかランダムだ。はやる気持ちを抑えて、違う端末で開く。
一枚は不鮮明などこかの廊下。次の一枚は……真っ暗である。アクセスに勘づかれたか? と一瞬冷や汗が出る。しかし残りの一枚を見てまた違う寒気を覚えた。
それは、水槽の中にずらりと並んだ、四肢のない身体。
ワカバのようなふたつの膨らみを持つ胸部。
さらに、腹部も信じられないほどに膨らんでいた。脂肪というにはあまりに張りすぎており、重度の腹水だとすれば突けばすぐに破裂してしまうだろう。腹部膨張のせいで、通常引っ込んでいるはずの臍までもが突き出ている。画像は完全に鮮明とは言えず、そこまでしかわからなかったが……。
――もしかして、これが、出生研が隠していた本物の養育槽、なのか?
「何なんだよ、マジで」
呆然と背もたれに倒れ込んだ。
今日の研究はもう、これ以上進みそうになかった。
続きは10/29投稿予定
TRV -トーキョー革命- @cyank
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