第6話

 そこに積んではあるけれど、考えたくなくて視界に入れないようにしていた手紙の類について、そろそろ取り組まねばならない。自然とため息が漏れた。周辺国からの縁談は、とりあえず送られてきたものをまとめてもらうように側仕えに頼んでおいたので、一覧で見ることはできる。そのひとつひとつを検めて目を通すのがひどく億劫だった。

 外交においてもそのような言い訳が通じるとはもちろん思っていなかったが、キリエが成人するまでは自身の婚姻は考えていない、と貴族たちには伝えていた。まだ王国には生々しく残る悲惨なクーデターの記憶によって、王位継承者がひとりであることの危惧よりも、血脈の憎悪を重く見ることに世論が肯定的なのは都合がよかった。一方、王である自分の決定を覆すことができない分、国内の名のある貴族令嬢の縁談がユーベルントに集中したことは申し訳ないと思っていた。王が駄目なら王の剣へと、貴族の考えそうなことだ。

 彼が何年もの間、彼なりにうまくあしらってくれたことには感謝してもしきれない。歴史に長く騎士を輩出しているイヴラエ家とはいえ、あくまでも分家の出身にあたる彼は、クーデターにおける功績によって、彼個人で侯爵位まで得てはいた。家門の格だけでずいぶん足切りはできたはずだが、子供の頃から生粋の騎士として育ってきた彼には不慣れな社交の場で、圧力もあったことだろう。可能なものには干渉したけれど、知らないところで彼が処理したこともあったに違いない。

 実際問題、自身が結婚したからといって王室を繫栄させることは難しかった。概ね生まれて二週間以内には性別を決定する王族の中で、二十年以上分化させなかったのだから、たとえ女性性を選んでいたとしても、生殖能力はほとんどなかっただろう。王室の医師の診断を受けるまで自分自身の体のつくりについて深く考えたことはなかったが、一般的な成人男性のそれに比べたら、やはり未成熟と言わざるを得ない。名実ともに男性となってから十年以上、それなりの老いと共に多少は体つきも変わったものの、見違えるほど男らしく成長するということはなかった。筋肉質とは言いがたい四肢も、どことなく女性めいた骨格も。

 仕方がないことだったとわかっていても多少の罪悪感のようなものがあって、それゆえに国政に力を注いできたけれど、結局はこうして、王族に生まれたもののさだめはついて回る。

 その一覧を見るともなく眺めているうちに、控えめに扉を叩く音がして、執務室のドアからユーベルントが顔を出した。その顔を見るだけで、自然と顔が綻ぶのを感じる。

「ユーベルント」

「側仕えの方がお茶を運んでいるところに行き当たったので、預かってきちゃいました。今お時間大丈夫でしたか?」

「うん。休憩しようと思っていたところ」

 執務室の机から立ち上がって、その前に設えられた応接用の机と椅子に移動する。今はすっかり手慣れた彼が茶器の用意をしてくれるのを眺めて、幸福な気分を噛み締めた。

「騎士のきみがお茶を淹れてくれるようになるとはね」

「カノン様にお仕えしてなかったら、やってなかったでしょうけどね。最初はひどいものでしたが……」

「そんなことはないよ。きみは器用だから」

 実際彼はたいていのことはなんでも器用にこなすので、お茶の淹れ方だって何度か側仕えに聞いたところで早々にコツを掴んでしまった。カノン様にお仕えする機会が増えるのがうれしいので、と言って。お茶が淹れられる近衛騎士なんて彼くらいだろう。同じ近衛でも、ロイデン卿はそのようなことはしないし(彼はユーベルントの真似をしていると思われるのは癪なようで、わたしとお茶を一緒に飲もうなんて考えもしないに違いない)。

 特に頼んだわけではなかったが簡単につまめるような菓子が添えられていて、側仕えの人々の気遣いにも感謝する。カップが二つあったので、ユーベルントにも座るよう促した。

「難しい顔をしていらっしゃいましたね」

「ああ。送られてきた肖像画の一覧を眺めていて……」

「カノン様もついに俺の気持ちをわかってくださる時が来ましたか……」

「ふふ」

 縁談が次々舞い込んで、そのたびに頑なに断ったと報告してきた頃のユーベルントを思い出して、ほほえましく思った。見合いの最中に屋敷を抜け出して王宮に戻ってきたこともあったっけ。

「きみが見合いを放り投げて帰ってきたのが、昨日のことみたいだね」

「あれ!本当に嫌でしたよ、もう名前忘れちゃいましたけどね。ナントカ公爵家。だまし討ちみたいな……あれからは伯父もそういうの一切やめましたけど。勘弁してほしかった……」

「きみがそこから入ってくるなり、顔面蒼白で土下座して……」

「帰ったら絶対すぐ謝ろうと思ってたんですよ」

 知らないうちにどこかの令嬢と顔合わせに行ってるなんて、誠意ないじゃないですか、といっていまだに思い出して憤慨しているのを、かわいいなと思う。事実あの時は、ユーベルントの伯父にあたる騎士団総長のグラナト・イヴラエ氏から、有無を言わさず彼を連れていかれて、わたし自身内心では不安でいっぱいだった。本家からの縁談なら、ユーベルントが断り切れない可能性もあったのだし。

 もちろん本人には告げなかったから知る由もなかっただろうに、それでもわたしとの関係を考えて真っ先に帰ってきてくれたのが、あの時本当は、涙が出るほど嬉しかった。ユーベルントはいつもそうだった。何よりもわたしを優先して、何よりも気遣ってくれる。それが愛の証明だと言うように、言葉で。行動で。普段誰とでも円満にうまくやる主義の彼が、わたしとのことにだけは他人との不和を厭わないのに、こんなに救われているのを知らないだろう。

「わたしは……あの時きみが帰ってきてくれたのが、本当に嬉しかった」

「カノン様……」

「きみを失うかと思って、結構弱気になっていたから」

 微笑むと、彼は困ったように笑い返した。

「すみません、俺……そんな気持ちにさせていたなんて」

「いや、だって、格好悪いもの。今だから言えるけど」

「言ってくださっていいのに」

「だから、わたしも全部断るよって、ちゃんときみに言っておこうと思って。縁談をね」

 温かいカップに手を添える。紅茶もきちんと美味しかった。ユーベルントは騎士を引退しても、侍従としての才能があるんじゃないかと思う。騎士じゃない彼なんて想像もつかないけど。

「カノン様」

「問題はなんて書いて断るかってことだけなんだけどね……」

「ありがとうございます」

 実は、俺もちょっと不安でした、どなたかとお受けするかもと、と言って彼が安堵したように笑った。ここ数日、一覧を見ながら頭を抱えているところは、キリエにも目撃されていたし、ユーベルントも知っていたのだろう。それでも自分が言い出すまでは、彼はこうしてなんでもない顔をして、黙って側に控えているのだ。どちらかといえば、きちんと男らしくて、かっこいい彼なのに、こういう時、本当にいじらしくてかわいいものだと思う。

「きみしか選ばない」

 自然と言葉がこぼれる。でも思い付きではなく、はっきりと。

 いつも。

 きみしか選ばない。きみの他には何も必要ない。わたしはもう……

「俺もです」

 彼の笑う顔を、心の底から愛しく思った。

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ユーベルントくんに告白して玉砕失恋したい 有智子 @7_ank

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