第5話

 イヴラエ卿くらいかっこよかったら恋人のひとりやふたりくらいいるんじゃないですか、までうっかり口をついて出た後、ぽかんとした顔を見た瞬間しまったと思った。

 やばい。今のはさすがにめちゃくちゃ暴言だった。

 陛下の直属の騎士で、王の剣と呼ばれる彼は、数年前王室を襲った悲劇のクーデターを、当時王子殿下だった陛下と共に終息させた王国の立役者で、いまや王宮内にその名を知らない者はいないほどの有名人だ。

 にも関わらず、下級貴族の側仕えどころか、下働きの使用人にまで分け隔てなく親しみやすく、今も祝祭節に向けた物品の搬入作業でごった返す中を、忙しそうな我々を見かねて手伝いを申し出てくれていた。搬入されてきた食材の入った木箱を三つ重ねて軽々持って歩く。今日は非番なのでと言っていたが、いつもの騎士団服を着ているし、王宮で彼の姿を見ない日はないのだから、騎士に休みなんて無いのかもしれない。

 そう、騎士様なのに、厨房や洗濯場や使用人用通路に出入りするのなんて、彼くらいのものだ。ここを通った方がはやいので、と言って平気で通路を通ってどこにでも行くものだから、イヴラエ卿が王子宮に勤めていたころから知っている使用人達は勝手知ったる様子で、気安く声を掛け合っている。もちろん普通は騎士様といったらお貴族様だし、お貴族様にそんな口を利いたら平民の我々は不敬でクビだ。王の剣になってからはさすがにおおっぴらに出入りするのはやめたそうだが。

 次の瞬間、イヴラエ卿が軽やかな笑い声を立てた。イケメンは笑い方もかっこいいんだ。初めて知った。

「えー俺、そんなに遊んでるように見えますか?」

「いや、今のは言葉のあやで……大変失礼しました。仮にも騎士様に」

 あわてて言い繕う。話しやすい雰囲気に流されてなんて無礼なことを言ってしまったんだろう。

「申し訳ありません、本来なら許されないようなことを……」

「針子の皆さんも似たような感じだから気にしてませんよ」

 それに今、一応褒められたんですよね?と言ってフォローするように笑いかけた。気を悪くしても仕方ないような言い方だったのに、一瞬でなんでもなかったように流してしまったのを、恐れ多いを通り越して感嘆すらする。こういう気さくな性格だから、王の剣になれたのかもしれない。美しくも、長年未分化のために王室内での立ち位置が定まらず、近寄りがたかった当時の陛下も、彼が近衛騎士になったことでずいぶん明るくなったのだと、その頃仕えていた使用人に聞いたことがある。もともと王子宮で働いていた者たちに、イヴラエ卿が絶大な人気があるのはそういうところだ。

 長い廊下を歩きながら彼が言う。

「恋人は一人いたら十分ですよ。俺の名誉のために言っときますけど」

「まあそうですよねえ、イヴラエ卿ってすごい人気あるんですよ、使用人の間でも」

「え、そうなんですか?それは嬉しいな」

 特別なことは何もしてないですけど、前も側仕えの方に仕事ぶりを褒められたことがあって、嬉しかったですねえ、と屈託なく笑う。本当に太陽みたいな人だ。荷物だって私の倍以上持っていてもちっとも苦にしていない。

「イヴラエ卿の恋人になりたい人、何人も知ってるのでつい。わたしも……」

 二回目のうっかり自爆しそうになって危うく踏みとどまった。

「……イヴラエ卿みたいな人が恋人だったら楽しいと思いますし……?」

 いや、そういうのじゃなくて、あくまで一般的な話ですけど?みたいなふりをするのに必死だった。見てるだけでいいような人にどうしてこんなことまで言ってしまったんだろう。あっぶな。

「ありがとうございます。俺の恋人もそう思っててくれたらいいなあ」

「えっ」

「ん?」

「縁談を断りまくってるって聞きましたけど、え、もしかして恋人がいるんですか?」

「え、俺さっき恋人は一人いたら十分って言いませんでしたっけ?」

 あはは、と声をあげて笑うので、自然とつられて笑ってしまった。が、内心、驚きすぎて、挙動不審になりそうだった。いるんだ。恋人が?!いや、これだけかっこいいんだから、当たり前なんだけど。だけど!

「なあんだ……お幸せに……」

「えっなんで落胆されてるんですか」

「てっきりイヴラエ卿も独り身なのかと思って仲間意識が芽生えてたので……」

「はは。すみません。いますよ恋人。この世で一番愛してる人が……」

 そう言う声のトーンが、今まで見たどんな彼の声音より甘やかで、思わず荷物を取り落としそうになって焦る。この太陽みたいな人に愛されている女性がいるんだ。王国の立役者で、気さくで、口元の黒子がちょっとセクシーな、騎士の彼に……

 え、もしかして私今、失恋したかも。

「それって、めちゃくちゃ素敵ですね」

 いや、まだ恋と呼ぶほどのものでもなかったな、と自分に言い聞かせた。遠くから見て、時々こうやって言葉を交わすだけで、しかもお貴族様なのに、期待するようなところ、なかったじゃん。実際、純粋に、恋人を語る彼のその口ぶりはすごく、とても、素敵だと思った。この人に愛される人はきっと、大層幸せに違いない。

「ありがとうございます。へへ」

「おお、お疲れ様です!」

 ちょうど厨房に到着して、荷物を待っていた料理番たちと会話する。搬入物の在庫表を確認させてほしいと言われたので、木箱に挟み込んだ一覧表を引っ張りだしている間に、彼はまた同じ道を颯爽と戻っていく。

「あ、イヴラエ卿!ありがとうございました!」

「お安い御用でーす」

 そう笑いかける顔も先ほどと何も変わらなくて、ちょっとだけ、胸が痛んだ。ああ。あの笑顔に無邪気に癒されていたころの自分に戻りたい。と思いながら、揺れる灰色の長い髪が遠ざかっていくのを眺めていた。

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