キッテのアトリエ ~ご先祖様の不思議な本~【短編版】
セレンUK
キッテのアトリエ ~ご先祖様の不思議な本~
朝。それは恵みである太陽の光が優しく降り注ぐ時間帯。朝を告げる日の光によって、ある者は目を覚まし、またある者はしばしの猶予を二度寝という形で楽しむ。
そしてここでも、カーテンの隙間から入る柔らかな光がベッドでまどろんでいる者の顔をやさしくなでるのだ。
「ん……んーーーーっ」
光の洗礼を受けた女の子が、むずがゆい表情を浮かべる。そのまま目を覚ますのかと思われたが、寝返りを打ち体の位置を変えて差し込んで来る光をやり過ごすと、再びまどろみ始めた。
――ホッホウ、ホッホウ
フクロウの置時計が目覚めの時間を告げるが、女の子は我関せずとばかりに、もぞもぞと布団の中へと潜り込む。
――ホッホウ、ホッホウ、ホッホウ、ホッホウ
しばらくの間、部屋に空しく響き続けたフクロウの声。
本来の目的を果たせずに、フクロウは時計と言う巣の中へと戻って沈黙してしまった。
目覚まし時計をかけるくらいだ。二度寝を楽しむ余裕がある種の女の子ではないはずであって、すぐにでも起きなければならないに違いない。
しかしながら当の女の子は、うるさい声が聞こえなくなったことで我は勝利した、と言わんばかり……布団から顔を出した女の子の表情は幸せそうなものだ。
だがそうは問屋が卸さない。
――どむっ
妙な音と共にベッドが大きく跳ね、その振動で女の子はベッドから転げ落ちて、床にべちゃりと突っ伏してしまった。
「いたたた……」
夢か現実か。その
幸せな時間を中断させられたため、不満そうに機械仕掛けのベッドを見やった女の子。その視界に入ったのは沈黙を貫くフクロウの置時計。
「あーーーっ! もうこんな時間! 急がなきゃ!」
巣穴からチラリと見える役目を無視されたフクロウの姿を見るや否や、朝からご近所様に迷惑になるくらいの大きな声を張り上げたのだ。
「あー、やっちゃったなーもう、急げ急げ、昨日遅くまで勉強してたから仕方がないんだけど、もう、私のバカバカ」
口を動かしながら手際よく寝間着を脱ぎ、棚から服を取り出すとベッドに腰かけて、まずは体にフィットする白の長袖肌着に腕を通す。お次は薄い素材の白タイツ。サッと足を通して履ききって――
「ごはんごはん。昨日のうちに準備しておいてよかった。朝ごはんは大事だからね」
着替えもそこそこに、とてとてとてと部屋から出て階段を下りて階下へ向かって……赤い石がはめ込まれた箱の上に金属の鍋を乗せ、その中に昨日煮込んでおいたトロトロのスープを投入し――
「スイッチオン」
これ見よがしに押してくださいと言わんばかりに主張する赤い石を、掛け声とともにプッシュした。
「パンパンパンぱーん!」
ご機嫌な感じで、袋から取り出したる丸いパンを鍋と同じく箱の上に乗せる。
今度はそれらを放置してトントントントンと別室へ移動する。
行先は洗面所。金属でできたレバーを1回2回3回と上下させると、蛇口から水が放出され、女の子はその水を手で受けるとバチャバチャと顔を洗い始める。
横に用意しておいたふかふかのタオルで顔を拭くと、今度は階段を上がり寝室へと戻って来る。着替えの続きをするためだ。
「準備してたとはいえ、ちょーっと急がないといけないかな」
年頃の娘の着替え途中の姿はトップシークレット。誰にも見せられない秘密中の秘密だ。
だけど、家の中に他の人がいないのは幸いだ。
本人もそれを承知で時間短縮のために途中で朝食の準備を入れたのだ。
棚からオレンジ色のチューブトップの服を取り出して首を通し、同じくオレンジ色の短いスカートを取り出して脚を通す。
服を着終わる頃には階下で朝食の準備が出来ている。
温まったスープを器に入れて、さあ落ち着いて朝ごはんだ、という事にはならない。
なぜなら時間が無いからだ。
同じく箱の上で温めたパンを一口大にちぎってスープに浸して、味をよーく染み込ませたものを口の中に放りこんでいく女の子。
正直なところお行儀が悪く、淑女の所作とは遠くかけ離れた行動を披露し続けてくれる。
でもまあ、ご飯を食べてしまえばあとは出発するだけ。大きなカバンには昨日のうちに必要なものを詰めてある。
もぐもぐごっくんと、スープとパンを平らげて、食器を片して手を洗って。
トレードマークの帽子をかぶる。
「行くよ、ぐえちゃん」
少女はこちらを見ると、そう言ってニコリと笑顔を浮かべた。
「ぐえー」
俺は少女の笑顔に答えるように声を出した。
「ほーら、ぐえちゃん、ぼんやりしない。それ、きゃーっち!」
フワフワと宙に浮いていた俺は少女の手によって掴まれ、勢いよく胸に抱かれると、家の外へと連れ出された。
俺だってぼーっとしてたわけじゃないんだが……まあいいか。
俺の名は「ぐえ」。この少女、キッテのそばにいるマスコット的存在の生き物だ。種族がドラゴンである俺だが、幼体であるがゆえに体は小さく、そして脆弱なところがたまに傷。
「よーし、ぐえちゃん、ふらいーんぐ!」
言い終わらない内に空へと投げられたよ。
まあ俺は飛べるから問題ないけどね。ふよふよと飛行しながら、キッテの後を追う。
俺達が出た裏口のドアの先にはちょっとした広さの自家菜園の
キッテはそんな盛り土の横をタッタッタと駆け抜けて……道に出るとクイッっと90度向きを変える。
「ぐえちゃーん、はやくはやく、置いてっちゃうよー」
その場ジョギングをしたまま俺を待ってくれている。
きれいに舗装された石畳の道。トントントントンと靴と道とが奏でる規則正しい音が聞こえてくる。
ちょっと新芽の様子を見ていたので出遅れてしまったようだ。
俺はぐえーと返事をして、急いでキッテの元へと向かう。
ふよふよと飛んでキッテの元にたどり着くと、キッテは元気よく「さあしゅっぱーつ」と言って白の石畳の上を再び駆け始めたので、置いて行かれないようにとキッテの後を追って行く。
「あら、キッテ、おはよう、今日も元気ね」
「おはよう、おばさん!」
「おー、キッテ、後で店に寄りな、例のもの仕入れてるぜ」
「ありがとう! 後で寄るね!」
「キッテお姉ちゃん、遊ぼうよ!」
「ごめんね、お姉ちゃん今からお仕事なの。終わったら遊ぼうね!」
町の人から代わる代わる声を掛けられるこの少女。
キーティアナ・ヘレン・シャルルベルン。普通の15歳女子よりもちょっとだけ背が低いことを気にしている元気な子。白ベースに赤地模様の入ったトレードマークの帽子に、明るい茶色の髪が良く似合う。
風に吹かれて、ふんわりとした内巻きのミディアムボブヘアーが揺れている。
笑顔でメインストリートを駆けて行くキッテと、その姿を見ては声をかける町の人。
俺がキッテの事を大好きなように、町の人もキッテの事が大好きなのだ。それがとても嬉しくて、心がほっこりする。
ふよふよと飛びながらそんな様子を眺めていた所、タッタッタと軽快に駆けていたキッテが、なぜか足を止めてしまった。
おれはぐえーと鳴いて理由を問おうとしたが、理由はキッテの目の前で泣いている少女が物語っていた。
「ふぇぇぇぇぇ、みぃちゃんがぁ、みいちゃんがぁ」
ガン泣きしている5歳くらいの女児。
近くに親らしい人は見受けられない。どうやら一人の様子だ。
「どうして泣いてるの、お姉ちゃんに教えて?」
泣きはらしている少女の前にしゃがみ込んで、理由を尋ねるキッテ。
「ふえっ、ふえっ、みいちゃん、はしっていって、ふえっ、たかい、ふえっ、とこっ、いっちゃったの」
泣きながらも、言葉に詰まりながらも、必死に理由を述べてくれた少女。
どうやら、みいちゃんという猫が逃げて高いところに登ってしまったらしい。
つまりあそこにいる猫がそうだな。
「登ってみたものの、降りれなくなったみたいだね」
キッテが立ち上がって上を見上げる。
視線の先には建物があって、壁にある僅かに出っ張っている部分に猫が乗っている。その出っ張り部分は建物のデザインのため用意されたもので、何かが乗る事を想定されてはいない場所だ。
どうやってそこに登ったのだ、と言う答えの予想は簡単で。建物の近くには街路樹があり建物に向かって枝が伸びている。木を駆け上って枝を伝ってさらに先に進んで建物へと到達したのはいいが、我に返って高さに怯えて動けなくなった、というところだろう。
「ふえっ、ふえっ、ふえぇぇぇぇん」
事実を突きつけられて少女は再び泣き出してしまう。
親に内緒でこっそり猫と遊びに来て、そして今に至るという感じかな。
「大丈夫よ! お姉ちゃんに任せて!」
「ふえっ、ふえっ、お、ねえちゃん、みいちゃん、を、たすけて、くれるの?」
「ええ! お姉ちゃん、こう見えて木登り得意だから!」
言うが否や、街路樹によじ登り始めるキッテ。
右手、左手、右足、左足、それらを器用に動かして……枝を掴み、脚を踏ん張り、上へ上へと登っていく。
騒ぎを聞きつけて町の人たちが集まってくる。
俺はすすすと移動し、木を登っているキッテと町の人たちの視線との間に入る。
キッテはインナーを身に着けてるので下着は見えないとはいえ、年頃の娘のスカートの中を下から見上げていいと言うものじゃない。
人助けのためってなったらキッテはそういう所が無頓着になってしまうからな。俺がしっかりしなくては。
そうこうしている間にも、キッテの木登りは順調に進んでいく。
人の背の高さ二人分を超えた辺り……横に広がり猫のいる場所へと伸びている太めの枝にまたがると、ずりずりと少しずつ体を滑らすようにして先端へと進んでいく。
太かった枝の付け根と比べて先端は徐々に細くなっており、その感触を確かめながらゆっくりと進んでいたキッテだったが、ようやく猫に手が届きそうな場所まで到達した。
「さあ、みいちゃん、怖くないよ、こっちにおいで?」
ゆっくりと手を伸ばすキッテ。だが、僅かながら猫には届かない。この距離だと猫が自発的に来てくれないと救出できないのだが、猫はキッテに怯えたのか、体をよじり、その手から遠ざかろうとしてしまう。
「おいでおいで、怖くないから。一緒に帰ろ?」
キッテの呼びかけも効果が無く、猫は一行に動く気配が無い。
となったら実力行使になる。無理やりにでも捕まえるしかないのだ。
キッテはさらに手を伸ばそうと、より一層体を前へと傾けて、体全体を使って腕の長さを伸ばして……そうしてようやく猫に手が届いたのだが――
――バギッ
不用意な体重移動によって、木の枝の耐荷重が15歳少女の体重に耐えきれなくなった。その音だ。
キッテが枝から落下する。その手に猫ちゃんを捕まえたまま。
落下先の地面は石畳。この高さでは打ち所が悪ければ大ケガをしてしまう。
俺はキッテを救おうと咄嗟に手を伸ばすが、短い手ではキッテの落下速度に反応しきれずに目の前を素通りしてしまった。
もう地面だ! せめて受け身をとって衝撃を逃がすんだぞキッテ!
と思ったところだった。
地面にぶつかる、と思ったその瞬間。何かがはじけたような音と白い煙と共に、キッテの真下には丸いクッションのようなものが出現していた。
膨らんだクッションが地面と接触し、クッションに落下の衝撃を殺された形となったキッテの体は二度三度上下に跳ねて……そしてクッションは最後の力を振り絞ったと言わんばかりに、勢いよく白い煙を吹き出しきってぺちゃんこになってしまった。
これ、煙じゃなくて、白い粉だ。
キッテの無事を確認するために急いで近づいた俺の体に粉が付着する。
粉の中を飛んでキッテの元にたどり着くと、俺と同じく白い粉にまみれたキッテと猫の姿があった。
「ぺっぺっぺ、もうー、真っ白。こんなに粉が飛び散るなんて思わなかったよ。素材を間違えちゃってたのかなぁ」
どうやらキッテも猫もケガも無く無事そうだ。良かった。
俺はほっと胸をなでおろす。
でも苦言を呈しておかないとな。無茶はほどほどにしないと。
「ぐえぇぇ」
「えっ? みいちゃんは無事だよ、ほら」
残念だがキッテには俺の言いたいことが伝わらなかったようだ。
真っ白な猫。いや、粉にまみれた猫を持ち上げるキッテ。
びろーんと体が伸びてすごく長い。
持ち上げられていたみいちゃんは体をよじってキッテの手から逃れると、地面に降りたち、体をブルリと震わせて粉をまき散らして、そして飼い主の少女の元へと戻って行った。
「おねえちゃん、ありがとう! じゃあね!」
少女はお礼もそこそこに笑顔と共に去って行った。
「うーん、ご先祖様はどんな材料を使ってたんだろう……。でも外側のモノケルタケの皮を広げるほどの大きな膨らみを瞬間的にっていったら……」
自分を救ったクッションの残骸を見つめながら、キッテは自分の体に付いた白い粉をはたいて落としていく。
この膨らんだのはもしかしてあれか。この前作ってた試作品――
じゃなくて、キッテ、急いでるんだろ?
「ぐえぇっ、ぐえぇっ!」
「そ、そうだった! はやくおばあちゃんの家に行かないと!」
そうそう、思い出してくれたか。お仕事お仕事。
「キッテちゃん、後は私たちに任せておきな。早く行ってやりなよ」
「ありがとうおばさん! 帰りに引き取りに来るね!」
聴衆のおばちゃんたちがすぐさま残骸と白い粉の掃除を始めてくれた。
いつもありがとうございます。
おばちゃんたちに感謝しながら、俺達は再び駆けだした。
◆◆◆◆
大通りからいくつか通りを分けた先。こじんまりとした石造りの建物がいくつも建ち並んでいる。
「おばーちゃん、おはよー。遅くなってごめんねー」
その中の一件の前に立ち、扉をノックしながらキッテはお目当ての人へと言葉を投げかけた。
コンコンとノックしてから幾拍か。それなりに長い間を取った後、ギィィと音を立てて扉が開き、杖をついた老婆が姿を見せる。
「おやおや、真っ白じゃないか」
「あはは、途中で猫ちゃんを助けてたらこうなってしまって……」
苦笑いをしながら恥ずかしそうにキッテが答える。
「さあ、おはいり」
そう言うと老婆は粉だらけの俺達を家の中へと招き入れようとてくれたが、家の中が粉っぽくなってはご迷惑をかけるということで、手で払えるだけ払った後、家の中にお邪魔した。
「これで粉を拭きとりなさい」
濡れた布をお借りして、帽子を脱ぎ、上着を脱ぎ、インナーだけの姿になって僅かに残っている粉を拭きとっていく。
幸い、粉はすぐに拭きとれるタイプだったので、全身をくまなく拭いて、次に服に付いた粉もササッとふき取ってから、再び身に着けて。
おっと、まだちょっと残ってるぞ?
俺は布をもってキッテの後頭部についていた最後の粉を拭ってやる。
「ありがとう、ぐえちゃん」
いえいえどういたしまして。
「綺麗になったようじゃな。さあ、これでもお飲み。冷たいよ」
「わぁ、ありがとう! 走ってきたから喉が渇いてたところなの」
キッテはおばあちゃんから木製のコップに入ったお茶を受け取ると、ぐいっと喉の中に流し込んでいった。
「ごめんねおばあちゃん。お仕事で来てるのにこんなにお世話になって」
「いいんだよ。キッテの薬にはいつも世話になってるからねぇ」
「そう言ってもらえると嬉しいな!」
「長年いろんな薬を使い続けてきたワシが言うんだから間違いない。キッテの薬はよく効くよ」
「ありがとう! じゃあ、さっそくそのよく効く薬を塗ろっか」
キッテは持ってきた肩掛けカバンの中からお目当ての薬を取り出す。
お仕事というのはこの薬をおばあちゃんに届けることだ。
キッテの職業は医者……ではない。
「この薬はね、チラキナ草とアルモモリの毛、ヌース粉を企業秘密でちょちょいのちょい、で作ってるの」
そう、キッテは錬金術師。いろいろな素材を調合して薬を作ったり、
「さすがは新進気鋭のキッテのアトリエの主だねえ。はす向かいのエンポリオ爺さんも、タラッサちゃんも、キッテのような孫が欲しいっていつも言ってるわ。マルシアさんなんか、孫のロベールとキッテを結婚させようとたくらんでるからねぇ。どうだい、ロベールの嫁に行くくらいなら、うちの孫と結婚しておくれよ」
「や、やだー、おばあちゃんったら、結婚はまだ早いよ。そ、それに、お孫さん
「うちの孫なら問題ないよ。キッテの事が好きだって言ってたからねぇ。あ、これはナイショなんだったわ」
「ぐえー、ぐえー!」
まてまてまてーい! 結婚の前にお付き合いからだ! それでいて、うちのキッテと結婚するに足る立派な男か見定めてからだ! 俺の目の黒いうちはキッテは嫁には出さんぞ!
「も、もう、ほら、恋バナはおしまい。さあ、おばあちゃんお薬塗れましたよ」
「おお、すまんね。まあ気が変わったらいつでも言っておくれよ。ワシは可愛い孫が増えるのは賛成だよ」
あはは、と苦笑いをしながらも、てきぱきとカバンの中から薬を取り出して、数日間のおばあちゃんの備えとしておくキッテ。
そんなキッテの様子を見ながら、あの小さかったキッテが随分と成長して腕を上げたな……なんて思いながら、俺はふよふよと浮かんでいるのだった。
◆◆◆
キッテのアトリエ。
その名の通り、キーティアナ・ヘレン・シャルルベルンの工房兼店舗のことだ。この王都では新参であるが、今注目のアトリエである。
――チリンチリン
工房で制作した物を店に並べていく作業をしている時のこと。不意に、入口扉に付けた来客を知らせるベルがその音を鳴らした。
「うーす。キッテいるかー?」
入口から入ってきた赤毛の少年。少年と言ってもキッテと同じ15歳。
針金のようにツンツンした髪型で、ツリ目。レザープレートメイルとなめし革の靴、そして腰には剣を下げている。
正直なところ知らない人が見れば近寄りがたい風貌の少年だ。
「あれ? ディクトじゃない。どうしたの? アトリエに来るなんて珍しいね」
ガッチャガッチャといくつものガラスの瓶を入れた木箱を運んでいたキッテだったが、突然の珍客の出現に、木箱を棚に置いて仕事を中断する。
「用事だよ、用事。じゃなかったら口うるさいお前の所になんか来るわけないっての」
「用事? 冒険者ギルドの?」
「違うよ。ギルドの仕事のついでだ。ついで」
キッテに対して悪態をつくこの少年の名前はディクト・マース。キッテの幼馴染で冒険者をやっている。それなりの腕前なので、たまに素材の採取依頼でお世話になっているのだ。
「ふーん? とりあえず座りなよ。お茶でも飲む?」
「いーや、遠慮しとくよ。茶の中に何が入ってるかわからないからな」
「もう、いつもながらに失礼な。何も入れないわよ。茶葉……と、そういえば茶葉以外にも栄養のためにいれてたっけ?」
「ほらみろ! 茶ならリタさんの店で飲むからいい。それよりもだ。ほれ、これを渡してくれってよ」
ディクトは手に持っている何かをこちらに差し出す。
筒、のように見えるけど、なんだろうか。
「あのいけ好かない王宮騎士からだ」
「いけ好かない王宮騎士って、ジョシュアさんのことでしょ。ディクトってばいっつもジョシュアさんのこと悪く言うんだから。あんなに素敵な人なのに」
「けっ! あんな優男のどこがいいんだか。ほらよ、渡したからな。俺はもういくぜ」
「あっ、ディクト! 行っちゃった……」
黒い筒のようなものをカウンターの上に置くと、もう用済みだと言わんばかりに去って行ったのだ。
「もう、せっかちなんだから。それにしてもジョシュアさんからだなんて、いったいなんなんだろう」
キッテはディクトが置いて行った筒を見る。
手のひら大よりも少し長めの金属製の丸い筒。先端は
くるくるとふたを回転させて外し、筒を逆さまにすると、中からくるくると丸めた紙が出てくる。
「何が書いてあるのかな、と」
お手紙に目を通していくキッテ。
俺の位置からでは良く見えないが、この様子だと結構な長文が書かれているはずだ。
「ぐえー」
何が書いてあるんだ?
「なるほどなるほど、今度、ポーションの大口納品契約の入札会があるんだって。それのお誘いだよ」
キッテの頭でお手紙の内容が見えないので解説を促してみると、以心伝心なキッテはそれに答えてくれる。
「ぐえー」
なるほどな。入札会というのは、王宮が物品を調達・購入する際に、物品の品質などの条件を公開して、受注者はその条件についていくらで受注・売却するかを書いた紙を箱の中に入れて、一番値の安かった受注者が契約を受注できるというものだ。
キッテはまだ王宮の入札会に参加したことはないんだけど、これはチャンスだな。ここで一気に王宮のお得意様になってしまおうぜ!
「物品はポーション1000個だって。これは大仕事になりそうだよ!」
おう。キッテと俺がいれば大丈夫だ! 俺は錬金術の役には立たないから主にキッテが頑張ることになるんだけどな。
◆◆◆
リヴニス王国の王都ゼノシュレーゲン。中央を南北に走るメインストリートの終着点には、この国の中心であるゼノシュレーゲン城がそびえ立っている。
白亜の城とも称される美しい石造りの城であり、城壁が無いため遠方からもその優美な姿を見ることが出来る。
城壁の代わりは城をぐるりと覆う堀が務めているのだが、その堀は城から東西にと延びていて王都内を潤しているのだ。
「うわー、いつ見ても大きいね、ぐえちゃん!」
「ぐえー」
確かに大きいのは間違いない。
見る者を圧倒するほどの大きさと優雅さ。国の中心と言うことで、これでもかと力を入れている場所だからな。
かつての彫刻家が精魂込めて作ったであろう小さな天使の像が、城の壁から何体も生えていたりするし、あちこちで噴水が水を上げていたりするのだ。
俺達は堀にかかった橋を渡る。
簡易的な橋ではなく、がっしりとした造りの橋。戦いのための城ならば堀にかかる橋は簡易的で、速やかに崩落または回収・取り外しが可能なものでなくてはならない。
そうではなく、この橋は何千人もの軍が速やかに渡れそうな幅広の橋、つまるところこの国は長い間平和な期間を謳歌しているという証拠だ。
手入れされた庭を横切り、正面入口へと向かう。
城内への入口も権威を見せつけるかのように大きな扉になっている。これも平和である証。戦闘用の小さな入口だったのを後から改修したんだろう。
入口の門番の人のチェックを抜けて、城内へ。
外側と同様に豪華な装飾が施された壁や柱が立ち並ぶが、俺達は見学に来たわけではない。
一直線にと、ジョシュアからの手紙に書かれていた場所へと向かう。
「失礼しまーす」
迷惑にならないように小声で声をかけて目的の部屋に入るキッテ。
学園の教室のようなその部屋の中には、何人もの男女がひしめいていた。
「とりあえず空いてる席にすわろっか」
ふよふよと浮かぶ俺が他人の邪魔にならないように、キッテは俺を抱きかかえると、空いている椅子へと座る。
ちなみに俺は翼の力で飛んでいるのではなく魔力的なもので浮かんでいるので、座ったキッテの膝に重さをかけることは無いのだ。
「うち、近々2号店を出しますの」
「それは羨ましいでんなぁ。わてもあやかりたいでっせ」
「新店舗なら警護が必要でっしゃろ、ええ人材おりますえ」
お互いがみなライバル。ポーション納入の契約を取るために集まった同業者なのだが、同業者とはいえ一触即発かと言われるとそうでもない。情報交換する姿や、お互いがお互いの商談を行う様子もちらほら見受けられる。
キッテも近場の人と話をしようとした所だったのだが、どうやらタイムリミットだった。残念。
「諸君、今日はよく集まってくれた」
金髪ストレートのロン毛に青い目をしたイケメンの騎士。
背も高くスマートで貴婦人たちにも大人気の王宮騎士。キッテに手紙を送った張本人、ジョシュア・ノルクロスが登場した。
「すまないが、少しばかり条件が変更になっている。詳しくは今から配る仕様書を読んで欲しい」
配ってくれ、と、お供として入ってきた数人の若い見習い騎士にジョシュアが指示を出すと、見習い騎士達は手に持った紙を、集まった各人の机の上へと配っていった。
なになに?
「1500個を1週間後までにだって!?」
早速ネタバレをいただきました。
先に紙をもらった人が要約してくれたよ。
部屋内がざわつく。全員に紙が行きわたって皆々が内容を確認したからだ。
「こちらの事情が変わったのだ。1週間後までにポーション1500個の納品。この内容で札を入れてもらいたい」
皆がざわつくのも無理はない。この条件を達成するのは結構難しいからだ。
ポーション作成の難易度は高くないとはいえ、個数と時間がネックとなる。
例えば余裕のある契約だったらポーション30個を3日後まで、というのが定番。その場合は仕事の合間に作成して余裕で間に合う感じだ。
それが1500個ともなると、本腰を入れて1週間かかりっきりで作らなくてはならない。
よっぽどの大手業者か時間に自由が利く個人商店、または閑古鳥が鳴いているような店でしか受注は出来ないだろう。
あとは報酬の問題もある。入札会なので、集まった全員のなかで一番金額が低くなければ受注が出来ない。金額を低くするということは儲けの分を減らすということで。それだけの労力をかけて安い報酬で、となると受注するうま味は少ないというものだ。
案の定、大半の人が席を立って帰ってしまった。
残ってるのは数人。もちろん我らがキッテもその中にいる。
「なんとか頑張ればできそうだよね! お手伝いよろしくね、ぐえちゃん」
「ぐええ」
もちろんだ。今回は儲けを得るためじゃない。キッテの能力を王宮に知らしめて常連さんになるためだからな。
残った人々で入札会が始まる。
皆が配られた札にいくらで受注するかを記入していく。
キッテもさらさらと札に値段を書いて。全員が書き終えたら順番に正面に置かれた箱へと入れて行く。
全員の札が入れ終わったら、開札。
箱の中から札を出して書かれた値段を読み上げて、一番金額の低いところが落札というわけだ。
「ポワルンの店、12万ガルド。ドスコーイズ物産、12万5,400ガルド」
見習い騎士が値段を読み上げて行く。
みんな結構攻めてくるな。だいたい普通は
「キッテのアトリエ、11万5,000ガルド!」
どよめきが起こった。
キッテの書いた値段が今の所一番低い。元々利益が少ないのに、かなりの線を攻めている金額だ。
これは落札かな、という声も聞こえてくる。
だが
「最後、トッテーモアーク商事、11万ガルド!」
最後に大物が控えていたかぁ。
「負けちゃったか、でも大手じゃしかたないよね」
うむむ。トッテーモアーク商事か。多くの錬金術師を抱える国内有数の業者だ。
「いっひっひ、うちが落札のようですなぁ。皆さま方、無駄にご足労いただきありがとうございました」
頭のてっぺんが光っている背の低い男が、下品な笑顔で厭味ったらしく言い放つ。
「待たれよ」
そんな中、この場を取り仕切るジョシュアの声が響き渡った。
「トッテーモアーク商事は、別の入札で条件を満たすことができずに、現在取引停止となっている。それを忘れたわけではあるまいな」
「そっ、それは! あの納品はそちらも認めた所でございます」
「納期の遅れに関しては認めたが、あの火薬の質はなんだ! 仕様を満たしておらん! 王家を愚弄するならばこの場で切り捨ててくれるぞ? それに比べたらキッテのアトリエは小さな店ではあるが質は高いと聞き及んでいる。そなたらとは雲泥の差だな」
「ぐっ……」
次の言葉は出てこず、嫌味なおっさんは入口のドアをバタンと力強く閉めて部屋を後にしていった。
「それでは。入札の結果、本件は11万5,000ガルドでキッテのアトリエの落札とする」
「やったー!」
キッテは笑顔で立ち上がり、俺を上へ放り投げた。
屋根が高い部屋だったからいいものの、屋内で俺を放り投げるもんじゃないぞ。
落札が決まったので残った参加者も退室していって。
一人部屋に残った
「説明はここまで。期待しているよ、キーティアナ嬢」
ジョシュアは先ほどまでの凛とした声ではなく、優しい微笑みを浮かべてキッテの事を応援してくれる。
ジョシュアはキッテが小さいころからよく面倒を見てくれた、キッテにとっては頼れるお兄さん的な存在なのだ。
「はい! 任せてください!」
やる気に満ちたまなざしと、ふんす、と鼻息荒く頑張りを表現するキッテ。
お兄ちゃんにいいとこを見せようと張り切っている様子だなこりゃ。
◆◆◆
――トッテーモアーク商事、ゼノシュレーゲン本店
王都のメインストリートに面した立地の良い場所に建てられた店舗。貴族の屋敷かと見まごう程の大きさのほぼ全てを売り場としている、国内有数の大手業者トッテーモアーク商事の本店である。
来店客で賑わいを見せる本店内の4階にある、従業員専用フロアの大半を占めるその部屋。商社のトップが居座る社長室である。
内部は商談を進めるための応接室を兼ねており、入室者を圧倒するためか、周囲一面に壺やら剥製やら絵画やらの美術品や調度品がこれでもかと並べられており、統一感の無いそれらが一層に圧を強めている。
そんな中には、自分の身の丈に合わない程の大きな椅子に座った、頭のてっぺんが光っている背の低い男の姿がある。王宮で行われたポーションの入札会場に来ていた男である。
渋い顔をした男は突然腕を振り上げると、ダンッと目の前の机の上に手を振り下ろした。
「キッテのアトリエ~? 聞いたことも無いわ! わしらが受注する予定だった仕事を横取りしやがって」
自社企業のトップである社長のご立腹の姿に、黒い服を着てサングラスをかけた男が答える。
「社長のお耳に入らなかったのは無理もないことです。キッテのアトリエは最近開店した個人商店ですので」
「個人商店ん~?」
「はい。キーティアナ・ヘレン・シャルルベルンという少女の店でして、値段の割に品質の良いものを作ると、
「そんな開店したての個人商店が、どうして王宮の入札会に来たんだ? おかしいだろ?」
「情報によると、王宮騎士ジョシュア・ノルクロスがキーティアナに紹介状を送った模様です」
「なるほどなぁ」
頭のトップが光る男はニヤリと笑みを浮かべた。とてもあくどい事を思いついた、という古来からある
「いかがいたしましょうか」
「すぐに手を回せ。言わせるな」
「はっ! 直ちに!」
黒服の男はこなれた所作で静かに社長室を出て行った。
「王国の筆頭とも称されるジョシュアとつながりのある小娘。これを機に名を上げようと思ったんだろうが、わしを敵に回したらどうなるかを思い知らせてやる。くくく、くはーっはっはは!」
防音の効いた部屋の中でしばらくの間、あくどい笑い声が響いていた。
◆◆◆
「どうしようぐえちゃん、材料が足りないよ!」
王宮から戻ってきたキッテはさっそくアトリエでポーション作りを始めていた。
簡単に作れるとはいえ1500個もの大量のポーションを作成する必要がある。もちろん材料も沢山必要だ。
ポーションは初心者錬金術師でも作れるほど初級のレシピだ。材料は蒸留水、アルファ反応剤、そして通称ナズ菜とよばれる魔法ハーブの3つで、どこでも売っている手に入りやすいものだ。
「ぐえぐえー」
だってのによ、どこにも売ってないんだ!
――バタン
「キッテごめんッス、私の方もだめだったッス!」
アトリエのドアを開けて飛び込んできた女の子。金髪を後ろで束ねてポニーテールにした褐色日焼け女子。背は高く体つきもがっちりとしているこの元気な子は、運送屋をしているダーニャ・グルン。キッテの幼馴染の一人だ。
「ダーニャでもだめだったかぁ」
町と町の長距離輸送を生業としている運送屋のダーニャには他の町での材料の仕入れを依頼していたのだが。
「ごめんッス。アルセンもテテヌートもミングスもダメだったッス。どこに行っても材料は売り切れ、ひとつ残らずトッテーモアーク商事のやつらが買い占めていったんだって聞いたッスよ」
そうなんだよ。あいつらキッテへの嫌がらせか、大手であるパワーを使って材料を根こそぎ買いあさるという手段に出てきやがったんだ。
「そっかぁ。大手って凄いね」
「凄いね、じゃないッスよキッテ! とにかく私はもう一度心当たりを当たってみるッス。でも期待しないで欲しいッス」
「うん。ありがとう。頼りになる友達がいてよかったよ」
「期待しないでって言った所ッスよ。それじゃあッス!」
運送屋は時間が命、と言わんばかりに、来たばっかりのダーニャはアトリエを出て行った。
「ぐえぇ」
ダーニャがダメだったのになんか落ち着いてるな?
「ふふふ、秘策を思いついたのだ。買えなければ採ればいいのよ!」
確かに。蒸留水は水から作れるし、アルファ反応剤は土や石から作れる。必要なのはナズ菜だけだからな。
「そうと決まったら即出発よ! 護衛兼荷物持ちでディクトを連れて行こう!」
そうだな。1500個も作れるほどのナズ菜だ。男手があったほうがいい。報酬分はしっかり働いてもらおうぜ。
◆◆◆
「こいつは……酷いな……」
王都から少し離れた場所にあるスウォードの森にあるナズ菜の群生地。
大きな籠を背負った冒険者ディクトを連れてそこにやってきた俺達だったが、目の前の光景はひどい有様だった。
普段はそこらかしこに自生して取り放題のナズ菜。
それが根こそぎ刈り取られ、根まで掘り起こされて地面はボロボロ、見渡す限りの荒野となっていた。
別の場所なら、と向かったカレス丘陵、メッテル盆地でも同じ光景が広がっていて、そしてわずかな量が自生しているラーズ草原にたどり着いた時、その原因が判明した。
「ちっ、ここはしけてやがんな」
数人の冒険者がナズ菜を採取していたのだ。
近づく俺達に気づいた冒険者。
「ん? 同業者か。お前らもナズ菜を取りに来たんだろうが、残念だったな。もうここには無いぜ。普段の相場の5倍となりゃ、刈らねえわけにはいかねえって、やってきたものの、冒険者がみんな群がったらこうなるわな。出遅れたのは痛かったが、それでもいつもよりは稼ぎがいいから、今夜はうまい酒が飲めそうだ」
そう言うと、冒険者の一団は去って行った。
「どういうこと? 分かる? ディクト」
「たぶんだけど、ナズ菜採取クエストの報酬がいつもの5倍になってるんだと思うぜ。おそらくはトッテーモアーク商事の仕業だ。
俺がギルドに行ったのは昼前だったんだけど、誰もいなくておかしいなとは思ったんだが……こんなことになっていたなんてな」
「そんなぁ……」
帰り道に僅かながらに採取したナズ菜を生成してみたけど、ポーション10個分にしかならなかった。
赤字だよぅ、と嘆くキッテに、今回はツケにしておいてやる、と依頼料を出世払いにしてくれたディクトだった。
ぶっきらぼうだがいいやつなのを俺は知っている。
◆◆◆
ポーションの材料を買う事も出来ず、採取することも出来ず、どん詰まりにぶち当たった俺達。効果的な解決策も思いつかないまま、時間だけが過ぎて行く。
手元にあった材料で作ることが出来たポーションは30個ほど。1500個には程遠い。材料の調達もさることながら、作り始めなくてはならない時間もタイムリミットが訪れようとしていた。
――チリンチリン
ああでもないこうでもないとキッテが頭を抱えている中、アトリエに来訪者を告げる鐘が鳴り響く。
「キッテちゃんいますか?」
そっと姿をのぞかせたのは、桃色の長い髪を後ろでくくって頭に白い帽子をかぶった白衣の女性。町医者アードン先生の助手のロムーザさんだ。
「ロムーザさん、どうしたんですか?」
カウンターにうつぶせていたキッテはパッと顔を上げる。
「あぁ、よかった。実はね……」
普段穏やかでたおやかで、大人しいお姉さんであるロムーザさんが、珍しく慌てながら話だした。
「ええっ! ポーションが売ってない!?」
「そうなの。どこを探しても売ってなくって、出入りの業者も仕入れができないって言うの」
「ぐえっ、ぐえっ!」
「うん。きっとトッテーモアーク商事のせいだね」
「それで、キッテちゃんのお店なら売ってないかなって思って……。ポーションが無かったら患者さんも治療できなくなってしまうわ」
病院で薬が無いっていうのは致命的だ。とはいえ、俺達にも――
「安心してください、少しですがありますよ!」
「ぐえっ!?」
「本当? 助かるわ」
お、おい、キッテ、そのポーションは!
言うや否や、キッテは工房の奥に引っ込むと、木箱に詰めたポーションを持ち出して来て、ロムーザさんへと手渡す。
「はい、これです。30個しかなくてごめんなさい」
そう言ってキッテは納品用に作っていたポーションを全部渡してしまった。
「ありがとうございますキッテちゃん。本当に助かるわ。これお代ね」
ポーションを受け取ったロムーザさんはニコニコ笑顔で帰って行った。
「ぐええ」
「いいんだよ、ぐえちゃん。困ってる人を助ける。私はそのために錬金術師になったんだから」
うん。分かってた。キッテならそうするって。
困った人を見たら助けずにはいられないって。うん。
俺もそんなキッテが大好きだ。その眩しい笑顔が大好きだぞ。
いつまでも眺めていたくなる屈託のない笑顔が終わり、キッテの表情は硬くなる。
「でも……許せないよね」
うん?
「アードン先生とロムーザさんの所だけじゃない。スーおばあちゃんも、冒険者のひとたちも、ポーションが無くって困ってるはず。
絶対に許せないよ! 私がポーションの納品に失敗するようにって邪魔するために、他の人にまで迷惑をかけるなんて! そんな悪い事、絶対に許せないよ!」
「ぐえぇ」
ああ。悪いやつらだ。自分達のためなら平気で他人にひどい事をする。
だけど相手は大手。ポーションの素材もポーション現品ですらも、辺り一帯の町から全てを買い占めるような圧倒的な財力の持ち主だ。
そして……次にキッテは、「絶対に許せない! 直接文句を言ってやるんだから!」って言うだろ。
「絶対にむぐっ!」
俺はキッテの顔に体を押し付けて、口をふさいだ。
「なにするのさ、ぐえちゃん!」
力技でどうにかなる相手じゃないんだ。冷静になれ。
「頭を冷やせっていうの? 分かってるよ。そんなことをしてもどうにもならないっていうのは分かってる。でもさ、私、悔しいの。困ってる町の人のために何もできないなんて、悔しいの! 錬金術師って困ってる人を助ける仕事なのに!!」
キッテの貯め込んだ想いが溢れ出し、爆発したその時だった。
キッテのカバンが強く眩い光を放ち始めたのだ。
「えっ! なに!?」
正確にはカバンではない。カバンの中のとあるものが光を放っていたのだ。
キッテは急いでカバンの中に手を突っ込むと、一冊の本を取り出した。
藍色の表紙に金字で装飾が施されている年代物の古ぼけた本。キッテの何世代も前のご先祖様、テレッサ・シャルルベルンが書いた本だ。
「ご先祖様の本が光ってる! まさか!」
幼いころ、キッテはご両親からこの本と共に偉大なご先祖様、テレッサの功績を伝えられた。
『有名じゃなかったけど、あまり表舞台には立たなかったけど、ご先祖様は沢山の人を笑顔にしてきたんだ』
キッテはいつもそう言っていた。
テレッサの名前は
現在の錬金術をはるかに超えた技術と知識を持つ錬金術師だったにもかかわらずだ。
その理由は、自らの錬金術を歴史に影響力のあるお金持ちではなく、お金を持たないがゆえに困っている多くの人々のために使い続けたからだ。
そんな偉大な錬金術師だった彼女みたいになりたいと、キッテも錬金術師の道を進み始めたのだ。
「ぐえちゃん、これ見て!」
キッテは淡く光る本の中でも一際輝きの強いページを開く。
そのページには、これまで記載されていなかった内容が浮かび上がっていたのだ。
「すごい……これ……」
キッテが文字に目を通していく。
その目は真剣そのもの。錬金術を学ぶときのキッテの目だ。
世界はその上だけにしかない。それほどの集中力を見せるキッテ。
「これなら……これならやれるよ!」
「ぐえ!」
キラキラとしていて、それでいて力強い目。
そんな目をしたキッテに俺は返事を返した。
テレッサ大百科。ご先祖様の本はそう呼ばれてきた。
偉大なる錬金術師テレッサ・シャルルベルンが生涯の研究を記したと
シャルルベルンの錬金術師たちは何世代にも渡りこの本に隠された謎を解こうとしてきた。
なぜならこの本は最初の数ページしか記載が無かったのだ。
あとは真っ白なページが続いているが、執筆途中とは到底思えない。何か仕掛けがあるはずだとして。
今、その白いページに浮かび上がった内容。それは紛れもなくテレッサの功績の一部。
どういう原理かは分からないが、ご先祖様の英知の一つがキッテに受け継がれたのだ。
「そうとなったら、行くよ、ぐえちゃん!」
◆◆◆
――トッテーモアーク商事、ゼノシュレーゲン本店 悪趣味な社長室
「社長、定期報告です。キーティアナはチュラカランの鱗を手に入れるため、冒険者を雇って旅立ちました」
髪の毛を短めに刈り上げたサングラスの黒服の男。
何人もいる同じような風貌の男の一人が社長室にやってくると、淀みない所作で報告を行った。
「チュラカランの鱗ぉ~? なんでそんなものを。いや、そうかそうか、ポーション作成を諦めて違う依頼をこなそうというのか。あっはっは、見切りが早いな、若いのにあっぱれな奴よ。泣いて許しを請いにこなかったのは残念だが、まあよいわ。買い占めたポーションと素材で市場ではポーションの値が上がるだろう。そこで売りつければわが社の利益はがっぽがっぽよ。
おい、集めた素材でのポーション作成を忘れるなよ。金の生る木なんだから大切にな、がっはっは!」
いつになく下品な笑顔で社長は高らかに笑い続けていた。
◆◆◆
数日後、納期に間に合わなかった小娘の面を拝んでやろうと赴いた王宮でトッテーモアーク商事社長が目にしたのは、沢山の木箱とニコニコ顔のキッテの姿だった。
「ジョシュアさん! ポーション1500個の納品に来ました!」
「うむ。それでは中身を確かめさせてもらう」
高く積まれたいくつもの箱。さすがにこれをキッテ一人の手で運ぶのは難しいので、ダーニャに依頼して運んでもらったのだ。
その箱の一つを開くジョシュア。
「こ、これは!」
取り出したのは青色の液体が入ったガラス瓶。
「な、なんじゃと、その青いのはエーテル・ポーションじゃないか! 魔力も回復する上位ポーションじゃぞ。それを1500個も!? そ、そうか、依頼をこなすために赤字覚悟で仕入れたという訳か、……いや、まてよ、それならわが社の情報網にひっかからんはずがない。となると……」
「はい、作りましたよ!」
「馬鹿な! エーテル・ポーションの作成には膨大な時間がかかる。こんな短期間で1500個も作れるはずがない。それに材料だって!」
「えへへ、そんなに褒められても困ります」
「そ、そうだ、それは偽物だ! ただの色水に違いない!」
大声でまくしたてる社長。それを笑顔で受け流すキッテ。
だがその瞬間、俺は周囲の空気が凍るような寒気を感じた。
俺は反射的にその原因に視線を向けた。
そこにでは、いつも美男子パーフェクトフェイスのジョシュアが、目だけで人を殺せるような凍った冷たい表情を浮かべていたのだ。
だけどそれも一瞬の事。
無表情へと戻ったジョシュアは腰に下げた剣の柄に手を持っていくと、スラリと剣を抜き放つ。
そして振り上げた剣を――
――ザシュッ
振り下ろしたのだ。
「じょ、じょしゅあさん! 何を!」
その様子を見たキッテが狼狽する姿を見せる。
ジョシュアは鈍色に輝く剣を振り下ろすと、自らの腕を剣で切りつけたのだ。
見ただけで分かるほどの深い傷で、かなりの血が吹き出している。
そんな重症にもかかわらず、ジョシュアはいつも通りの涼しい顔をして、手に持ったエーテル・ポーションを傷口に振りかける。
すると……たちどころに傷が癒えて行き、しゅわしゅわとした泡が消える頃には傷などなかったかのように健康な肌が見えていた。
「見ての通りだ。通常のエーテル・ポーション以上の回復能力があるようだな。どうだ、お前もその身をもって試してみるか?」
剣をギラリと光らせるジョシュア。
その目は笑っていない。貴族令嬢も虜にする甘いマスクではあるが、さすが本職、殺気の籠め方が違う。
「ひぃ!」
その姿に尻もちをついてしまう社長。
「ジョシュアさん! 無茶はやめてください!」
そんなジョシュアを心配して、キッテは改めて傷口を確認する。
目的を達成するためとはいえキッテを狼狽させてしまった反省からか、キッテの診断は素直に受け入れている。
「大丈夫だ。私はキッテを信じている。腕を切ることぐらい容易いものだ」
「だからって!」
あー、かなりご立腹だなこりゃ。
まあそりゃ怒るって。だから気の済むまでポーションをかけられてやってくれ。
「ぐ、ぐぐう、そ、それがエーテル・ポーションだと言うのなら! やはり納品は失敗だ!」
尻もちをついた社長がわめき始めた。
「今回の依頼はポーション1500個の納品。ポーションではなくエーテル・ポーションなら規格違い。残念だったな小娘!」
「何を言っているのだ、ミカーワヤよ。お主、仕様書をきちんと読んでおらんのか?」
「そうですよ。私、初めてなんで熟読しましたよ? ほらここ。【ポーションまたはそれに準ずる効果を発揮するものであれば内容は問わない】って書いてあります。なので、傷が回復して魔力も回復するエーテル・ポーションはちゃんと条件に当てはまっています」
「そ、そんな……。だ、だが、赤字のはずだ。エーテル・ポーションをポーションの値段で卸すなんて気が狂っている、く、くくく、そうじゃ。試合に負けて勝負に勝ったとはこのことだ。はーっはっは」
「ふふん。それがですね――」
「社長、ミカーワヤ社長! 大変です、市場に安いエーテル・ポーションが大量に出回っていて、ポーションがまったく売れずにわが社は大損です!」
「な、なんじゃと!?」
黒服サングラスの男が息を切らせてやってきて、辺りに人がいるのもお構いなしに大声で社長に緊急報告を行ったのだ。
「企業秘密なんですが、このエーテル・ポーション、すごく安価で早く作れるんですよね。なので、大量に作って
黒服の報告を受けて、どやどやの笑顔を見せるキッテ。
「ば、ばかな……」
へなへなと崩れ落ちたトッテーモアーク商事の社長ミカーワヤ。
「よくやったぞ、キーティアナ・ヘレン・シャルルベルン。これからも一層励んでくれ!」
「はいっ!」
◆◆◆
「でもよ、キッテがいきなりチュラカランの鱗を取りに行く、って言った時は驚いたぜ。それがまさかこうなるなんてな」
アトリエに珍しく(?)やってきているのは冒険者のディクト。
運送屋のダーニャが彼にことづけた差し入れのクッキーを持ってきてくれたのだ。
座って行きなよ、というキッテのお誘いに対してディクトは珍しくOKを出し、クッキーをつまんでいる、という訳だ。
相変わらずキッテが出した茶には口を付けていないけどな。
「でしょでしょ、それもこれもご先祖様のおかげなの」
「錬金術のことは分からねえけど、キッテのご先祖様ってすげえんだな」
あの日、テレッサ大百科の光を放っていたページには、材料の一つにチュラカランの鱗を必要とする、とある
エルヘレーナの涙。そう記された物質は、ありふれた素材である麦芽から抽出した液体と反応させる事で高濃度の回復剤を作り出すことが出来るという代物だった。
「まさか
麦芽から抽出した液体といっても下ごしらえには時間がかかる。1500個分となればなおのことだ。
そこでキッテは酒場に大量にあった
「えっへっへー。お酒を飲みに来てたおじさん達には悪い事しちゃったけどね」
「みんな気にしてないと思うぜ。だってよ、あいつら「キッテちゃんのためなら我慢だってできらぁ!」とか言ってよ、普段は口がゆるゆるのくせに、ここぞとばかりに団結力を見せて情報を外に洩らさなかったんだぜ?」
「そっか。みんなには助けられちゃったな。後でリタさんにもお礼を言っておかないと。お酒の代金ツケにしてもらったし。ディクトもいろいろとありがとう」
「なーに、気にすんなよ。幼馴染だろ。腐れ縁だがな」
「ちょっと、ひどいよディクト」
「そうだよなーぐえ。そんな俺の代わりにしっかりとこいつの面倒を見るんだぞ。こいつはちょっとそそっかしくて危なっかしくて、何も考えずに走り出すこともある新米錬金術だからな!」
「ぐえぐえー」
「ちょっとぐえちゃん? 私そんなにそそっかしくないよ? ま、まあ、新米錬金術ではあるんだけどね。
でもねディクト……私、今回の事で、ちょっとだけご先祖様に認めてもらえた気がするんだ!」
そう言うと、眩しいほどの笑顔を見せてくれた。
「お、おう」
キッテの笑顔に見とれて呆けていたディクトだったが、顔を赤くしたまま、なんとか一言だけ返していた。
「ね、ぐえちゃん! 私、もっともっと頑張って、ご先祖様みたいな立派な錬金術師になるよ!」
「ぐえー!」
ああ。応援してるぞ。キッテなら絶対なれる。間違いなくキッテは一流の錬金術師になるって、ずっと一緒にいる俺が保証するよ!
そして、もっともっとキッテのアトリエの名を上げて、国中に名をとどろかす有名店にしようぜ!
――完
キッテのアトリエ ~ご先祖様の不思議な本~【短編版】 セレンUK @serenuk
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