【短編】ウチの鬼嫁ちゃん

夏目くちびる

第1話

 ウチの嫁は、世間で言うところの鬼嫁だ。



「あんたさぁ! 休日くらいゴロゴロしてないで家事手伝ってよ!」

「休日じゃないとゴロゴロ出来ないけど」

「私だってゴロゴロしたいのにお掃除してるんでしょ!? 大体起きてくるのもおっそいし! 私お腹へってるのに起きてくるまで我慢してたんだけど!」



 会社でも上司や取引先相手を相手に苛烈な論争を繰り広げているらしい。お陰で成績は抜群、他者には厳しいが自分にはもっと厳しいというスタイルが、何気に今どきの若者である部下に頼られているだとか。



 たまに遊びに出ると、嫁のことをよく知る俺の友達は俺を慰めたりする。近所でもホンワカした旦那さんだから気があってるだなんて、遠回しに気を使われている時もある。



「ねぇ、聞いてるの!?」



 しかし、俺は知っている。



「聞いてるよ」



 彼女が、俺が起きるまでソワソワしながら静かに待っててくれる優しい女であるということを。



「ねぇ」

「なによ!?」

「一緒にゴロゴロしようよ、午後になったら片付けよう」

「はぁ!? 散らかってるのが目に入ると気になるでしょ!?」

「なら、折衷案としてこのリビングだけは綺麗にしよう。他は午後からってことで」



 そんな事を言って、俺は掃除機を持出しカーペットをベランダに干してフローリングの目に沿って埃を吸い取っていった。



「クイックルワイパーで床拭いといてね、俺は換気扇の網外してハイターかけるから」

「う、うん」

「二人でやると早いね」

「……うん」



 それから、リビングの掃除をあらかた終わらせた俺はコーヒーメーカーに粉を入れてセットすると、ソファの上に寝っ転がりネットフリックスでブックマークしているドラマを再生した。



「おいで」

「……うん」



 俺は、彼女を後ろから抱き締めてボケーっとドラマを眺めていたが。途中でコーヒーが出来上がったから、彼女に退くよう二度肩を叩いて伝えた。



「別に、私が淹れるけど」

「ほんと? じゃあ、お願い。牛乳も入れてね」

「うん」



 心做しか、嫁は足取りを軽くキッチンに入ってカップにコーヒーと牛乳を注いだ持ってきてサイドテーブルに置くと、俺が言うまでもなくさっきまでの位置にスッポリと収まる。



 スッピンは、割りと幼い顔だ。眉毛を釣り上げて頑張ってる表情も好きだけど、こういう素直な方がもっとかわいいと思った。



「今日の夜、なに食べたい?」

「別に、何でも良いけど」

「なら、久しぶりに外食に行こうよ。最近ハマってる料理漫画のテーマがイタリアンでさ、おいしそうだと思ったから」

「なんて漫画?」

「バンビーノ」

「あ、それ私たちが小学生の時にドラマやってたよね。主演が松潤のヤツ」

「そうそう、今度ドラマも見ようと思ってる。当時は知らなかったから」

「ふぅん」



 嫁は、シレッとスマホを手にとってバンビーノについて調べ始めた。きっと、俺の好きな漫画を読んで話がしたいと思ったのだろう。



 いつもそうだ。



 このネットフリックスだって、本来は彼女の趣味ではない。わざわざ頑張って合わせようとしてくれるところが、自分の嫁ながら本当にかわいい。



「課金して全部買ったから、俺のタブレットで読んだら良いよ」

「はぁ!? また課金したの!?」

「うん、一万円課金した」

「なんで!? マジでありえないんだけどっ!」

「だって、俺が一人で満喫行ったら寂しくてソワソワしちゃうじゃん」

「は、はぁ!? いや、それはそうだけど。だったら一緒に行けばいいでしょ!?」

「漫画好きじゃないのに、付き合わせるのも申し訳ないから」

「んぐ……っ」



 クソ陰キャの俺と違い、彼女は産まれながらの陽キャだった。本来、なんの接点もなく違う道を生きていくハズだった俺たちが、なんの間違いか付き合って今に至っている。



 だから、俺と嫁の趣味は死ぬほど合わない。



 しかし、合わないことは言うほど悪いことでもない。互いに趣味に干渉せずいられるし、能書きをこいてもマウントにならない。何なら、俺の知らない彼女が好きなことを、楽しそうに話していてとってもかわいいと思えるくらいだ。



 しかし、嫁は違った。



「許してよ」

「この前だってさ、新しいドラマ見たいとかいってディズニー・チャンネル入るしさ」

「うん。でも、トイ・ストーリー面白かったでしょ?」

「それはそれ! 大体、『アソーカ』なんて知らないわよ! 誰!? あの女! 本編にも外伝にも出てきてないじゃん!!」

「ふふっ。いや、あの人はアニメシリーズが初出だから知らなくても仕方ないよ」



 実は他のドラマにもちょい役で出てるけどね。



「ぜんっぜん面白くなかった! というか、私は別にスター・ウォーズ好きじゃないから! あなたの為に勉強しただけだから!!」

「www」



 ……と、まぁ。



 こんな具合に、俺が好きなモノを何でも知りたがる。彼女が人付き合いやスポーツに注いだ時間、暗くジメジメと吸収し続けた俺のコンテンツの知識に追いつこうとする。



 そんなの、いくら時間があっても足りるワケがないのに。俺は、自己満足で人生が豊かになる体験さえ出来れば不満などないのに。



 嫁は、どこまでも俺を知りたがる。きっと、自分のやりたいことを我慢して。休みの日だって、休まずに勉強してるのだ。



「なに笑ってんのよ!」



 だから、俺はそんな嫁が大好きだった。



「何でもないよ」



 不器用で、無愛想で、死ぬほどまっすぐな彼女が好きだ。うまく甘える事ができなくて、いつの間にか社会に揉まれて気の強い性格が更に尖ってしまって。敵ばかり作って、それでもヘコタレたりしない彼女のことが。



 本当に、心から好きなのだ。



「何でもあるから笑ったんでしょ?」

「いや、本当に何でもないんだよ」

「……なによ、それ」

「いいじゃん。それよりさ、掃除始める前にエッチしようよ」



 俺は、彼女を抱く腕に少しだけ力を込めて首筋にキスをした。嫁の体が、僅かに硬直したのが分かった。



「ま、真っ昼間からなに盛ってんのよ」

「ダメ?」

「……い、いや。別に、ダメじゃないけど」



 恥じらう彼女を見て、付き合った頃と変わらずすぐに固くなってしまう自分のアレを恥ずかしげもなく押し付けると。嫁は一瞬だけ俺の目を見てから俯き、誤魔化すようにテレビ画面の方を向いた。



「ばか」



 俺は、グッときて我慢できなくなったから、嫁を抱き抱えてベッドルームへ向かった。



 ドラマの続きは、飯を食いに出かける前にでも見るとしよう。

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