第31話 知らぬ間の婚姻

 闇の中で、誰かがうつぶせで倒れていた。イリーナが手を伸ばすと、


「苦しい、助けて……リナ……」


 そう言って顔を向けたのは――フェルニナだった。イリーナが驚くと、フェルニナは霧のように消えてしまった。


「ニナ!」


 叫ぶと同時にイリーナの目に飛び込んできたのは、板張りの天井だった。


「ここは……?」


 イリーナはベッドから体を起こした。どうやら夢を見ていたらしい。辺りを見回すと、見覚えのない小さな部屋だった。

 ふと真横に目を向けて――イリーナは絶句した。上半身裸のレガトスが、気持ち良さそうな顔をして眠っていたからだ。


「うわっ!」


 イリーナはレガトスを蹴飛ばした。「んんっ」と唸ってベッドから落ちたレガトスは、しばらくしてノロノロと立ち上がった。


「……いきなり何をするんだ?」

「それはこっちのセリフですよ!」


 イリーナは慌てて自分の服を確認した。とくに脱がされたような形跡はなかった。


「急に倒れたお前を、俺がおぶって宿まで連れて来たんだぞ……」


 レガトスは目をこすりながら、ベッドに腰掛けた。顔色が少し悪いようだった。幻水橋ふぁんとむでの移動や戦闘もあったし、さすがに疲れているのだろう。そんなレガトスを見て、イリーナもようやく落ち着きを取り戻した。


「レガトスさん、ここはアウルム王国ですか?」

「ああ、国内に入った。王都までは、を使えば数時間、歩きなら2日だな」


 レガトスはサラサラの前髪をかき上げながら、眩しそうに目を細めた。


(相変わらず綺麗な顔……)


 イリーナは、故郷のスラムを思い出した。スラムでは、こんなに美しく、気品に満ちた人はいなかった。みんな日々の生活に必死で、疲れ切って余裕がなかったし、清潔感もなかった。同じ人間なのに、何でこんなに差があるんだろうか。

 と、イリーナは慌てて頭を振った。余計なことを考えている場合ではない。


「移動術……って、レガトスさんも使えます?」

「使えない。移動術に用いられる風波は、カエラ族にだけ扱える。駅舎に行けば頼めるが、金がかかるな」

「お金は?」

「今はない」


 イリーナは考えた。もし王都まで歩きになれば、またレガトスとの旅になる。同行するなら、やはり素性を確認すべきだ。


「レガトスさんは何者なんですか?」

「別にどうという者ではない」

「なぜ隠すんです? 隠すなら一緒に行けません」

「隠しているわけではない。聞きたいことがあるなら聞け」

「何歳ですか?」

「102歳だ」

「適当なこと言わないでください。どう見ても20歳くらいですよね?」

「20歳? 肉体年齢は23歳だが、俺はケルサスだぞ。メルムとは寿命の長さが違うのだ」


 イリーナはフェルニナとの勉強会を思い出した。確か『未知の国々』の人は、アニマ・ストーンという鉱石で寿命を延ばすことができるとの話だった。


「じゃあ……本当に102歳なんですか。アニマ・ストーンの力はすごいですね」


 その言葉に、レガトスの表情が急に険しくなった。


「なぜお前がアニマ・ストーンのことを知っている?」

「フェルニナから聞きました。私たちの故郷……ブリューソフ共和国は、アウルム王国にアニマ・ストーンを輸出していると。その鉱石のおかげで、寿命が延びているんですよね?」


 レガトスは、悩まし気に額をおさえた。


「ケルサスは、核石コアの力で体力ピークを迎えた頃に肉体の老化が止まる。その後、200から300歳くらいまで生きる。アニマ・ストーンに延命の力があるのは事実だが、限定的な効果しかないし、それを使う者はいない。……『黒髪ウィーク』以外は」


 深刻そうなレガトスを見て、イリーナは少し不安な気持ちになった。何かおかしなことを言っただろうか。レガトスに質問しようとした時、急に扉が開いた。


「第三王子、起きていますか?」


 部屋に入ってきたのは、若い男だった。


「その呼び名は止めろと言ったはずだ、ウンブラ」

「これは失礼」


 そう言って帽子のツバを傾けたウンブラを、イリーナは横目で観察した。細身で肌の色も薄く、温厚そうに見えた。薄い茶色い髪をしているから、「気」も弱い方なのだろう。警戒するほどの人物ではないと考えた。

 ウンブラはイリーナの視線に気付くと、にこやかに近寄る。


「私はウンブラです。第三王子……いや、レガトス様の従者です」

「ダイサンオウジって何ですか? 何かの肩書ですか?」


 イリーナが問うと、ウンブラは目を見開いた。


「まさか、この方が誰か知らないのですか? それなのに婚姻を届け出たのですか?」

「婚姻……?」

 

 イリーナにはウンブラの言うことが理解できなかった。ウンブラは呆れたように言った。


「あなたはイリーナという名前ですね? 役所の前に、第三王子とイリーナの名義で婚姻公告が貼りだされています」

「コンインコウコクって?」

 

 イリーナは訳が分からず、振り返ってレガトスを見た。だが、レガトスはそっぽを向いている。


「婚姻公告とは……」


 ウンブラが説明する。アウルム王国では未婚の男性と女性の人口比が2:1と女性が少ないうえに、好戦的な民族性ゆえに男性同士の争いが絶えない。既婚女性を奪おうとする男性もいる。

 そこで、男女が婚姻する際には役所で公告を貼りだす。もし婚姻に異議がある男性がいた場合は、30日以内に申し立てを行ったうえで、所長の立ち合いのもとで夫と決闘を行う。決闘に勝った方は、晴れて夫として公認される。以後、その女性をめぐり奪おうとすることは重罪となる。


「レガトス様はこの国の第三王子、つまり国王陛下の3番目の息子です。そのようなお方がこんな辺鄙な町の役所で婚姻公告なんて……町中の噂になっています」

「つまり私は、レガトスさんと結婚することになるんですか?」

「異議申し立てがなければ、30日後に婚姻成立です」


 ウンブラの言葉を聞いた瞬間、イリーナはベッドから立ち上がった。そして、ウンブラの制止を無視して宿屋を飛び出した。

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亡魂のセンタルティア―見捨てられた王女の革命物語― みどうれお @midoureo

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