29.新学期
ーー夏が明ける。
貴重な休みの大半は結局、病人として費やすことになった。が、やっとやっっっっっっと、明は外に出ることができた。万感の思いだ。
行暗の牢から抜け出した以来の喜びを感じた。吹雪の中から、かろうじて抜け出すことが出来た遭難者の気分だった。
それほど四六時中張り付かれている生活はきつかったのだ。つい無意識にここから抜け出す方法を読もうとするほど、つらかった。
しかし、この病院から出て良いと言ったのは意外にも、暁月の方からだった。解放されるために、策を練らなければいけないと思っていたが、暁月から脈絡もなく言い出したのだ。脈絡がなかったというより、本当に全く予期せぬ発言だったというべきか。
翔太が見舞いに訪れてから少ししたころ、『ここも万全じゃないのです』と暁月は言いだした。なにやら様子がおかしいなと思えば、病院から解放された。理由は分からない。
そして、明はそのまま『
自分の運勢は未だに悪いままだが、暁月と一緒にいればそれ以上悪くなることも良くなることもないと分かっていたので、気にしなかった。
暁月と明はそういう相性なのだ。普通の生活を送る分には一緒にいるべきではないが、危機的状況では隣にいた方が悪運が強くなる。どんなに悪いことが起きても、生きて帰ることが出来る、そんな運勢になる。
暁月にそんなことを話せば、調子に乗るから絶対に言わないが、その点では信頼していた。良くも悪くも。
すぐに新学期になった。
久しぶりに教室に入ると、必死で宿題の答えを写している翔太と遭遇した。
夏休み中、明に送ってきた写真やSNSの情報には勉強の話が全くなく、こいつは宿題をしているのかと思っていたが、案の定課題は間に合っていないようだった。彼女が出来たという報告もなかった。
バイトに精を出しすぎて、本来の目的を忘れていたらしい。
「よっ! 無事に退院できたな」
「お陰様でな。お前は無事とは言えない感じだが」
「大丈夫、大丈夫。夏休みの宿題は期限の一週間先までが本番だよ。忘れてくる仲間が多いから、教師も大目に見てくれるし」
「何が大丈夫なのか教えて欲しいな。お前が留年するつもりか」
翔太の隣には、少し話題にあがっていた女子がいて、困った顔でこちらを見ている。
翔太に勉強を教えてくれているという彼女は、優等生の鏡とも言うべきこの学校の副会長である。
こちらを気にして、「植村くん、私邪魔かな?」と彼女が言い出したので、明は自分の席に戻ることにした。
もしかしたら、念願の彼女が翔太にも出来るかも知れない。真面目過ぎるタイプと気楽すぎるタイプは、衝突もするが欠けたものを補いもするので、なんだかんだ相性は良い。後々、ぜひ占わせてもらいたいものだ。
ちなみに、明の授業の遅れは補講と追加の課題をこなすことで取り戻すことになっている。休みは潰れたが、その程度で済んだのは、入院期間の殆どが夏期休暇に重なっていたからだった。
学力の問題でなく、出席日数で単位を落としてしまう可能性は十分にあったので、留年をしなくてよかった。
普通の日常に問題なく、戻ることが出来たと安心した。
しかし、その安心はまだまだ早かったようだった。
「てんこーせいでーす。
教室に間延びした声が響く。
クラスに転校生がやってきたのだ。珍しいとは言えない出来事だったが、その名前が耳に飛び込んできたとき、明は驚いた。
ーー玄江時頼? その名には聞き覚えがあった。
玄江という善行家の一門の名字だけではない。明の印象に残っている名前だ。彼を占ったことで、明の人生はひっくり返った。忘れたくとも忘れられない。
時頼は、簡単に表現するならチャラかった。
遠目から見れば、まるで女子に見えそうな体型と顔。茶髪に髪を染め、ネクタイをだるだるに緩めている。校則違反だとありありと分かる見た目だったが、担任は彼に何も言わない。
「どこ校からー?」「ここよりは都会」「どこだよw」
「かのじょはー?」「募集中」「俺も俺も」
「好きなものは?」「なんだろうなー、ゲームとか?」
翔太が手を上げて、勝手に質問をし始める。周囲もつられるように、彼に質問を始めたが、明にその話を聞いている余裕はなかった。
時頼を見つめる明の顔には、冷汗が浮かんでいた。この男がここにいると言うことは、絶対にあの男もやってきている。
問題なのは、時頼よりも彼に執着しているペアの方だった。
「お前ら、転校生にフレンドリーなのは良いが、後から聞いてくれ」
担任が、信じられないことに明の隣の席に時頼を案内した。こっちに来るなという必死の願いも届かず、時頼は無事に明の隣席に収まってしまった。
明は最近占った状況にこんな内容を示唆するものがあったか確認しながら、これから自分がするべき行動を考える。これは一般人になりきる必要がある。
(俺は何も知らない一般人、一般人)
「よろしく、えっと
「はは……、よろしくな」
頭の中で、ひたすら気づきませんように唱えながら、授業が終わることを祈った。
――霊脈の発生後から、何かが狂い始めている。
♢
一方で、1年の教室にも転校生がやってきていた。明の予想していた人物であり、暁月と同じ教室に案内されていた。宗家の嫡男であり、皓沙花臣であった。
「「……」」
しかし、こちらは様子がおかしかった。それというのも、教卓の前で暁月と花臣がにらみ合っていたからである。
教室にやってきた桁外れの美青年である花臣に、教室はざわつくかに思えたが、それよりも前に、突然暁月が音を立てて立ち上がり、彼の前に無言で陣取ったのだ。
暁月の突発的な行動には慣れていたクラスメイトたちだったが、美少女と美青年の見つめ合う状況に困惑は隠せなかった。
背景に花でもおいていれば絵になりそうな状況なのに、なぜかそれよりも虎と龍を背景に置いた方がしっくりきたのだ。つまり、それほど緊迫していた。
「仕事ができなければ、すぐに追い出すです」
「まともに依頼を熟していない君に、言われるとは思わなかったな」
「一人ではまともに仕事も出来ないやつに言われたくないです」
「そうだったな。君にはそもそも依頼も来ないんだったな」
彼らは小声で、相手に対する嫌みを言い合っていた。
皓沙と玄江のペアと違い、自分のペアを持っていない暁月はめったに仕事を受けることがない。仕事の依頼があったとしても、一応未成年者である暁月に危険性の高い仕事は振られていなかった。それに対する嫌みだった。
善行家では、依頼を果たすことの出来ない相手は半端物だ。
花臣は暁月が「朱灼の死神」だからではなく、善行家の人間として純粋に下に見ていた。
対する暁月は、単純に花臣が嫌いだった。カエルや翔太に見せる嫉妬ではなく、気に食わない。生理的嫌悪さえ感じる。その上、彼が明にしたことを考えれば険悪になるのも仕方なかった。
善行家において、最高の才能を誇る彼らが発する気の大きさに、周囲のクラスメイトたちは威圧され声をかけることさえためらわれた。
例え、その内容がネチネチと続く嫌味合戦だったとしても、止めるには相当の覚悟が必要だった。
「暁月、お願いだから席に着いてくれ」
決死の覚悟を決めた教師が暁月に泣きつくまで、彼らの言い合いは続いた。
ただの高校生占い師。とりあえず、隣の女子から逃げたい。 Hours @Hours
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