28.迷子の子ども


 翔太が怪談話を始めた。

 明は自分が話をしろと誘導したにもかかわらず、興味なさげだ。暁月ももちろんそこまで興味は無かった。


 ―――俺が聞いた話ではさ、ここには女の子の霊が出るんだってよ。病院の中で死んじゃった小さな女の子。

 自分が死んだってことを知らなくて、いまだに友だちや親を探してる。


『ねえねえ、教えて』


 そう言って、話しかけてくるんだ。

 小さい女の子だからさ、みんな何も警戒しないわけ。

 『お父さんとお母さんを探してほしいの』と聞いてくることもあったり、ただ泣き声が聞こえたりするだけの時もある。でもそれがあまりにも悲しそうだから、ついその声が聞こえると探してしまいそうになる。


 翔太はわざとらしく抑揚をつけながら、話していく。語り手の才能があるようで、聞いていて、詳細な情景が浮かんだ。


 中庭の見える窓。白く長い廊下には人通りが奇妙なほど少なく、気配もない。空気が冷たく変化して、他者を排除する雰囲気になる。

 そんな場所で、女の子の泣き声が響く。人がいたという安心感とともに、子どもに対する心配からその声の方向へとつい足を伸ばしてしまう。


 ここで、翔太はわざと間をおいた。展開が変わるのが分かった。


 ―――でも女の子に手を引かれて、教えてほしいと言われるがままについて行ったら、もう終わり。


 出会った人は、みんな溶けて跡形もなくなるんだ。


 そして、またその子は誰かを探して彷徨うことになる。


 暁月はふいに自分の心臓の高鳴りに気づく。こんな話、どこにでもありそうなものなのに、動揺してしまう。


「この子は可哀想な子で、小さな頃から病院に閉じ込められるように暮らしてきて、ほとんど外に出たこともなく、両親とも滅多に会えなかったらしい。やっと手術をして、人生これからって時に亡くなったから、その未練なんじゃないかって」

「…………」

 

 なんて嫌な気分にさせる話だ。

 

 ――みんな、いなくなる。――閉じ込められながら暮らしてきた。


 もっと残酷な状況だって、暁月は現実に目にしてきているというのに、その二つの言葉が身を締め付けるように気分を悪くさせる。

 ……いまのぼくは、ちゃんと人の形をしているだろうか。人を殺してしまわないだろうか。


 肌が粟立ち、つい顔をペタペタと触ってしまう。おかしくないか、不安になる。

 自分の忌まわしい過去は、簡単には拭い去れない。忘れたつもりでも、捨て去ったつもりでもすぐ隣に佇んでいる気がするのだ。


 明の反応が気になった。彼はこの話を聞いて、どう思うのだろうか。かわいそうだと思うだろうか。

 横顔を見つめてしまう。


「ありがちな内容だな」

「…………」

「そういう噂を聞く時、いつも疑問に思うんだが、出会った相手がみんな消えるんだったらそんな噂は広がらないだろ」


 明はいつもと変わらず冷静な指摘をした。それどころか、手首をぐるぐると回し、指の一本一本を後ろに捻っている。

 その動きが退屈に耐えかねてのものなのか、それとも何か考えを巡らせているからなのかはわからなかったが。

 ――それでも、暁月はホッとした。


「いやいや、生き残った人がいたかもしんないじゃん! 警察にも信じてもらえないから、人伝で噂を流したとか」

「眉唾物だろ」

「明はそんな子見かけたりしなかった?」

「見てない。知らない」


 根も葉もない噂には興味が無いと言いたげで。占い師としては、異端とも言えるようなその客観性は、彼が揺らがないことの証明だった。惚れ直してしまいそう。


「そもそも。どうしてそんな噂を口にしたんだ? わざわざここに来てまで話すことでもないはずだろ」

「あー、悪い噂があったからさ。……分かるだろ?」

「分かりたくもないな。信用のおけない情報を人に話すと、厄を呼ぶから止めとけ」

「えー、ただの噂だろ? みんな話してるし。夏の十八番は怪談話じゃん」

「翔太」


 ――二度は言わないぞ。


 そう言い含める明は、容赦が無い。

 切れ味の良い言葉にゾクゾクする。容赦が無いのは信頼の裏返しだ。

 信頼していない人間に、明が返すのは無関心だけ。悪い噂をいくら垂れ流して、その人間が悪意を身に取り込もうとも気にしないはず。

 しかし、わざわざ口に出してまで翔太を止めた。


 そこまで信頼されている彼に、嫉妬してしまう。……明が心を許しているなんて。なんて羨ましい。あぁ、いやだ。


 そう思いながら、翔太に声をかける。


「……その女の子が出る場所はどこです?」

「え、えっとーね」


 調子を失った翔太が、動揺しながらもスマホを見せてきた。

 そこには掲示板のような、匿名情報サイトのようなものが表示されていた。日本地図の上に、有名な心霊スポットの情報が載っている。

 ここの病院名もその地図上に記載されており、詳細をタップしてみると、この病院で治療後行方不明になってしまった者がいるだとか、暴力団御用達などと、悪い評判が並べられていた。

 それは別にどうでも良かった。この病院が潰れようと、暁月には関係が無かった。

 そして、その下に記述された該当の情報を見て、みしりと手の中のスマホが音を立てた。




 夜。一人、病院の僻地に立つ。周囲には誰もいない。

 そこは川沿いの草むらだ。

 しゃがみ込み、土を掘り返す。そこにはガラクタやプラスチックゴミなどが埋められている。劣化しかけたゴミは水に流れ込み、多くの生物を殺すだろう。汚染は広がり、浄化作用のスピードを上回り、死の海は増える。その上には、あらゆる生物の死骸が浮いている。

 間接的であれ、直接的であれ、人は多くの生き物の死骸の上に立っている。それを意識する必要が無いだけだ。ならば、暁月と他者も大して大差ない。


 予想通りであれば、きっとこの周辺に埋まっているはずだが、妙な気配が多すぎて細かな場所が分かりづらい。しかし、これ見よがしに情報の詳細を記入してくれていたのだから、それに乗らない手はなかった。


『おねえさん?』


 小さな子どもの高い声。……子どもっぽく装っている様子が耳障りだった。


 振り返ってみると、そこにいた少女は何やら暁月と似た雰囲気をしていた。

 和装がよく似合うだろう、日本人形のような整った容姿。ここにいるのに、馴染まない浮いた印象。紫がかった黒髪は長く、背に落ちている。

 

「どうしたんです?」

『お兄ちゃんを知らない?』

「知らないです」


 暁月は、風が強く吹いていると思った。近々、嵐が来るかもしれない。月が欠けている空を見て、潮が満ちる時を計算する。


『優しいお兄ちゃんは、僕をここから連れ出してくれるの』

「そーですか」

『暗い場所から連れ出してくれるって、約束したの』

「……」


 ーーお前をぜったいにたすける。


『一緒に探してくれる?』

「……良いです」


 月の明かりに隠れて、暁月の表情は見えなくなった。


 少女に腕を引かれて、道なき道を歩く。草むらの中をかき分けて、人通りもない異世界を抜ける。

 虫の声、風の音、肌を生温い暖かさが包む。潮の香りが水の中に混ざり、ゴミの異臭が鼻についた。


「いい加減、探すのはやめるといいです」

『やだ。お兄ちゃんを探すの』

「見つかりそうです?」

『まだ、だよ』


 もう少しで、川に落ちてしまいそうな場所だ。


「お前にはお兄ちゃんなんて、いないですよ」

『いた! ほら、お兄ちゃんが』


 少女が指差したのは、川の向かい岸。ここからは何も見えない。誰かいる気配もない。そもそもこんな時間に誰かが、歩いているわけもなかった。この少女が現れたのは、暁月が場の条件を揃えたからだ。


 わざわざついて行ったのは案内をして欲しかったから。しかし、もう用は終えたので、これ以上付き合う必要はない。


『あれ? お兄ちゃんがいなくなっちゃった』

「僕はもう一緒に探せませんです」

『どうして? 探してくれるって言ったのに』


 ーー約束を破るの?


「あそこにあるのは、お前の遺骸です」


 繋いだ手を離そうとして、外せないことに気付いた。


『約束をやぶるひとは、ゆるさない』


 その一言で、周囲の雰囲気が歪んだ。暁月に対する害意が、濃密に彼女を覆う。

 呪の気配。肌を突き刺す痛みに、暁月は膝を付いた。そのまま顔を伏せる。


『お姉さんがわるいんだよぉ』


 少女は繋いだ手を離して、ぽつりと呟いた。……が、


『どうして?』


 不思議でたまらないと言いたげだ。それさえもイライラした。

 暁月は、自分を模った怪異の発動条件に吐き気がする。人に見放されて、積もる呪の刻印。


『お姉さんは、助けてくれるの?』


 暁月は形容しがたい表情をした。つまらなく、当たり前の常識で、けれども誇らしくも思っている。そして、悲しみも含んでいた。

 

「助けるわけないです」



 少女がドロドロと溶けていくのを見届けたあと、暁月は川岸の場所に埋められた呪を探して見つけた。たくさんの遺骸を集めて出来た胸糞悪い術だ。しかし、その程度だった。


「この程度で僕を真似ようなんて、1000年早いです」


 暁月の業は、そんなチャチなものじゃない。半端な真似事で代替できるなら、この醜悪な自分の中身も入れ替えてしまえるのに。表面だけじゃなくて、すべてをまっさらにしてきれいな自分になれる。


 そうすれば、明に全てを捧げられる。恐れることもなく、彼のそばにいられる。


 しかし、それは簡単に叶うことではなかった。

 善行家の血塗られた歴史、全ての悪が彼女の中に込められているのだから。


 こんなものに、明が出会わなかったことを幸運に思おう。



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