27.病院
明が病院に軟禁されてしばらく経った。
検査のために、いろんなものを飲まされ、撮られ、体の内部を隅々まで暴かれた。これ以上曝せるものはこころくらいしか残っていない。
白いシーツも白い壁も白い床も、看護師の白い制服も医者の白衣も見慣れてしまい、目に映る多くの色があまりにも白ばかりなので、いっそのこと棚や椅子も全部白にしてしまえば良いのに、と飽き飽きする毎日。
無理矢理受けさせられた検査の結果は、特に異常なし。
しかし、予防注射を受けていなかったのがバレて、打つことになったのが良い思い出である。最近の注射は全然痛くないことを知った。
明は暇すぎて病院の敷地内を歩き回り、どこにどの科があるか、どんな人がいるのかまで把握し、たくさんの顔見知りを作っていた。
手相占いはコミュニケーションに最適だと誰が言ったのだったか。簡単な営業をすることで、明はここから出られないストレス発散をしていた。仕事に戻っても、ここまで長期間穴が開くと、集客が出来るか不安だったのもある。どこまでいっても、明の天職は占い師なのである。
明がそんな日々を過ごしている間、世間の高校生は、夏休みに入っていた。……貴重な長期休暇を、なぜ病院で過ごさねばならないのかと疑問で仕方なかった。
翔太からの『夏休み始まったぜ。俺はこの夏で彼女を見つけるんだ』という砂浜の写真と一緒に送られてきた返信に、時間の流れが止まらないものかとなげいたものだ。
検査は終わった。暁月の権力だろうが、金だろうが、もういい加減明をここに縛っておく理由はないはず。
カエルももうすぐ退院らしく、それに乗じてどうにか暁月を説得し、日常に戻る計画を立てることが明の目標だった。でないと、どこまでもこの場所に閉じ込められてしまう。
「…………」
「明様、どうしたんです? 何か悪いことでも考えてるのです?」
今日も病院に見舞いにやってきた暁月が、明の顔の間近に自分の顔を寄せてきた。睫毛の長さまで分かってしまうような距離。彼女特有の、仄かに甘く刺激的な香りが漂ってくる。
最近、ただでさえ近い距離がもっと縮まってしまっている気がして――それも明が突き放しているにもかかわらず――危機感を覚える。
夏休みになった途端、面会時間はほぼここにいる暁月。
にこにこ笑って、ベッド横に椅子を置いて座っていた。時にはあの奇妙な漫画を見て、時には何もせず明の顔を眺めていた。目が合うと、うれしくてたまらないというように笑顔になる。陰気な顔もせず、精神も落ち着いているようだ。
「お前の顔を見ずにすむ方法を考えてる」
「わぁ、それはとっても悪いことです。僕は明様の顔をどれだけ見ても見足りないのに」
目の前にある顔を避けるため自分の顔を横に向けると、対抗するように顔をこちらに向けてきた。
面倒くさくなって布団の中に顔まで包まると、一瞬無言の時間が生まれた。
「あきらさま?」「あきらさま、あきらさま……」
――暁月は、明の名前を何度も呼んだ。
昔の自分は、こんなに執着されるほどのことを暁月にしたのか。無意識のうちに他者を依存させてしまっているのか。
夜那に言われたことを一瞬考えてしまう。
突然、ベッドに「明様ぁ」とポンッと体重がかかってきて、生暖かい重みを認識した途端。
……血管が切れる音が頭から聞こえた。いや、これは俺のせいじゃないな。
「あかつきぃ、おまえ、いいかげんにしろよ」
病人でもないのに、長期間同じ場所に居続けなければならないストレス。趣味であり、仕事である占いもまともに出来ない環境(ストレスの原因はほぼこれ)を作った張本人が、ずっとそばに張り付いている現状。
耐え続けている意味が分からなくなり、とりあえずこいつを視界から排除しなければと思った。
勢いのまま布団から抜け出し、ベッドの上に転がっているストーカーをその布団で包んだ。病室から放り出して、そのまま面会拒否してもらおうと動いたとき。
「何してんの?」
そこには翔太がいた。手には紙袋を持っている。どうやら、わざわざ見舞いに来てくれたようだ。
いつも制服で会っているので、私服だとなにやら様子が違うように見えた。いや、その驚愕の表情のせいかもしれない。
そして、自分の今の状況を客観視した。
「……」
そのまま布団を床に下ろし、静かに病室の中に戻ろうとした。
「ちょ、ストップストップ。明、何してんだよ」
「関わるな。そのまま捨てとけ」
床にうち捨てられた布団に興味を示す翔太に、放っておくように伝える。暁月と翔太が組むと面倒くささが倍になる。
しかし、もごもごと布団をほどき、悪質ストーカーが出てきてしまった。
「あ、マーヤちゃん! どうしてそんなとこにいるの」
「こんにちはです」
暁月の髪が乱れているのを見て、こちらをチラチラ見てくる翔太がいるが、知ったことか。暁月に女子の扱いをしていては、明の気がおかしくなってしまう。
「こんにちはじゃないよー、大丈夫? 明にひどいことされてない?」
「明先輩の自制心は、鋼のようなのです。ぐるぐる巻きは楽しかったです」
「苦しくなかった? 明は最低だな。かわいい女の子をこんな目に遭わせて」
ひどい目に遭っているのは、俺の方だと明は思った。罵倒していないだけ偉くないか?
♢
とりあえず病室のパイプ椅子を出して、横に翔太、暁月と座らせた。カエルはちょうどリハビリの時間のため、隣にいなかった。
「元気そうだな!」
「あぁ。何の問題も無く、元気だ。翔太も元気そうだな」
少し日に焼けたように見える。毎日、外で精力的に動いている証拠だろう。楽しそうで何よりだ。
「災難だったよな。聞いたときは驚いたよ、突然交通事故に巻き込まれるなんて。
でも、その様子なら早めに退院できるんじゃないか?」
「あぁ、早めに退院できると思ってるよ」
暁月に聞かせるように、皮肉を込めて翔太に伝えた。
明は交通事故に遭ったということにされていた。だが、そんな事実は存在しない。
「良かったな! 長く休んだら、お前が一学年下になるんじゃないかって心配だったんだ」
「……なるほど、留年。そんなことができましたです」
「翔太、余計なことを言うな。暁月、もし実行したら二度と口を聞かないからな」
「え? なんで」
小さくつぶやいた暁月に、背筋がぞっとした。留年の可能性は全く視野に入れていなかった。もしそんなことが起きてしまえば、暁月と同学年になってしまう。
やはり、一刻も早く通常生活に戻らなければいけない。
そのまま翔太は、楽しそうに明がいない間の学校生活のことを話した。
いつもは明に教えてもらってなんとか赤点を回避していたので、今回は派手に赤点を取ってしまったが、クラスにいる勉強の得意な女子に勉強を教えてもらうことになったとかなんとか。真面目でかわいい子なんだと話している。
その一方で、今年の夏は海の家でバイトして、彼女を見つけるという夢を語っていた。たぶん、身近に目を向けた方が近道できると思うが。
いろいろと話を聞いていると、ある話題が出た。
それはこの病院の話だった。それも明の苦手なジャンルである。
「ここってさ、幽霊が出るって噂の病院だろ? 見たことあるか?」
「なんだその噂。俺は幽霊なんて見たことない」
「幽霊です?」
暁月を見ると、首をかしげている。こいつがこの様子なら、いないのだろう。
しかし、彼女の発言は明が思ったものとは違った。
「うーん、いるかもです。ここうちの病院なんですけど、結構悪い噂があるので」
そもそも、幽霊なんてどこにでもいるですと、暁月は続けた。
「へー、すごい。マーヤちゃん霊感あるのか。どんな風に見える?」
「例えば、壁を通り抜ける霊とかです。霊がいない場の方が異常です」
「この部屋にもいる?」
興味深げに暁月に聞く翔太。周囲を指さして、この辺とか? と聞いている。
恐怖心がないのだろうか。興味本位でこのようなものに関わったら、とんでもない目に遭う。妖怪なるものに出会って空に飛ばされた記憶が思い出された。
「……いないです」
「えー、どこにでもいるって言ったのにここにはいないのか。残念だな」
「いるところにはいますよ」
明にはその会話の意味が理解出来た。霊がいないのが異常。しかし、ここにはいない。つまり、善行家の一員である暁月がここにいるからいないのだ。こいつが異常なのは同意だ。
「そういえば、さっき、うちの病院っていったよね。ここマーヤちゃんのお家が経営してるの?」
「うちの系列です」
「ほー」
善行家は幅広い事業をしている。学問を治めるものも多いだけあって、病院を経営していてもおかしくはないが、ここがそうだったとは知らなかった。
本家でさえ12ある。分家を合わせればどれだけの規模になるのか。明の日常で使用している場所も、善行家の所有地だったりするかもしれない。関わりを持つことになった以上、今後のためにもある程度の情報は得るようにした方が良いだろう。
明は二人の会話を無言で聞く。
「まじか、マーヤちゃんお嬢様なのか」
「お嬢様ではないです。家がやってるだけなので」
「いやいや、お嬢様だって」
暁月がお嬢様なら、明は坊ちゃんと言うことになるのだろうか。
だが、そんなことは一切無い。金があるなんて意識したこともないし、働かざる者食うべからずを地で行く家だ。宗家の大事な大事な子どもでさえ、働かされていたのだ。言うなれば、金があるのは家である。自分ではない。それが事実である。
「まあ、それは詳細は聞かなくてもいいだろ。で、翔太。どんな霊が出るって噂なんだ?」
「あぁ。それは……」
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