26.電話

「姉さんは、その資格がある」

「……ふーむ。資格かぁ」


 善行家の宗主は、その力で下を従える。大きな家であればこそ造反は起きやすく、裏稼業を商売にしている以上はトラブルも日常茶飯事だ。

 全ての家の当主を抑えて、その頂点に立つことが宗主の役目。


 宗家の人間は勘違いしているようだが、特権階級とは、そこにいるだけで成立するようなものではない。権力にはそれ相応の責任が伴わなければ、やがて瓦解する。甘い汁を啜るだけで成立するものなら、そもそも立場は生まれないのだ。


 しかし一方で、権力が独り歩きしているのも否めない。その座に君臨するだけで、凡夫であっても、一時は宗主になれてしまう。

 『宗主』という名は、それ自体に力を持っているのだ。……困ったことに。 

 

 そして、今の宗主のままでも、明にとっては都合が悪かった。


 だから、この選択肢が提示されたのだと考えていた。読み解く先には、この道が必要だった。


 先見の力は、どんな未来が起こるかを教えてくれる親切な能力ではない。

 明に多数の選択肢を提示して、その条件を整えればそこにたどり着けるのである。

 行動の結果、「カエルを助けて、できる限りの犠牲者を減らす」という明に取り得る限りの未来以上のものを与えてくれることはないのだ。

 だから、自分の行動がどのような意味をもたらすかを明は慎重に考えていく必要がある。

 

「……あっきらくんはー、人を利用するのに詭弁を使うタイプだったっけ?」


 ーー正直に、私を利用したいって言えばいいのにさ。


 夜那は、明にそう要求する。

 しかし、そんなこと怖くて言えるかと、明は思った。

 夜那の機嫌は読めないのである。読める人がいるなら、教えてほしい。

 暴力反対と訴えても聞いてくれる相手じゃない。なら、機嫌を損ねない程度で話を進めるしかないじゃないか。


「そんなこと言ったら、手が出るだろ」

「……えー。私、そんなに短気じゃないって」

「初めて会ったときに、首をわしづかみにされたのを俺は忘れてない。この間も、俺を蹴っただろ」

「そうだっけ。忘れちゃった」


 こんな調子である。初対面で首をわしづかみにされたのは、明のトラウマの一つだ。


 絶対に夜那を怒らせてはいけないと明がおびえるのには、他にも理由がある。

 夜那は相手を殺せるのだ。戦闘力もずば抜けて高いが、その特殊な『致死』の力があれば、殆どのものは相手にならない。

 そして、その能力があるために、多くの者は彼女に逆らおうとはしない。夜那さえ本気になれば、すべては一瞬で片がつくと思っている。

 

「私、正直でバカな子は好き」

「正直でも、バカでもないもので」

「くく。でも、かしこくもない」


 明のやらかしは面白いから良いけど。電話口で、クスクス笑われている。


 馬鹿にされているわけではない。ただ、明の迂闊さを笑われているだけだ。


 ……何か、やらかしたか? その一言に不安になった。

 自分の知らないところで、何か進行しているのではないだろうか。


「でも、明。占者の領分はわきまえないと、けがするよ。李覚りさみたいに目を潰されるかもしれない」

「それは勘弁願いたい」


 我が姉ながら、恐ろしいことを言う。


 リサさんは千里眼の持ち主として、宗家の厳重な警備の下、守られているが、その能力を邪魔に思ったものに危害を加えられたことがあるのだ。

 動かずに千里先を見通すことが出来る能力。脅威に感じない方がおかしい。

 そして、明も占者として目をつけられてしまえば、そのような目に遭うかも知れないと言っているわけだ。


「お前が首を突っ込もうとしてるのはそんな世界だもん。せっかく抜け出したのに横から手を出してしまったら、もう戻れなくなる。守られる立場に甘んじていれば、そんな危険も無かったよ。戦闘力も無いんだし、引っ込んでいれば良いのに。

 ……また、誰かを助けようとでもしたの? 学ばないなぁ」


 耳が痛い。電話を切りたくなってきた。

 明も出来るならそうしたかった。面倒を避けて平凡に生きることが自分の人生の目標なのだから、夜那に言われずとも分かっていた。


 (でも、たぶん、俺はもう一度あの場面に戻ることがあったとしても同じことを選んでしまう気がする)


「なあ、姉さん。もし、数千人と周囲の人を天秤にかけるなら、どっちを選ぶ?」

「周囲の人間かな。関わりない奴が死んだところで、私に何の迷惑もかからないし」

「じゃあ、周囲の人間と自分」

「自分」

「秤にかけた結果が『死』でも」

「それなら、尚更」


 夜那は、唐突な質問にも一切迷うことなく、返答した。少しは迷えと思った。


 明は、この迷いのなさが夜那という人間を形作っていると思った。

 無慈悲で、非情で、それでいて気まぐれな。


「明は、誰かを助けるためなら、自分が死んでもいいと思ってるの? 甘ちゃんだね」


 ケラケラ。電話口に笑い声が響き渡る。

 人の不安の感情を煽る声だ。こころを見透かす声だ。


「でもさ。さんざん裏切られて死にそうな目にあっても、結局生き残ってきたのは、そんな奴らじゃなくて明だった。明はね、死ねないよ。周囲の人間と秤にかけても、生き残る。こっち側の人間だからさ」

「……そうかな」

「愛する相手のために死んでも良いだなんて、思わない。自分が最優先だから、誰かに尽くし続ける人生なんてまっぴらごめんでしょう」


 ――あの牢のなかでも、明だけが生き残った。

 幼気な獣を一匹手懐けて、あそこから逃げ出した。本能で自分が生き残る道を探して手に入れた。他の誰もそんなことは出来なかったのに、お前だけが成功した。


「周りを犠牲にしても生き残ると思うなぁ。例えば、自分に一生懸命尽くしてくれる子とかさ。

 その占いの力で依存させちゃった子がたくさんいるでしょ。いいなぁ、身代わりがたくさんいて。カエルとかも、おまえの従順な犬になっちゃったし」


 夜那は、無言を貫く明に刻み込むように話す。女性にしては低い声が、鈍く響いていく。


 その言葉は、明のこころに重くのしかかった。平凡に暮らしているつもりでも、いざとなれば自分が利用してしまうことが想像できてしまったから。

 だから、否定できなかった。

 

「あきら、いい加減諦めて戻る決心つけたら? こっちはいつでも迎え入れる準備は出来てる。戻ってくるなら、協力してあげても良いよ。私が守ってあげる」


 悪魔のささやきだった。聞いたら、一生後悔する代物の。

 讒言と言い切るには甘い誘惑。きっと骨の髄まで利用されるが、明の命だけは夜那が保証してくれる。


「夜那、あなた一体誰と電話しているの?」


 電話口に聞いたことのある声が、小さく聞こえた。それで頭が冷える。


 ……夜那の話を真面目に聞いてはいけないのを忘れていた。自分が交渉する側だからと気を抜いていた。


「せっかくのお誘いだけどいいよ、俺はここが好きだから」

「へー、ざんねん」

「とにかく、考えててほしい」

「ハイハイ」


 途端にやる気の無い返事だ。

 電話を切ろうとして、夜那が付け加えるように話をした。


「あ、朗報だよ、明。私は宗主の候補者の一人に選ばれた。おまえはほんと占い師としては、優秀だね。交渉役としては、いまいちだったけど」


 ……こういうひとだよ。姉さんは。


 諦めながら、電話を切った。

 無性に誰かの人生を占いたい気分だった。出来るなら、美しい星の下に生まれた人の一生を見つめたかった。

 自分の人生を見続けるのは、つらい。どうして、周囲の人間はやばいやつしかいないんだ。




 夜那はスマホをポケットに入れ、自分を呼びに来た燈に笑顔を向けた。


 燈はその笑顔を見た途端、顔を引きつらせる。


「あなた、悪さしてないわよね」

「ひどい。私は利用されそうになってた立場だもん」

「信用できないわ」


 夜那はヒラヒラと手を振った。これぐらいのちょっかいで、どうにかなる弟じゃないよ。


「で、どうしたの?」

「ずっと朱灼が見てきてるのよ、あなたに用があるって」

「そーなんだ」


 物陰に隠れている摩耶を示して、燈が言う。

 珍しく自分から話しかけてきたと思ったら、摩耶が怖かったのか。

 宗家に居るときはいつも以上に見栄っ張りになり、夜那と一定の距離を取っているのに。


 ―――まあ、これだけ荒れてる霊気にさらされたら怖いか。


 摩耶は、燃え立つような霊気をまといながら、激しくこちらをにらみつけていた。あの様子は、明と話していたのを聞いていたのかもしれない。彼女の聴力は異常だから。

 あれ以上余計なことを言っていたら、宗家が燃えていただろう。タイミングは良かった。


「ふふふ、こわーいこわーい。愛に狂った女って、いつの時代も怖いねー」

「何の話をしてるの?」

「ひ・み・つ」


 夜那は今も話を聞いているはずの、摩耶のもとにゆっくりと向かった。

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