25.微妙な雰囲気

 明はガラガラと勢いよく、病室の窓を開けた。新鮮な空気が入ってくる。

 空は青いし、雲は白い。街の様子も普段と何も変わりない。

 普通の変わりない日常である。異常事態が起こっているわけでもなかった。


 しかし、明の平凡な日常は壊されていた。


「……暇だな」


 本来であれば、教室で惰眠を貪っているだろう時間である。

 それなのにベッドの上で何をするでもなく、時間を食っている。

 占い道具が、手元にない。落ち着かない。ゲームをする気もなかった。ひたすら寝るか読書をする日々だったが、それすらももう飽きた。


 ーー面倒には近寄らないというモットーを破るからこうなるのだ。


 明は後悔していた。暁月摩耶のやばさをなめていた。


 明の手に手錠をかけた暁月は、明を監禁すると言いだした。一体なんの冗談かと思ったが、暁月が冗談を言うはずもなく。

 にこにこと笑って『しばらくの間、明様にはここにいてもらうです。もしここにいてくれなかったら、捕まえて二度と外には出さないです。……もう、いっそその方が良いかもしれない? 明様の望むものは僕が用意するので、二度と外に出さずに、僕と一緒に幸せに過ごしますか。良い山奥の物件を探しておくです、辺境の人のいない場所で、雑念も明様が他人に視線を向けることもないようにして……(まだまだ続いたが、途中から聞いてられなくなった)』などと聞くに堪えない言葉をひたすらつぶやいていた。

 目があまりにも本気だったので、明は仕方なくその言葉に頷いた。ここから出た瞬間、本当に人里離れた山中にさらわれて、二度と外に出てこられなくなるだろうと悟ったのだ。悟りたくなかったが、これまでの経験からそれが実行されることは明白だった。手錠を取り出してきた時点で、逃がす気は全くなかった。


 そして、強制的に病人扱いされて、大した怪我もしていないというのに、検査入院とやらをする羽目になった。

 暁月のかけた手錠は、ベッド横に転がっている(逃げ出さないから、外せと言った)。

 本格的に暁月から逃げるべきなのかもしれないと、その手錠を見るたびに思っている。


「暇っすねー」


 横で、カエルが本当に暇そうに欠伸をした。この男は明が暁月に脅迫されている間、全く助け船をよこさなかった。それどころか、暁月に協力しているようにも思えた。

 その手元に目をやり、明は眉間に皺を寄せた。


「……おまえ、いい加減にしろよ」


 そこには呪具があった。カエルの指にいつもはめられていた指輪と、砂時計ーー中には粉末が入っている。眺めていたようだ。


「おまえは呪いのせいで死にかけたんだぞ。いや、ほとんど死んでた。そのレベルなんだ。呪いからはもう手をひけ」

「あーあー、聞きたくないっす」

「聞け」


 耳を押さえるカエルの前に立ち、明は真剣に話しかけた。いつもならごまかされてやっただろうが、これに関しては別だった。


「もう、止めろ。お前は術士としての腕もあるんだから、そっちの方で生きろ」

「……俺がこの子たちを手放したら、この子たちの恨みは誰が晴らしてくれるんすか? また、誰かの道具として使われるだけになるんすよ」


 指輪を握りしめて、カエルは言い返す。

 今までに見たことがない、困惑と恐れが混じった表情を浮かべている。


「恨みを晴らすにしても、呪いの手を借りるのは止めろ。憎悪からは憎悪しか生まない。負の連鎖を作るだけだ。供養してやれ」

「……」

「人を恨み続けるのは、苦しいだろ」


 自分の中にヘドロが溜まっていく。苦しくて苦しくて、憎む相手がいなくなっても、体の中の毒は自分を蝕む。何かに恨みを向け続けないと生きられない。傷つけても、傷つけられても良いと破れかぶれになって生きる。沼底に沈んでいると気づいたときには、もう抜け出せなくなっている。

 そんな状態になってほしくない。

 

「じゃあ、あの苦しかった日々の俺にはどう報いれば良いんですか」

「過去に囚われて、今の自分を大事にしなかったら本末転倒。……というか、お前の執念はもう、誰かの恨みを晴らしたくらいで消える代物じゃなくなってることは自分でも分かってるんじゃないか?」

「……そう簡単には、無理っす」

「そうか」


 カエルは長年、呪いを扱ってきた。簡単に離れることが出来ないのは分かっていたが、それでもカエルの未来のために離れるべきだった。

 カエルから呪いを奪う事は、明から占いを奪うことと一緒だと知っていながら、天秤を命に傾けた。人を恨むのではなく、違う選択肢を選んで欲しかった。

 説得は続けるが、カエル自身でその道を選ばなければ意味が無いことも分かっていたので、言葉を切った。


「…………」


 沈黙が続いた。二人だけの病室がより落ち着かない空間へと変化した。


「暁月は、今日は来る様子がないな」


 妙な雰囲気になってしまった。それをごまかすために、話を変える。


 最近の暁月は奇妙な手土産を明に渡しては、面会終了時間までいるのを毎日毎日欠かさず繰り返していた。

 大量の恋愛マンガを持ってきたかと思えば、次の日にはホラー小説を積み上げ(それも似たような女性が出てくる)、さらには全サイズの下着や服、ゲーム機……。邪魔すぎて、ベッドの下に隠してある。

 しかし、今日は病室のドアが開く様子はない。開いても、看護師や医師が呼びに来たり、食事を取る程度のことである。うれしいことなのだが、いつ来るかと身構えてしまって、気が疲れた。


 このまま暁月が来ないなら、あの人に連絡を取っても良いかもしれない。勇気が出なくて避けていたが、いい加減自分から連絡をするべきだろう。


「ちょっとだけ、下に降りてくる」

「いいんすか?」

「電話だよ、電話。外に出るわけじゃない」

「……まあ、面会時間もあと少しなんで、良いんじゃないですか」


 スマホを持って、下に降りた。病院内では電話が出来る場所は限られている。なるべく人気の少ない場所を選んで、電話をかけることにした。

 ……電話番号が変わっていないと良いが。


 コールをして、しばらく待った。胸が緊張で高鳴るのを感じて、ゆっくり息を吐いた。


 ーーそして、つながった。

 

「姉さん」

「あぁ、明か。よくこの電話番号を覚えてたね」

「忘れないよ」

「そう? ……で、何のようかな。この間のことでも聞きたくなったの? 思い出話をしたいわけでもないよね」


 もしかしたら別人かも知れないと期待したが、そういうこともなく。

 電話に出たのは確かに自分の実の姉である夜那だった。年齢はずいぶん離れているし、性格も容姿も似ても似つかないが、血はつながっている。

 でも、姉のことを知ったのはそこまで昔のことではなかった。そして、思い出話に花を咲かせるような関係でもなかった。つまり、ほぼ他人と言っても良い間柄である。


「……単刀直入で悪いけど、俺はこの間の発言は取り消さないから」

「へぇ。ははは。わざわざ、それを言うために電話したの」


 語尾が跳ね上がり、笑い声が全く笑っているように聞こえなかった。

 電話越しでも迫力が増した。怒っているのだろうか。

 でも、しっかりと明の意図は伝えておかなければならない。


「なってよ、姉さん。宗家の当主にさ」


 ……そう。夜那には宗家の中枢に入ってもらわなくてはいけない。

 彼女の能力でしか、宗家に巣くう者たちには対抗が出来ないのだから。




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