第6話 おじいさんとの出会い

目の前のおじいさんは青いような、緑のような、なんとも言えないキレイな

瞳をしていた。

吸い込まれそうな目だった。


「久しくこの塔に入らなんだったら、こんな事になっておったか」

その一言で、ワタシの止まっていた時間が動き出した。


「あ…あの…あの、失礼ですが、この塔の管理人さんですか?」

掠れたガラガラの声が出た。


「おぉ、おぉ、話せるか。何よりじゃ」

優しい笑顔だ。

無条件に人の警戒心を解き、安心感を与えてくれる、そんな雰囲気を纏ったおじいさんだった。


「この塔は誰のものでもなくてのう、当然ワシもこの塔の管理人ではない。

昔何度かこの中に入った子がおったが、その子らは数日もすればこの檻からは出ていった。随分久しぶりにその事を思い出してのぅ。なんとはなしに来てみたら、

そなたがおったのじゃ。」

静かな落ち着いた声でそう言った。


脱出した者がいた事に驚いたが、それよりも今は鍵かそれに変わる何かをお願いしなくてはならない。

80歳を過ぎた方に頼むのは忍びなかったが、今を逃せばチャンスなんて来ないかもしれなかった。


「初めてお会いする方に大変ご迷惑をかけてしまいますが、鍵の在処をご存知でしたら持って来ていただくことは可能でしょうか…?もしなければ、木の枝でも、針金でもなんでも良いのですが…」


「ふむ。鍵か…。実は言いにくいのじゃが鍵はないのじゃ。この檻は不思議な檻でのぅ。どうやったって外からは扉は開かんようになっておる。己で出てくるしかないのじゃ」


一瞬時が止まった。

鍵がない?しかも外から開かない??

内からも開かないことは私が知っている。ならば他に出口でもあるのだろうか?

それとも己の力で出れない私は、永遠にここにいるしか選択肢はないのだろうか?

そんな絶望的な未来が脳裏に容易に想像できて希望がガラガラと崩れそうになった。


「そこから出たいと相当願ったのじゃろう。じゃが、そなたは”出れる”とは思えなんだったのじゃな…。

誠に言い出しにくのじゃが、この鍵は空いておる。そなたがここに入った日から、ずーっと空いておる」

少し悲しそうな申し訳なさそうな表情でそう言った。


信じられない言葉だった。

「そんな訳・・だってここに。。」

檻には確かに黒く頑丈な鍵があったし、手にも足にも間違いなく鎖が繋いである。


「うずくまっておれば見えなくなるものがある。小さく縮こまる程に、世界は狭く

不便になっていく。重石をかけられたように体も心も重くなり、無気力になっていくものじゃ。その心の縛りが、鍵や手足を縛るものとして具現化してしもうたのじゃ。

この檻に悪気はない。ただ、心に疑いなく思ったことを忠実に再現してしまっただけなのじゃ。そういう檻なのじゃ。」


疑いなく思った事・・?

確かにここから出ることは夢や奇跡に近いと思っていた。

鍵がかかっている事だって疑った事はなかった。

目に見えている黒くて重々しい鍵も枷も、どんな抵抗も無駄だといわんばかりの見た目だ。

鍵を開ける想像は全くしなかった訳ではないが、思い返せば同時に”無理かもしれない、きっと無理だろう”がセットになっていた想像だった。

この場所で、そんな楽観的な気持ちになんてなれるはずもなかった。

ここに来て抜け出した人物について知る必要が出てきた。

鍵がない以上、その人物がヒントになることは明確だった。

「ここから抜け出した人がいたって…そうおっしゃいましたが、その方はどんな方だったのですか?」


「抜け出したのは子供じゃ。ここは子供がよく入り込む。成長の過程で壁に

ぶつかっては閉じこもる。じゃが子供は楽しいことに目を向ける天才じゃ。

そして好奇心という宝物をたくさん見つけてきおる。困ったらば助けてくれる人が

おることも、頼って良いこともちゃんと知っておる。まぁ稀に環境によってはそうでない子もおるが、少なくともこの世界の子達は知っておる子ばかりじゃ。

大人はそうもいかんのぅ。」


子供と聞いて、なんだか腑に落ちた。

大人は視野を狭める天才だから。

不安材料をかき集めては出来ない理由を上手に見つけてしまうから。

私もまた、視野をどんどん狭めていたのだろう。

もしかしたらこの檻は入った当初はもっと広かったのかもしれない。

窓だってもっと大きくて、近くにあったのかもしれない。


「そなたも随分苦しんだじゃろうが、そなたと繋がっておる人物は今も苦しみ、随分と縮こまっておるのぅ」

ポツリと困ったようにそう言った。


独り言のように言った言葉の意味は相変わらずわからなかった。

いろんな想いが表情に出ていたのだろう。

私の顔を見て、おじいさんはまた優しく微笑んだ。


「強いていうならば、ここから出る未来を当たり前のように心に想うだけじゃ。1mmも疑うことなく。それが鍵じゃ。

じゃが、今のそなたには難しいやもしれぬ。何せ出来ぬという日々を蓄積し過ぎてしもうた。積み重ねるにつれて檻の鍵は頑丈に、手足についたソレも太く見えていったはずじゃ。まるで始めからそうであったように・・

まずはそなたが探しておった鍵は存在せぬことを知る事じゃ。ないものを探し続けてもそこからは出ることは叶わぬ。

そなたがすることは、見つかることのない鍵を求めることではないのじゃ。

鍵なぞかかっておらん事に気づき、手枷も足枷も始めからなかったことに気づく事じゃ」

優しいが力のこもった声だった。


「頭は心配性でのぅ。頭で考えても良い答えが出る事は滅多にない。心が幸せな方を選ぶ方が良い。そして己を信じる事じゃ。できぬ事なぞこの世に何一つない!

それくらいに自信満々でも誰にも迷惑はかけんのじゃ。

わしにはそなたが作ってしもうた鍵が溶けていく様が見えておる。」

イタズラっぽく微笑んでそう言ってくれた。


不思議なおじいさんだ。

話を聞くだけで不要な肩の力が抜けていくのだ。

グレーだった心にほんの少しだが光が差し込む感覚になっていく。


”真実”という言葉は白いイメージがある。

真っ白だ。

だが、白い由に何色にでも変える事ができる。

私の心は”出来ない”真実を作り上げていた。

もはや何色を塗っても黒く濁る一方で、明るく希望に満ちた色は暗い色の中に沈み、

見えなくなっていた。

一度この濁ったものを破り捨てることから始めなければならない。

新しい真実を作らなければいけない。

そう思った。

だが、いくら明るく希望に満ちた色を塗っても、私が生み出す不安や苦しみがこの

真実の紙に落ちる度に、きっとまた濁ってしまうのではないだろうか。

そうなれば堂々巡りだ。。

不安や悲しみ・苦しみのない人生なんてないことを、ワタシはもう知っている。

見ないふりをしても、心の奥底から湧き出る黒く濁った感情が、バケツをひっくり返すように明るい色をすっかり消し去ってしまうのだ。


希望と不安が交互に襲ってくる。

言葉にならない想いがこれまでにないくらいに駆け巡っていく。

これまでにないくらいに、心も頭も忙しく動いていた。


「光はのぅ、色を重ねても暗くはならん。濁ることもない。むしろ無色透明になるのじゃ。お日様はいろんな色を持っておる。どの色も無色透明にするには必要な色なのじゃ。

ソナタの心は掴めぬものじゃろう?ならば物ではないのぅ。

さながら光のようじゃ。

掴めぬけれど、確実にそこにある恵じゃ。心は光と似ておる。様々な気持ちを重ねることに不安を感じずとも良い。なぜなら重ねる度に透明に見えやすくなっていくだけだからじゃ。素敵じゃろう?」

そう言ってウィンクしてくれた。相変わらずイタズラっ子のような表情をしていた。


私の心は見透かされているようだった。

でも、嫌な気持ちには全くならなかった。

むしろありがたかった。

複雑なこの気持ちを自らの言葉で説明できるほど、冷静な状態ではなかったから。

おじいさんの言葉も表情も、私が抱いた不安なんて意味がないと言ってくれてるように感じて、心は少しずつ軽くなっていく。


どんな感情を持っても大丈夫だと言われた事も、重ねる度に濁らず透明になることも

私の重石を取るには十分な言葉だった。


頭で随分反発していた声も次第に小さくなり、心の小さな声が聞こえた。

”おじいさんを信じたい。嘘は言っていない”と。

そして少し力強い声でさらにこういったように感じた。

「私はできるよ」


長く抱えていた”黒くて重たい”何か”は、壊れた蛇口のように流れていた涙と共に溶けていく感覚があった。

気付くと手足の枷はなくなっていた。


「おぉ…!あとは扉だけじゃ。もう開いておるのじゃから、その手で押すだけじゃ」

にっこりと笑って、手を広げてそう言った。


外に出れると思えた。

その瞬間、私の手は当たり前のように扉を押していた。

ギィィと鈍い音がした。





















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