#8

 アルマ財団の理事会を終えた、週末の日曜昼前、白井はアトリエ神宮前に向かう路地を歩いていた。


 第三美術館との一騎打ちとなったプレゼンで、理事たちの心証を覆し、ベタンクール展開催を勝ち取ったことが、未だに夢の中の出来事のように思えた。金曜夜にアルマの竹川と苑美の面々で、少々激しめの祝勝会を催したダメージが二日後まで尾を引いている気もした。普段のかっちりしたキャラクターから、乾杯のビールが入るや否や酒豪に豹変した竹川は、白井や恵里佳が早々にリタイアする中、苑美館長の矢矧嘉一郎と競うように盃を重ね続け、最終的に矢矧が彫像のように動かなくなると勝利の雄叫びを上げていた。


 二日酔いの名残りで痛む頭を振りながら、見慣れたカフェバーの店先に到着すると、若草色のカーディガンを風に靡かせながら美祢が手を振っていた。

 

「おめでとう、了くん。企画展、うまくいったんだね」

 

 改めて美祢に褒められると急に気恥ずかしくなり、白井は赤くなった顔を隠すように店に入った。席に付いて顔を上げると、白井の心を見透かしたような微笑を浮かべた美祢と目が合った。動揺を隠すように、二人分の飲み物を注文する。

 

「プレゼンの日の朝、私に電話してくれたの、とっても嬉しかったよ」


 目を逸らさずに美祢が言い、白井はどぎまぎする。この日のために固めてきた決意が揺らぎそうになるのを必死に押しとどめ、美祢を見つめ返す。

 

「このあいだの夜、ここで言ってくれたことなんだけど、、」


 自分の鼓動が美祢にも聞こえそうなほど早まるのを感じながら、言葉を絞り出す。

 

「俺は、、高校時代から上山さんの才能に触れて、自分はとても追いつけない高みにいると思ってた。あの時も、上山さんに対してどうしても素直になれなくて、勝手に抱えてたコンプレックスのせいで気持ちに応えられなかったんだ」


 美祢は黙ってこちらを見ている。口の中が乾きながらも、白井は必死に続けた。

 

「それでも、俺にとって、高校時代からずっと上山さんが、、美祢の存在が、自分のちっぽけなプライドを守ることなんかより、ずっと大切だと気付いたから、ここで伝えさせてほしい」


 そう言うと、白井は美祢をまっすぐに見つめ、息を吸い込んだ。

 

「美祢、俺と、付き合ってください」


 目の前で美祢がふわっと笑い、やがてこくっと頷いた。

 

「うん、ありがとう、、了くん」という彼女の声は、どこか遠くから響いてくるように聞こえた。

 

                 ◆      

 

 美祢と手をつないでアトリエ神宮前から駅に向けて歩いていると、ふと、彼女が立ち止まった。

 

「そうだ、久しぶりに写真撮ってあげる」


 そう言うとスマホを取り出し、初夏の暖かい日差しの下、細い路地を背景に白井の全身を収めるように後ろに下がった。


「やっぱり了くんは写真映えするね!そのまま、動かないでね」


 そう言いながらスマホの位置を微修正する彼女の姿は、10年前、美術写真部の部室にいた時と何も変わっていないように思えた。その時、レンズ越しに美祢を見つめることに、なんら気の迷いが無くなっていることに、白井ははっと気が付いた。

 

「はい、チーズ」


 美祢の声とシャッター音が同時に響き、高い空に吸い込まれていった。

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幻灯のあなたへ ユーリカ @eureka512

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