第41話 主人公は俺だ
時刻は夕方。
昨日のうちに救出した子供達を保安官に引き渡し、翌日には子供達の親からお礼にと屋敷に呼ばれ感謝をされた。
俺の胸ぐらを掴んだギースも頭を深く下げ謝罪し、感謝の言葉を述べてきた。
子供が誘拐されて長い時間が経っていたのだ。精神が安定な状態ではなかったのだろう。それに、一回目の誘拐犯襲撃は完全に俺のミスだった。
一方的に謝罪を受け入れるというよりは、こちらも謝罪をすることで互いに打ち解けたといった感じだった。
捕まったサーニャには重い罰が課せられるようだった。
悟が解体するはずだった賊を少しずつ大きくし、一つの組織としたのがサーニャだったらしい。
悟がこの街に来て誘拐犯を捕まえていたら、この事件も誘拐犯の団体も大きくなることはなかったのだろう。
そして、サーニャも犯罪に手を染める機会がなかったかもしれない。
そう思うと、いまいち心が晴れなかった。それでも、助けた子供達の親からの感謝の言葉がいくらか俺を救ってくれた。
行く家行く家で感謝をされたのだから、少しぐらい俺の行動に誇りを持ってもいいだろう。
そうして、ようやく解放された夕方。
宿屋に戻る道中、アリシアよりも先に宿に変えることにした俺達に会話はなかった。
今まで通りと言えば今まで通り。
あの事件以降、特に用事がないとき以外は会話をすることがなくなった。
いつもギスギスしていて、不機嫌な妹を前に会話を避けていたのだ。
妹に嫌われている、そう勘違いしていたから。
隣を歩く妹に視線を向けると、こちらの視線に気づいてか顔を背けられてしまった。
少し前の俺だったら、このまま妹が不機嫌になったと勘違いして、勝手に落ち込んで気まずく思っていたりしたのだろう。
『血豆ができるほど素振りしても誰からも評価してもらえなかったり、小説の新人賞に落選し続けてもずっと応募したり、報われなくても努力を続けてる』
俺しか知らないようなことも知っているほど、妹は俺を見ていてくれたのだ。
ずっと俺のことを見てくれていたのに、俺は妹のことを全然見れていなかった。
改めて妹の様子を注視して見てみると、耳の先が微かに赤く染まっていた。
不機嫌なんかではない。昨夜のことを想い出して、少し恥じらっているだけなのだろう。
「昨日からなんか顔色が違う」
ろくにこちらに顔を向けず、妹は不満げにそんなことを口にした。
昨夜のサーニャと妹の会話。それを耳にしてから、気持ちのつっかえのような物がなくなった。
どれだけ頑張っても、報われないモブキャラ。そう思っていたのに、こんなに身近で俺を見てくれて、応援してくれている人がいることを知った。
主人公ではない俺が何をしても何も変わらない。その事実は特に変わっていないのに、俺の心の中の何かが確実に変わった。
世界から見たら俺はただのモブキャラ。そこは何も変わっていないのに、俺が見ている世界は変わったような気がするのだ。
風に揺らされる生地のざわつき。鼻腔をくすぶる野花の香り。夕焼けに染まる街の色。
主人公だと思い込んでいたここ数日よりも、目に映る、五感で感じる全てが洗練されたものに思える。
世界の全てを知っている力なんかでも、チート能力なんかでもなく、ただの身近な人の言葉。
その言葉が、俺の世界を変えたのだ。
「鈴」
気がついた時には、妹の名前を呼んでいた。すっかり呼ばなくなってしまった、昔から使っていた愛称で。
その言葉に反応したのは昔からの習慣か、それともその言葉を待ち望んでいたのか。
背けたはずの妹の顔が、ゆっくりとこちらに向けられた。
赤く染まった頬の色は、街を照らす夕焼けの色とは微かに違って見える。
「俺はこの世界の主人公じゃない」
「知ってる。この世界の主人公は悟って人でしょ」
「ああ。それでも、俺はこの世界で、いや、俺視点の世界では主人公をやることにする」
「なにそれ?」
くすりと笑う妹の表情はどこか優しくて、久しぶりに見た妹の表情だった。
仲が良かったころ、俺の冗談に笑ってくれていた妹のようだった。
笑みの後も逸らさない視線は、俺の次の言葉をゆっくりと待ってくれていた。
「俺から見る世界は一人称でしかない。一人称視点の物語なのに、他の奴が主人公なんておかしいだろ。それなら、俺の見ている世界では俺が主人公だ。イケメンでもなければ、エースでもなければ四番でもない。それでも、俺が主人公だ」
なんで妹相手にこんなことを言っているのか。
自分でも分からないが、滑り出した口は止まることがなかった。今感じたこと、その全てを吐き出せと胸の奥が言っている。
考え方を、俺の知っている世界を変えてくれた人に伝えたい一心で。
「あっそ」
いつもの妹のようなそっけない態度。特に関心がないときとか、話を流すときに使用していた返答。
それなのに、その表情は俺が知らない顔をしていた。
「……いいんじゃない」
仲が良い頃でも、仲が悪くなった後でもない。
細まった目元は優しく、硝子細工のような睫毛が揺れている。感情をそのまま表現したような緩んだ口元は、果実の表面のように艶やかだった。頬は胸の奥の熱によって染められたような朱色をしている。
数か月ぶりに見た妹の笑顔は、俺の知らない女の子の顔だった。
微かに鼓動が跳ねたのを感じる。鼓動がいつもよりも速く、大きく聞こえる。
いやいや、何を考えてんだ。目の前にいるのは妹だぞ?
「……名前」
「え?」
「名前。今まで通り、鈴って呼んで」
「いや、いいけど俺のこと嫌ってーー」
妹が俺のことを嫌っていなかったのは知っている。それでも、しばらくの間思い込んでいた言葉が勝手に口走ってしまった。
「別に。ただアリシアさんだけ名前呼びで、私だけ違うと仲間外れみたいだし」
「いや、別にそう言うつもりじゃなかったんだが」
アリシアのことは作中でもずっとアリシアと書いていた。だから、何も考えずにそう呼んでいただけだ。それでも、ずっと妹の名前を呼んでいなかった。
アリシアが俺のことを名前で呼ぶこともあって、俺達に対して距離感があるように思ってしまったのかもしれない。
そんなことを考えていると、目の前で何やらもじもじする妹の姿が目に入った。
先程以上に頬の熱量を上げ、頭が沸騰でもしそうな勢いだ。
「だから、これからは前みたいに鈴って呼んで、おに、お兄ちゃん!」
そこまで言うと、妹はぽんと音を立てて煙を出した。
今にも泣きだしそうな目元は、緊張と恥ずかしさからくるものだろう。
その姿を見ていると、不思議と速まった鼓動が落ち着きを取り戻した。
ここまで感情を剥きだす妹の姿が懐かしく、久しく呼ばれていなかった呼び名が、昔の俺達の関係を思い出させてくれたようだった。
「おう。俺も変に屈折しないで色々頑張ってみるよ。妹が、鈴が見ていてくれてるらしいからな」
「? 急に何言ってーー」
だから少しだけ、昔みたいにからかってみようと思った。
鈴は頭にはてなマークを頭に浮かべた後、脈絡のない俺の返答を逡巡した。
「! ちょっと、あのときの会話聞いてたの?!」
「遅くなってすまないな。何やら盛り上がってるみたいじゃないか。よっし、今日はお酒でも飲んでしまおうか」
鈴が俺の返答の真意に気づいた時、ちょうど良いタイミングでアリシアが俺達に追いついてきた。
アリシアのカットインのタイミングに笑いながら、俺はそれに合わせるように話を合わせた。
「お酒か。そういえば そんな約束してたな。いいのか? サシじゃないけど」
「サシ飲みは別件だ。それにしても、妹の目の前で他の女を誘うとはやり手だな、智」
「え、誘うって、いや、違うぞ!」
アリシアのせいで行き場を失った鈴の感情が、視線に織り交ぜられて俺にぶつけられた。
その睨むような視線、はいつもとは違って見えた。
鈴に対する俺の勘違いがなくなったから。その結果、鈴の視線がいつもと違って見えるのかもしれない。
ただその感情がどのようなものなのか。そこまで察することができるかというと、それは別の話だ。
気づかなかっただけで、俺は色んな事を勘違していたのだろう。
俺はこの世界で主人公になろうとしていた。俺の知っている場所、俺が造った世界なら主人公になることは簡単だと思ったから。
でも、そんなことをする必要はなかったんだ。
初めから俺は主人公だった。少なくとも、俺の人生の中では。
人気アニメと比べると少しだけキャラが薄いけど、冒険にも出ないこの小説の世界の主人公よりは幾分マシなはずだ。
キャラクターが弱くて、周りが見えてなくて、個性だって特にはない。
ラノベだったら紛れもないクソラノベ。
そのクソラノベの主人公、それも悪くないと思える自分がいた。
クソラノベには責任を。
少しだけ責任を持って、残りの人生という物語を頑張ろうと思った。
自作小説の世界に転移したら、主人公はひもになっていました。~クソラノベには責任を~ 荒井竜馬 @saamon_
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