ついのすみか <完>
ディーリアとエリオットがマンデヴィルに戻ったのはさらに5年後だった。
エリオットの父は森のなかに建てた別荘が気に入り、そこを終の棲家ときめた。
古い付き合いのわずかな使用人がついていったが、元伯爵とはおもえない質素な生活だった。
ディアと小鳥のエリーは用心棒兼話し相手として雇われたのだ。
アリアは騎士学校を優秀な成績で卒業し、多くの友人を得たが自分の裁量で動けるほうが性にあっているとも気づいて、王立騎士団には入らなかった。
女性騎士は王族の警護が求められるが、アリアはもっと自由に飛び回りたかった。
マンデヴィルとコルドラを行き来するブライアンの秘書兼護衛を引き受けたり、ハンターの修業をしたりした。
そして護衛の仕事で出会った若い商人と意気投合し、一緒になった。
元伯爵の屋敷に住み着いたディアと小鳥は、ほどなく正体を明かした。
人でないものになったとしても、息子と言葉を交わせて老父は喜んだ。
見よう見まねでつくった畑の世話、狩り、薬草や木の実の採取、用心棒とはいえ平和な森のなかでディーリアは楽しく働いた。
腕には自信があるが、こういう穏やかな生活も悪くない。
そんな年齢にはなっていた。
エリオットは人の姿で手伝ったり、小鳥の姿で歌っていたりした。
もちろん翼は茶色に変えてある。
エリオットはすっかり人への変身を会得していたが、変化後の姿は若いままだった。
ディーリアはもう狼になることはなかった。
雨の日や夜は屋敷ではゆったりした時間が流れた。
屋敷の壁にはアリアがテポラから持ってきてくれた地図が貼ってある。
子どもの頃のアリアが描いた挿絵付きの地図だ。
老人は若いころ王国とマンデヴィル領の防衛のために戦ったが、物見遊山で外国に行くような経験はなかった。
まして魔の森のむこうの国など考えたこともない。
ディーリアたちは求められるまま、これまで旅した様々な場所の話しをした。
元伯爵はそれを息子や孫に手紙で自慢した。
ブライアンとアリアから、自分も聞きたい、ずるいと責められて、エリオットとディーリアは溜息をついた。
同じ話を三度もするのは大変だ。
あれは聞いたこれがまだだともめるのが目に浮かぶ。
ふたりは旅の話を書いてまとめることにした。
ものすごく忙しいらしいブライアンでも、少しずつ読むことができるだろう。
夕食後の暖炉の前で、ディーリアが面白おかしく遠い国での出来事や言い伝えを語る。
元伯爵と気心のしれた使用人たちが目を輝かせて聞き入る。
その日は、冒険心旺盛なモートリアの王族が海沿いの蛮族の女王に気に入られて帰れなくなり、女王とその妹たち六人を妻にして暮らしているという話だった。
「殿下は、『かつてモートリアの王座に野心を抱いたこともあったが、ここでの暮らしのほうがよほどいい』とおっしゃっていましたよ」
ディーリアの言葉に元伯爵は声を上げて笑った。
「モートリアの王よりハレムの王になりたいものは多かろうな」
ディーリアの話すのをエリオットが書き留め、ふたりで思い出したことをつけたしながら清書する。
ディーリアは我流だが絵が上手く、ところどころに地図と挿絵を描き入れた。
*
ある程度溜まったそれをブライアンに送ると、返事と共に木版職人が送りこまれてきた。
<あれを世にださないのは、人々の幸福にとって計り知れない損失です>
ブライアンの意気込みのすごい文面に、エリオットは苦笑した。
弟はむかしから思い込むと一途なのだ。
社会情勢は変わるし、関係者に迷惑を掛けるわけにもいかない。
登場人物はぼかして、おとぎ話風の紀行文にすることにした。
森から出たことのなかった小鳥が一匹狼のハンターと出会い、共にいろんな国を旅して見聞をひろめる話だ。
表紙はディーリアが描いた。
帽子をかぶった二足歩行の狼の頭に、小さな鳥がとまっている。
<旅する小鳥>
それが本の題名だった。
マンデヴィル伯爵の後援で出版されたそれは、大評判となった。
作者を紹介してほしいという依頼も殺到したが、伯爵は頑なに断ったので、じつはマンデヴィル伯爵自身が書いたのではないかと噂された。
貴族平民の区別なく<旅>が大流行し、それを当て込んだ観光案内本も売れた。
観光客を騙すような悪人もいたが、大部分は交流を歓迎した。
自分たちとは違う生活をする人たちが、どこかでふつうに生きている。
それは自然と世界の広さを感じさせた。
実際に旅立つかどうかはさておき、それを知るだけで心は翼を得た。
身分も年齢も性別も関係なく愛されたは本は百年たっても読み継がれるだろう。
*
ある日ディーリアは、近くの村で買い物を済ませ、手紙も受け取って森の屋敷へと戻った。
部屋でディーリアはまたひとつ首飾りに石を増やした。
村の雑貨屋で買った瑪瑙だ。
一年で一つ、十年で大きい一つにまとめる。
今は大きいのが三つと小さいのが二つだ。
かつてエリオットは、フェニックスは百年で燃え尽きて生まれなおすといった。
つぎに生まれるフェニックスには自分の記憶はないだろうとも。
ディーリアはそれを忘れてはいなかった。
状況が変わってここに住めなくなるか、大きい石が九つを越えたら、エリオットと一緒に神の森へ行こうと決めていた。
そのときは、きっともう一度狼の姿になれる。
そんな確信があった。
「ギデオン、アリアと家族が来るって。ええ!もう今日じゃないか!」
手紙をみたエリオットが大声をあげている。
元気でなによりだ。
治癒の奇跡は老衰には効果がない。
エリオットはすでに父親を見送っていた。
やはり老齢だった使用人たちも世を去った。
今はもうふたりきりだ。
ブライアン夫婦やアリア家族が多忙のあいだを縫って訪れる。
今日はアリアたちが来るようだ。
「ディーリア!クッキー焼くから、手伝ってくれ!」
「はいはい、まかせて」
ディーリアは首飾りを大事そうに服の中にしまって返事をした。
やがて馬車が着いた。
アリアが妊娠したことを告げられ、感動したエリオットが泣き出すのはもうすぐだった。
小鳥になったが父でありたい @kaoruru
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