小日向ゆりねの過去


 それはまだ僕がバイトをしていた時分の話である。


 高円寺さんと小鳥遊さんの2人が僕達のバイト先を訪れてこれから遊びに行くのだと言った。その日は冬休みの平日で、午後3時のコンビニは閑散としていた。


「ごめんね、今日もバイトでさ」


「あ~うん、いいよ。ゆりねってよく分かんないし」


「そうかなぁ……」


「そうそう。いっつもあたしらに付いてきてたけどさ。あれなんなん? 仲良くして欲しいならそう言いなよ」


「……………」


 以前ゆりねが言っていた事だけど、高円寺さんと小鳥遊さんが仲良しで、自分はついて回っているだけなのだという。


 レジのカウンターにたむろする2人が邪魔だなぁ、と思いながら、僕はバックヤードから成り行きを見守っていた。


「最近なんか忙しそうだしあんたがいなくなってちょうどよかったわ。じゃあね~」


「うん……じゃあね」


「………………」


「………なに。ゆりが可哀相に見える?」


 バックヤードから顔を出すと、ゆりねが怒ったようにつっかかってきた。


「いや、あの2人が邪魔だったなぁと思って」


 僕が出入口を見つめていると、ゆりねが僕の脇を通ってバックヤードにこもった。これから休憩らしい。


「いつになく心配の仕方が下手だね。い~もん、ゆりはまた新しい友達を探すから」


「ゆりねの生き方を否定するつもりはないけど、僕は新しい友達ではないのか?」


「……………」


 ゆりねはバックヤードのドアを閉じた。それが返事のようだった。


「やれやれ……アイツを放っておけないのは、凜のせいだな」


 この時期はバレー部は忙しいのだろうか? 来てくれるかは分からないけれど、ひとまず、一番の友達候補を呼ぶことにした。


     ☆☆☆


 バイトが明けるころには夜も更けており、空には星が光っているのが見える。風のない寒空の中で星々は、氷に閉じ込められているように静かだった。僕はコンビニの明かりをバックライトにしてスマホをいじっていた。ゆりねは駐車場の車輪止めに腰かけて地面を見つめている。


「やえちんはかえでって女の子の事を知ってる?」


 ボットミルクティーをふぅふぅと吹きながらゆりねがぽつりとこぼした。


 昼間の事を引きずっているのだろう。脈絡もなく話しだした。


「知らない。ゆりねの知り合いか?」


「やえちんの同級生だよ? 中学校の時のだけど」


「…………?」


 本当に知らない。僕の記憶を試さないで欲しいと思う。


 ゆりねは「やっぱり」と言いたげに肩をすくめた。


「……ま、記憶にないよねぇ。2年の1学期で引っ越しちゃったし、クラスの人数多かったし」


「そのかえでって子がどうかしたのか? ゆりねの友達か?」


「うん。友達……だった子」


「だった?」


「うん。聞いてくれる?」


「ま、少しなら」


 僕はスマホをポケットにしまって隣に腰かけた。


 それはこんな話だった。


     ☆☆☆


「ゆりはこう見えても友達を大切にする方だったんだ。いろんな人の事をちゃんと知って覚えて、誕生日とか好きな物とかのメモまで取ってた。かえではその中でも特別に仲が良い友達だったんだよ。引っ込み思案だったけど友達思いで、ゆりとかえではいつも一緒だった。学校でもそうだったし、休みの日もお互いの家に遊びに行ったりしたんだよ?


 ……いつだったかなぁ。かえでが突然告白してきたんだ。恋人になってくださいってね。ゆりと友達でいるのが辛いんだって。友達以上の関係になりたいって言ってた。驚いたよ。ぜんぜんそんなふうには見えなかったし、ゆりは良い友達だと思ってたから。でもかえでは辛いって言ってゆりに抱き着いて、キスしてきた。本気だったみたい。


 でも、ゆりはかえでの事を友達だと思ってたし、親友って言ってもいいくらいに好きだった。その感情は、恋じゃなかった。恋っていうにはあまりにも澄んでて、体を求められてるって思ったらかえでが汚く見えたんだ。キスをされたときにね、ゆりは心臓を刺されたみたいにショックだったよ。


 裏切られたって思った。


 汚されたって、思っちゃったんだ。


 ゆりはかえでを突き飛ばして逃げた。そこに居られないと思ったから。


 今になって、ひどい事をしたなって思うよ。あのときは自分の事で精一杯だったけど、かえでも精一杯だったんだよね。裏切ったのはゆりの方なのかも」


「…………」


 ゆりねは一息に語り終えるとミルクティーに口をつけた。


 僕は黙って聞いていた。


「かえでとはそれで疎遠になった。話す事もなくなったし、一緒に過ごすのを避けるようになった。ゆりは心苦しかったけど、それで良いって思ってた。かえでの気持ちは胸に抱えて、墓まで持っていくんだって覚悟してたんだ。ところが……」


「ところが?」


 ゆりねが話しづらそうに口をつぐんだので、助け船をだすつもりで「ところが」と繰り返す。


 それはゆりねにとってよほど大きな意味を持つ出来事だったようで、しばらく手に持ったコップを見つめたあと、小さく短い息を吐いて「ゆりのこと、どう思ってる?」と僕の顔を見た。


「それが何か関係あるのか?」


「……同じことをしちゃったから。やえちんたちにやったのと同じ事をやっちゃったのに、やえちんは許してくれたから、なんでだろうってずっと不思議だったんだよね」


「…………許すも許さないも無いと思うけどな」


 同じことというのは来栖に僕と氷月さんの関係を示唆した事だろうか。それを聞くなら僕よりも来栖たちに聞くべきだと思うけど、まあ、いいか。


「僕らの関係は続いているのだから気にしてないよ。雨降って地固まるというだろう。それに、悪い方向に転がっていたとしてもゆりねを恨んだりはしないと思うよ」


 それは紛れもない本心だった。それに、ゆりねにだって良い所はある。嫌いになるのは違うと思っている。


「……そっか。優しいね。好きになっちゃいそう」


 ゆりねが僕の肩に頭を乗せた。僕は「こら」とデコピンをした。


「ぶぅ……傷心の女の子にデコピンするなんてひどいぞ」


「ふざけてないで続きを話してくれよ。こっちは凍えながら待ってんだから」


「はいはい……えっとぉ、かいつまんで言うとね、知られちゃったんだ。ゆりがかえでをフッた事が」


「……ほう」


「いや、知られたっていうのは無責任すぎるな。誰かがかえでに聞いたんだ。好きな人はいるのかって。それでかえでがゆりを見て、ゆりは目をそらした。そしたら質問攻めにあって、つい、言っちゃったんだよね。告白されたって……」


「…………」


「かえでが転校したのはゆりのせいだ。ゆりがもっと上手く誤魔化せていれば何もなかったのに……2回も裏切っちゃったんだよね、ゆりは」


 来栖がやけにゆりねの事を嫌っていたのは、こういうことだったのか。


 僕は「そうか」と言って空を見上げた。


「それでさ、どうなったと思う?」


「なにが?」


「かえでの事を言ったらさ、ゆり、友達が増えたんだ。色々聞かれてさ、答えているうちに友達がいっぱいできた。びっくりだよね。ひどいよね。親友を売ってたくさんの友達を買ったんだよ。最低だ、ゆりは。価値観がぐちゃぐちゃになって、友達の秘密を話すのに抵抗が無くなっちゃったんだよ。親友を、売っちゃったからさ……」


「………」


 見るとゆりねは泣いていた。


「でも、心のどこかでは間違ってるって気づいてたんだろう?」


「………うん」


 頭を撫でてやると抱き着いてきたので、僕は胸を貸した。氷月さん、ごめん。


 僕は言葉を続けた。


「苦しんでたんだろ。お前自身も。友達を欲しがってるのは焦ってたからじゃないのかな。親友がいない事が寂しかったというか、親友と呼べる存在を取り戻したかったというべきか、僕には分からないのだけど、親友の席を埋めたかったんだな」


「……間違ってるよね。『親友』っていう肩書きの人ができたら、かえでの過ちを取り返せる気がしてたんだ。浅はか、バカ、ばか………」


 ゆりねの話はとても複雑で、僕には善悪の区別はつけられないのだけど、間違ったことをしていたとは思えなかった。彼女の心情を考えると間違ってはいない。でも間違った事をしているという矛盾。それでゆりねを責めるのはかわいそうだと思う。


 僕が「反省してるか?」と訊ねるとゆりねは小さく頷いた。


 なら、許されてしかるべきだと思う。


「どう思う、来栖」


「え……」


 ゆりねがビックリしたように顔をあげた。コンビニの駐車場には来栖の姿があった。


「ゆりねは反省している。もう許してやっても良いんじゃないのか?」


「や、やえちん!? はめたな!?」


「うん」


「ひどい、やえちんのこと信用して話したのに!」


 ゆりねが腕の中で暴れた。が、逃がすわけにはいかない。僕はしっかりと彼女を押さえた。


「ひどいのはどっち?」


「…………」


 来栖がしゃがんでゆりねを真正面から見る。


 怒っているようにも、さとしているようにも見える複雑な表情だった。


「あんたがかえでにしたことは取り消せない。いまさら許してもらおうなんて虫が良すぎる。間違いを重ねたことも、簡単には許せない」


「……………」


「私は、今のゆりねを許せない。だってあなたは人の秘密を売る悪女だから」


 来栖はいつになく厳しい表情でズバズバ言う。ゆりねはそれに怯えるように顔をそらした。僕の服に隠れるように布を掴んで、弱々しい声で「違う、違う……」と繰り返す。


「あなたがどれだけの人をはずかしめたのか。その苦しさはあなたには分からないと思うけど、とても膨大だよ。それに足る苦痛をあなたは得たの?」


「……………」ゆりねは小さく首を振った。横に。


「でも、ゆりにはもうどうにもできないんだよ……ゆりだって分かってるよ。本当の友達なんて一人もいないって、ゆりはみんなに嫌われてるんだって……それじゃ足りないって言うの!?」


「足りない。……だから、私の親友になってよ」


「…………へ?」


「親友になれって言ったの。聞こえなかった?」


 来栖が手を伸ばした。その手はゆりねの頭をポンと叩いて、次いで、わしゃわしゃと犬にするように頭を撫でる。ゆりねは「や、やめてよ!」と言うけれど、抵抗しようとはしなかった。


「これ以上あなたを責めても何も生まれないからね。ゆりねは許されないことをした。それは変わらない。でも、同じことを繰り返さないように変わることはできる。そうでしょ?」


「……許して、くれないの?」


「いまのあなたはね。でも、親友が欲しくてやってたって言うなら変わるでしょ。あたしが親友になるから、反省したってことを証明してみせてよ」


「…………泣きそう」


「泣いてるのに?」


「………………」


 と、来栖が僕をジッと見て「そこを代われ」と言うように手を払う仕草をするので、僕は大人しくゆりねを離した。


 来栖がゆりねを優しく抱きしめる。


「このみん………」


「辛かった?」


「うん…………辛かった」


「そっか……」


 2人はもう深い仲の友達のように抱き合った。僕は蚊帳の外に放り出されたような気分だった。


「凛は元気にしてるかなぁ……」


 寒い寒い冬のことである。


 彼女は遠い所で平気なのだろうかと、僕は心配になって空を見上げた。


 氷に閉じ込められているように綺麗な星空だった。

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『リメイク』まだ高校生の僕が出会い系アプリを使ってみたら学校一の美少女とマッチングして…… あやかね @ayakanekunn

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