第52話 人間と魔族(第一部最終話)
遠くで
そんな民衆を見下ろすのは向かい合わせで窓際に座る人間2人。
ウェーブのかかった長髪の男が、対面に座る白髪で初老の男に話す。
「イエルカは、進化の騎士は人類の希望だ。もしかしたら……いや、高い確率で今後、イエルカは老化を克服する。そうなれば彼女は『優秀かつ高潔で劣化もしない独裁者』となる。まさに理想、まさに頂点。神に近しい存在さ」
落ち着いた語り口には確証があり、信奉とは違う不気味な力強さがあった。
初老の男はコーヒーを片手に
「イエルカが人の道を外れないという保証は?」
「その時はその時だ。人類の半分でも犠牲にして打ち倒せばいい」
「…………」
初老の男の眼差しは呆れていた。自分の想像以上にイエルカは人間の範疇から外されているらしい。
「神を相手取ることと同じだよ。神は善人じゃないし、善人は神じゃない」
長髪の男はどこかの戦場に思いを馳せる。
「我々はただ、いつものように自分勝手に依存すればいいのさ。あのイエルカという生き物に」
*
戦いは終わった。
カウマンノールでの戦闘が始まった日の夜、ネヴィ率いる大軍が背後から魔王軍を奇襲した。ネヴィの軍団は本来、魔王領からジェロナスへと進行していたジグロムの軍を足止めするためにカウマンノールから北上していた。結果的にはジグロムが陽動として差し向けた部隊と交戦したことで足止めに失敗し、カウマンノールへと逆戻りしていたため、魔王軍の背後から現れることができたのである。
その後、
カウマンノールにおいては両軍は互いに大量の死傷者を出し、追撃や連戦も困難となった。
それとほぼ同時刻、ジェロナスではワルフラ率いる魔王軍が前触れなく姿を現し、瞬く間に人間軍を
こうして、ジェロナスとカウマンノールの戦火は数日の内に消えたのである。
そして10日後、人間の王都ノクァラに激震が走る。
ノクァラが築かれて千年。初めての出来事だった。
真昼の快晴の下、外に出る人間は一人としていない。全員が扉を施錠し、窓を閉め、小声で話している。
「そんな……嘘だろ……」
「もう終わりだ……」
窓から最低限の顔を出して大通りを見ると、魔王軍の旗が通りすぎる。聞こえるのは鼓笛隊の高らかな音楽。針の先端が眼球に近づくような冷たさを感じる。
魔族という化け物たちが整列して進んでいる異常事態に王都の民たちは一様に恐怖し、だいたい二種の反応を示した。
「荷物をまとめなさい。すぐに出るわよ」
逃げる民と、
「武器を集めろ。俺たちで戦うんだ!」
挑む民。あとは少しの諦める民。
この災いは人間の全てを揺るがすだろう。
遂に魔王軍はノクァラ入城を果たしたのだ。
ジェロナスで勝利を収めたジグロム軍とワルフラ軍はそのまま進軍。いくつかの街を侵略した後、王都ノクァラに辿り着いた。
彼らを止めるには戦力が乏しい。人間軍はこの上なく弱体化しており、カウマンノールのカミロ達は魔王軍に追いつけなかった。
その結果として魔族が目の前を、人間の栄華の象徴を歩いている。
先頭には鼓笛隊、そこから騎馬隊、ジグロム、歩兵と続き、数は決して多くはない。多くはないが、彼らの威圧感は気を失いそうになる。それに魔王軍は無用な争いや建築物の破壊を防ぐため、統率のとれた精鋭のみを入城させただけだ。
魔王軍はノクァラのド真ん中を闊歩し、占拠に近い形で元老院議場に腰を下ろした。議場周辺は魔王軍に囲まれ、数人の魔王軍将官たちが顔を出してきた。
「要求は何だ」
近づくだけで死にかねない魔族を前に、王都を任されていた陸軍大臣が対話を試みる。
見上げられているのは魔王軍四天王ジグロム。その
不気味で余裕。主導権は既に魔王軍が持っていた。
「円卓騎士全員の命」
ジグロムは軽く言い放つ。
「断るのはそっちの自由だ。王都が包囲されてる事を頭に入れた上で断るのならな」
円卓騎士を差し出せば王都から撤退しよう、ということだ。現時点で人間側に対抗手段はない。絶体絶命の首根っこを掴まれた状態だ。
陸軍大臣は周りにいた他の大臣や議員と目を合わせて少しコソコソと話した後、ジグロムに向かっておそるおそる口を開く。
「……期日は」
「戦いが起こるまで。相手が兵士でも市民でも同じだ」
「……」
「イエルカは
現在の円卓騎士は4名。カミロ、ケイス、クロミッタ、アネス。円卓騎士は一年に一人見つかると言われ、貴重ではあるが尽きることはない。
魔王軍が律儀に約束を守る可能性は低い。だが、たった4人の犠牲で王都を地図に残すことが出来るのならば。
「…………わかった」
*
薄曇りに
ジェロナスがあそこにあるはず。人の気配はない。声も聞こえない。煙が上がっている。それを草原の上で見つめるのはイエルカであった。
「負けたか……」
彼女に悲しみや悔しさはない。他人事とまではいかないが、盤上の駒が2つか3つ弾かれた程度の痛みだった。これからどうするか。それが問題だ。
その時、魔王ワルフラが隣に立っていた。
戦いを終えたばかりの敵の長が一人でいる。
「人間の大敗だ。だが、我らもバカにならん被害を食らった」
「そういうことにして撤退か」
「……いや、あと少しだけ成果が要る。まあ滅ぼすつもりはないから、傍観していればいい」
ワルフラは顔の向きを変える。
「ところでお前……今まで何してた? 偽物が成り済ましていたぞ」
だろうなという顔でイエルカは淡白に答える。
「ダクーニャの墓地にいた」
「その前は?」
「……」
不意。イエルカは口を半開きにして、何も出てこない自分自身の違和感に眉をひそめていた。
「…………会談はどうなった?」
ふと大事な用事である人魔会談のことを尋ねたつもりが、それに対するワルフラの苦渋の表情を見て、イエルカは事の重大さにジワジワと目を見開いていく。
「…………」
ここまで急いで来たせいで視界の外にあったが、世界の景色が自分の知っているものとは違う。
自然の流れから跳躍した草木、気温、星の位置。ほんの少しだけ季節がズレている。そしてイエルカは気づく。
「やば…………」
色々と失っていることに。
さて、今日は何日だろうか。
*
西の大地のとある組織の拠点は騒がしくなっていた。
今度こそ人類は絶滅するかもしれない、と思いきや魔王軍は大ピンチかもしれない。
様々な新聞や憶測の飛び交う中、一人だけが笑っていた。
古びた劇場ホールの階段を下りていく長身の男。
「負け、負け、負け、ひとつ飛ばして勝ちと負け」
その男は上機嫌に階段を飛ばし、
「ニコトスのいない魔王軍はいよいよ大詰め。真に崖っぷちなのはどちらか、楽しくなりそうだ」
魔族のゼナーユに新聞を投げた。ゼナーユは人の赤子を抱き、舞台の縁に座っている。
「どちらかって、結局どっち?」
ゼナーユは突っかかった。
「どっちもさ。余命わずかの猛獣が畜生を
男は舞台の上に飛び乗ると、手を広げる動作だけで舞台の幕を開いてみせた。照明が彼の笑顔に当たり、残酷な傷と顔が輝きを取り戻す。
「ここからは騎士と魔族が死ぬまでの猶予時間。思いもよらないスピードで世界が回る。ならば我ら反政府軍がパパッと
反政府軍の統領は世界の隙に入り込む。彼らが救世主となるか邪魔者となるかは結果論。ただ一つ確かな事は、戦争がさらに激化するということだ。
「やっとこさ時代が変わる! 俺たちの時代だ!!」
その男、ランヌの顔半分は禍々しく、魔族のように変形していた。
ワワワ・ワールド・モラトリアム 上野世介 @S2021KHT
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