第49話 二つの戦場
(戦場で指揮をとる将軍が最も重視すべきは軍の名誉と栄光であり、部下の命の優先順位はその下に過ぎない……)
彼が拾った本は土に汚れ、紙が破れていた。どうせ文字が読めない盗賊とかが捨てていったものだろう。
中身は昔の騎士王の言行録で、おおよそ子供には理解しがたい文字が羅列されていた。
そのまま本を眺めていると、気のせいだろうか、地面が揺れているように感じた。
「なあ聞いたかよ、王様の兵隊が来たんだってよ! お前も来いよ!」
彼は通りすがりの友人に声をかけられ、まだ幼い顔を上げる。
「アネス!」
その日はアネス・リヒューバーが救世主と再会した日だった。
行軍の足音と太鼓の音色が聞こえる。
「勝利の
兵士の濁った声が軍歌を紡ぐ。
「人の子たちが呼んでいる~、母なる大地で
地平線の向こうまで続く兵士の列のどこかに騎士王がいる。アネスたちの町には用がないらしく、兵士たちは道を踏みつけていくだけ。
友人たちと一緒に遠くから行軍を見ていると、馬に乗った一際目立つ美女がいた。
「…………」
目が合った。あれが騎士王。
「イエルカ…………」
アネスは目を輝かせ、無意識のうちに王の名前を口にしていた。
その日の風の心地よさを彼は未だに覚えている。颯爽とした希望があった。
そこからアネスはハッキリと王に憧れ、陛下と呼び、円卓に並び、イエルカと叫び、自らの手で憧れを封じた。
そして
【ジェロナス】
「イエルカ」
その名が自分に向けられ、イエルカはハッとした。アネス以外の名で呼ばれることに慣れてきたから反射で反応できた。
「ああ……何だ?」
ここは王都ノクァラの東にあるジェロナスの高地。イエルカとして数週間が経過したアネスは変わらず人類の指揮をとっている。
名前を呼んだのはグリフトフだ。行方不明となったキヴェールの後釜にグリフトフが急遽復帰して据えられたのだ。
「向こうの村が燃えてやがる。多分だが、魔王軍が煙幕の代わりにしてるな」
よーく目を凝らしてみると、かなり遠くのほうで白煙が上がっている。
「何か企んでるな。地形を変えるつもりか、新しい軍用動物か……」
イエルカは横目で部下に視線を送る。
「魔術団を全員叩き起こせ。停戦終了が明日とはいえ、敵にそれを守る理由はもうない」
交渉の末に決まった停戦期間が終わろうとしている。それまでに互いに最大限の有利をとっておきたいのは当たり前のこと。
戦いは想像以上に進行しているのだ。
イエルカの率いる軍はカミロの待つカウマンノールに向かっていた。しかし現在、合流を阻止しようと北東の魔王領から来た魔王軍と睨み合っている。
ここジェロナスは西側の標高が高く、北東からの魔王軍を迎え撃つには最適な場所だが、敵軍の将は四天王ジグロム。そう簡単には勝てないだろう。
しかも別の魔王軍がカウマンノールに向かっている。ジグロムを倒してカウマンノールに到着するまでカミロが耐えられるかどうか。
カミロの軍団も十万名を有する大軍だが、最悪の場合、敵として現れるのは魔王軍の主力。二倍か三倍の戦力を持つ大軍団だ。
「まずいよなぁ……」
イエルカは不安でならなかった。そういう事を言うとグリフトフが周囲から見えないように叩いてくるが、いかんせん演技で不安を払拭することはできない。
「いいか、俺らは本気で勝ちにいかなきゃならねぇ。もちろん今までだって本気だったが、今回ばかりは崖っぷち。負けたら後がねぇ。五百年前は勝ち戦だったっつー話だが、魔族の粘り強さのせいで今や互角……いや、それより悪い」
人類が今まで戦い抜いてこれたのは、単純な数の多さと団結力にある。今となっては数の減った人類であるが、それでも保たれる戦意と統制力はもはや芸術だ。
魔族は良く言えば十人十色、悪く言えば性能がバラバラで統制がとりづらい。魔族は実力主義が基本であり、下克上や手柄の取り合いは日常茶飯事なのだ。
そんな評価をされる両陣営。人類優位だった歴史は移り変わり、魔族に追い詰められているのが現状だ。
「……抜けていいか?」
イエルカが良くないことを言った。
「あ?」
「いや、逃げたいとかではなくてだな……」
気の抜けた訂正をするイエルカを見て、何かを察したグリフトフが隣に立つ。
「疲れすぎだ、お前」
グリフトフが声量を抑えたのでイエルカも小さく話す。ここからはアネスとしての世間話だ。
「……体は疲れてないんですけどね。食事も睡眠もいらないですし」
「頭だけがペーペーのガキだと適応しきれねぇのか」
「ええ。何というか、常に腹が満たされたような感覚がして……頭が重くて……」
*
【カウマンノール】
遠くの森の中で手旗が機敏に振られている。
それを望遠鏡で見ていた兵士は一文字ずつ信号を読み取っていく。
「ほ……へ……い……は……」
ある程度読み取ったら後は不要だ。
「歩兵を発見!」
続く信号を読み取る。
「距離4000!」
4キロ向こうに魔族の大軍勢がいるようだ。それを聞きつけ、後ろの天幕からカミロが出てきた。
「防護壁構築準備! 寝てる奴を起こせ!」
カミロの声に反応し、魔術団の面々がメイスを構える。近接戦に備えて今回はメイスを装備させている。それほど余裕がないということだ。
ここはカウマンノール。ジェロナスより更に東にあり、魔界と地上を繋ぐトンネルがあるペルフェリアの一部である。
カミロの軍が構えている場所はとある城塞都市であり、北には山脈がある。それに加え、元よりペルフェリアは穀倉地帯として物資が豊富だったため補給の確保もバッチリだ。
カミロは城壁の上から地平線を見渡す。既に十万の兵士が広域に待機していた。
目前に広がる平地はカミロの立っている場所より低くなっていて、放棄された村落の家がいくつもある。
「南から……しかも突然現れたっつうことは、例の魔王の能力ってやつかもしれん。挟撃される可能性は大いにあるな」
魔王領のある方向の真反対から来たことから、アネスやイエルカが言っていた魔王の固有魔法が使われたのだろうと推察できる。
「左右の兵を増強したほうがいいのでは?」
隣に現れた部下の女性が提言する。
「そんなこと考えてたらキリがねぇ。敵に翻弄されるだけだ。空か地面から敵が出てくるかもしれねぇだろ」
「しかし……ネクトリス隊が来たら、それこそ敵の思惑通りですよ」
「…………」
カミロは自然と反論しそうになったが、いつしか身に染み着いた堅実さがそれを止めた。
「それもそうだな。顔隠しとくか……」
天幕へ引き返して重厚な兜を被る。円卓騎士の
コップの水面が揺れているのは魔王軍の行進のせいだろうか。甲冑に包まれたカミロの心は不思議と穏やかだった。
(今使える円卓騎士は3人……ここには俺1人。上級魔族に対抗できる戦力は限られてる。クロミッタの援軍が到着するのは2週間後だから……)
カミロは十分に咀嚼して喉を通すように、失敗できないこの状況に腹をくくる。
(俺が踏ん張るしかない……か)
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