第50話 ジェロナス・カウマンノールの戦い ①
【ジェロナス】
戦場が動き始めたのは朝の5時だった。
巨大なトカゲたちの戦列が白煙を抜けてくる。トカゲの背に騎乗するのは魔王軍の軍楽隊と騎兵隊。
この騎兵隊は魔法能力の低い下級兵のほうだが、それでも人間の一般兵よりは強い。
魔族とは体格が良く、背丈は2メートルから3メートル、全員が魔法を扱えるという生き物だ。個人の平均的な強さで言えば人間の比ではない。
さらに彼らが操るのは見上げるように大きなトカゲ。馬ほど飼い慣らしやすくはないが切り込むには丁度良い。
太鼓とラッパの演奏がトカゲの行進と共に大地を震わせる。たまに騎兵が余計な炎を天に放射し、戦場の熱気がぐんぐん高まっていく。
「ウオオオオオッ!! 魔王様ァーッ!! 次の四天王は俺だーッ!!」
騎兵が勢いよく槍を掲げた。
「ここにはジグロムしかいねぇよバァーカ!」
「うるせぇ!! 魔王様がきっと見てんだよ!」
「お前なんか眼中にねぇよ!!」
トカゲの背では既に揉め事が起きている。魔族の弱点はこの粗野で傲慢なところにある。四天王や魔王といった圧倒的強者には忠誠心や敬意を持つが、常に欲を満たそうという本能が強く働く。
そんな揉め事と演奏が混じる中、人間軍の先頭までは後少し。敵本陣は高地にあるため坂を上ることになる。
「雷撃、撃てェ!!」
人間軍の魔法兵が動いた。コストと戦場への影響を考慮しての落雷だ。
13匹のトカゲに一発ずつ、強力な雷撃が落ちる。
5発が命中して兵士ごと感電死した。7発が目標を外し、1発がトカゲの脚に損傷を与えた。
残ったトカゲが突進を続ける。動けなくなった一匹からは騎兵が降り立ち、各々が全力で進む。
戦いはまだまだ序盤。今度は別の部隊を駆る。
「騎馬隊! 北から突け! ヒューイの魔導隊は援護せよ!」
魔王軍の馬に乗った騎兵たちが猛進する。狙いは人間軍左翼の魔法兵。そこまで到達する前に魔王軍の魔導兵たちが投石魔法を放つ。
「石投げ、始め!」
遠方から人の頭より大きな石の雨が降り注ぐ。
狙いの魔法兵は高地の北側に陣取っている。ここは木々などの遮蔽物の少ない土地であるため、敵の居場所や攻撃が見えやすい。
迫る石の雨に防護壁魔法を使うべき場面だったが、北側の魔法兵たちは別の魔法の構築を始めていた。
「防護壁早くしろ!!」
「間に合いませ──」
別の部隊からの支援も遅く、魔法兵は石に潰されていく。絶命の悲鳴は一瞬だった。
そして間を置かずに騎馬隊が攻めてくる。人間軍歩兵の防御と拒馬の柵に阻まれつつも、騎馬隊は人間軍の左翼に穴を空けた。
タイミングは完璧に近かった。魔王軍はこのチャンスを逃さない。
「敵左翼を崩せそうです!」
「グイニッツとノルバの軍も投入しろ! 一気に叩くんだ!」
2つの軍団が動き出した。
「正面に歩兵!」
魔王軍の正面からは大波のような人の群れが迫る。
「オオオオオオオォォーーーーッ!!!」
人間軍の歩兵が雄叫びを上げて走ってくる。素晴らしい密度と勢いだが、相対するのは
「馬じゃねぇんだぞ! 歩兵ごときがッ!!」
トカゲの上の騎兵たちが槍に魔法を纏わせようとした瞬間、バランスが突如として崩れる。
「な、何だ!?」
バタバタと、トカゲたちが一気に行動不能となった。
脚が斬られ、脳天に槍が刺さっている。軍楽隊と騎兵隊が目撃したのは、甲冑を身にまとった銀色の兵士たちだった。
「騎士隊だ!!」
魔王軍兵士たちはパニックに陥った。登場が早すぎることに驚いたのだ。
人間軍における『騎士』とは身体強化魔法を使える歩兵または騎兵のことであり、日頃から魔力浸けで身体性能が人間を超えたエリートである。
「ぬおおッ! なんじゃコイツらァー!」
「ぐあああああっ!!」
騎士は異常なスピードとパワーで暴れ回り、魔王軍兵士たちを次々と血に染めていく。
まさに過ぎ去る嵐のよう。一秒に二人のペースで敵を切り刻んでいる。
「先発は倒した! 前進ッ!!」
騎士隊がトカゲの死骸を尻目に歩兵と合流した時、前方から馬の足音が聞こえる。
「……騎兵が来るぞ!」
「密集陣形! 槍を構えろ!」
備蓄魔法から槍を取り出すと、騎士隊70名の槍投げが始まる。
備蓄魔法とは持ち運び用の転送魔法のことで、別の場所に設けた専用倉庫から自身の持ち物を取り出せる。蓄えている持ち物の重量は常に使用者にかかるため、騎士のような怪力でなければ扱えない。
「魔導騎兵だ! 気合い入れろォォ!!」
騎士たちは敵の兵科を確認し、全力で腕を振って槍をブン投げる。
何人かを倒すものの、ほとんどの魔導騎兵たちは槍を弾いた。そんな中で一人、風防魔法を前方に展開した騎兵が突っ込んでくる。
「一番乗りィー!!」
明らかに出しゃばりすぎだ。
「オラオラァ! 騎士王を倒すのはこの俺だァ!」
「隊列を乱すなクソアホ!!」
「ハッハッハァッーーッ!!!」
その騎兵はハイな気分で笑った直後、馬が騎士に横腹を刺されてひっくり返り、すぐに袋叩きにされた。
「戦争は集団戦だと何故わからんのだ!」
魔導騎兵の隊長が激怒した。
大体の魔王軍は理性で魔族の本能を抑えているが、その理性は人間より弱い。
「磁力防御! 突っ込めえええッ!!」
魔導騎兵は自身と馬に金属を反発させる力を持たせ、騎士の攻撃を殺して戦列を突き抜ける。
「突破された!!」
「歩兵が入ってくるぞ! カバーしろ!」
魔導騎兵が作り出した穴に
互いに刺し、押し倒し、組み伏せ、血と肉を撒き散らす。叫び、
死んでなるものかと、数百名の兵士が剣を、槍を、斧を、拳を、脚を、歯を振るう。
誰が誰だかわからないほどの混戦は赤色を基調として世界を彩る。これこそが美。残酷とは常に人の心を動かす。
そう、動かされるのは人の心。魔族は逃げるし、連携に乏しいし、同士討ちの割合も多い。
「そんなんだから勝てねーんだよ」
高地の上、人間軍の本陣ではグリフトフが戦場を
「正面はいい感じだ。右から騎兵を回り込ませろ」
「はっ」
部下の将校が下がると、入れ替わるようにやってきた兵士が馬を降りた。
「第一戦線の左翼に現れた魔王軍をナインドラーの軍が食い止めています。敵もかなりの数を集中させていますが、広域に展開された防護壁を突破できていません」
とグリフトフに報告する。先ほど魔法兵が滅茶苦茶にされたばかりの人間軍左翼は意外と持ちこたえていた。
「上出来だ。作戦通りに叩きのめせ」
グリフトフの眼光はかつての全盛期に戻っていた。
高地の北側、人間軍の左翼では熾烈な攻防が繰り広げられていた。
人間軍の防護壁魔法は複数個を繋げることで横に長く展開され、攻撃どころか物体すら通さない最強の守りとなっている。防護壁は勝敗を左右する戦場の要なのだ。
「登れ登れェ!」
ドーム状である防護壁は登ることが最も簡単な対応だ。
そして当然、人間軍はそれに抗うことになる。防護壁は外側から内側からに関係なく物体を通さないので、一方的に攻撃することは出来ない。
「各自で矢を放て!」
防護壁の後方にいた人間軍の歩兵たちが予備の弓を引く。
時たま突破してきて歩兵とやり合う者もおり、防護壁攻略は血みどろの様相を呈する。
この攻防はいつ終わるのだろうか。誰かがそう思った時、雲よりも濃い影が頭上を過ぎる。
防護壁の上に乗っていた魔族たちは振り向いた。悲鳴とともに魔王軍の後方から轟くものがある。
「へっ……!?」
背後から近づく光と熱。空が隠されるほどの猛火が魔王軍に襲いかかる。
「ギャアアアッ!!!」
「アチィィィイ!!!」
火の海に放り込まれた。防護壁に
あまりの火力で魔族たちは漏れなく炭となり、猛火の勢いは防護壁の向こうの人間軍すら
グリフトフは左翼に上がる炎を見てほくそ笑んでいた。
「よーし、誘い込み成功だ。負傷兵を運べ。魔法兵優先な。左翼を立て直したら前進だ」
今度は望遠鏡を目の前の参謀長の肩に乗せる。
「煙で見えねぇな……」
「魔王軍の本陣ですか?」
「ああ、手前のほうは見えんだが……クソッ、罠かもわかんねぇ」
「敵の魔法攻撃が薄いようですし、敵もこちらを見えていないということでは?」
グリフトフは望遠鏡を下ろす。
「偵察に何も引っ掛かってない以上はそういう事だろうな。ディンティルの軍に魔法砲撃をさせろ。煙の奥に撃ち込め。他は作戦通りだ」
「はっ」
参謀長はそそくさと伝令の準備に向かった。
ここジェロナスにいる人間軍は第一戦線、第二戦線に分かれ、その中でも複数の軍団に分かれて動いている。一つの命令を伝えるだけでも一苦労だ。
(軍の人数と指揮官の能力が合ってねぇ。とんだ無能ばっかだ。命令伝達だけでもグロッキーになるな……)
グリフトフ以外にベテランは数人のみ。そこが最大の問題だが、今のところはグリフトフのおかげで何とかなっている。
11時頃、戦いは激しさを増していた。人間軍第一戦線の右翼と左翼が前進し、第二戦線も真ん中で分裂して第一戦線両翼に加勢したことで、人間軍側の攻勢が強まっている。
続々と煙の中から現れる魔王軍を打ちのめし、魔法を撃ち合う。防護壁の使いどころを見極め、攻撃系の魔法をタイミング良く出していく。
煙の奥にある魔王軍の司令部では、魔族の指揮官と参謀が怒鳴っていた。
「敵左翼が突破できてねーぞ! 右翼も来てるしよォ! どうなってんだ!」
「奴らは予想以上に戦力を割いてきたようです! グイニッツ将軍、ノルバ将軍、チャルス将軍が戦死しました!」
「雑魚どもが! 何か手立てはないのか!」
「両翼に集中している今なら敵中央が手薄です!」
「よし! 中央に残りの全戦力を投入だ! 敵を分断しろ!」
伝令の兵を飛ばした直後、空から火炎球魔法の雨が降り注ぐ。
「って、はやく逃げないと! ずっと魔法で狙われてますよ!」
「チクショーー!!!」
司令部は撤退、場所を変えるしかなくなった。
20分後、中央の高地までの坂道で両軍が争い始める。
急遽投入された魔王軍の戦力は7万にも及び、彼らには意外にも希望という士気が満ちていた。
「ここが正念場だ! あの土地を奪い取れ!」
高地の中央にいる人間軍を追い出してしまえば、人間軍は二つに分断されて司令が行き渡らなくなる。勝利を手繰り寄せる最高の一手だ。
しかしその時、彼らは気づいてしまった。
「おい! 向こうからも来るぞ!」
まだ遠いが、両側から人間軍の戦列が押し寄せてくる。
「やっ、やばい! このままじゃ包囲される!」
「陽動作戦かよ!!」
「後退する時間がない! 中央を崩せ!」
魔王軍は必死に武器を振る。今さら引き返すこともできないほど、彼らは敵の懐へ入り込んでいた。
人間軍は中央をわざと手薄にすることで魔王軍を誘い込み、中央に溜まった魔王軍を左右の人間軍で挟み込む作戦をとったのだ。中央の人間軍は緊要地形の高地を離れずに防衛することで被害を抑えられるし、グリフトフのもとには質の高い兵士が揃っている。
それはグリフトフが引き継いだ、やたらと強い、ヒゲと傷、闘志を持った百戦錬磨の兵士たち。
「キヴェールの軍だ!!」
魔王軍はその言葉だけで逃げ腰になりかけた。
制服でわかる。次に現れた人間軍の部隊は大人も泣き出すキヴェールの軍団だ。
数で負けているはずなのにキヴェールの育てた兵士たちは逆に押し返している。魔法を持たない歩兵ですら、まるで不死身かのような威勢で攻めている。
「こちとらジジイに死ぬほどしごかれたんだ!! 魔族なんざ敵じゃあねぇんだよ!!」
円卓騎士キヴェールの厳しすぎる訓練を生き抜いてきた彼らにとって魔王軍など新兵も同然なのだ。
人間軍は死体の山を乗り越え、坂道を下っていく。
主導権は完全に人間軍のもの。このままいけば死傷者は3万といかずに終わるだろう。
「いいもん借りたぜ、キヴェール」
グリフトフは安堵の表情を浮かべていた。ここからの逆転はないと思ってしまった。
引退していたブランクがあるせいか、そもそもの発想としてなかったせいか、その異変に先に気づいたのは参謀長だった。
「将軍! 上をッ!!」
薄曇りの空のボヤけた太陽光から何か落ちてくる。
「!」
魔族たちが空からやって来る。
「何だと……!?」
グリフトフの知らない急襲だった。それも相当な魔王軍兵士たちなのだろう。着地してからの行動が素早く、参謀長が背後から真っ二つにされた。
「新戦術、大成功」
黒くて細身の魔族が呟いた。
(司令部をピンポイントで……! まずい、指揮系統が壊されるぞ……!)
防御を無視して人間軍の痛いところを突いてくるとは想定外だった。
四方八方、重い図体が止めどなく降り立つ。見た目や装備からして上級の兵か。
「イエルカがいませんよォ!」
「親衛隊もだぁ!」
降り立った魔族たちは司令部やその周りをかき乱し、虐殺のごとく人間軍を蹴散らす。
見事に虚をついた。それに降り立った兵士たちは散兵どころではない、各々が勝手に行動できる精鋭だ。それはつまり戦争という集団戦における、円卓騎士のような特異な存在ということ。
「……」
グリフトフは剣を抜き取り、鎧を揺らす。彼とて熟練の騎士だ。
魔族の一人がグリフトフに目をつけた。立ち向かってくるオッサンを鼻で笑い、手から油を射出する。極限まで摩擦を減らせる液体を操る魔法だ。
だがそんなものお構い無しにグリフトフは跳躍し、油に触れることなく魔族の首をかっ切った。
その後もグリフトフは獅子奮迅で戦い続ける。現役を
「クソッ……!」
あくまで人間。精鋭魔族たちの連携と高性能な固有魔法には歯が立たない。
すぐに劣勢となって傷が増えていく。彼の動きが止められたのは、
「……!」
グリフトフの息が止まる。短剣よりも、眼前で短剣を握っているこの魔族に驚いた。
恐怖に微笑む白黒の顔。正気を呑み込む怪奇な雰囲気。
魔王軍四天王ジグロムが、魔王軍の司令官が直接、人間軍の司令部に突っ込んできたのだ。
「ン?」
ジグロムは引退したはずの男に片目を見開いた。
「オイオイ、マジかお前、グリフトフか? また戦争が恋しくなったか?」
「…………」
「アーハッハッ、お前ってやつは、見習うべき英雄サマだよ。で、イエルカはどうした? まさか、カウマンノールに向かいましたなんて言わねぇよな? それならお前らはトカゲの尻尾にされたワケだ」
短剣がゆっくりと沈み、グリフトフの額からの血が鼻根で分かれて落ちていく。
それでもグリフトフは笑っていた。自分の命なんざどうでもよさそうな喜びだった。
「それだけで十分ってこった。テメーらをボコすにはな。だがそう落ち込むな」
「……ア?」
「四天王サマには、特等席をご用意だ」
次の瞬間、空気が震え、荒れ狂う炎の嵐が周辺を支配する。
自分以外の全てが炎になってしまったかのような火力だった。精鋭魔族は踊るように火だるまを味わい、どんな装備であっても溶かし尽くされる。
空から大地までが橙色に染まっている。炎は常に揺れ動き、延々と火の粉が舞い、風が熱を運んでくる。
炎はグリフトフを避けて放たれたためジグロムも食らうことはなかったが、まあジグロムは食らっていても無傷だっただろう。
この炎、そして左翼で魔王軍を焼いた猛火。どちらも一人の力によるものだ。
昨夜、
「ここにはグリフトフだけじゃない、歴戦の兵士たちが揃ってる。それに彼女ならきっと、二人分の活躍はしてくれるさ」
実際のところは二人分に収まらない。軍人として成長したおかげだろう。能力の真価を発揮し、殲滅力は以前とは別次元と化した。
現在の円卓騎士は3人しかいない。援軍へ向かった
「…………」
ジグロムが横に目をやると、そこにいたのは四つ足の赤い竜。名前は確か、炎竜ガラティーンだったか。
大きな怪物だ。火力も前とは比べ物にならないほど無慈悲で大規模。その足元には見知った騎士がいて、ジグロムは不気味に口角を上げた。
低空を飛んできた槍竜ロンゴミニアドがその巨体で渦を巻き、一瞬にして炎の嵐を振り払うと、鳥竜フェイルノートが降りてきて彼女の細い腕に止まる。
「我が名はケイス・ガスタス・ファルサ」
その瞳は仇敵を捉え、竜より強い意志を見せる。
「てことで、よろしく」
いざ、竜神の騎士が立ち上がる時だ。
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