第40話

 どうして、胸が痛いのだろう。

 明白だ。こんなに苦しいのは、果乃の存在がそれだけ俺の中で大きくなっているからだ。

 束音を想うことで、頭から追い出せないほどに。


 想いを伝えあったことで隠れたはずの感情。

 膨れ上がる愛情に気付いて、いつの間にか心の中に居座っていた果乃を排斥しようと思い立ったのに。


 ――束音がいるのに、それを認めてしまったら、俺が束音に満足していないみたいで、嫌だった。


 そんなに優柔不断じゃない。

 そんなに軽い愛情じゃない。


 人間は、辛い時何かに縋らないと生きていけないほどに脆く繊細で弱いのだ。

 こんなに人でなしであっても、俺は人間だ。

 だから――どんなに痛々しい選択だとしても最後には、束音を愛していると言いたい。


 ――月明かりが差さない路地の真ん中。

 現れた束音の姿がぼやけて見えた。


「あんたに彼女が出来たって知った時ね、本当は嬉しい筈だった……でも、私はちゃんとあんたを愛していて、どうにか気持ちを知って欲しくて耐えられなかった」


 それは俺の知らなかった束音の胸中。

 やはり束音の気持ちは変わっていない。

 気付いていたよ……束音は、俺を憎めない。

 ならば彼女の選択肢も限られる。

 これが、潜在意識にある人の優先順位の差なのだ。


「果乃はあんたを幸せに出来ると思った。そう信じていたのに……全部嘘だなんて、わけわかんないよ」


 果乃に言葉をぶつける束音。

 今まで、偽装交際のことなんて知らなかったのだから、当然の反応だ。


 なのに――果乃はそれでも引かない。

 次いで、束音は果乃の胸倉を掴んだ。

 苦しそうな顔が見えて、咄嗟に声が出る。


「ま、待つんだ、束音!」

「何? そっか、あんたは本気だったんだっけ……」

「ち、違う……っ。ただ、暴力はしちゃダメだ」


 以前から彼女達二人は仲良さそうだった。

 故に大事にはならないと思っていた。

 しかし束音の怒りは予想外だ。


 果乃の傷つく姿が見たくなかったわけではない。

 俺だって手を出していないのに、束音にそんな行動を取ってほしくなかった。

 すると束音が力を緩めたのか、果乃の表情が少し楽になっていた。


「果乃ちゃん、私の気持ちを弄んだの?」

「いいえ。私は、本気で彼を好きになりました」

「回答になってないけど、言いたいことはわかったよ。私の事は頭に無かったわけだね」


 声のトーンを落とす束音に対して、果乃は悪びれもなく声が高くなった。



「そうです、よっ! だから、偽装カップルであることは、大して束音さんに害を及ぼしてしません。束音さんは、本当でも偽物でも彼を奪い去りに来たんでしょうから」


 同じ男に恋をする者同士。

 俺よりもわかり合っている部分があるらしい。

 が、束音は納得いかないように言葉を返す。


「本気で言ってる?」

「はい、本気です。だから今、対峙しているのです」

「そうじゃなくて。害を及ぼしていないだなんて、どの口で言ってるの?」

「え?」


 一瞬、空気が固まった。

 静けさが夜を支配する。

 次に、束音の声が爆発するように跳ね上がった。


「果乃ちゃんは私じゃない! だから気付かないのは当然だよねっ? わかってるよ! でも――れでも私は苦しんだんだよ! 果乃ちゃんがいなければ、幸せになれたのにさ」

「それは……」


 ――束音もちゃんと苦しんだのか。

 その言葉は俺の心を安堵させる。

 束音に共感されることが、理解し合うことのように感じる。


 しかし、だからこそ視野が狭くなり冷静ではなくなっている事に気付ける。

 束音は感情的になって、今にも殴りかかろうという雰囲気だ。


「果乃ちゃんが、私の幸せを奪ったんじゃないッ!」

「落ち着け、束音! 大丈夫だから……俺はちゃんとここにいるから」


 感情を剝き出しにした束音を、俺は後ろから抱きしめて抑えようとする。

 ……もぅ充分だ。

 そんな想いも言葉にしなければ届かず、すぐに振り払われてしまう。


「そうだね。でも、私は許せそうにないや」


 とうとう束音は、俺にも向き合ってくれなかった。

 既に取返しのつかない境界線を過ぎていた。

 束音は俺に顔を見せず、淡々と話を続ける。


「どうしても、許せないんだよ。ねえ、果乃ちゃん」

「私だって、許せませんよ。彼の心を強く掴んでおきながら、私に叶わない恋をさせた束音さんが、憎いです!」


 果乃が目を逸らして俺の方を見てきた。

 きっと、束音はとても怖い顔をしているのだろう。

 そんな表情を俺に見せたくないのか、一向に顔を見せてくれなかった。

 そんな時のこと――。


「――じゃあ、憎い合うために延長戦だね。こんな結果で終わらせるなんて、私も納得できない」

「ちょっと待て。おい、何を言っているんだ。延長戦ってなんだよ」


 思わず訊いてしまった。

 こんな事に延長戦なんてあってたまるかよ。

 もぅ終わらせたいんだ。

 苦しく苦しくて堪らないんだ。

 束音の提案は、あまりにも残酷に思えた。


「ねえ朋瀬」

「な、なんだよ」


 顔を見せてくれないまま、ゆっくりと告げられる。

 その雰囲気は、先ほどまでの束音と違った。


「私と果乃を二人とも彼女にしてよ」

「――してください」


 何を言われたのか、わからなかった。

 これまで憎み合っていた二人が、妙に落ち着いている。


「正々堂々、同じ立場で勝負をして、果乃ちゃんは切り捨てられてしまえばいい」

「は?」


 ――待て待て、話についていけない。


「あんただって、果乃ちゃんの事意識しているんでしょ?」

「それは――」

「なら問題ないんじゃない? その上で、私を選んで貰うように頑張るから」

「彼女に選ばれる勝負で、いいじゃないか?」


 二人ともだなんて……意味が分からない。

 そんなこと、あっていいのかよ。


「私だって、あんたのこと好きなの。これ以上待てない。今すぐに彼女になりたい!」

「…………」


 唐突に突飛な事を言われた気がする。

 でも束音の気持ちは理解した。

 俺だって、楽になりたくて――それ以上言い返せなかった。

 束音がそう望むのなら、意固地になる必要なんてないだろう。


「だ、妥協案ってことか。俺にはまだ心の整理ができていない。二人ともなんて、愛せる自信もない。でも――それでも二人が納得するのなら、わかったよ。二人とも、付き合ってほしい」


 頭を下げて、俺は告白をしてしまった。

 反射的なものだった。

 流されて付き合うよりも、俺から宣言したかった。

 あれだけ傷つけた果乃が……それでも俺を好いてくれるというのなら、手を取ってほしい。

 しかし、返ってきたのは束音の追求だった。


「誓って? この勝負は無効にさせない」


 声色の優しい束音に対し、妙に心が温かくなる。

 顔を上げると――。


「わかった。誓うよ。果乃もそれでいいのか? ……って、どうして泣いているんだよ」

「もちろん、付き合いますよ。そう、望んでいたんですから」


 悲しみの涙じゃない……紛れもなく嬉しそうだ。

 果乃は、確かに傷ついていた筈なのに。

 全てなかったかのように笑って俺の手を取った。


 ――何なんだったんだ。

 まるで、全てが茶番だったかのように感じられる。

 すると、もう一方の俺の手も掴まれた。


「束音?」

「あははっ、どうして気付かなかったの? こんなにも、演技が下手だったのにね。……はい、私も喜んで彼女になるから」


 その顔は、いたずらが成功した子供のようだった。

 つまり今までのは全部演技だったと……?


「な、何の茶番だよ。これ……どういう事なんだ? まさか……最初からこうしたかったのか?」

「そうですよ。そうするしか、ないじゃないですか」


 ……してやられた。

 そもそも、果乃はずっと前から俺のことを知っていて、最初から俺のことを狙っていたのだ。

 故に早々から束音と裏で繋がっていたのだろう。


「果乃ちゃん、首大丈夫?」

「はい。何度も気が緩んでしまいそうになっていたので、束音さんの顔を見にくかったです」

「そんな面白い顔していたかなぁ……?」


 俺のことを無視して、二人は顔を合わせる。

 さっきまでの険悪な雰囲気は一体どこへやらだ。


「していましたよぉ。今度、鏡の前で同じ顔してみれば判ると思います」

「絶対ハズいやつだ。ヤだよ、そんなの」


 随分と雰囲気が変わるものだから、まだ酔いが残っていて夢でも見ているのかと思ってしまう。


「――あれも、演技だったのかよ」

「本気だったら、胸倉を掴まずに頬を引っ叩いていたかもね」


 確かに――俺の言葉を聞いて即座に言葉を緩めたくらいだし、乱暴な行為は一切していない。


「あんたから数時間前に連絡貰って、すぐに果乃ちゃんと計画を立てたの」

「俺が、果乃を振るってどうしてわかったんだ?」

「1週間、あんたとの勝負が終わる期間が過ぎたらどうするのかなって、考えていたの」


 ――嘘だろ?

 いや……束音なら俺の行動くらい、予想が付くか。


「それで、あんたが吹っ切れるなら、今日か明日だと目星を付けていたのね。あとは、幼馴染だから、かな」

「なんだよ、それ」


 俺も、いい加減クスッと笑ってしまう。

 なんて荒唐無稽な理論だ。

 それで俺を欺いたのかよ。

 束音を理解するのは、とても難しいようだ。


 ――でも、悪い気分ではない。

 そうは思えても、清算しなければならない事は残っている。

 果乃の方へ顔を向けて……俺は頭を下げた。


「果乃は……ごめん。出鱈目な嘘を言って、絶対に傷つけた」

「はい。それはもう傷付きました。だから、これからは大事にしてくれませんか?」

「約束しよう」


 本当に馬鹿げた……茶番だった。

 果乃はこうなることを確信していたんだろう。

 知らなかったとはいえ、俺は酷い奴だ。

 絶対に赦されないことを言ったと思うんだがな。


「俺の嘘を見抜いていたのか?」

「いいえ」


 果乃はサラッとそう言って、更に言葉を続ける。

 その言葉はじんわりと効く薬のようだった。


「自分が一番になれるかもしれない競争って、結果に関わらず楽しいんです。でも、その楽しさは競争にすらならない孤独の戦いをした人にしかわからないんです」


 ずっと一番に拘っていた俺にはわからなかった話。

 果乃は、二番でも望むものだったと言いたいのか。

 ……諦めの悪い理由はしっかり伝わった。

 続けて、あふれ出す涙と共に言葉を零し続ける。


「最初からわかっていました。朋瀬くんは、いつでも私を切り捨てる事ができたから、いつかはこうなる事を知っていましたよ。でも、いつまでも切り捨ててこないから、期待……してしまうじゃないですか。淡かった期待は、段々と恐怖に変わって……ずっとずっと、嫌われないように気を付けてきました」


 束音の焦らしは、実際に俺を揺れ動かした。

 彼女を失うことの恐怖が、俺を支配していた。

 ……ずっと果乃は怖がっていたんだろう。


「俺は――真実の愛が欲しかったんだと思う。それがきっと唯一無二だと……思い込んでいたんだ」

「愛情が唯一である必要ないでしょ。本当にバカなんだから」


 束音の言葉が俺の内心に突き付けられた。

 ……そうだな。

 言われてみれば、単純な話だった。


「俺は、本当にどうしようもない男だったな。それでも、見捨てないでくれてありがとう」

「見捨てられる訳がないの。私はずっと前から朋瀬のものになりたかった。それだけが生きる理由だった。部活をサボりだしたのだって、朋瀬と一緒にいたかったからだよ」


 そういえば、何か理由があるとは思っていた。

 けど、はぐらかされ続けていたサボタージュの理由はそういうことだったのか。

 流石に……俺も鈍感だな。


「ああ、そうだったのか……言われなきゃ、わからないだろう。でも、それなら……訊きにくいんだけど、どうして果乃と一緒に付き合いたかったんだ?」

「私とあんたで共依存になる事がわかったから。私は、あんたのものになれれば後はあんたの幸せを望むだけなの。それだけだったのに、あんたは私の魅力に溺れてしまった……限度を軽く超えてしまった」


 今まで悟られないように振舞っていたのか。

 束音に隠されたら、見抜けないよ。

 まだまだ、全然理解できていないということか。


「それにね、二人の力を合わせれば、あんたはイチコロだったの。きっと、私一人だったら別の失敗を生んでいたと思う」


 そうかもしれない。

 束音と二人で関係を築いていても、上手くいかなかったかもしれない。

 俺はこんなにも知らないことばかりだったから。


「単純に、恋愛が苦手なだけだったよ」


 俺は踏み違えていた。

 何の論理もない不完全なアブダクションで、果乃と束音の気持ちを決めつけていた。

 ただの、妄想だった。

 しかし――束音は俺の言葉を否定した。


「違うでしょ。こんなに可愛い女の子二人に好かれているんだから、あんたは恋愛強者だよ。実力で押し負けたの。ばーか」

「彼女だからって、調子に乗ってバカにしないでくれるか?」


 彼女だからこそ、遠慮の要らない部分が出てくる。

 腕を掴んで、少し脅すように言ってみるが束音は一切抵抗しなかった。


「ほら、引っかかるの、早いね。いいよ、小生意気な彼女にどんなことしたいの? 従順になるまで教えてよ」


 俺は腕を離して冷静を装う。

 果乃の前で、一体何をしようとしていたのだろう。

 ここが野外で、本当に良かった。


「本当に意気地なしだよね。そういうの、あんたは好きそうだし、私も早くあんたのものって教えて欲しいからプラスしかないと思うんだけど」

「意味が、わからないよ」

「あと、そうやって私ばかり気にしていると、果乃ちゃんに捨てられちゃうぞ」

「あっ……」


 果乃は微笑ましそうに見ていてくれた。

 相変わらずの安心させてくれる顔で、見守っていてくれた。


「いいえ、何故か束音さんだと嫉妬もしません。きっと、私は束音さんの事も好きなのかもしれません」

「私も、果乃ちゃんの事好きだよ。安心して朋瀬を預けられる程度に信頼しているよ」

「それは、責任重大ですね。それなら、もう帰った方が良いかもしれません」

「そうだな」


 見上げた空は、残酷な黒色だった。

 月は雲に隠され、ロマンチックな台詞の一つも言えやしない。


「じゃあ、帰りましょうか」

「私はここから別の道なので、別れます。あっ、本当にすぐそこなので、心配いらないですよ?」

「すぐそこなら、付いていくよ」


 ……彼氏なんだ。

 それ程度の気遣いさせてもらえない方が気まずい。

 すると束音がニヤリと笑って果乃にくっついた。


「ねー、本当は果乃ちゃん期待して言ったでしょ」

「……はい。束音さんを真似た知略は不得手でしたね」


 恋愛が苦手じゃなくて騙されやすいのかな。

 ……どうだろう。

 ただ大好きな女の子を疑いたくないな。


「演技は私も苦手だって」

「そうでしたね」

「えー、そこはフォローするところじゃないの?」

「対等である以上、遠慮したくないので」

「お堅いな~、もう」


 なんか、俺といるよりも楽しそうな二人の姿。

 見るだけで、こっちが嫉妬しそうだ。

 でもまあ好きな女の子が二人楽しい会話をしているのを隣で聞けるのは、役得かもな。

 とはいえ俺だって混ざりたい訳で――。


「束音」

「ん? なぁに? ――ッ」


 振り返った束音の唇を奪った。

 次いで、果乃にも同じようにしてキスをする。

 二人と唇を重ねた後、何とも言えない空気が漂う。

 ぼーっとした二人の顔が並んでいた。


「ちゃんと彼氏彼女になったんだから、まあそういうことで」

「だっ、だからって急にやめなさいよ」

「そうです! なんで私が先じゃないんですか!」


 暗い空の下でもわかりやすく頬を朱くさせる二人の顔は妙に色っぽくて、可愛らしかった。


「さっき唐突にしてやられたから、これくらい許せ」


 ムッとする二人を無視して、一歩先に歩きだす。

 こんな真っ黒な天空の下、俺は二つの月を手に入れたのだ。

 不思議と……心を落ち着かせてくれる光を。







୨୧┈••┈┈┈┈┈┈あとがき┈┈┈┈┈┈••┈୨୧


最新話まで読んでいただきありがとうございます。

本作はこれにて完結とさせていただきます。

今作は2年前に書いたラブコメを数十時間かけてブラッシュアップした改稿版でしたが、以前の約3倍読んで頂ける方が多くて嬉しいです。


他作も、是非によろしくお願いします。


୨୧┈••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••┈୨୧

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好きな幼馴染を諦めようと学園一の美少女と偽装交際したら、二人とも様子がおかしい 佳奈星 @natuki_akino

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