第39話

 果乃の父親との会合は終わった。

 すっかり空が暗い中、電車に揺られる俺達。

 ユラユラと……酔っているのか心配になった。


 意識を保たなければいけない。

 横に座っている果乃はちゃんと起きていた。

 彼女の顔を見ていると、段々と判断能力が下がって――俺は言わないようにしていた言葉が零れる。


「なあ、果乃」

「はい、何ですか?」

「明日……別れようか、俺達」


 言ってから、ハッと気づいた。

 如実に表情が暗くなっていく果乃。

 眠気は一瞬にしてはじけ飛び、それでも回らない頭を強引に回す。


「あ、ごめん……でも、間違っていなくて」

「別れた後にもう一度あなたから告白してくれるんですか?」

「いや、そういう訳じゃなくて……」


 ――静まり返った電車内の中。

 ぎこちなく否定することしかできない。

 つい数時間前までこの関係を貫くために、頑張っていたのは覚えている。なのに、果乃は元々覚悟していたように落ち着いていた。


「どうして、明日なんですか?」

「果乃との契約は1週間だったろう?」

「何の契約ですか? 覚えがないです」


 どうして、すっとぼけるのか。

 ムキになっているとは思えない顔だ。

 感情が剝き出しそうになりそうなのを抑えながら、俺は言葉を続ける。


「俺と束音、果乃が揃った日に果乃が言ったじゃないか。どうして、嘘を吐くんだよ」

「1週間は束音さんとの勝負の期間ですよ? 何言っているんですか?」


 流石にそれは、笑えない冗談だ。

 俺が酔っているからって、適当言っているのか?

 束音との勝負には関係しているけど……そうじゃないだろ。


「そんな訳……あっ」


 記憶を遡り……俺は気付いてしまった。

 俺は当然のように契約が終わるタイミングだと思っていたが、確かに質問は具体的ではなかった。

 勘違いしていたとはいえ屁理屈だとは、言えない。


「私も電車内で大声を出したくないので、降りてからにしませんか?」

「……わかった」


 果乃が話を打ち切った。

 俺の感情が爆発しそうなのを察したのだろうか。


 渋々了承したが、ただでは転んでやらない。

 スマホを取り出して、打開策を練り上げる。

 画面を見られないように果乃を警戒していたが、当の本人もまたスマホを弄っていた。


 隣には彼女がいるのに、妙な孤独感を覚える。

 どうしてこんな心境になるのか。

 わからない自分に対して、無性に腹が立つ。


 段々と酔いが覚める感覚。

 抑えつけられていた想いを冴えさせる。

 眠気がやってこない代わりに、降りる駅に着くまでずっと感情が渦巻き続けた。


 ――遂に電車を降りて帰り道。

 少し歩いたところで、俺達は向き合った。


「なあ、卑怯だろ。そうまでして、俺の彼女になりたいのかよ」

「はい……それに、望んだのはあなたですよ」

「それなら、俺の望んだ通りに別れてくれよ」


 ……無理なことは言っていないだろう。

 望んでいた事なんてほんの数時間だけ。

 それに、俺の想いが正常な形に戻ったことを果乃は気付いていただろう。

 果乃の想いは理解している。

 だから――こうして約束を果たしたじゃないか。


「お父さんの心意を暴いて、私の悩みを解決してくれたじゃないですか。あなたが決めるのではなく、私があなたを本当の彼氏と認めてあげるんです」

「……俺が嫌だって言っているんだよ。強い言葉を言わせないでくれ」


 ――大丈夫だ。

 俺は果乃を切り捨てる覚悟が出来ている。

 期間については俺のミスだった。

 好きな人を拒絶するのは……束音で懲り懲りだったのにな。


「それが何だよ。俺が拒絶したらそれまでじゃないか。ヤリ捨てしないだけ優しさだと思わないのか?」


 どうにか正当化する姿勢を見せる。

 こんなクズを好きになってどうするのか。

 果乃には、何も報いる事なんてないじゃないか。


 ――人には、優先順位が存在するのだ。

 果乃だって、良く知っているはずだ。

 うちの学校じゃ、カースト意識が根付いているからな。

 殆ど同じ立場で、俺も日々上下を気にする生徒を見てきたんだ。

 俺にとって果乃がどの位置にいるのかくらいわかるだろう。


 2番でもいいというのは、あまりに可哀想だ。

 ……果乃は幸せになれる人間だ。

 ……なってほしいと思うから。


「思いません。私の想いが嘘だと思っているんですか? 本当に好きだから、赦してしまいます。犯された方が、良いに決まっています」


 足元は平面、ここは電車の中とは違うというのに、揺れるように感じた。

 いいや、揺れているのは俺の心か。

 その想いが決して嘘ではないと、伝わる、


 でも、ダメだ。

 俺の意思だってちゃんと固いのだ。

 果乃のしていることは、釣れた鯛が食べられることを望むようなものだ。

 そんなのは、間違っている。

 鯛が望むべきことは海へ帰ることだけだ。


「それじゃあ俺の想いはどうしてくれるんだよ……本当に好きなら、俺の幸せを願って自分を切り捨てろよ」

「もし、その言葉が本心だったとしても、私はあなたを諦めません。私が幸せにしてみせます。だから、身体を重ねることから始めても良いんですよ」


 近づいてくる果乃。

 俺はそっと後退せざるを得なかった。

 野外で良かった。

 甘い香りに流されず、理性を保っていられる。


 もちろん誘惑されたって、束音の存在がちらつく。

 果乃の望む展開にはならない。

 果乃だってわかっている筈なのに……。

 何故、涙すら流さずに自分の想いを貫けるのか。


 果乃は強い女の子だ。このままじゃ、きっと一進一退を繰り返すだけになるだろう。

 それなら、無慈悲でも、突き放さなければ。

 彼女は間違っていると。


「だから、お前なんて大嫌いだって想っているんだよ! 身体すら求めない時点で察しろよ、気持ち悪い」


 苦しい……なぁ。

 好きな子の想いを踏みにじるような言葉。

 自分がそう言われるよりもずっと心を締め付ける。

 でも、もぅ後戻りできない。


「デートに誘ったのだって、束音がそう願ったからだよ。俺の意思で決めたことじゃない。全部演技なんだ……作りもので、それをさも理解者面するお前には恐怖しかなかったね」


 果乃はその真実を知っていたかな?

 知らないのなら、俺を軽蔑してくれるはず。

 なのに、果乃の目は未だ失望の色を見せない。

 それどことか追い打ちをかけてくる。


「好きという言葉だって全部嘘。お前が誑かしてきたから、引っかかったように見せかけただけ」


 非情な言葉は止まらない。

 嘘でもまるで本当にそう思っているかのように――果乃を傷つける言葉が思い浮かぶ。


 ああ、こうすれば良かった。

 最初から、変な勝負を仕掛けていなければ。

 あの時から残っていた怒りが、望まぬ形で出てきてしまった。


 果乃と一緒にいた時間はとても短い。

 それでも好きになってしまった。

 失恋は、まるで積年の想いが崩れるように辛い。

 好きなってしまうほど魅力的な果乃が全部悪い。


「でも、それでも……私の望む幸せがほしかった。叶わないなら、死んでしまいます」

「勝手に野垂れ死ねよ。偽装カップルに愛なんてある訳ねぇだろ!」


 だからこそ、全てはこのために。

 真実は伝えた。

 決めるのは俺じゃない。

 ――束音だ。


 コトンと、足音が響いた時には果乃の背後に、彼女は現れていた。


 電車の中で呼び出しておいたのだ。

 ……良いタイミングで来てくれたよ。

 お前は昔から足音が無くて、背後から驚かすのが得意だったな。


 千春すら気付かない無音だ。

 果乃が気付く筈もなかったが、流石にわざと立たされた足音には振り向いた。


 奇しくも、あの時の果乃と束音の立場は逆だった。

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