第38話
半分くらい食べた後のこと。
果乃が思い出したかのように話し出す。
「そういえば、お母さんは元気ですか?」
「相変わらずだ。会いたいなら実家に行けばいい」
「いえ、健康ならいいです」
親子の会話は短かった。
が、その会話だけで意外な事実を知った。
娘と中々会えないという台詞と共に、果乃が一人暮らしをしているという意味だ。
奏も含めれば丹羽家は家族が皆、バラバラの状態らしい。
この会話に俺は安易に口を挟めない。
俺は果乃の彼氏として今いるのだ。
知らないということは、交際期間の短さを悟らせてしまう。
「偶には帰ってやれ。果乃が早く自立したいのはわかるが、まだ学生なんだ。自立するというのは、自分で稼いだお金で生活を成り立たせることを言う」
「はい。わかっています」
思っていたより、普通の父親という感じだ。
果乃が警戒していたから、もっと厳格なのかと思っていた。
モデルという仕事に興味を持ったのも腑に落ちる。
「あの、話についていけないんですが……」
「ん? なんだい、その惚け方は。 ――それとも、果乃の一人暮らしを知らなかったのかな?」
果乃のことを知りたくなって訊こうとしたら、予め懸念していた部分を突かれてしまった。
「おや、墓穴を掘ったようだね。顔に出ている」
「はい。知りませんでした」
「悪いね。一人暮らしの条件の一つが、どんなに親しい前柄の人間にも秘密にすることだからね」
――俺が知らないってことはわかっていたのか。
やはりこの男は食わせ者だ。
しかし、言葉の裏を読めば――その秘密は果乃を危険に晒さない為の教育とも捉えられる。
不敵な笑みを浮かべる彼を他所に、俺は食事を続ける。
「どうだい? こういった料理に馴染みがあるようには見えないが」
「美味しいですよ。味は、わかる方なんで」
こういった豪華な料理でも、正月くらい等の特別な日に嗜む。
それなりに舌は肥えている方だろう。
「他に、私に対して言いたいことはあるかい?」
「ありますよ。当然ですが、根本的な問題がまだはっきりしていません」
ここで話を戻したいらしい。
とはいえ、先ほどより緊張はしていない。
ある程度俺も、事の背景が見えてきた。
「そうだな……それなら訊こうじゃないか」
「貴方は落ち着きすぎだ。――借金を負う理由は?」
「経営破綻だ……それがどうした?」
憶測が当たっていた事に安堵する。
やり方次第で嘘を看破できる状況になった。
「なるほど……やはり借金の話は嘘でしたか」
果乃の父親が社会的にそれなりの立場にいることは、簡単に推測できる。
まず、この料亭はこの男にとって初めてではない。少なくとも、果乃だって来たことがある。
……現地集合だったしな。
そして決定打は――果乃の一人暮らしだ。
暢気に家族の話をするくらいならまだわかる。
だが、多額の負債を背負うという話が出て、一人暮らしをやめるように言わないのは妙だった。
「先ほど、今の学校に合っていないと言いましたが、転校でも視野に入ったような言い方でした。これから借金ができるというのに、そんな考えが浮かぶとは余裕のようですね」
「論点がズレていないかい? 推測が甘く感じられるが、それがなんだというのか教えてくれ。確かめる術があるようには思えないが……」
油断させてみれば、都合のいい展開に転んだ。
あるだろう? 確かめる術が。
「名刺、見せていただけますか? 経営者であると貴方が言ったのですから、持っていますよね」
社名さえ知れれば……経営が厳しくなるかどうかなんて、スマホ一つですぐに調べがつく。
上手く引っかかったな。
彼はきょとんとして、次にはお酒を注ぎ始めた。
「はははっ、参ったよ」
「つまり――?」
「降参だ。それが狙いだったか。経営破綻が借金の原因だと言ったのは失策だったな」
眼鏡を外し、彼の紫色の瞳が俺を捉える。
「ああ、借金の話はまるっきり嘘で、君の推測通りだったよ。まったく、うちの長女はとんでもない男を連れてきたな」
「当然じゃないですか、私が惚れた男の子なんですから」
果乃は自分の手柄と誇るように鼻にかけた。
同時に、彼は名刺を取り出し見せてくれる。
受け取り確認すると、社長に就いていることが判った。
そして、社名は調べるまでもなかった。
俺でも知っているIT系の有名企業だ。
そんな企業が経営破綻に陥るだなんて……。
インサイダー取引と思われかねないことを口走るとは、大胆なことをするものだ。
気分がいいのか、おちょこに酒を入れ始める。
「お酒、飲むかい?」
「いただきます」
即答した。
え、未成年だし断れって?
子供に勧めてきたこの人が全部悪い。
好奇心には勝てなかった。
しかし俺が手に持つと同時に、そんな光景を見た果乃が不平を漏らす。
「私には、ないんですか?」
「果乃はダメに決まっているだろう。もし、彼が弱かったら誰が支えて帰るんだ?」
「え、お父さんでいいじゃないですか」
「家の場所が違うだろう。私にそんな余裕はない」
「むう、それなら仕方ありません」
忙しい身の筈なのにこんな機会を作ってくれるくらいだから感謝しないといけない。
女の子に支えてもらうなんて嫌だから……身体の強さを信じよう。
「乾杯」
「かっ、乾杯」
結論から言うと、まだ酒の味はわからないようだ。
一口呑んでダメだった。
ツンとした舌触りに、拒否感を覚えたのだ。
とはいえ酔いもそこまで感じなかったが。
一応、お酒に強い身体だったのかな。
多分大丈夫だろう。
大丈夫だ……多分?
果乃の父親はその後も飲み続けて、気付けば一合分を空にしていたが、けろっとしている。
すると、俺がもう一度飲みたそうにしているように見えたのか、再び勧めてきた。
流石に断ったが。
「君は、勝負事に強いのかい? それはいいことだ」
「はい、勝率4割と言ったところですね」
「何だい、その嘘は。まるでそう思い込ませて油断させているみたいだな」
果乃の父親は、お酒を飲んでから饒舌になった。
どころか、むしろ冴え始めている気がする。
軽口だけで嘘を見抜かれてしまった。
……そうだ。俺は学校で嘘の噂を流している。
不明瞭な事に関する噂とは、真実と遜色ない。
これは俺なりの武器なのだ。
「8割ですよ……そう簡単に俺の秘密を暴露しないでほしいですね」
「容易に計画ごと推測した君にいわれたくない。言い忘れていたが、娘の婚約者として君を認めよう」
「はい、ありがとうございます」
お酒飲まないように言えば良かったかな?
飲みたい好奇心に駆られた俺が悪いか。
……期待を裏切ることになるかもしれない。
俺はまだ束音と果乃を選び切れていないのだ。
そして――終幕は刻々と近づいてくる。
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