15. ふたりでゆっくり歩む道




 校舎の裏手にあるベンチで、未来を語っていた私たち。

 ちょうど大きなイベントでも行われているのか、新しくここに来る人たちはいない。

 先に座っていた人たちも、一人、二人といなくなり、ついにこの場所には私たちだけになった。


「――愛梨」


 つかの間の沈黙を破ったのは、優樹の、少し固い声。


「あの時の約束だけど、さ」


 先程までとは異なる声色に、私の心臓が音を立てはじめる。


「俺の気持ち……聞いてくれる?」


 ライブ前よりも強い緊張をその目に宿して、優樹は、固い声で私に問いかけた。


「うん」


 私は、こくりと頷く。

 ――ついに、この時が来たんだ。


「俺――」


 優樹はいちど大きく息を吸って、それから、はっきりと告げた。


「愛梨が、好きです。付き合って下さい」


 緊張で、その声は震えていた。

 ライブの時も、震えず歌い通したのに。


「優樹……ありがとう。すっごく嬉しい」


 優樹の気持ちには気付いていたけれど、直接、はっきり言われることがこんなに嬉しいなんて。

 私は、心臓をばくばくさせながら、ずっと考えていた答えを優樹に告げる。


「――よろしくお願いします」


「……っ! まじ? 現実?」


 優樹は、目を丸くしていた。

 そんなに予想外の答えだっただろうか。


「ふふ、現実だよ。ほら」


 私は優樹の顔に手を伸ばして、ほっぺたをつまむ。


「いててっ」


「ね?」


 優樹の頬は風邪をひいた時みたいに、赤くてぽかぽかだった。

 私が頬から手を離すと、優樹は私がつまんでいたところに手を触れる。


「はは、本当だ。うわー、まじかぁ」


 それで緊張が解けたのか、優樹はふにゃふにゃした顔で笑った。私もつられて、笑顔になる。


「あー、正直、断られるかもってちょっと思ってたから、めっちゃ嬉しい」


「え、断ると思ってた?」


「まあ、その可能性もあるかも、って思ってた。愛梨が俺のことを気にしはじめてくれてたのは、気づいてたけど」


 優樹には、私の気持ちの変化もしっかり気づかれていたようだ。

 けれど、私がはっきりしなかったから……。

 今更ながら、優樹を長い間不安にさせてしまっていたことを、申し訳なく思う。


「……愛梨、さ。俺たちとの関係が壊れるのが嫌だったんだろ?」


「……うん。よくわかったね」


「そりゃあ、な」


「――優樹の言った通り。私、どうしたらいいか、ずーっと考えてたんだ」


 背中を押してくれたのは、麻衣ちゃんの行動だった。

 彼女は、自分の気持ちにケリをつけるためだけに、結果がわかった上で行動を起こした。

 せっかく良好な関係だったのに、告白したりしたら、今まで通りの関係ではいられなくなるかもしれない――それでも、麻衣ちゃんは、行動したのだ。


 自分の気持ちに区切りをつけて、新しい自分になるためにも、時にはそういう思い切りが必要なのはわかる。

 けれど、麻衣ちゃんの告白を目の当たりにするまで、私にはその勇気が全くなかった。彼女の行動は、私に、相当な衝撃を与えたらしい。


「私、進むのが怖かったの。私……優樹が思ってるより、多分、ずっと臆病なんだ」


 関係性が変わるのが怖い。

 環境が変わるのが怖い。


 嫌われたり幻滅されるのが怖い。

 そうして、好きになった相手に、捨てられてしまうのが怖い。


 ――いちど自分の全てをひらいてしまったら、それが壊れてしまったとき、私自身もきっと壊れてしまうから。


「……なら、さ」


 黙ってしまった私に、優樹は、しばらく考えてから、やさしい声色で告げる。


「愛梨が怖いと思ったときは、俺も一緒に立ち止まるよ。愛梨がちゃんと納得して、心が決まるまで。足を進められるようになるまで、隣でずっと待ってる」


「でも、そうしたら優樹が先に進めないよ」


「そうじゃないんだよ」


 優樹は、やさしく否定した。

 幼子に言い聞かせるように、淡く微笑みながら。


「――一人で進んだ先には、何もないんだ。ゆっくりでもいい、俺は二人で進む先にある景色を見たいんだよ」


「二人で、進む先……」


「愛梨の歩みがゆっくりなら、俺も同じペースで歩く。怖くても先に進みたいと愛梨が思ったなら、ちゃんと俺がリードする」


 私の目を覗き込む優樹の瞳には、強引さも性急さも、ひとつもない。ただ透明なひかりをたたえている。


「もちろん、俺たち二人に関すること以外は、それぞれ別の道を行くかもしれない。別の歩幅で歩くかもしれない。けど、愛梨との未来は、愛梨と同じスピードで進んだ先にしかないんだ」


「……うんざりしない? 歩くのが遅すぎたら」


「うんざりするわけないだろ」


 はっきりと否定した優樹は、不満げに唇を尖らせる。


「――愛梨はわかってない。俺がどれだけ愛梨のこと好きか」


「……っ」


 真剣そのものの視線に、真っ直ぐ射貫かれて、私の顔が熱くなってゆく。


「きっと、世界を超えても、時をまたいでも、生まれ変わっても、俺は愛梨を好きになる。そのぐらい、俺は愛梨のことが好きなんだ」


「ふふ、大袈裟だね」


「大袈裟じゃない。冗談でもない。俺は本気だよ」


「優樹……」


 誤魔化すように笑ったのに、優樹はずっと、真剣にこちらを見つめている。


「……どうしてくれるの、もう」


 私がうわずった声で呟くと、はじめて、優樹はうろたえた。


「……え? 何かまずいこと言った?」


 戸惑って不安げに私を見ている優樹の瞳を、しっかり見つめ返す。


「――こんなに好きにさせられちゃったら、もう、戻れないじゃん」


「――っ」


「なんでそんなにカッコいいの? 私、私……ただでさえ優樹が好きだったのに、もう……」


 囁くように。困り顔で、私は告げた。

 優樹は、顔を真っ赤にして、固まっている。


「――私、優樹のこと、大好きみたい」


「愛梨……っ」


 優樹は、ぎゅう、とやさしく私を抱きしめる。

 私も、優樹の想いに応えるように、その背中に手を添えた。


 しばらく抱きしめ合って、私たちはそっと身体を離すと、至近距離で見つめ合う。


「俺も、俺も大好きだよ」


「――うん」


 両方の手を触れ合わせて、私たちは、ただ微笑む。


 歩みの遅い私たちの唇が重なるのは、きっとまだまだ先だろう。

 けれど、重ね合わせた視線と指先は、照れたように笑う顔は、確かな熱を持っていた。


 私は、ドキドキの奥にある、不思議な安心感と充足感に、ようやく気づく。

 見えない糸が繋がったみたいな、欠けたピースがはまったみたいな。


 ――いや、やっぱり少し違うかもしれない。

 本当は、ずっと、繋がっていたんだ。今まで気付かなかっただけで。


「……優樹の言ったこと、私にもなんとなくわかるかも」


「ん?」


「世界を超えても、私はきっと、優樹を好きになる」


 違う世界でも。

 時間を超えても。

 きっと私は、優樹と恋をする。


 そんな不思議な確信があった。

 優樹も、きっと同じだろう。


「ねえ、優樹はどうして私を好きになったの?」


 それは、聞きたくもあり、聞きたくなくもあった質問。きっと聞くなら今しかない。そう思ったら、結局、聞いてしまった。


「――それは、秘密」


「えー、秘密なの?」


「いつか話すかもしれないけど、今はまだ、秘密」


「そっかぁ」


 それならそれでいい。

 優樹は、今の私を好きと言ってくれているのだ。

 ならばきっと、ありのままの私でいいということなのだろう。


「愛梨は? どうして俺を好きになってくれたの?」


「えっ」


 同じ質問を優樹から返されて、私は困惑してしまった。


「だって……それは……」


 優樹が格好いいから。

 見た目だけじゃなくて、その内面も、全部ぜんぶ、気づいたら好きになってたんだ。


「それは?」


「――やっぱり秘密!」


 言えるわけない。恥ずかしすぎる。


「なんだよー、そっちも秘密かよ」


「ふふふ、秘密返しじゃ! まいったか」


「まいりました姫さま〜」


「あはは、苦しゅうない」


「ははぁ〜」


「「ぷっ」」


 私が照れてふざけはじめると、優樹もそれに乗ってくれた。

 おかしくなって、二人して吹き出してしまう。


 甘い空気なんてもうすっかりどこかへ行って、普段通りだ。

 いつもと違うのは、重なり合ったままの、互いの手だけ。


 私たちは肩を寄せ合い、指を絡めたまま、何でもない話をしてのんびり過ごした。

 それが、どうしようもなく、ただただ幸せで。


 ゆっくり、ゆっくり、進めばいいんだ。

 隣でやさしく笑う運命のひとは、決して急かさず、陽だまりみたいにあたたかく寄り添ってくれる。


 遠く人々の喧騒が聞こえる飾り気のない寂れたベンチ。

 見慣れた景色も、優樹と一緒だと、なんだか普段と違って見える。


「――愛梨、俺、幸せだよ」


「……私もだよ、優樹」


 私と優樹の物語は、まだ始まったばかり。

 これからゆっくり、未来を作っていけばいいんだ。



 文化祭編 ――fin.


✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚


 お読み下さり、ありがとうございました!

 文化祭編、これにて完結となります。

 引き続き不定期に更新していく予定ですが、カクヨムコン期間は更新できないと思いますので、一旦完結設定させていただきます。


 急遽書きたくなって書き始めた番外編ですが、たくさんの方に応援していただけて、本当に嬉しかったです。

 お読み下さった皆様に、心から感謝申し上げます!


 いつかまたお会いしましょう♪

 本当に本当に、ありがとうございました!

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タイムリープしたら、推しと恋をする世界線でした。 矢口愛留 @ido_yaguchi

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