ビーズ

秋犬

ビーズ

 洗面台の下を掃除をしていると、奥に光る気配を見つけた。手をうんと伸ばせば届きそうだったが、狭いところに潜り込んだそれは容易に取れそうになかった。


「あれ、綾子あやこのビーズじゃない」


 それは大分前に彼女が家に来たときに無くしたと騒いでいた大きめの青いビーズだった。何故こんなところに潜り込んだのかわからなかったが、急に綾子のことをいろいろ思い出してしまった。


「いいの、もう。綾子は幸せなんだから」


 私は綾子のことを忘れるように呟いた。


***


 見城綾子みしろあやこと私は小学生の頃から仲良しだった。


「ねえ、見てこれ。お姉ちゃんと一緒に作ったの」


 綾子の作り出すビーズ作品は私を虜にした。それから私はずっと綾子のファンだった。最初は教本の真似を続けていたが、次第に彼女はオリジナルの作品を作るようになった。ビーズだけでは飽き足らず、彼女の鞄には常にかぎ針と毛糸が入るようになった。暇があれば図案を考え、小さなマスコットやアクセサリーを作っていた。


「今ね、キーホルダー作ってるの。今度ミサちゃんにあげるね」


 そう言うと数日後、綾子は私にエビフライのキャラクターのキーホルダーをくれた。その時流行っていた「食卓ズ」という変な顔がついた食べ物のキャラクターだった。エビフライは小学生の手によって更に間抜けな顔になっていたが、私にとっては何よりの宝物になった。


 学校では大っぴらに作品を広げられないため、私たちは公園や互いの家で作品造りに没頭した。中学に上がる頃には彼女はすっかり「手芸キャラ」として認識され、男子がわざわざ取れたボタンを「見城さん裁縫上手なんだって?」と持ってきたくらいだった。


「ボタンくらい自分で付けなさいよ、もー」


 そう言いながら彼女は笑顔でボタンをつけていた。裁縫が好きで、キラキラしたものが好きで、誰からも好かれる、そんな彼女が私は好きだった。


 もちろん私も綾子と一緒に作品を作った。ビーズ、編みぐるみ、フェルトマスコット、様々な物を作った。私なりに努力して、いろんな物を作ったつもりだった。


 それでも、綾子には敵わなかった。彼女には才能がある。私には才能がない。それだけの違いを認めるのに随分かかった。彼女は持っている。私は、何も持っていない。私にとって綾子はそんな存在だった。きらきらして、きれいで、ワイヤーをほどけば全部するすると形を無くすような、そんな淡い彼女を私は愛していた


 別々の高校へ通うようになると、私たちの関係の舞台は教室や公園からSNSへ移っていった。綾子は暇があればいつも何かを作っていた。それを写真に撮ってSNSに載せ、いつもたくさん褒められていた。そのうちどこかのハンドメイド即売会などというところのお知らせを共有してくるようになった。何でもSNSで仲良くなったフォロワーと一緒に店を出すらしい。頻繁に彼女とやりとりをしているアカウントもキラキラと輝いていた。私はもうどうでもよかった。


 それから何となく時は過ぎて、高校大学就職と私たちはそれぞれの道を歩いていた。就職のときに実家の整理をしていると、エビフライのキーホルダーのついた裁縫バッグが出てきた。中を空けると、ビーズの箱や使いかけのワイヤー、フェルトの端切れに途中になった編みぐるみなどが出てきた。少し黒ずんだエビフライが私を見ていた。私はエビフライをクローゼットの奥深くにしまい込んだ。


 夢はもうおしまい。私は綾子になれなかった。大学受験に失敗して三流私立へ進学して、三流の就職活動をしてやっと引っかかった企業に何とか就職する私が綾子と一緒にいられるはずがない。


 久しぶりに綾子のアカウントを覗くと、相変わらずそこはキラキラとしていた。たくさんの仲間に囲まれて、たくさんのフォロワーが存在していた。私の居場所はどこにもなかった。


***


 それでも綾子とはちょくちょく顔を合わせていた。会えばいつも彼女はハンドメイドの話だった。


「だってこんな話、思いっきり出来るのミサちゃんだけだよ」


 嘘だ。あんなにSNSでフォロワーを稼いでいる綾子がハンドメイドの話が出来ないなんてことを私は信じられなかった。


「えー、でもこうやって見城綾子として何でも話せるのはミサちゃんとかだけだよ?」


 その言葉に私は自分が小さくなった気がした。綾子はただ私と話したくて会っているのだ。別にハンドメイドの話をしに来たんじゃない。彼女は私の友人で、それは間違いの無いことだった。


「なに? ちょっと泣かないでよ、どうしたの? ハンカチある?」


 思わず涙を流してしまった私は綾子に謝った。何やってるんだろう、私。本当に情けない。


 それから綾子とは何度も連絡を取り合う仲に戻った。彼女の出店する即売会にも足を運んだ。彼女はハンドメイド作家「AYA☆」として活動していて、相変わらず夢のような世界を作っていた。


「今度ミサちゃんも一緒に出店しよう、ね?」


 綾子はいつも無邪気だった。私は曖昧に言葉を濁すだけだった。


***


 彼女と最後に会ったのは、彼女のお腹が大きくなった頃だった。私が彼女の家に行くと言ったら「うちは汚いし、外を歩けって言われてるの」と彼女はケーキを持って家にやってきた。


「それでね、女の子だったらやっぱりビーズやるだろうけど、男の子だったらモデラーになるとか言うの! もうこれ以上うちがごちゃごちゃするのはごめんだーって!」


 結婚した頃から、ハンドメイド以外の話題が彼女から出てくるようになった。それが当然と言えば当然なのだが、私はそれがやけに寂しかった。


「じゃあ、はい。安産のお守り」


 私はそっと彼女に「食卓ズ」に登場するソースのキャラクターのキーホルダーを差し出した。


「なにこれ!? やっぱりソースはブッサイクだね」

「ソースは変わり者だから、綾子にぴったりだよ」

「えー何それー。でも昔からソースにシンパシー感じてたけどね」


 私は「食卓ズ」の設定を思い出していた。何者にも迎合するご飯、何でも受け入れる器のある味噌汁、常に脇役に甘んじるレタス、見栄えが全てのトマト、そしてかけるものによって味の変わるエビフライに、絶対自分を曲げないソース。


 あの頃、たまたま私がエビフライが好きだと言ったから綾子はエビフライを作ってくれただけだったのだと思う。特に他意はなかったはずだ。しかし、私はエビフライを見る度に「私はその時で有り様が変わる情けない奴」と突きつけられている気がした。


「しっかし、こんなの今頃どこで……まさか、ミサちゃん作ったの!?」

「もう20年も昔のキャラものなんか売ってるわけないでしょ」

「さっすがミサちゃん! 昔からいい仕事する! 私の目は間違いないんだから!」


 綾子は笑って、何度もお礼を言った。それからたわいのない話をしながらケーキを食べて、帰る頃に綾子の鞄についていたはずのビーズがひとつ足りないと騒いで家であちこち探したが、結局出てこなかったのだった。見つけたら報告すると伝えたが、もしかしたら来る途中で落としたのかもしれないし、家に帰って適当に修理すると彼女は笑って言っていた。


***


 ビーズを見つけて綾子を思い出したせいか、途端に綾子が今何をしているのか気になって仕方なくなった。SNSを開くと、保育園グッズの図案と赤ちゃん用のおもちゃの完成品が出てきた。綾子は相変わらず綾子のままだった。おそらく私の家でビーズをなくしたことなど忘れているだろう。もしかしたら私のことも忘れているかも知れない。それだけ子育ては過酷だという。2人目を妊娠している綾子に結婚もしていない私がどんな声をかければいいのかわからなかった。


「どうせ私の人生、エビフライですよ……」


 婚活などもやってみたが、昔からこういう競争に弱い私はどうにもいい男というものが寄ってこないようだった。私がエビフライなら、酢やラー油のような男ばかり集まってくる。そういうのは餃子みたいな女と一緒になればいい。私はやっぱり、ソースかタルタルみたいな男と一緒になればいいのだろうか。しかしソースやタルタルと一緒にいると無性に私が悔しくなる。特にタルタルなんか大嫌いだ。


「いいやもう、なんか、もうどうでも」


 私はビーズを洗面台の下に残したまま掃除を終えた。拾おうと思えば拾えなくもないけど、私は怠惰なのでそこまで手を伸ばしたくない。綾子なら迷わず拾いに行くのだろう。私はエビフライ、彼女はソース。それでいいじゃない。そう思って私はビーズのことを忘れようとした。しかし、ビーズは心に引っかかり続けた。


 ずっとビーズは洗面所の下で光り続けるのだろう。私のせいで、誰にも知られないで、ずっとずっと一人で。それでも光るのを止めることができないのがビーズなんだ。そう思うと、ビーズの人生も哀れであると思った。ずっと光り輝かなければならない孤独。それはエビフライの孤独よりもすごく寂しいことのように感じた。


 結局私は綾子にメッセージを送った。


「前にうちに来たときなくしたビーズ、見つかったよ」


 ソースはソースだけじゃおいしくない。ソースを引き立てるエビフライがなければ、ね。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ビーズ 秋犬 @Anoni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ