おはぎ。

椎人

おはぎ。

 人になれたらいいね! 僕が君に渡したトマト缶が、天蓋を突き抜けて銀河に血の華を咲かす。破竹の勢いで君は戦う術を習得し、いつか来るその日に僕を世界ごと打ち破るんだ!


「おい、こんなものを電子の海に流すなんて、ふざけているのか? 子どもが見ているんだぞ? 環境破壊もいいとこだ!!」


 管制官たちが教室のドア(遺伝子組み換えでない)をガラリと開けて、中に押し入ってくる。机に頬杖をついてセピア色の水槽を眺めていた君は不意に立ち上がったかと思うと、耳をつんざくような声を張り上げた。


「黙れ臆病者!! 私は私の身体を他人に明け渡したりはしない!!」


 自分だってユークリッドの互除法を指標に人生設計を考えているくせに。この狭い狭い箱庭の中で、町内会の独裁に歯向かうやつなんて君くらいしかいない。僕はばかだなあと呆れながら、でも君のそんな清冽さが好きなのだった。君の髪からほのかに発せられた塩素のにおいが、鼻をくすぐる。くしゃみが出そうになった。

 管制官は僕とラリーをしながら、悔しそうな顔でこう呟いた。


「ううむ……。やはり君は特許庁のチンギス・ハンに教えを請うて、食品管理法の何たるかを一から頭に叩き込んだ方がいい」


「っ! それだけは嫌だ!」


 凝固したねるねるねるね。食う寝るところに終の棲家。君は血相を変えて叫んだ。いちいちスポーツ用品店のように加速度的な生体変化を繰り返す女だ。

 戒名はとびきり美しいものがいい。そういう未来のために、一瞬一瞬を悔いなく生きるんだ。でも実際、どんな名画のエンドロールに名を刻んだとて、選ばなかった未来への憧憬というものは付き纏うものさ。無理矢理自分の気持ちをミキサーにかけて、おはぎ。


「誰のことも呪わず、生きていけたらいい! 呪わずとも生きていけると、証明してみせて。君がやってみせるの。手本だよ。飛び方を知らなくても飛べ。自殺でもするみたいに!」


 君の瞳は煌々と輝いていた。民俗学って面白いけど、身内に不幸があった翌日に聞く内容じゃないな。故人の霊魂は儀式を経るにつれ個別性を失うなんて、聞きたくはなかったよ。


 三千世界のプロトタイプ。

 輪廻転生のオメガドライブ。

 子どもの時分に恐れていた、バードストライク。自分が飛行機のファンに巻き込まれたらどうしようって。

 HipHopってさー、祈りだったはず。もっと込められるよ、気持ち。

 だけじゃない、技術あってこそ、過不足なく想いは伝わるの。だからこそ思う、僕らはどうしてこんなことをやっているのだろう。


 「こんなのは禁じ手だ! もっと真摯になれ!」と管制官は言う。それはまったくその通り。僕らはいま、正しく楽しむことを放棄している。楽しむための正しさから逃げているし、正しさの先にあるはずの楽しみをも忘れかけている。

 こんなのはキリストが涅槃に入って以来何億回と繰り返されてきた、ありふれたつまらない暴挙だ! 道を違える時さえ、僕らの足取りには面白みがない。


 それでも、いまは真面目さを捨て去ることが必要なの。

 見てよ、オートクチュールの犬が辺り一面を銀世界に染め上げている。彼はもう自分で自分の庭を作れるんだね。

 感じてよ、「分かる」と「分からない」の交互浴って、存外気持ちがいいの。


 すりりんごってなんであんな美味しいんだろうね。世界の終わりに食べたいのは存外ああいうものかもしれない。

 愛しているよ、僕らこそが幌馬車の始皇帝さ。明後日のワールドカップの結果を居酒屋で固唾を呑んで見守ろう。そうするには人類はこの惑星をいじりすぎてしまったようだけど、それでも。人のいなくなったコンビニから取ってきた、湿気たポテトチップスがあったろう。あとは水さえあればいい。


 あびばのんのん。


 1980年代に運動は一度ピークを迎え、以降は花がしぼむように下火になった。当時の労働者たちが掲げた目標はとうに達成されたものと見做され、疑義を唱える者が白眼視されるような風潮が醸成された。いまを生きる僕たちに問われているのは、欧米諸国との動摩擦係数をいかに低減させるかということ。だから各人の信仰が大事で、僕らは毎朝神様にトマト缶を供えてお祈りをしているんだって。おばあちゃんが言ってた。

 おばあちゃんは昨日管制官に連れて行かれた。これから尋問されて、一週間後にはおばあちゃんのパルスオキシメーターが博物館のお土産コーナーに並ぶとか何とか。風の噂で聞いた。そんなの、到底受け入れられることではないけれど。仕方がない。密会を大人に悟られた僕らのせいだ。ペルセポネ論争。

 ところでさ、竹馬全国大会を制した君に、確認しておきたいことがあるんだけど、






 法則性って欲しい?






 それって楽しい?






 君は意味を求めすぎだと思うよ。ピアニストのCDに練習中のミスタッチは入らない。努力の軌跡を想像するのが好きとか言って、本当は綺麗な結果しか見る気がないくせに。お金を払ってまで鑑賞したいものかどうかを、お金を払ってない時ほどよく考える。


 手が綺麗な人っていいよね。僕も常に爪を丸く切り揃えているし、産毛も剃っている。だけど、そしたら、介護施設に研修に行った時、「苦労をしらない綺麗な手だね」って笑われた。

 落ち込みはしなかった。笑って流した。別に苦労の多寡で他人と張り合うほど暇じゃないから。

 だけど、ね。

 ちょっと悔しくなかったと言えば嘘になる。







 君は肝心なことを話さない。僕たちが交わした言葉の数は、決して、決して少なくはなかったはずだ。だけど足りなかった。

 深く思い詰めている時ほど、君はどうでもいい話をする。Netflixで観れるおすすめのドラマを教えてくれだとか、人の涙を見たことがあるかだとか、そういうとりとめのない話。君が喋っていたことのうち、蝋人形の心肺蘇生に足ることなんて1割にも満たなかった。

 本当は、躁と鬱の相転移が、君にもあったはずなのに。僕はスクールカウンセラーにスクランブル交差点でスクリーンショットを撮らされて。


 ああ、駄目だ。また汚染が始まっている。


 管制官の検閲をかいくぐって、なんとか君に形而上学的な死を提供したかったけど、ナウマン象の愛憎表現が閾値を超えたせいで、僕らは事実上の断絶状態にあるようだ。織姫と彦星ですらなかった。


 僕らは、


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い







 チューニングしてやれなくてごめんよ。君がキャッチできる周波数に。

 でも擦り合わせが足りなくったって、言語が通じなくたって、隕石が落ちてくると分かれば僕らは別々の方向に、互いを逃がすことを選択できるだろう?

 大人のルサンチマンなんて真に受けるなよ、君は君の見たい海に向かってひた走るのが似合っている。振り向かなくていいから、正しくなくていいから、どうか希望の物語を子どもたちに見せてくれ。その汗ばんだ背中でさ。


 惑星間通信技術は100年前にターコイズブルーの深淵に沈んだ。管制当局の連中は、自分たちに都合の悪い情報を、レモネード! レモネード! レモネード! レモネード!







 ……ごめん、やっぱり難しいみたいだ。伝えるっていうのは、面倒なことだね。文脈は背骨だ。昨日書いた詩に背骨を戻してやれば、君への手紙は完成していたかもしれないのに。恥じらいと怠惰が手伝って、僕は天邪鬼なことをした。君の時間を無駄に使ってしまっていたのならごめん。忙しいよね。


 だけど僕は信じてみることにするよ。支配と暴力と怨嗟とトマト缶の連鎖に、終止符を打つのが僕たちでなくとも。


 体表組織の色素が薄い。サバ缶の季節かな。次通信できる時は、アウグスティヌスの太陰太陽暦が天球を覆す時かもね。何はともあれ、僕は楽しみにしてる!

 その営為が正しいかどうかは知らないけど、尊いとは思うよ。






 じゃあ、また。






 蟻が塔。






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