第5話 レッドドラゴンフライ
「さあ~~~って、と。レッドドラゴンフライちゃ~ん。起きてちょうだいなあ~っと」
いそいそと『がなやんま泉』の傍に置かれた物を見た姫の頭の中では、先程までの衝撃的な光景があり得ない速度で行き交っていた。
刹那の出来事であった。
秋津が毒虫の大群に向かい合ったかと思ったら、毒虫の大群が炎に包まれて、こんがりと香ばしい匂いが漂えば、地面には巨大なフライが一個転がっていたのだ。
毒虫フライの完成だ~。
パチパチと拍手すると、秋津はその毒虫フライを持ち上げて、『がなやんま泉』の傍に置いたのであった。
すべてフライにしてしまったのか。
それとも、フライとして犠牲になってしまった仲間を前に、警戒して襲いかかって来ないのか。
追いかけて来る毒虫はもう居なかった。
「レッドドラゴンフライちゃ~ん。ほ~~~ら。君の好きな毒虫の、さらにフライですよ~~~。しかも米酒入りですよ~~~」
膝を抱えて泉の中を見つめる秋津の横で、姫は地面に両膝をつけて両の手を組み合わせて握り、祈った。
お願いします、レッドドラゴンフライ。
目覚めてください。
お願いします、レッドドラゴンフライ。
城に蔓延る毒虫を食べてください。
「ほ~~~ら。お目覚めの時間ですよ~~~」
「目覚めてください」
「「レッドドラゴンフライ」」
秋津と姫の声が重なった瞬間であった。
突如として泉から水柱が天空に向かって駆け走ったかと思えば。
「秋津さん」
「ああ」
もう涙は出ない。
そう思っていた姫の目からまた、大粒の涙が溢れ出して来た。
網目のように張り巡らされている
複眼という大きく赤い二つの目。
鋭い刺のある六本の赤く細い脚。
細長い赤い胴体。
これらが特徴の虫であるレッドドラゴンフライが天空を支配していたのだ。
瞬く間の出来事であった。
天空を支配していたのはほんの刹那の間のみで、無数のレッドドラゴンフライが一斉に城へと飛翔したかと思えば、城に蔓延る毒虫をあっという間に食い尽くしてしまったのだ。
食い尽くしては、隣国へと飛翔していったのであった。
「ありゃりゃ。も~しかして~。俺の国にも出ちゃってたのかな~~~」
秋津は戻らないとな~と言いながら、姫に土焼きの酒瓶を差し出した。
「毒虫に眠らされた人を目覚めさせる薬。湿らせた綿を鼻の穴の近くに置いてね。あ。これ、レッドドラゴンフライのフライ入り、ね」
ウインクをした秋津は、じゃあね~~~と言って手を振ると、えっさほっさっと言いながら走って行った。
姫もまた、駆け出した。
土焼きの酒瓶の中で、たぷたぷと液体が揺れるたびに、レッドドラゴンフライに感謝と謝罪を告げながら、城へと一直線に。
「ばあちゃん。身体に戻ってないと。目覚めさせるぞ~~~」
「ああ。わかっておる」
隣国に戻って来た秋津は家への帰路の途中で祖母の生霊に会った。
黄昏時だった。
黄金に染まっていた。
刈り時の田んぼも空もレッドドラゴンフライも。
もう見られないと思っていた、この国の原風景だと、感激の涙を流す者も居た。
秋津の祖母のように。
もう見たくないと思っていた、この国の悲劇の風景だと、悲嘆の涙を流す者も居た。
毒虫を喰らい尽くしてくれるレッドドラゴンフライが現れた次の年は、凶荒になると信じる者も居たのだ。
そんな事はない。
秋津の祖母は鼻息荒く言った。
レッドドラゴンレッドが現れても凶荒になどならぬ。
「昔の王がレッドドラゴンフライの見た目が嫌いと言う莫迦げた理由で排除しようと噂を流した次の年が本当に凶荒になったが、レッドドラゴンフライが原因ではなく、太陽の力が一時的に弱まっただけの話よ」
「あ~~~うんうん。ばあちゃん。わかったから、とりあえず身体に戻ろっか」
「うむ。秋津。よくやったな。ありがとう」
「うん」
「秋津さん。ありがとうございます」
「ふふん。俺って、気配り上手な男だから、さ」
毒虫が城から出現し、姫と秋津が出会って、レッドドラゴンフライが『がなやんま泉』から出現し、姫が毒虫の吐いた糸によって眠らされた城のみんなを秋津からもらった薬で目覚めさせるという怒涛の一日が過ぎた、次の日の事であった。
『がなやんま泉』の傍で置き去りにされていた毒虫フライを、秋津が回収しに来たのだ。
「祖母がこれを占いに使うらしいから持って行くね」
「はい。よかったです。どう処理をすればいいか、城のみんなで考えていた最中でしたから」
「みんなは大丈夫?何か後遺症とかない?」
「はい。秋津さんの薬のおかげで元気満々です」
「うん。よかった。じゃあ。俺、戻るね」
「はい。重ね重ね、ありがとうございます。隣国のあなたの家に改めて感謝の品を持って行きたいのですが。かぼちゃはお好きですか?」
「うん。俺、好き嫌いないよ」
「よかった。かぼちゃのパイを持って行きますね」
「わあ。やった。楽しみにしてる。ありがとう。姫さま」
「はい。こちらこそ」
姫は晴れやかな笑顔で、毒虫フライを担いで帰る秋津を見送ったのであった。
その姿が見えなくなるまで、いつまでも。
(2023.10.15)
レッドドラゴンフライ 藤泉都理 @fujitori
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