後編

 梅雨入り目前、朱音は礼香との関係性に進展がないことに焦れる日々を過ごしていた。仲を深めようと躍起になっているがうまくいかない。


 たしかに入学して間もない時期、そして読書部に入ってすぐの頃に比べると朱音は礼香についてそれなりに詳しくなった。

 彼女が自分と同じく、両親と一人娘という三人家族なのを知り、昔は白い毛並みの大型犬を飼っていた話も聞いた。また自転車通学である自分と違って電車通学で、人混みが嫌いな彼女は早い時間帯に乗っているのも聞き出した。 

 ついでに言うと、いつも同じ時間に乗り合わせていた、朝練のある運動部の男子からつい先日に交際を申し込まれて断った噂も聞き及んでいる。


 読書を除くと礼香に趣味らしい趣味はなく、時々、舞台好きの叔母に連れられて演劇やバレエを観に行くというのも話してくれた。その流れで、中学生のときに演劇部からしつこく出演を誘われて危うくその生徒の頰を引っ叩くところだった件を礼香は思い出した。


「その人、『台詞は一切なしで、衣装を着て舞台でちょっとしたポーズをとるだけでもいいから』って言ってきたの。人を馬鹿にしているにもほどがあるわ」


 朱音は彼あるいは彼女の言わんとしたことがわかった。馬鹿にしたわけでないのだと。

 礼香はその場にいるだけで絵になる少女だ。その美だけでも欲しがる気持ちは正直、理解できる。

 こうしたことを朱音は礼香に説明しなかった。いかに彼女が美しいのかを的確に表現できる自信がなく、薔薇自身にその美しさを教え込もうとするようなものだと思ったのだ。


 読書部の活動を通じて、礼香がどんな本を好んで読むかについても朱音は知った。

 彼女は文学史に名を連ねている近代作家が著したもののうちで比較的読みやすい小説を繰り返し読んでいた。同時に、時代問わず国内外のSF小説もまた彼女の愛読書であった。曰く「想像力と論理的思考が惜しみなく発揮されているところが好きなのよ」とのことだった。


 礼香の心の内が記されている本でもあればいいのに。あるいは、自分の気持ちを今より上手に伝えられる言葉がぽんぽん出てくる装置でもあれば……。

 そんな空想をしながら朱音は放課後を彼女の隣で過ごしている。時折、礼香が読書する姿に見惚れてしまって、注意を受けることもあった。


 朱音が礼香に恋焦がれて空回りを繰り返す一方、礼香のほうでも朱音との関係に悩んでいた。礼香が朱音に折を見て説こうとしていたのは、友人のままでいいのでは、ということだった。


 朱音と共に入部を決めた読書部の実態は概ね予想どおりで、早い話が半分帰宅部で本好きの憩いの場であった。

 活動曜日はかっちりと定まっておらず、小会議室で静かに寛いで本を読むのを活動内容の大部分としていたのだ。正式には部ではなく同好会扱いであり、予算はおりていない。ただ、存続のために読書レポートを月に数枚ほど作成して図書室内に掲示するのがルールとなっていた。


 朱音は礼香と読む本の傾向がまるで違った。朱音が読むのは大抵が青春小説で、題材としてはスポーツが多かった。他にはミステリ小説であったり、時にはノンフィクションやエッセイも読んでいた。


 好む本の系統が違うことを礼香は好意的に受けとっていた。

 部活動の一環と称して、朱音はよく礼香に読んでいる本の内容や感想を言葉にするのを求めてきて、礼香もまた朱音に同じことを求めている。

 朱音が感じたことや考えたことを話し、それを聞くのが礼香は好きだった。飾り立てない感想の中に現れる、作品の核心をつくような言葉。それがたびたび礼香の心に響いた。

 そして礼香からも読んだ本に関して話すと、時に朱音が鋭いことを言ってきたり、新たな視点を与えてくれたりするのも喜んだ。


 こうして礼香には、朱音からの「好き」に応えられないと思いながらも、彼女と交友を続けたい気持ちが生まれていたのだ。


 だからこそ、ぶち当たる。

 友達ではいけないのか。礼香は恋人同士でしか普通はしないことを朱音としている自分の姿をイメージしてみた。

 それはいつも固まらずに霧散してしまう。しっくりこない。その事実をして礼香は朱音からの好意に応じられないと信じていた。





 梅雨入り宣言がなされたその日、礼香は朱音を昼食に誘った。

 その誘いに朱音は二つ返事で了承した。実はこれまでに三度、朱音から礼香に昼食を共にしたいと言っていたのだが「一人がいいから」と断られていたのだ。


 その日までに礼香の氷血姫の異名が薄まるどころか濃くなっていたことについても触れておこう。十一人というのが礼香が高校に入学してから二ヶ月余りで交際を拒否した相手の数だと噂されていた。ちなみに朱音の告白は含まれていない。

 断り方は例外なく冷ややかなもので、一部の女子連中から反感を買いもした。

 礼香からすればろくに会話したことのない、名前も知らない輩から付き合ってほしいと言われても迷惑でしかなかったのだが、そこに同情を寄せてあたかも親衛隊の役を買って出る生徒はいなかったのである。


「単刀直入に言うわ」


 人気のない空き教室まで来て、礼香は言った。その淡々とした口調にはとうに慣れていた朱音であってもその時のその声には身構えてしまった。

 二度と話しかけないで――そんなことを言われてしまうのではと不安がった。だが、続く礼香の言葉はずっと欲しがっていたものだった。


「私たち付き合いましょう」

「えっ……い、いいの? じゃあ氷室さんも私のことを?」

「早とちりしないで。考えてみたの。火浦さんとのキスやセックス。たぶんできない。したいって思わない。ここまでいい?」


 朱音は礼香の口からあけすけに性的なワードが飛び出したことに驚きつつ、肯いた。


「それでね、そういう行為抜きだったら付き合ってもいいかなって。ここには私の利己的な狙いがあるわ。あなたを男避けに使いたいってこと。もう告白されるのはうんざりしているの。誰かと付き合っていたら減るはずでしょう?」


 礼香からの譲歩と付き合う目的に、朱音はあっけにとられた。


「もし私が断ったら、そんな形だけの関係は嫌だって言ったら……氷室さんは別の人に同じように頼むの?」

「いいえ」


 礼香は訝しげな表情で朱音を見た。


「私に友達が火浦さん以外いないのは知らなかった?」

「それは……。けどね、氷室さん」


 朱音はやるせなくなって、伏し目がちに心中を明かした。


「そんなふうに頼んで、私が友達でなくなる可能性を考えなかった? 都合のいい相手になれ、恋人らしいことは無し。そんなの……嫌だよ。それだったら」


 そこで朱音は気づいた。

 今、自分が言おうとしたのが、礼香が望んでいる言葉なのかもしれないと。


 友達のままでいい、そのほうがまし。そう言わせたいんじゃないか。


 残酷だ。朱音は礼香の顔を見つめ直した。彼女相手に非難や糾弾は無駄だと朱音はわかっている。結局、朱音が至ったのは決して鎮火し得ない恋心だった。

 一目惚れだったのが遠い過去のように、朱音は礼香を少しずつ知るたびに愛しさを増していた。

 

 それが噴き出す。


「好きなの。私は氷室礼香のことが好きなんだよ。この気持ちを諦めたくない」


 三度目の告白。

 礼香は肩を竦めた。朱音が自分の申し出にどんな反応をするか、事前に何パターン考えていた。これまで、そんなふうに誰かの心の中を真剣に探った覚えはない。その意味では現時点で朱音は特別だった。


 一番厄介なパターンね、礼香はそう思った。いっそ私との関係を絶つことを選んでくれていたのなら、すっきりしたかもしれない、と。

 またしても「好き」をぶつけてくる朱音の、その目から逃れられなかった。見つめ返しているうちに、礼香の中が素朴な疑問が生じる。


 本当に自分はこの子と行為ができないのだろうか?


 礼香は朱音に近寄り、その両頬に両手で軽く触れた。数センチの身長差はあまり気にならなかった。すぐ間近で目にする朱音の瞳はあの日と同じく綺麗だ。


「目を閉じて」


 頰に触れられただけでもパニックになりかけの朱音が、礼香から優しげにそう囁かれて落ち着いてなどいられなかった。


「ど、どうして」

「私からキスできるか試したくて」

「……本気?」

「冗談を言う人間かどうかぐらい、知っていると思っていたわ」

「まだ、少ししか知らない」

「それでも好き?」


 うん、と消え入りそうな声で呟いた朱音は目をぎゅっと閉じた。


 そして唇に確かな感触を、彼女の温度を感じてくらくらとした。数秒に満たないキスが終わって、礼香の手が完全に離れてから、朱音は目を開いた。そして目を疑った。


 礼香が彼女自身の唇を手で抑え、顔を仄かに紅潮させていたのだ。ついその可憐な少女にキスを今度は自分からしたくなった。が、それはかなわなかった。礼香はさっと一歩退き、目線を逸らして言う。


「想像していたのと違ったわ」

「いい意味で?」


 礼香は答えなかった。

 悪い意味じゃないはずだ、朱音は礼香の顔にまだ火照りがあるのを目にして判断した。一歩を踏み出すか迷って今は止めるべきだと答えを出した。今すぐに礼香を抱きしめたいのをぐっと堪えた。

 

 深呼吸を一つして、朱音は礼香に言う。


「さっきの話、引き受けるよ」

「え?」

「付き合おう、氷室さん。ううん、礼香」

「……調子に乗らないで」

「ぜったい私を好きにさせてみせるから」


 自分は目の前にいる少女に魔法をかけてしまったのでは、と礼香は可笑しな妄想をした。キスをする前と後では朱音が別人のように見えている。

 その姿かたちはいっしょでも何かが変わったと感じる。そしてその変化は彼女の側だけでないのかもしれない。そこに思い至ると胸の奥が熱い。鼓動が早まるのを止められない。礼香にとってそんな経験は初めてだ。


 たかがキス一つ。でもそれは魔法のようで。自分の固い部分を溶かした?

 混乱が浅いうちに礼香は言う。


「ひとまず任せるわ、恋人役。……朱音」


 かくして二人は付き合うことになった。





 朱音を解放してあげるべきだと礼香が真剣に思い始めたのは梅雨が明けて夏休みまで残り一週間余りになった時期であった。


 さっさと別れて、新しい恋なり他の青春なりを朱音に見つけてもらうのが彼女自身にとって、より良い選択だと礼香は考えていた。


 理由は二つある。


 一つは、交際を隠さずにいることで礼香のみならず、朱音が奇異の目で見られているのを不愉快に感じ始めたからだ。

 

 最初はまったく気にしていなかった。 

 元々、礼香自身は覚悟の上で朱音に提案したことだ。つまり、誰かから同性愛者であるのを理由に、差別や侮蔑を受けようがそれらを跳ね返して自分で在り続ける自負があったのである。


 付き合い始めて三日後に、十二人目の男子が告白してきた際に礼香は既に交際相手がいることを理由に断った。それが数日のうちに瞬く間に校内に広がり、礼香に直接問い質す生徒が現れた。そして礼香はしれっと、同じクラスの女子、すなわち火浦朱音が相手であると答えた。そしてまた噂が校内を駆け巡ったのだ。


 なお、その三日間というのは朱音がいじらしくも、人前で礼香を名前で呼んだり、手を繋いでみたり、腕を組んだり、それとなく深い関係であるよう周りに認識させる行動に出ようとしていたが実行できなかった期間でもある。

 

 二人の交際が校内に知れ渡ってからは、朱音に経緯を聞きにくる生徒が数多くいた。あの氷血姫の心を如何にして射止めたのか。その問いに朱音は、二人だけの秘密だからと笑顔で応じた。

 本当は付き合っていないのではないか、そんな疑念を抱く生徒がいたが、その場に居合わせた礼香がこれまたあっさりと「キスしたわよ。その先はまだだけれど」と言って黙らせたのだった。


 結果として七月に入る頃には二人の仲は同学年では知らない生徒がいない状態となっていた。

 それは皆が彼女たちの仲を祝福していたことを意味しない。幸いにも表立って忌避する生徒はいなかったが、それでも二人で歩いていれば、やけに粘りつく視線やひそひそ声、物珍しいものを見る表情、そうしたものに晒されることは多々あった。


 繰り返すが、最初はそんなこと礼香は気にしていなかった。そして同じ姿勢を朱音にも求めていた。

 しかし近頃になって朱音が自分と付き合っていることで嫌な思いをするのは避けたいと考え始めたのである。端的に言うなら、彼女が嫌がるのは自分も嫌だ、と。


 二つ目の理由は朱音の運動能力にある。

 

 いつからか自然と朱音を目で追いかけるようになっていた礼香は、彼女が特に体育の時間に生き生きしているのを知った。

 右肘を大きく動かす運動でない限りは、彼女はどんなスポーツでもその鍛え上げた身体を使って運動部顔負けのパフォーマンスを見せた。太りたくないからと朱音が今も早朝のランニングを続けているのは把握していた礼香であるが、朱音の動きにはれっきとした才能が見出せた。

 そして実際、朱音が定期的に運動部から勧誘を受けているのを知ってもいたのである。


 つい先週の球技大会においてはバレーボールが朱音の参加種目で、礼香は思わずコート内の朱音に見惚れてしまった。

 卓球で参加した礼香は一回戦で早々に敗れて、体育館内で朱音たちがバレーボールをする様子を座って眺めていた。そして朱音が華麗に左手でスパイクを決めた時にはつい「やった!」と声を出し、そばにいた朱音の友達に「今のかっこよかったね」と言われて反射的に肯くシーンもあった。


 そんな、スポーツで輝ける彼女を読書部に、ひいては自分に縛り付けておくのはもったいない。礼香はそう考えたのである。そこにはもっと動く朱音を見てみたい気持ちもあった。


 礼香が予想外だったのは、これら二つの理由をして、朱音に直接別れを切り出すつもりが、いざ彼女を前にすると言葉が出てこないことだった。


 簡単だと思っていた。自分なら容易く別れの言葉を冷ややかに口にできると信じ込んでいた。だというのに、朱音の前に立ち、そして彼女が微笑みかけてくると、別れようだなんて言えないと悟る。むしろ言いたくない。どうして? 

 礼香はここ数日、そんな葛藤に苛まれている。


 いよいよ礼香は自覚せずにはいられない段階まできていた。


 付き合い始めて以来、朱音の提案で休日にデートを三度した。そしてそのどれもで最後には人目を避けてキスをした。四度の魔法のせいで私はあの子に心を奪われてしまったのだわ、それが礼香の答えだった。


 無論、誤解だ。

 キスは一つの行為でしかない。礼香は火浦朱音という一人の少女と時間を重ねることで惚れ込んだ、それがもっとも現実に即した答えであろう。


 どこか乙女チックな想像へと無意識に籠ってしまうほどに、朱音に会うまでの礼香にとって恋は縁遠く、それに身を焦がす日など来るわけないがないと彼女は思い込んでいた。ゆえに、恋心に火をつけられてなお、その熱さに鈍感だったのである。


 こんなふうに礼香は悶々としていたわけだが、朱音の心もまた穏やかでなかった。


 礼香の様子がおかしい。

 それを充分に感じていたのである。たとえば授業中であったり、自分がそばにいない時であったりは、遠目から見て何ら変わりない。周囲への態度がほんの少し軟化した気はするが、基本的には入学したばかりの頃と同じだ。


 とはいえ三ヶ月を共にしているクラスメイトであれば彼女が氷血姫と呼ばれるのは誤りだというのに同意してくれるだろう。礼香は男女問わず、相手を傷つける言葉を積極的に使ってなどいない。口調が淡々とし過ぎているから、冷淡に捉えられることが多いが、決して冷血な人間ではない。


 翻って、朱音と二人きりの時の礼香の様子には変化がある。

 朱音は読書部での時間や休日のデートを通して礼香と親密になれている手応えを感じていた。まだ彼女から好きだと言ってもらえていないが、きっとこの調子ならと信じることができていた。


 デート中は手を繋ぐことを許してくれて、デート終わりのキスは拒まれないどころか、彼女からもしてくれた。それはあの日の一度目のキスよりも深く長い数秒だとはっきり感じられるキスだった。


 それなのに朱音はここ一週間、礼香にどこかよそよそしさを覚えることがあった。

 ふとした瞬間、礼香が自分から距離をとっている、そう思うことが。

 付き合う前、風に舞う花びらのようにでも自分の好意が躱されていたのとは違う。どことなく無骨に、礼香が意識して自分を遠ざけようと努めている、そんな感覚に朱音は襲われているのだった。


 言わずもがな、朱音にとってそのことは悲痛を生み、焦りを抱かせもした。自分の何が彼女を遠ざけているのか、知らずのうちに傷つけたのだろうか、もしそうなら、なぜあの礼香が直接言ってきてくれないのか。どうしよう……。





 悩める少女が胸の内を吐露することになったのは、一学期の終業式が午前中で終わって、そのまま二人で昼下がりのカフェへと入った時であった。


 読書部の活動で放課後にいっしょにいる時間は多くても、放課後の寄り道はしてこなかった二人にとって非日常なひと時。

 近隣の高校とは終業式の日がずれているおかげで、店内は比較的空いており、奥のほうの席に座ったことで同じ学校の生徒に見つかりにくくもあった。


「礼香、せっかくだから腹を割って話そう」


 そう朱音から言われて礼香は出鼻をくじかれた。礼香からも同じふうに話を切り出そうとしていたからだ。そして礼香は動揺のあまり、ぽろりと言ってしまう。


「別れたくないわ」


 二人揃って驚いた。

 もちろん朱音からすると、別れ話なんてもってのほかで、礼香の心を自分に繫ぎ止める、むしろもっと近づけるために話し合うはずだった。

 一方、礼香は話そうとしていたのと真逆の要求を一番にした自分自身に驚愕した。


「私もだよ。礼香と別れるなんて嫌」

「ちがうの」

「ちがう?」

「私は……いいえ、朱音は別れるべきだわ」

「え? ど、どうして」

「嫌なのよ」

「嘘……。段々好きになってもらえているって、信じていたのに」

「そうじゃないわ。勘違いしないで。待って。だから、そうじゃないのよ。そんな顔しないで。嫌なのは、朱音が傷つくことなの」

「傷つく?」

「つまりね、私と付き合っていて、それで周りから――――」

「侮らないで。私の好きはそんなに軽くない。その程度で吹き消せる炎じゃないよ」

「……それに、朱音にはスポーツの才能があるわ。何か、運動部に入るべきよ」

「えっ。いきなりどうしたの」

「私に構っていないで、何かで、えっと、全国目指してみたら?」

「落ち着いて、礼香。らしくないよ。さすがにそこまでじゃないって。けど、褒めてくれているんだよね? ありがとう」

「なんでよ」

「な、何が?」

「なんでそんな顔できるのよ。なんでそんな……優しいのよ」

「誰にでもじゃないし、いつでもじゃない。礼香が私を拒まない限りは、そばにいさせてくれるなら、幸せだから」

「……なにそれ」

「でもね、礼香がつらそうにしているのは嫌。教えて。今、何を考えているの? 何をそんなに悩んでいるの?」

「わかんない」

「ゆっくりでいい。一人で抱え込まないで」

「……明日から夏休みよね」

「うん。ひょっとして、家族と長い旅行にでも行くの?」

「そんな予定ない。そっちはどうなのよ」

「恋人最優先。今のところスケジュールは白紙。書き込んでほしいな。いっしょに」

「ねぇ、朱音」

「うん」

「すごいわね。尊敬しちゃう」

「今日の礼香、どれだけ私をびっくりさせる気なの? もう……。でも、そんなところも好き。新しい一面が見れて嬉しい」

「それよ、それ。私は、うまく伝えられるか不安だわ。ドキドキしている」

「どういう意味?」

「耳を貸して」

「……これでいい?」

「――――好きよ、朱音」


 朱音は知っている。

 今、頰を赤らめている少女は冗談を言えない子だ。ある意味で不器用な子なのだ。

 美しく凛とした佇まいには誰もが惹かれる。でも彼女の内面をきちんと見ようとする人は少ない。多くの人がその遠慮ない物言いに顔をしかめてきたのだろう。そして彼女にはたくさんの「好き」がぶつけられてきたのだろう。


 今度は朱音が礼香の耳元へとその唇を近づける。そっと告げるのは熱い想いだ。あの日燃え上がった気持ちがきらめき続けていた。


 新たな盛夏を迎える。

 眩い陽光を浴びた氷はいつまでも凍っていられない。

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熱血少女の一途な愛情または如何にして氷血姫の心は融解されて恋を知るに至ったか よなが @yonaga221001

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