熱血少女の一途な愛情または如何にして氷血姫の心は融解されて恋を知るに至ったか

よなが

前編

 一人の少女を再び燃え上がらせたのもまた一人の少女だった。


 火浦朱音ひうらあかねは中学一年生の春から中学三年生の夏の終わりに至るまでソフトボールにすべての情熱を注いできた。

 小学校を卒業直後の春休み期間にたった一度、直にソフトボールの試合を観戦したとき、彼女の心に火がついた。そして幸運にも進学先の中学校には強豪とは言えずとも部員数が十分なソフトボール部があった。


 朱音は、長い黒髪をばっさりと切り、新しい洋服やバッグよりもグラブやミットを欲しがって、猛練習に励み始めた。

 一年生の春から夏にかけて、その身にできた数多の擦り傷やかさぶた、手のひらの豆をある種の勲章とし、秋には一年生ながらレギュラーに選抜された。熱意に技術が追いつき始めると、ソフトボールがもっと楽しく、もっと好きになった。


 二年生の夏に地区予選決勝で惜しくも敗れた際には、その泥まみれのユニフォームを大粒の涙で流した。

 そんな朱音を野手から投手へ転向するのを勧めたのは引退したばかりの三年生のキャプテンであった。彼女はエースピッチャーでもあり、後輩たちの中にチームを引っ張ってくれる投手がいないのを不安に感じていた。代々、エースがキャプテンを担うのがその部の伝統となっていたのだ。

 

 彼女の説得が巧みであったのか、単に朱音が挑戦心に溢れた少女だからなのか、朱音は期待に応えると約束した。そしてまずは一人で投手練習を始め、やがて顧問や周囲もそれを後押しした。


 キャプテンとして任命された朱音は、三年生の初夏を迎える頃には絶対的エースとして周囲から認められる力を身につけ、その後彼女が率いるチームは悲願の県大会出場を果たしたのだった。


 だが、その一回戦でそれは起こった。


 最終回、あとアウト一つで勝利する場面で打球が朱音の肘に直撃してしまったのだ。

 それはまさしく不覚だった。いつもの彼女であれば捕れずとも避けられはする球。しかし県大会出場、キャプテンかつエースという立場、それらの重圧と疲労とがその打球を魔弾に変えてしまったのである。


 結果としてチームは二回戦で惨敗することとなったが、その場に朱音は居合せることができなかった。

 一回戦を突破した直後に、朱音は肘の痛みが我慢できなくなり病院へと運ばれたのだ。


 不運にも当たりどころが悪かったのと、もとより彼女の投げ方に問題があったことが発覚し、手術を受けることになった。


 手術、それは朱音にとって受け入れがたいものであったが、さらに突きつけられた事実には混乱してしまった。

 すなわち、手術がうまくいっても以前のようには投げられないという診断がなされたのである。


 混乱は不安へ、行き場のない憤りと悲嘆を経て絶望に至ったが、しかし朱音の帰結は別にあった。


 右がダメなら左がある。


 朱音は左投げへと変わる決心をしたのだった。そこに希望を見出し、消えかけた情熱が息を吹き返す――――はずだった。



 * * *



「ではなぜ、そこまで暗い顔をしているの」


 氷室礼香ひむろれいかは平然とそう口にした。

 

 夏休みの終わり、朱音と礼香は市立図書館を出てすぐの並木道にある二人がけのベンチで話している。

 今の今までは朱音がほとんど一方的に身の上話を礼香に語り聞かせていた。


 二人は別の中学校に通っていて、今日が初対面だ。

 礼香は夏休みの間中、受験勉強のために図書館の自習室に通っていた。そして勉強を終えた後は今いるベンチに独りで座って、夕風にあたりながら日が沈むのをよく眺めたものだった。


 そのベンチに今日は朱音が先にいた。

 普段の礼香であれば自分一人のスペースでなくなっているのなら座りはしない。

 実際、そのまま前を通り過ぎようとした。けれど、目に入ったその少女の風体に、つい足を止めてしまったのだ。喩えるなら、打ち負かされたばかりのボクサーの雰囲気がそこにあった。

 そして、投げ出されている朱音の手のひらも礼香の目を引いた。

 鍛錬、その二文字が礼香の頭に浮かんだ。少なくともその手は礼香のそれやクラスの女子のそれとは異なっていた。

 大袈裟に表現するなら、自分とは違う世界をこの人は生きてきたのだわ。礼香はそう思った。

 そして礼香は「隣、いい?」と話しかけていたのだ。


 朱音はろくに相手を見ずに同席を受け入れて、その人物からの「どうかしたの?」という声を引鉄に話を始めた。

 聞いてくれているかどうかを逐一確かめはせず、堰を切ったように言葉が出てきた。

 ソフトボールとの出会いと奮闘の日々、充実感と達成感、それから……。


「一昨日、偶然聞いちゃったんです」


 礼香の先の問いに朱音はそう返した。暗い顔の理由について。


「チームメイトが私の陰口を言っているのを。それだけです」

「怪我をしたあなたを嘲るような言葉?」


 無遠慮な物言いに一瞬だけ気後れした朱音であったが「それもあります」と声を絞り出した。沈黙という選択肢はそのときの彼女になかった。


「バッテリーを組んでいた、キャッチャーの子だったんです。その子はずっと嫌だったみたいで。私の球を受けるのを本当に、我慢してくれていたそうなんです」


 暑苦しくて鬱陶しい。

 その子が吐き捨てるように言うのを朱音は物陰で耳にした。さらに朱音の心を抉ったのは、話していた相手はまったくの部外者ではなく部の後輩数名だったことだ。正確にはその反応。反駁するどころか、同調していた。

 彼女たちは皆、朱音の熱意を煙たく感じ、忌み嫌っていたのだ。


「志を同じくする仲間だと信じていたチームメイトたちは必ずしも熱血キャプテンを慕っていなかった。つまりそういうことなのね」


 淡々と。あまりに率直に言ってくるものだから、うつむいていた朱音は顔をあげ、隣の人物をようやく見た。

 そして驚いた。自分と同年代の女の子。それはわかる。でも、全然違う。


 澄んだ瞳を向けてきているのは夕日に勝る美しい少女だった。肩上までのミディアムヘアが夕映えしていて、目鼻や口のどれもが理想的であるのには恐れ入った。ここまで美人だと自分が生んだ幻なんじゃないかと朱音は疑いすらした。そこで学年を訊くと礼香は「同じ中三」と短く答えた。


「高校でソフトボールをやらないつもり?」

「えっ。あ、はい。その予定です。なんか、わからなくなっちゃって。裏で嫌われていて傷ついたっていう気持ちよりも実はそっちが大きいんです」


 朱音はそう言葉にしてみて、それこそが自分の本心であるのだと気づいた。悔しさだけが募っているのではない。根底が揺らいでいるのだ。


「わからなくなったって……何が?」

「ソフトボールに熱中している理由、です」


 そう答えた朱音に礼香は少し悩んでから「それなら」と口を開いた。


「心機一転、次の道を探すのがいいかもね」


 朱音の胸中をいたずらに詮索せず、礼香はそう言った。面食らう朱音に、礼香は生真面目に話を続ける。


「新しく薪を焚べるのよ」

「え……?」

「半世紀以上に渡って音楽に身を捧げてきた私の曾祖母が事故で聴力を失ったとき、新しく始めたのは自然の景色をキャンバスに描くことだったわ。そして亡くなるまでその火は消えなかった。その絵が何か賞を貰ったとか、功績を讃えられたとか、そういうのはないの。でもね、その絵からたとえば小鳥の囀りが聞こえてくる時、私は彼女の生き方を心から敬愛し、曾孫であるのを誇らしくなる」


 礼香の話は朱音にこれまで味わったことのない感覚をもたらした。それは内容よりも礼香の話しぶりによるところが大きかった。

 淑やかに、洗練された音楽を奏でるように空気を震わし、一つ一つの言葉が優美に紡がれていた。それは朱音の心にずんと響いた。痛みを遠くに追いやって、それから苦悩そのものがちっぽけなものと思わせた。


 短いやりとりによって得た心境の変化。そのことに対する戸惑いを抜けた先、朱音が見出した心情は、彼女自身にとって信じがたいものだった。

 

 一方、礼香はただ思い起こしたことを、つまりは親族に教えてもらったこと、曾祖母の生き方を今日初めて会った少女に共有してみただけだ。朱音を本気で変えようとは考えていなかった。

 

「あなたはどこの高校を受験するんですか」


 朱音のその唐突な質問に礼香は反射的に高校名を答え、そうしてから小首をかしげた。


「なぜ今、そんなことを?」


 朱音はまたうつむきたかった。

 礼香の綺麗な顔に嫌悪や憤怒が生じる様は見たくなかった。その瞳から逃げたくなった。けれど、逃げずにむしろ顔を近づけた。


「……火がついたから」


 朱音はまだ沈みきっていない夕日が顔色を誤魔化してくれるのを願った。


 礼香は首をかしげたままだった。いったい何がこの子を再び燃やしたのだろうと不思議がった。自分の受験校とどう関係してくるかも皆目見当がつかない。


「もし、あなたと同じ高校に入学できたそのときは――――」


 礼香は朱音の瞳の奥に炎を目にする。

 やがてそれは宝石のようにも思えてくる。夕の色を吸い込んで淡くきらめく瞳を礼香は綺麗だと感じた。そんなふうに油断していたのだ。だから次に出てきた朱音の言葉に愕然とする。


「恋人になってくれませんか?」


 それは実質上、朱音から礼香への一度目の告白であった。





 高校一年生の春を迎えた朱音が決意していたのは、あの少女が同じ学校に入学していたら、まずは謝ろうということだった。

 一目惚れと言っていい朱音の初恋は、あの夏休みの終わりから時間が経つにつれ熱さを失っていた。


 しだいに羞恥が罪悪感に変わった。名前も聞かずに別れた彼女がもし万一、自分のせいで志望校を変えていたり、体調を崩したりしていたら。答えを聞かずにあの場から走り去ってしまったのを悔やんだ。後日、何度かあのベンチへと赴いたが会えなかったのだ。


 これらをふまえてなお、朱音はあの日あの場所で礼香が口にした高校へと進学を果たした。合格するために必死で勉強したのも事実だった。

 つまるところ、礼香にもう一度会うことができれば、真の意味で次の道を選び、進めるのだと朱音は信じていた。


 だが、すべての人間と同様に、朱音は彼女自身の心を完璧になど理解していなかった。それを入学初日に思い知る。


 教室に足を踏み入れ、窓際に立っているその少女を目にした時、朱音はあの夕暮れに燃え上がった炎が消えるどころか自分を内から燃やし尽くそうとするのを感じた。それほどまでに礼香との再会は心をざわつかせた。自然と、足が礼香のもとへ向かった。


 礼香は背後から「ご、ご……」という声を聞いて振り返った。そこには顔を真っ赤にして体をぷるぷると震わせている少女がいて、ぎょっとした。


「ごめんなさいっ! やっぱり好きです!」


 かくして二度目の告白は春の朝、教室にて行われた。幸い、教室内にはまだ数人しかいなかった。とはいえ彼らの注目を浴びるには十二分な声量と中身だった。


「あなた、あの時の……」

「ち、ちがっ、いや、そのっ」


 謝罪に余計な一言が加わった、それに動揺していた朱音は思わず踵を返した。


 補足しておくと、平時の朱音には逃げ癖なんてない。陰口を耳にした日の後でも同じだ。火浦朱音は難題にも果敢に立ち向かう少女なのだ。しかし、礼香と出会うまではそこに色恋は含まれていなかった。


「待ちなさい」


 朱音の背に向けられた冷ややかな声。礼香からのそれは、朱音にとっては恐ろしい宣告の前振りにしか聞こえなかった。朱音は息を呑み、礼香に向き直る。


「何が違うのかはっきりして」


 凛々しくも温度を感じさせない声色。

 その礼香の表情から怒りは読み取れない。

 

 懸命に言葉を探す朱音を礼香は見守り、答えを待った。たっぷり一分待ったところで礼香は諦め、黙って朱音の傍から離れると自分の席へと座った。

 窓側から五十音順となっている席順で「氷室」礼香の席は中央あたりだった。がらんとした教室内でそこに座っているのが居心地悪くて窓際に立っていたに過ぎない。

 そして朱音の氏名を知らない礼香にとって「火浦」である彼女が、おどおどと自分のすぐ前の席に腰を下ろしたのを見て閉口してしまった。





 入学から一週間後。

 朱音と礼香はお互いについて驚いていた。


 礼香からすれば、朱音がかつてソフトボール部でキャプテンかつエースをしていたと話には聞いていても、脈絡なく愛の告白をしてきた変人という印象のほうが強かった。

 その彼女が瞬く間に友人を複数人作り、その子たちといつも和気藹々としているのだ。


 屈託のない笑みはあの夏に目にした顔とまるで違う。それに伸ばした黒髪は後ろの席から見て、手入れが行き届いているのがわかる。彼女に汗臭さなんてのは一切なく、むしろ爽やかな香りが礼香の鼻腔をくすぐることさえあるのだった。

 礼香と比べて一回り大きな背中は沈黙していた。二人は真っ当な日常会話をただの一度もせずに一週間が経ったのだ。


 かたや朱音から見た礼香。

 入学一週間にしてすでに四人の男子から告白をされたと噂を耳にした。

 彼女の容姿をして、根も葉もない噂だとは思えない。朱音がより気がかりだったのは礼香が氷血姫などというおかしな異名をつけられたことだった。


 礼香が社交的で、よく笑う女の子であったのならそんな奇天烈な名前を陰でつけられはしなかっただろう。

 告白してきた男子をすべて冷淡に一刀両断したとまことしやかに囁かれているのが大元であるが、それが自然と撤回されるような態度ではないのだ。冷酷な美人、それが据え置かれている礼香の評判だった。


 朱音にとってこの一週間は、すぐ後ろの席の礼香に話しかけようと決意を固めてはそれを崩すを幾度となく繰り返した期間だった。イメージトレーニングの中での礼香は、朱音のおはように「話しかけてこないで」や無視といった反応を示すのだ。


 でも、と朱音は何度も考えたことをまた考える。

 

 本当に氷血姫とまで言われる冷たい人間だったら、あの日自分の隣に座って話を聞くだろうか。曽祖母の話なんてするだろうか。彼女は変わってしまったのか。もしそうなら、自分の「好き」も変わるのか。氷室礼香とどうありたい……?

 混迷が朱音を臆病にして話しかけられないまま時間が過ぎたのである。


 痺れを切らしたのは礼香のほうだった。   

 朱音の存在は礼香の中で妙に大きくなっていた。清算してしまいたい、特別な関係になりたいのではなく、なんでもない関係に落ち着かせたい。礼香は彼女の気持ちをそう整理してから、入学十日目に朱音に声をかけた。高校では何部に入るつもりなのかと。


 朱音が仰天したのは、何も礼香から話しかけられただけが理由ではない。

 その日の朝、朱音は自分から礼香に部活動に関して訊こうと奮起していたのだ。だから朝のHR前に礼香のほうから、肩を指でつつかれて部活の件を訊かれたときに、目を泳がせるほどに動揺したのだ。


「ひ……」

「ひ?」

「氷室さんはどうな、の?」


 敬語にするかどうかで迷った末に妙なイントネーションで返した朱音。質問に質問で返されて礼香は気分がよくなかったが、素直に答えることにした。


「決めていない。中学のときは帰宅部だったから高校ではどこかに入部したいとは思っている。できれば静かに心安らかに過ごせるような部活がいいわね」

「静かに心安らか……。え、部活なのに?」

「ソフトボール部を基準にしていない?」

「……ごめん」

「勝手に落ち込まないで。いつもみたいに笑っていなさいよ」

「み、見てくれていたの? あっ、えっと、そうじゃないよね! 目に入るよね、前の席でわいわいしてたら、うん」


 慌てている朱音に、礼香は小さな溜息を一つつく。


「オススメの部活はある?」


 礼香は朱音の答えに期待していなかった。思いつかなければそれで会話は終了、いちおうごく普通の会話ができたってことで関係は白紙に戻ったものとしたかった。


「あの、私と読書部に入らない?」


 予想外の勧誘に礼香は返答に詰まった。

 

 礼香は入学してから今までいくつもの部活の勧誘を受けた。大半は運動部だ。なぜか才色兼備・文武両道という噂が広まっており、礼香は誘われる度に運動が嫌いかつ苦手であるのを言わなければならなかった。男子運動部からマネージャーの誘いもあったがそちらには「興味ないし向いていませんから」ときっぱり返していた。


 読書部、そんなのは存在すら把握していなかったのだ。


「それって、本を読むだけの部?」

「どうかな。詳しくは知らない。感想を報告するぐらいはあるかも。えっと、今日見学行ってみようよ」

「あなたと?」

「……ダメ?」

「教えて。火浦さんは読書部に入りたい気持ちはあるの? 私の趣向に合わせて付き添ってくれるだけなら、ついてこなくていいわ」


 礼香のコミュニケーション能力が如何程か考えた場合、こうやって相手を突き放すような言い方を躊躇なくしてしまう事実をしてそう高くないと結論づけられる。

 その性格が薄情であったり高飛車であったり、マイナスの表現と結びつけられてきたのも確かだ。


 しかしこのときの朱音は怯まなかった。


「難しいね、それ」


 その回答はまたしても礼香の予想にないものだった。


「本は好きだよ。好きになったんだ、ここ半年で。読書家とまでは言えないけどね。ただ、私が氷室さんを見学に誘ったのは、ええと……本よりも気になっているから。私は氷室さんのことが――」


 瞬間、礼香はその右の人差し指を朱音の唇に押し付けていた。


「やめて」


 そう言って指を離す。

 朱音は呆然としていた。やがてチャイムが鳴って「前を向いて」と礼香が言うと、はっとした顔になって朱音が姿勢を正すのだった。





 放課後になって礼香から「行きましょう、見学」と声をかけられてびっくりしたのは、当の朱音だけではなくその周りにいた女子たち全員だった。

 すかさず朱音に質問が小声で飛んでくる。どの部を見に行くのか。いつの間に礼香と仲良くなったのか。


 朱音はそれらに曖昧に応じ、礼香の後を追って教室を出た。意識は一瞬にして礼香に傾いていたのだ。


「誘ってくれないと思った」


 廊下を歩きながら朱音は呟く。隣の礼香に聞こえる声で。


「そっちから誘ったんでしょう」

 

 さらりと礼香は返した。


 朱音は昼休みの間に確認していた読書部の活動場所、図書室の二つ隣の小会議室へと礼香と歩いていく。一年生である二人の教室は西棟三階にあるが目的地は東棟の一階だ。それなりに歩くことになる。

 放課後を迎えて廊下に出てきている生徒の三人に一人は礼香を二度見したり視線で追いかけたりをしていた。それが隣にいる朱音も感じる。礼香自身は慣れているのか、平気な顔をしていた。


「私が悪かったわ」


 東棟の一階まできたときに、それまで無言だった礼香が朱音に言った。


「何のこと?」

「あなたからの告白。保留しているように思わせたかもしれないわね。今のうちに答えておくわ。私、あなたと恋人になる気はない」


 ぴたっと足が止まる朱音


 朱音が立ち止まった地点から数歩進んだ場所で礼香は振り返った。これまで告白を断ってきたときには振り返らずに立ち去ってきた礼香だったが、気づけば振り返っていたのだ。


「諦めないから」


 朱音は顔を上げたままそう言った。


 礼香は過去にしつこく言い寄ってきた男子を思い返し、しかしここにいる彼女はその人たちとは違うと思った。それは単に性別の話ではない。

 どれとも違う。人が違うのだから当然、と割り切れなかった。礼香の記憶上では告白してきた人たちはおおよそが一緒くたにされて混ざり合っている。


「勝手にすれば」


 そんな台詞、この状況で吐いたことなどこれまで一度もない。

 礼香はわずかに焦っていた。いつもと違うこと、同じようにフってしまえない自分に違和感を抱いた。しかしそれを膨らませずに振り払って、小会議室へと進んだ。そんな礼香を朱音は小走りで追いかける。


 その日、二人は女子三人しか在籍していなかった読書部への入部を決めた。

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