謎の単語

青いひつじ

第1話

私は博識であるらしいが、もちろん自分ではそんな風には思っていない。

しかし周りがそう言うので、この頃は謙遜する方が嫌味っぽくなってきた。



「今日、山田さん休みだって。偏頭痛持ちだからしかたないよね」



最近の人間は、体に不具合が起きれば何かと病名を見つけて、弱者のように振る舞うのが上手くなった。

私が子供の頃は、熱中症という言葉は存在しなかった。


野球部時代、めまいがして倒れそうになった私の顔面に監督は水をかけビンタをした。

それが普通だと思いながらここまできた。

なんと軟弱な世界になったものだ。



この頃は季節もおかしくなってしまったようで、10月後半になりやっと秋らしい気候になってきた。

ここ1週間ほど、風邪のような症状が続いている。

ある日、風呂上がりに鏡を見ると、紫色の小さなアザのようなものが腕に複数できていた。

往々にして人間は、季節の変わり目に弱いものだ。忘れた頃には治っているだろうと、とりたてて気にすることなく、普段通りに過ごしていた。



ある日いつものように出社すると、給湯室の退屈な会話の中で、不思議な単語が飛び込んできた。



「あれ怖いわねぇ。なんだっけ。イロトニキスだっけ?」


「ねぇ、なかなか気づかないみたいよ」



イロトニキスとは、初めて聞く単語であった。

博識で有名な私が、それはなんですか?と聞けるはずもなく、こっそり調べることにした。

イロトニキスで検索をかけると、イロトニキス 怖い、イロトニキス 危険、など様々な検索ワードが出てきたが、どのページもイロトニキスの正体については明かされていなかった。


SNSで検索したが皆、イロトニキスやばいなwwwとしか呟いていておらず、ここでも正体を知ることはできなかった。

外来生物の名前だろうか。もしくは何かの病名か。そんなことを考えているうちに昼休みが終わってしまった。



帰り道。

くたびれたおじさん達が並ぶバス停で、女子学生の会話が聞こえてきた。



「イロトニキスまじやばいよね」


「むりむり〜〜。怖すぎでしょ」



またイロトニキスか。一体なんなんだ。



「中国だっけ?」


「え?韓国じゃない?」


「いやインドでしょ」


ガハハハという笑い声と共にイロトニキスの話題は吹っ飛んでいってしまった。

またしても正体は不明のままであったが、イロトニキスが彼女たちにとってそれほど重要な話題ではないことは分かった。



その夜、鏡を見ると体のアザが増え、以前のアザは少し大きくなっていた。

背筋に寒気を感じ熱を測ると、平熱よりは少し高かったが、特に気にしなかった。

ここ最近は、寝る前のニュースも、朝一番の新聞もイロトニキスの話ばかりである。


「友達のおじいちゃん、イロトニキスだって」


「イロトニキスまじ怖すぎ〜〜」


「総理は、海外の研究チームへイロトニキスに関する調査を依頼することを発表しました」



一体なんなんだ。





それからさらに1週間が経ったある朝。

目が覚めると、金縛りにあったかのように体が硬直し、氷のベッドで眠っているかのように全身が寒かった。


なんとか起き上がり、洗面台へ向かうとアザが腕から首にまで広がっていた。

さすがに気になり病院に行くと、髭面に分厚い眼鏡をかけた医者が私に言った。



「イロトニキスかもしれないですね」


「はあ」


「イロトニキスですよ。もちろんご存知ですよね?最近聞かない日はないですからね」


そう言われてしまうと、プライドの高い私は、はいと答えるしかなかった。



「ここでは最善の治療はできませんので、近くにある大学病院を紹介します」


そう言うと医者は、いそいそと紙に何かを書き始めた。


「症状が進んでますので、なるべく早めに行ってください。可能であればこの後すぐにでも」



私は紹介状を受け取り、大学病院へと向かうことにした。

道ですれ違うサラリーマン達は皆、口々にイロトニキスの話をしている。


歩いていると、全身の力が抜け、頭がぼーっとしてきた。

タクシーに乗り込むと、流れてきたニュースはイロトニキスの話題だった。



「いやぁ、イロトニキス怖いですね。ご存知ですか」


運転手が私にそう問いかけていたと思うが、乗り込んだ時には私はもうフラフラだった。



「イロトニキス、、、」


「お客さん、大丈夫ですか」



タクシーから降り入り口に向かう最中も、私はイロトニキスについて検索した。

頭の中はもうイロトニキス一色であった。


イロトニキス 死亡

イロトニキス 意識不明

イロトニキス 重体



私は道の上に立ち止まり、その画面を眺めた。



その時、ププッーというクラクションが長く鳴り響いた。










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