002. 乖離の狭間

 ――去年のいつだったか、この学校の都市伝説について、書道部の先輩達が話していたのを小耳に挟んだことがある。


 なんでも、学校が建つ以前のこの土地には旧帝国陸軍の訓練施設があって、学校の地下には未だその遺構が残されているという噂があるらしい。


 そしてそこでは、夜な夜な誰かがそこに忍び込み、無線などを使って外部の反社会組織などと交信し続けているのだという。


 だが、言ってしまえばそんな言説は、都市伝説としてはありきたりでしかなかった。このご時世、インターネットの海を散策していればいつかどこかで目にすることができる筈だ。


 所詮は流言だろうと思い、俺は特にその件の真偽について調べるようなことはしなかった。




 ところが、まさに晴天の霹靂へきれきのようなことが起こってしまった。


 地下校舎? 裏生徒会? 超能力??


 非日常が大挙して押し寄せてきたせいで、完全に俺の脳内は混乱していた。


 ……土日を挟み、月曜日の今日になってもそれは続いている。


 あのときの俺は状況に気圧けおされっぱなしで、ただ流されるのみだった。


 その結果、素性の分からない『裏生徒会』という組織に強制的に加入させられたわけだ。


 どうにかして回避する方法はあっただろうか?


 いや、あそこで何かしら反発してみせたり、逃げの一手を講じたりしていたとしても結果は変わらなかったように思える。


 俺は山辺さんに触れようと思ってしまった時点で、すでに彼女達の思惑に引っ掛かっていただろうから。


 だが、本当に今の状況を良しとしていいのか?



 

 ――そんな脳内反省会を延々と繰り広げつつ、足が廊下へと延びていく。


 周りに向ける注意が散漫となっていたのは、言うまでもない。




「――きゃあっ?!」


「わっ、ごめん!?」


 声がしたと思ったその瞬間、肩の辺りにドンと衝撃が走る。


 慌てて後ずさった俺は、恐る恐るぶつかってしまった相手の顔を見る。


「誰かと思えば……もう春川、ちゃんと前向いて歩きなさいってば!」


 その背の小さい少女は目が合うよりも早く、怒声をあげた。


 隣のC組に通っている、俺がよく知っている人だった。


「ごめん、ちょっと考え事してて……」


「考え事ぉ? ふん、またお得意の優柔不断が発動したのかしら?」


 彼女は眉間にしわを寄せ、黒いリボンで結った小さなツーサイドアップ付きの長いココア色の髪を振って、いぶかしげにこちらの顔を覗き込んでくる。


「そういうんじゃないんだ。なんというか……そう、進路で悩んでただけ」


「ふぅん……進路ね。確かに『将来何になればいいか分からない』って顔にでかでかと書いてあるわ」


 彼女のストレートな物言いが俺の心に突き刺さる。今考えていたことではなかったが、俺の身の上としては実際問題そうだった。


「それはまあ……なんで分かった?」


「そう言われてもねぇ。あんた自身はクールぶってるつもりかも知れないけど、存外表情が変わりやすいから結構分かりやすいわよ?」


 得意げに、ふんと鼻を鳴らす片貝さん。


「お、おう、そうなんだ……」


 自分ではあまり気にしたことがないが、第三者である彼女が言うのならそうなのだろう。


「……なんだか煮え切らない態度ね。まあ、そんなに悩んでるんだったら、1回家に帰ってから考えた方が良いんじゃない?」


「そうだな……そうするよ」


 それができたらそうしたいところだ。しかし彼女に本当の悩みを打ち明けられるはずもない。


「ん、それじゃそういうことで。これからも気をつけなさいよ!」


 表の現実と裏の現実のギャップに悩む俺の境遇など知るはずもなく、彼女はC組の教室に入っていった。




 彼女の名前は「片貝かたがい久留実くるみ」。


 同級生であり、俺と同じ生徒会に所属している同僚だ。


 片貝さんも山辺さんと同じで、生徒会に入ってからの付き合いである。


 普段から絡むことというのは滅多になく、あっても近くをすれ違ったときにたまに声をかけられたりする程度だ。


 それも『ネクタイが曲がってる!』とか『えりが伸びてる!』といったような細々とした指摘が全体の4分の3ほどを占める。


 彼女曰く、中学校時代に風紀委員会に属していた際に身に染み付いたクセであるらしく、典型的真面目女子のようなセリフがついつい口からまろび出がちなのだという。


 ……少々口調がエッジに富んでいることもあり、一部の男子からはウザがられたりもしているようで、クラスメイトの男子が陰で愚痴をこぼしているのを聞いたことがある。


 第一、俺もあまり得意な方ではなかった。




 それで、何故俺が廊下に出てきたのかといえば、ただ単にロッカーの中から荷物を取り出しに来ただけだった。


 他の生徒達の楽しげな声が周囲からとめどなく聞こえてくる中、俺は廊下の隅に屈んで黙々と自分の作業を進める。


 ここは本当に活気のある高校だ。


 見ての通り陰キャラの、スマホで暇潰しのゲームばかりを触っている俺にとっては、少々ここは眩しすぎる。


 もしかしたら入る高校を間違えたかもしれない、とこれまでに何度思ったことだろう。


「はぁ……よいしょっ、と」


 思わずため息が出る。それが何のため息なのか、自分でもよく分からない。


 周りが各々の青春を謳歌している中で、自分だけがそれを出来ていない、ということに対する劣等感によるものだろうか。


 ……考えても仕方がないか、そう思い俺はおもむろに立ち上がった。




「やあ、どうしたんだい? 嫌な事でもあったのかな?」


「ぬわっ?! 急になんだ!」


 急に耳の近くでハキハキした声を発され、思わず体が跳び上がる。


 意識の外からの急襲。一体誰の仕業だとその声の主の顔を見て、一瞬で理解した。


「いやあ、こんな教室の外でしょぼくれてる学友クンの姿を見たら、放っておけなくてねえ」


 その伸びっぱなしにした無造作な長い黒髪、てっぺんから伸びる長いアホ毛、そして能天気な態度。


 それでいて俺のことを『学友』呼びする人間(♀)は、この世に1人しかいない。


 俺と同じ元1年F組の変人「介良けら照観てるみ」だ。




「そんな変人を見るような目で見ないでおくれよ、元級友のよしみじゃないか!」


「変人ではあるだろ! アンタ自身も前に自分で認めてただろうが」


 ブーブーと不満をあらわにする介良さん、もといこの黒髪のバケモノは、騒ぎ立てることに関しては誰にも負けなかった。


 ……彼女を最初に見た人が抱く第一印象は、大半が『根暗』か、百歩譲っても『関わりづらいタイプの秀才』だろう。


 実際、俺も最初は後者だと思っていた。


 しかし、突然彼女から話しかけられたときに、そんな型にハマったような印象は大きな音を立てて爆散した。


 一言でいえば、この人は『いたずら好きの大お調子者』だったのだ。


「ふん、まったく。元気そうで何よりだよ」


「ああどうも。アンタは変わってないな」


「ん、本当に変わってないように見えるかい? 人とは常に変化を求め続ける生き物だが」


「は?」


 彼女はたまに、良く分からないワンフレーズを言葉尻にくっつける癖がある。


 俺は極力無視をするようにしているが。


「……まあそうだな、前よりもちょっと大人しくなったんじゃないか。最近は生徒会で名前が挙がることも少なくなったし」


「おお、やっぱり分かってるじゃないか! さすが学友クン!」


 満面の笑みを浮かべながら、バシバシと俺の肩を叩く。


 正直ウザい。




「それでさ、アンタは何でここに居るんだ? 2年F組の教室は1個下の階だろ」


「ああ、そうだったそうだった。これだよ! これを皆に配布するためにここに来たんだ私は!」


 そういって彼女は何やら紙の束を懐から取り出すと、俺の目の前に1枚のB5サイズの紙を突き出す。




「……近すぎて何も見えないんだけど」


「あ、すまん」


 改めて、俺は目の前の紙に視線を向ける。すると見慣れない文言が、印刷面の3分の1ほどを埋め尽くすくらいのバカデカさで書かれていた。


「『宇宙科学同好会』……え? マジで作ってたの?」


「フフ、そうさ。前もって何度も言ってただろう?」


「いやあ、俺はてっきりタダの出任せなんだろうなって……うがッ!」


 思わず苦笑してしまう俺の顔に、その紙がベシャリと押し付けられる。


「入会、お待ちしてまーす!」


 彼女はそれだけを言い残し、立ち去って行ってしまった。


 俺は押し付けられた紙の内容をもう1回見返す。


 おそらくパワポで作ったであろう、独特なデザイン性をしている。そして内容は……




『宇宙科学同好会に、キミも来ないか!?!?


 宇宙、星空、銀河、地球外生命体……そのいずれかに興味を持ったことのある、そこのキミ!!


 知識の有無は問わない!! 皆で神秘の世界についてまったり語らおう!!』



 

 ほぼほぼ怪しい宗教の勧誘であった。


 書いてある文字から彼女の普段の声が聞こえてくるかと思った。


「俺、一応書道部入ってるんだけどな……」


 これはどうしたものかと考えながら、俺は教室に戻る。


 するとまた、廊下の方から怒声が聞こえてきた。


「ねえあんた! 何よこれ! こんな意味不明な紙バラまいて何するつもり!?」


「意味不明?! バラまく?! 失敬な、これはただの同好会の勧誘のビラの配布行為だぞ!」


「こんな一方的に持ち込まれても誰も受け取んないわよ! あと単純にうるさい! もう授業始まるんだから帰んなさい!」


「ぐっ……お、覚えてろよ~!!」


 ……あの2人が合わさるといつもこうなる。


 周囲の人間がどう思っているのかは知らないが、全員苦い笑みを顔に浮かべていた。


 皆のその気持ち、俺もよく分かるよ。


 まったく、やれやれ、と俺は窓際の前から3列目にある自分の席に戻り、スマホの画面を見る。


 開いていたのは『SPINEスパイン』という国内普及率1位のSNSアプリ。




 するとそこで、思いがけないものを見つける。


 リストに追加した覚えのない『ESO』というユーザー。


 彼か彼女かも分からないその人物から、何やらメッセージが届いていた。


 閲覧した俺は……察せずにはいられなかった。




[ 県立葛南高校 2年B組28番 T.H.

  今日、閉校後に地下校舎へ來るように。

  まだまだ話したいことが沢山ある。

                 Loca  ]




 俺は可能な限り平静を装ってこれを読んでいた。


 だが、同じ教室のどこかから視線を向けられている気がしてならなかった。


 俺はもう既に、今の状況を自分でどうにかできるような身分ではなさそうだ。

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キリング・スカム 里見眼窩 @ZabaEstaBien

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