74 恭◇双子の様なお客様/裏の恭◇ハンタイガワの私/裏の棕矢◆帰途

ある満月が綺麗な夜でした。

私は中々寝付けなくて、夜中にクッキーを作っていました。

この時間にお茶をする気にも、本を読む気分にもなれなくて…明日の、おやつ用にでも焼こうと思ったの。


   ****


① 小さく切った無塩バターと卵黄を、あらかじめ常温に戻しておく。

薄力粉、粉砂糖、アーモンドパウダーを振るって、冷蔵庫で30分くらい冷やしておく。

② バターが白っぽく、ふんわりとするまで混ぜる。

  ※但し、混ぜ過ぎると空気が入り過ぎるので注意。

③ 卵黄、紅茶の順に加え、適度に混ぜ合わせる。

④ ③に薄力粉とベーキングパウダー、アーモンドパウダー、粉砂糖を、

2~3回に分け、振るい入れる。ここで塩を、ほんの少しだけ入れる。

ヘラで切るように、さっくりと混ぜ合わせる。

⑤ 出来上がった生地を手早く纏め、棒状にして、ラップに包む。

  ※バターが体温で溶けてしまうので、生地には極力、長時間触れない様。

⑥ 冷凍庫で⑤の生地を2時間ほど寝かせる。

⑦ 冷やした生地を端から、少し薄めに切る。

⑧ 170度の余熱で温めたオーブンで10分くらい焼き、更に鉄板の前後の向きを反対にして8分くらい焼く。


   ****


祖母様ばあさまが得意だった、紅茶クッキー。

祖父様じいさまがブレンドした、バタークッキーに合う紅茶の茶葉。

同じく、オリジナルにブレンドした香草入りのお塩は、隠し味に。風味にアクセントをつけるの。

私が幼い頃。お祖母様と、よく一緒に作ったわ。ただ、言われた事をするだけの、お手伝い程度だったけれど…。手作りのクッキーは〝お祖母様の味〟なの。

お祖母様みたいに、味の種類バリエーションがあるわけではないけれど、最近、少しは上達したのよ。


私は、お庭に面した席に座って、練り上げた生地を寝かせている間ぼんやりとしていました。

「最近、紅茶味ばっかりだから、次は違う味にも挑戦チャレンジしてみようかしら…」

その時でした。突然、窓越しに〝何か〟が現れたの!!

それまで全然、気付かなかったから、びっくりして飛び上がってしまいました。

……だ、誰?!

現れたのはフードで顔を隠した、真っ白なマントを羽織った人でした。

風で揺れるマントの裾から、僅かに見える華奢な足首と、ハイヒールのショートブーツ。

……女の人?

私が固まっていると、その人が一歩…また一歩とこちらに近付いてきます。

凝視していたら、不意に、ふわりと温かなものに包まれた感じがして…次の瞬間、破裂音に近い高音が、まるで銃声のように私の鼓膜を揺らす。

見ると、確かに閉まっていた筈の窓の鍵が…勝手に開いている!

……な、何で?

窓枠に手を添えていた、その人が、片手でフードを取り去る。

「……!!」

喉の奥で声にならない悲鳴が上がる。けれど、声は出なかった。出せなかった。


「こんばんは。〝恭ちゃん〟」


目の前に立っていたのは〝碧い瞳の私〟でした。





   □ ■ □ ■ □






丸い大きな月が、とても綺麗な夜。

私は、お兄様と一緒に〝反対側の世界ルナ〟に来ていたの。

ここに来たのは二回目。以前、お兄様とあきらって子と一緒に、街で銃撃戦を繰り広げた事があったわね。相手の子を甘く見て反撃され、挙句あげくの果てに〝女性にはあまりこういう物を向けたくない〟とか生意気な事を言われて。まあ、つまり。そんな恰好良いものじゃなかったけれど。


お兄様いわく、今回も〝正門〟とやらを通って来たみたいなの。

ルナの大木が、ぐにゃりと歪んで…気付くと私は、純白のフードが付いたマントを羽織っていて…夢物語のような不思議な光景に呆然としながら、お兄様に手を引かれ〝真っ白に光っている空間〟に入って行って……

次に見えた景色は、出発点と変わらない大木の丘の頂上。

二回目といえども、やっぱり全然この状況を理解出来ない。


私達の住む世界と全く違いの無い景色。その中を歩いてゆく。

さっきまで身に着けていたマントは、いつの間にか消えていて、ちょっと気味が悪い…。

以前は真っ直ぐ街の方に向かったから、その他の場所がどういう景色なのか分からなくて緊張する。私は似て非なる世界に不安になって、とにかくお兄様の後ろを夢中で付いていった。


お兄様が立ち止まった。

「恭」と、お兄様に呼ばれて、私は顔を上げた。一瞬で皮膚が粟立ち、背筋が凍る。

「こ、これ…」

「〝対の私達〟のみせだよ」と、お兄様は真顔で冷静に言った。

蔦が絡まる黒い門から、庭から…館の外装から…全てが瓜二つだった。

頭のどこかで、私達の世界と〝同じ〟だと分かっていた筈なのに、改めて目にすると変な気分だった。お兄様が言う。

「〝恭〟に会いに行こう」

門に入る直前、ふっと、また例のマントが現れていた。視界がフードの裾に遮られ、少し狭くなる。

横に立っていた、お兄様が門の結界を解除する。

「行こう」

先に躊躇ちゅうちょなく門をくぐった、お兄様に手招きされ、私も慎重に庭に踏み込んだ。

「あ…」

……お店に当たる部屋の電気が点いている。

お兄様に視線を投げると「ちょっと待ってて」と、なぜか不敵な、愉しそうな笑みで、お店の方に歩いていく。

「あ! …ちょっと!」

呼び止めようとして、慌てて口を手で押さえる。

だって、ほら。一応「同じ」とか言われても、他人さまのお宅だから。第一、これ…不法侵入でしょ?

多分、窓の死角になるであろう所に立つ、お兄様…

「何してるのかしら?」

と、お兄様が振り返って、また手招きしたの。「こっちにおいで」と言う唇の動きが読み取れた。

「はあ…」

色々と考え過ぎて、疲れてきちゃった。でも、呼ばれたからには行くわよ。こんな所に一人で立ちっぱなしなんて御免だわ。

そして窓の正面辺りまで来た時、全身が震え、息を呑んだ。

「…嘘」


窓の向こうに、女の子が居た。

紛れもなく、彼女は〝私〟だった。


思わず窓に触れると、直後、甲高い銃声のような音がした。

……面白いじゃない。

気味が悪い光景を目の当たりにし、鼓動が速まる。うるさい。けれど内心は、初めの不安感が嘘の様に嬉々わくわくとしていて、思わず「うふふ」と小さな笑みと吐息が漏れる。

私は勝手に開いた窓の内側の鍵を一瞥いちべつすると、フードを取り去った。


「こんばんは。〝恭ちゃん〟」


自然と挑発するような声色になる。

だって、こんな奇怪で不思議な状況を楽しまない訳ないでしょう?

もし怖がるのなら、勿体無いわ。


見詰め合っていたら〝対の私〟の表情がスーッと消え、冷静な面持ちになる。

そして窓を静かに開けた彼女は、今度はふんわりと微笑んだ。


「ふふ。驚いちゃったわ」






   □ ■ □ ■ □






……これが、お兄様が言っていた〝私〟なのね!


「ふふ。驚いちゃったわ」

私は、夢みたいな光景に嬉々として言いました。


「あ! クッキー!」

忘れるところだったわ。寝かせているクッキーの生地は、そろそろ良い頃合いの筈。

「ク…クッキー?」

突然、パン! とてのひらを打ち合わせた私に、もうひとりの〝恭ちゃん〟が毒気を抜かれたような顔をします。

「ふふ。どうぞお上がりください。 良いでしょう? だって貴女は、れっきとしたお客様だわ」

私は、せっかく来てくれたのだから! とお持て成ししたくて言うと、彼女は「変な子ね」と言いたそうに、思い切り眉をひそめ、口をへの字に曲げて、目を細める。

……あら。冷静クールに見えるけれど、こういう顔もするのね。

何だか、私と二人きりで居る時のお兄様に少し似ているかも知れません。

それに…その…自分でも少し変だと思うけれど、双子になったみたいで、何だか凄く嬉しくて。もし、彼女が危ない人だとしても、私は私だわ。こんな時に慢心は禁物かもしれないけれど、その時は話せば、きっと解ってくれるわ。

そんな気がするの。


と、そこで〝私〟が痺れを切らしたように、強い口調で「ねえ」と私の事を呼ぶ。

「なあに?」と、私は出来るだけ柔らかく聞こえる声音を意識して返します。

「貴女…純粋ね」

……あら、嫌味っぽい。

でも私は言われた通りに返します。

「ふふっ。かもしれないわ」

すると案の定、一旦、彼女は唖然として、更に嫌悪感をあらわにする。

けれど、次の瞬間には、ふっと表情を緩めると「…ええ」と微笑んでくれました。

……今のは、多分、純粋に。


「あの…! もし宜しければ、お茶でもいかが?」

私は振り返って、お店にてのひらを向けました。

「……」


顔を戻した時には、もう彼女はどこにも居ませんでした。

本当に一瞬で。


……でもね。

「貴女とは、また会える気がするわ」







   □ ■ □ ■ □






「あの子…変な子だったわね」

隣を怠そうに歩く妹が、唸っている。

「あはは、恭と真逆な感じだな」

「…酷いわ」

「ふふ、ごめん」

「お兄様? あの子が〝ついの自分〟って子…なのよね?」

「ああ」

「…そっか。まあ…面倒だけれど、また会ってあげるのも、退屈しなくて良いかもしれないわね」

私達は大木の丘まで戻って来ると、白い門をくぐり帰途にいた。

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