それは、静かで羨ましくて

西しまこ

お義父さん

 急に寒くなったその日、義理の父が亡くなった。


 とてもきれいな顔をしていた。肌もピンク色でつやつやで。九十二歳だから、大往生だ。病気で苦しむわけでもなく、老衰による死。羨ましいような死だった。まだまだ元気に生きていくだろうと思っていたけれど、朝起きたら、布団から起きてこなかったのだ。


「お義父さん」

 いつもなら、誰よりも早く起きて、食卓についているのに、起きて来ないので不審に思って呼びに行くも、返事はなかった。

「お義父さん」

 遠くから見て、まるで笑っているかのような寝顔だ、と思った。――でも死んでいたのだ、既に。


 お医者さんを呼んだり、様々な手続きをしたり。

 わたしも悲しいという感じはしなかったけれど、夫も悲しいという感じはしないみたいだった。

「羨ましいなあ、こんなふうに眠りながら死ぬなんて」と、彼は言った。義理の母である、夫の母は癌で苦しみながら逝った。わたしの父も癌で苦しみながら逝った。だから死は、苦しくつらいものだと思っていた。

 でも、こんなふうに静かで、羨ましくなるような死があるだなんて。


 結婚して同居するようになって、当たり前だけど、大変なことが多かった。そのたびに、夫がたすけてくれたので、やってこれた。後から聞いたところによると、それは全部お義父さんのアドバイスであったと言う。

「あの、お義父さん。敏彦さんへのアドバイス、ありがとうございます。おかげで、とてもたすかりました」とある時、義理の父に言ったことがある。義理の父は照れたように笑って、「ぼくも婿養子で苦労したから、気持ちがわかるんだよ」と言った。


 とても優しいひとだった。

 息子が猫を拾ってきてしまい、皆が難色を示したとき、「おじいちゃんがいっしょにお世話してあげるよ」と言って、息子を喜ばせた。その猫は結局二十年近く生き、息子だけでなく、わたしも、わたし以外の家族全員を癒してくれる存在となった。ミケと呼ばれたその猫の存在は、我が家を支えていた。

 ――本当は、お義父さんが支えていたんだなあ、と思う。

 わたしのことも息子のことも、たすけてくれた。義理の母へも、やっぱり優しく、もちろんわたしの夫である敏彦に対しても同様だった。敏彦は「父さんが声を荒げたところを見たことがない」と言っていた。


 義理の父は、婿養子ゆえに苦労も多かったようだ。布団の中でこっそり泣いたこともあったそうだ。気の強い妻やその母親に囲まれて、おっとりと優しいお義父さんはどんなにつらい思いをしたのだろう?

 でも、そういうつらさを全く見せないひとだった。


 お義父さん。

 気づいたら、涙が頬を伝っていた。

 永久に黙ったままの、でもほんの少し笑っているかのような顔をした父の頬をそっと撫でる。


 ありがとう。





   了



一話完結です。

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