PSI(サイ)は投げられた
正気(しょうき)
CASE.1 好奇心は猫を殺す
――
神の御業、霊能、神通力、シッディ――有史以前から人類に宿り、超自然的現象として恐れ、敬われた力。
深淵のさらに奥底で、悠久の時を経てきた神秘を、人類の才知が解き明かした時代は――すでに過去である。
時は21世紀。
超能力は最早、日常言語として飛び交い、社会基盤として民衆の生活に溶け込んでいた。ほかの多くの技術革新と同様に、利害得失の混沌に飲まれながら。
どんな神妙も、その過程を飛ばして、在ることはできない。
新たなる道がどこに行き着くのか……未だ人類が解答を模索している時代である。
*********
『路行かざれば到らず、為さざれば成らず』
――吉野 作造
***
ハァ、ハァ、ハァ……もう、ダメ、追い付かれる。
「待てや、コラァッ!!」
「¡Espera!」
待てやコラ、って言われて、待つ人間を私は知らない。外国語の叫びは何言ってるのか分からないけど、どうせ似たような意味なんだろう。
とりあえず、私を追っかけてきてる人たちがヤバイ世界の住人だということは、見た目から判断できる。
なぜ、"あんなもの"を視てしまったのだろう。
なぜ、昨日彼氏と別れなければならなかったのだろう。
なぜ、感傷に浸って、この波止場にひとりで来てしまったのだろう。
なぜ、今日がよりによって日曜日なのだろう。
後悔、後悔、後悔……頭の中で『なぜ』ばかりの意味がない自問が繰り返され、それは危機に瀕した私の心が吐き出す辛うじての現実逃避なのだと、また別の心の部分で認識している。
偶然にすぎない。その偶然を、不運を、人は避けることのできない状況があるのだと知った。知ったからなんだというのか。
私はきっと、殺されてしまう。生まれてきてから今まで味わったことのない実感が胃液とともに込み上げてきている。死の実感は少々苦く、酸っぱかった……。
あるいは、
そもそも、だ。透視能力なんてなければ、こんな事態にならずに済んだのに。今日ほど、自分の超能力を恨んだ日はない。
昨日思ったばかりの『自分の超能力を恨んだ日はない』が更新されてしまった。彼氏と別れた原因は、"透視"で彼の浮気チャットが見えてしまったからだ。
だいたい今時、なんでESPセキュリティ防止アプリのひとつも携帯端末に入れてないのよ、アイツ!?
じゃなくて……なんで他校の女と浮気してんのよ!?
しかもチャットのアイコン、私より可愛いし。畜生。
そう。その怒りと悲しみを鎮めに、そして幾ばくかの未練を胸に彼……いや、元カレとよくデートしていた公園近くの波止場に足を運んだのが……この最低の、事の始まりだった。
《――本日早朝、東京都墨田区埠頭で
リアルにTVニュースで自分の死亡事件が報道されている想像がよぎった瞬間、込み上げる胃液の量が増して、鼻まで来た。色々辛い。
静まり返った朝の埠頭に、ドタドタと必死こいた足音が響いている。ほんの一瞬、海に飛び込んでしまおうかとバカな考えが頭をよぎったが、止めた。
背泳ぎで25mがせいぜいな私の泳ぎじゃあ、バシャバシャ音を立てているところをロシア製だかなにかの拳銃でズドン……未来予知がなくたって容易に想像がつく。
(あ……やっぱり、間違いない――ほんッと、サイアク!!)
――視られてる。相手にも透視能力者が居ることが感覚で分かる。
"
つまり私が、体育の成績が平均以下のくせに肺がはち切れるほど息を上げて、明らかに"闇社会の人間です"って奴らから、どこかに隠れてやり過ごすって選択肢を取り上げられて必死に逃走している理由だ。
貨物コンテナが少々入り組んでいる場所に飛び込む。位置はバレてるだろうが、ここなら拳銃や
素人考えだけど。素人なのだから仕方ない。
世界には強力な
ちなみに眼鏡はさっき逃げてる途中に落ちて踏んづけて割った。もう嫌。
本当なら怖い人たちに見つかった瞬間の怒鳴り声で足がすくんで動けず、そこでジ・エンドだったと思う。咄嗟に踵を返して全力ダッシュできたのは……多分、浮気で振った元カレとの思い出の場所で死ぬって言うのがなんか複雑だったからとか、どうせそんな所だろう。
コンテナの迷路を抜けた。波止場の公園が見える。お願い、誰か居て。
あ……
なんか、分かる、ってか、"視える"。
銃口の先に黒いバトンみたいのを付けた拳銃が――私の背中を狙ってるのが。え、ヤバいじゃん、ど、どうし……右に跳ぶ? と、跳べ! 跳びなさいよッ! 私の体ッ!!
数瞬前に私がいた地点を風切り音が通過して、20mくらい先に停まってるトラックの窓ガラスが破裂した。一瞬、眩暈がした……本当に、殺す気、じゃん。はは……。
きっと私の顔は、学期末のテストに寝坊した時よりも血の気の引いた色になっているんだろう。6月の終わりなのに、Tシャツで雪山に居るのかってくらい歯のガチガチが止まらない。
映画みたいな銃の発射音がしなかったとか、足がつりそうなのに痛みを感じないとか、そんな疑問、今はどうでも良かった。
(ひっ、し、死んで……こんな――意味わかんないことに巻き込まれて、死ねないわよッ!!)
脂汗を垂れ流して必死の形相で、もう何100m全力で走っているのか分からないけど、トラックの木っ端微塵に砕けたガラス片を越えてすぐだった。
また、背中の景色が視えてる――顔に
は? バカなの? 死ぬの?
そう言えば、透視って視力に関係なくハッキリ景色が視えるんだよね。私だけなのかな? そういえば、誰かに聞いたことがなかった。
……って、あれ? こういう時って走馬灯がよぎったりするんじゃないの? だって後ろでこんな大爆は――――……。
***
「え~と、次はIHだから赤色で……よし、じゃあお願……ゲンさん? IH測りますよ? ……ゲンさ~ん、ちょっと?」
「……なんか、おるけえ。埠頭のとこ。若いおなごと、ヤー公けえ? ありゃあ。
振り返った瞬間だった。4tトラックが大爆発を起こし、女の子が頭からダイレクトにおれ目掛けて吹っ飛んできたのは。
「ごほぁッ!! ……い、痛ってぇ……な、なんだってんだ。肋骨が痛ぇ……痛い、ほんとマジで。労災おりるかな、これ……そして誰だこの子は」
「ほうじゃのう。ワシは労災出たことないじゃけえ、ケチなんよウチの会社は。地図だけじゃあ金にならんじゃけえ、こうやって施工の測量しとるくらいだからのう。それより、ぶち
爆心地を"遠視"の眼で確認する……本気を出せば余裕でエベレストの麓から山頂まで視認可能な能力をおれは持ってる。まあ、実際ネパールも中国も行ったことないから多分だけど。
確かにゲンさんの言う通り5人の、カタギじゃない恰好をした男どもがふらつきながらも立ち上がろうとしている。
「……なんか、穏やかじゃあない雰囲気。状況的にこの子、追われてたんでしょうね。とりあえず匿ったほうが良さそうだ――ゲンさん、頼めますか?」
一刻を争うのは明白だ。向こうにも"遠視"がいる可能性を考えれば、直ぐに動かないといけない。
「もう終わっとる。気絶しとるけえ、そのまま起こさんほうが都合いいのう」
喋ったのはゲンさんだったが、声が聞こえた方向には誰も居なかった。
"
おれと、この身元不明の女の子もすでに景色と同化していた。
なんでこんな希少な能力を持ってるおっさんが測量士やってるのかは知らないし、あえて聞いたこともない。他人の事情に軽々しく突っ込むのは野暮だからね。
「助かります」
「気にしんさんな」
とりあえずは、これで凌げるはずだ。気は抜けないが。
"ESP破り"なんて滅多にいるもんじゃないが……まさか、サーマルゴーグルなんてアイツ等持ってたりしないよね?
女の子は幸い、"透明擬態"前に見た感じじゃ、重症は負ってなさそうだった。呼吸音も正常だ。さて、どうしたもんか……まあ、行く当ては決まってるんだけど。
***
「うん、警察。100パー警察案件だろ、これ。お疲れ、あとよろしく」
「ちょちょちょ……早い、早いよ判断が。探偵はこういう、女の子が困ってるとき助けるもんじゃないの?」
窓の外には、初夏の日差しを反射してせせらぐ墨田川が見える。
三階建ての雑居ビルの入り口には、<日比野超能力探偵事務所>と達筆で書かれたけやきの看板が取り付けられている。年季の入った、古風な和のテイストが感じられて俺は嫌いじゃない。
波止場に居た男たちの特徴へと話が及んだ際、ぴんと来た。
近年、勢力を拡大しつつある移民外国人の反社勢力――<
正直、関わったらヤバイ。任俠の知り合い曰く「話が通じない」、節度の知らない連中だと言う。そんな奴らに『敵』だと認識されてしまえば厄介極まりない。
故に、警察に任せたほうが安全だという回答を下した。
「相手が悪いし、そもそも……探偵ってのは正義の味方じゃあないだろ。見捨てるわけじゃない。俺たちより警察のほうが適任ってだけの話だよ」
「まぁ、そうかもしれないけどさ……警察も一枚岩じゃない。おれが不安なのは<
反社組織と警察の"裏の繋がり"か……ふと、思い立って俺はデスクのパソコンで警視庁および警察庁のデータベースに"透視能力"で侵入する。
ちなみに犯罪です。でも結構やってます。
――通常、"透視能力"にカテゴライズされる
俺のは、違う。いわゆる"
手による接触を条件とするが、あらゆる情報媒体から過去~現在に至るまでの情報を、まるでそこに存在しているかのような感覚で認識できる。
人に説明する際は、ざっくり『情報媒体に限定した"透視"付きの"
情報の海に"
相変わらず対ESP防壁が固い。当たり前か……だけれども、ハッキングする側とされる側の齟齬から生じる『穴』というものはどこにでも存在する。
それが"視える"のが俺の透視能力だ。
よし、以前見つけた"
<N.D.I.D(国民デジタルIDバンク)>、<PSY-IR(電脳超能力・統合監視網)システム>を通じて<
音声通話記録、テレパシー通話記録、メール送受信記録……あらゆる警察関係者とのやり取りを洗い出す。
ちっ……副署長まで繋がってんのかよ。墨田区の警察署は……本所も向島もダメだな、<
しかしここまで、いち反社組織が仮にも警視庁に食い込めるものか?
それについての詮索は今すべきことではないか。
PSY-IRシステムで構成員たちの動きをリアルタイムで捉えた。すかさず近場の奴らを追う。
ん? そのうちの5つがひとかたまりに、事務所の200m手前まで近づいてる? これは――
「んん……――きゃあァァッ!! ……へっ? あ、あれ、ここ、は? 私、爆発で吹き飛ばされて……痛てて、腰が」
悲鳴にびっくりして集中力が途切れた。だが、事態は把握できた。かなり状況は切迫してるってことだ。
「起きたか。俺は
(え、目の前にいきなり無表情ストイック系イケメン? ……尊い)
なんか目が虚ろだな……身体は大丈夫だろうか? 頭は強打していないはずだよね。
「俺の声が聞こえてるか? もう一度言う、時間がない。お前を追ってきた奴らが俺の事務所に向かってきている。いいか? よく思い出せ、波止場で何か落とさなかったか?」
「は、はい(頭良さそう)。え……と、ほとんど手ぶらだったし……携帯もあるし……あとは、あとは…………あっ」
「なんだ?」
「……眼鏡」
確定だな。
「洵、"
「"
これは、チャンスだ。波止場からその足で事務所に向かって来た。それはつまり、組織へと連絡を取らずに来ている可能性がある。
そうせざるを得ない事情……外部の人間に見られてはいけないものを見られた。
こいつらにとってそれは、失態だ。組織にバレたら自分たちが罰を受ける。だから連絡は出来ない、失態を揉み消そうと必死ってわけだ。
ならば、この5人の口を封じれば<
「ゲンさん……でしたか。このままでは、この場にいる全員が危険です。自分に考えがあります……力を貸していただきたい」
「やねこい状況じゃけえ、ええよ」
さきほどまで吹かしていた煙草をポケット灰皿に突っ込んで、白髪交じりのおっちゃんが俺を見て少し、笑った。
***
「ここだ、間違いねえ……手間取らせやがって」
「让我们尽快杀戮」
劉の野郎は相変わらず気が早えぜ。なんて言ってるかはサッパリだがな。
「Vigilancia.」
セルソも殺る気満々って面だ。もちろん喋ってる意味は分からねえ。ていうかなんでさっきトラックの燃料タンク撃ったんだコイツ?
<日比野超能力探偵事務所>……知らねえな。
カーテンが閉め切られ電気も付いてないが、居る。
あの女の割れた眼鏡から位置を特定できた。俺の"
あのまま長崎に居れば俺は始末されてただろう。なんとか東京までトンズラこいて<
まさか"例のブツ"を目撃されちまうとはツイてねえが、死人に口なしだ。悪いが死んでもらうぜ……俺の首がヤベエんだ。
「よし、加茂川とダヴィットは俺と来い。劉、セルソは裏手へ回れ」
へッ。劉とセルソは別々に、しかも裏手じゃねえ所に向かってやがるが、まあいい。俺は背広を脱いで窓に当て、肘でガラスを叩き割った。
めっちゃ硬いこのガラス、痛え。銃の台尻で割ればよかった。とりあえず背広を着直す。
雑居ビルの一階に侵入する――暗いな。電灯のスイッチを押しても反応がない。ブレーカーごと落としたか。なら、住人は居留守ってことだ……用心しねえとな。
"
「呀ァァァッッ!!!」
劉!? 叫び声は二階からか?
「勅使河原さん……このビル、ヤバいんじゃ……」
「ビビッてんじゃねえよ。セルソがトラック吹っ飛ばしたときもお前の
「ええ……まあ……ていうか俺が居なかったら皆死んでたんじゃあ……」
「だから一番頼りにしてるってんだよ、劉とセルソは頭のネジが飛んでやがるからな。相手にも
気弱な奴だが腕は確かだ。俺とダヴィットに念力はねえ……3人のうち加茂川が事実上、直接的な火力だ。
劉は
「テシガワラ。"透視"デ索敵しても、三階に例の女のガキが居るだけダ……劉はナニにヤラれたんだ?」
ロシア人のダヴィットは、ほかのふたりと違って日本語ペラペラだ。マジほんと助かる。
「知らねえよ。やられたって決まったわけでもねえ……。ッ! まさか、このビルに誘い込んだのは罠で、"遠視"の狙撃か!?」
「いや……それならさすがに物音で気づきますし……民間人が狙撃銃なんて所持してないですよ。念動力なら俺が気づくはずですし……」
めっちゃ冷静かつ正論やん、加茂川。腹立つな。
「¡Mierda! ¡Jo……¡Joder! Gah! Aaaaahhhh……」
今度はセルソかよ……あいつらめっちゃ厳つい風貌してんのに、ほんとは弱いんか? ファッション反社だったの?
「……駄目だあいつらは。畜生、道理でいきなり気前よく2人も部下を寄こしやがったわけだ、あの変態ボスはよッ!」
二階に上る階段だ。かね折れ……L字型か。しかも吹き抜け……あからさまに『待ち伏せしてます』って造りだ。探偵ってのは事務所も手が込んでやがるな。
(加茂川、ダヴィット……ぎりぎりまで近づいて、踊り場と吹き抜けの上にブチ込むぞ)
(了解……)
(Понятно)
じんわりと背中に汗が滲む。大丈夫だ……"透視"と"念動力"があるんだ、対処できない相手じゃねえ。
マホガニーのダイニングテーブルの下を慎重に潜りながら、俺は吹き抜けに向けて拳銃の照星と照門のラインを合わせる。
ちらりと、何かが二階で動いた気がした。
反射的に引き金の指が動く。
中口径拳銃の連射性による作動音は、射手からすれば騒がしく感じられるが、日本の、しかも道路に面した東京の雑居ビル内で数発撃ったところで生活音に紛れる程度のものだ……付近の住民にバレはしまい。
加茂川だけは、原子核の周りを飛び回る電子のように、そこらにあった瓶や食器を身体の周囲に纏わせながら狙いを定め、階段の踊り場と吹き抜けへ質量ミサイルを浴びせた。
鉛玉と割れ物の、乱雑に叩くパーカッション楽器に似た騒音が止んだ。数秒の時間で息が上がっている。
「はぁ、はぁ……どうだ畜生……」
トン……っと、後方で何かが着地したらしき音がした。咄嗟に振り返る――その目の端で、加茂川の顔面が何かに殴られた様相を見た。
「な、誰だッ!」
虚空へ拳銃を向けた瞬間、その装弾数すべてを撃ち尽くしていたことに俺は気づく。
ダイニングの椅子がおもむろにフワッと浮かび上がる。念動力じゃねえ、透明になる超能力――まじかよ、そういうことなのか?
馬鹿が、油断しやがって。もう一挺あるって発想はねえのか!
「おらぁッ!!」
椅子に向けて、背広の懐から抜いたロシア製自動拳銃を乱射する。
『人ん家さぁ……荒らし過ぎだろ。遠慮って言葉知らないの?』
後ろ――股間に電撃が走った。膝が崩れ落ちる刹那、別の男の声が聞こえた。
『おれ、割と手加減できないタチなんだよね、ほいっ! と』
こめかみに強い衝撃を受け、意識が薄れる間際……ダヴィットが空中で回って床に叩きつけられるのが霞んだ目に映った。オワタ。
***
「"視て"きたよ。
一連の戦いが終わった後、俺はあらためてPSY-IRシステムに侵入して事務所周辺の監視カメラの映像と、<
念のため、屋上から洵の"遠視"でここら一帯を"
俺の能力では監視カメラの視界と登録済の構成員に限定されてしまう。非正規構成員や一時的な雇われた刺客までは割り出すのに限界があるため、超能力目視による三重の警戒態勢を取ったが……どうやら難は去ったようだ。
「そうか……ありがとう、洵。それに蘆名さんも。今回は災難だったな、もう安心していい」
「いえ! そんな……私こそ命を助けて頂いてありがとうございます! た、
なんだろう……蘆名さんから"透視"とはまた質の違う視線の圧を感じる。この世には複数のPSIを獲得する希少な人種もいるが、無粋な詮索は止めておこう。
「礼なら洵……宇喜多とゲンさんに言ってくれ。波止場からあんたをここまで保護してくれたのは彼らだろ」
「あ、そ、そうですよね! 宇喜多さん、ゲンさんありがとうございます」
先に感じた視線の圧が消えたな。気のせいだったか?
彼女の言葉に、洵はいつもの軽い感じの笑顔で、ゲンさんは目を閉じ小さくうなづいた。渋いな。
「……しかし、"
「大丈夫なんじゃないの? 普通にまた煙草吸ってるし。ゲンさん」
見れば何事もなかったかのように、窓辺で煙をくゆらせている。何者なの、あのおっちゃん……。白人の大男に一本背負いらしきもの決めたのあの人でしょ。
<
その隙に、自動車牽引用のポリエステル帯紐と結束バンドで全員捕縛しておいた。移民外国人の反社勢力なだけあってほんと多国籍な構成員だ……言語の壁が大変そうだけど意思疎通できるの? そんなことを思いながら皆で二階の応接室にこいつらを運び込んだ。
さて、あとは……。
《ピンポーン》
来たか。戦闘直後に約束を取り付けた来客だ。
俺とこの人を横に並べて、『どっちが探偵でしょう?』と人に質問したら100%この人を選ぶであろう。
無精ひげにヨレヨレのトレンチコート、全体を黒と褐色でコーディネートした外見もさることながら、何も考えてなかったとしても他人に警戒を与える鋭い奥二重の双眸……イケオジのテンプレみたいなこの来客の名は
フリーランスの超能力心理カウンセラーだ。元々は、先代――俺の父の旧友である。
「おう、日比野。最近は災難が多いな」
「はは、まあ……葛葉さん、無理言ってお呼び出ししてすいません」
水臭いことは言いっこなしだ、と答えながら煙草に火をつけた。ちなみにこの事務所は基本禁煙なんだけど……来客にそうとは言えないので黙認している。
「――で、対象は?」
**
葛葉二郎を招いた理由は、彼の持つ超能力にある。
"
捕らえた<
左耳のリングピアスを外し、葛葉二郎がひとりひとりの額に触れていく。十分もしないうちに五人全員の"記憶消去"を終えた。
「記憶の改竄ってのは慎重にやらねえと後々、フラッシュバックやら色々面倒なことが起きるが、その辺りも"偽装記憶"でカバーしておいた」
"
先天的に複数のPSIを持って生まれる人間がいる。後天的に何か引き金となる体験で新しい能力が発現する者も居るが……葛葉二郎はどうやら後者なのだと、以前聞いたことがある。
「じゃ、帰るわ。この業界、持ちつ持たれつだ。日比野、宇喜多、なんかあった時は頼りに来るぜ。じゃあな」
そうしてあっさりと葛葉二郎は事務所を後にした。イケオジが過ぎる……。
ゲンさんがその間に会社から社用の大型ワゴン車を取ってきてくれた。仕事中抜け出してしまったことについても会社へと適当に話をつけてきてくれたらしい。洵が思い出したようにホッとしていた。
まだ気を失っている男たちを車のトランクに詰め込む。運転席にゲンさん、万が一のため"遠視"を持つ洵が助手席、俺と蘆名さんは後部座席に乗り込んだ。
車が走り出す。腕時計を見ると時間はもう昼前か……日曜日の長閑さを謳歌している人々に紛れて、会社員風の男女もちらほら歩道に見える。
行先は、蘆名かさねが偶然"透視"してしまった倉庫だ。波止場まではそれほどかからずに着き、釣り人がぽつぽつと居るのを横目に件の倉庫前に車を停める。
電動式のシャッター扉は空いたままだった。一応、警戒しながら中を覗く。誰も居ないのを確認して、5人の男を運び込み、コンクリートの床に寝かせた。
これで、一件落着か。
厳密には依頼じゃないが、蘆名さんが頑なに両親を説得して報酬を払うと言う。目が若干怖かったので「無理のない金額でいいから」とこちらで査定するのは止めておいた。
――そういえば、だ。事の発端、いったい、蘆名かさねは"何を視て"しまったが故にこんな事態になってしまったのか。
<
そして、今、俺はその発端の倉庫に居る。
知的好奇心の塊である俺に、"それ"を見るなというほうが無理だ。ここまで巻き込まれたのだ。そのくらいの報酬があってもいい。
倉庫の端に、ドラム缶と作業机があり、いかにもなアタッシュケースが置かれていた。
「あれなの?」
問いかけた相手は、当然、蘆名かさねだ。
「……は、はい。でも、た、唯一さん(また下の名前で呼んじゃった)。私はその、なんというか趣味、というか、い、いや"アレ"は趣味外なんですけど! 耐性のない方にはあまり……お薦めできないものというか」
趣味? 耐性? なんだ……? どこまで俺の好奇心を駆り立てるつもりだ。蘆名さん、出来るな。良いだろう――その挑戦、受けて立つ。
洵が居るほうをちらりと見た。全然"アレ"には興味なさそうにワイヤレスイヤホンを耳につけて身体を動かしている。外を見張ってて、って言ったんだけど……まあいいか。後で怒ろう。
作業机に近づく。アタッシュケースはよく見ると少し開いており、すでにその中身と思わしき"写真"が数枚、机の上に並べられていた。いったい……恐る恐る写真を覗いた。
「…………ウワ」
「だ、大丈夫ですかッ! 唯一さん!?」
大丈夫だけど、大丈夫じゃないというか……。まず、ナニコレ? いやもっとさ、犯罪的な写真が収められていると思ったわけだよ。例えばちょっとグロい系の……いや、ある意味これもグロいんだけど。
写真には、おっさんが目隠しやら口にゴルフボール的なのを咥えて、女王様な人たちに囲まれ、ひたすら羞恥プレイ的なやつを受けている光景が写っていた。
別のにも目をやる。これには、さっきのおっさんは写っていない。銭湯だな、これは……年端のいかない男児のすっぽんぽんが色んな角度から収められている……あ、これ、駄目なやつだ。
知的好奇心がへし折れそうになる。疲労骨折くらいは起こしてる。でも、これだけじゃあ、事件? の真相に辿り着けない。
「ああ! くそッ! "視れば"いいんだろ視れば!! 行くぞッ!! 探偵王に俺はなるッ!!!!」
――……。
気が付いたのは、事務所のソファーだった。洵によればどうやら、かつてないほどの悲鳴を倉庫で俺は上げて、その後気絶したらしい。
一緒に構成員たちを二階へと運びながら『今日ほど自分の超能力を恨んだ日はない』なんて話を、蘆名さんがしていたな。
俺はなんて答えたか……。
「宇喜多の受け売りだけどな……幸せな生活は、苦難が存在しないことではなく、苦難を克服する先にあるんだと。人はたびたび苦難ばかりに目を奪われ、目の前に開いた可能性に気付けない。
だから地面の泥濘を見つめるのを止めて、いつも星を見上げるようにするんだ――とさ。
あいつも本かなんかで読んだ言葉だって言ってたけど……宇喜多は俺なんかより遥かに努力家なんだ。
今日みたいな災難があったって、蘆名さんも俺も互いにこうして生きてる。
生まれ持った能力は変えられないけど、それに向き合う心はきっと……変えていけるさ」
涙ぐんだ目で俺を見つめていた蘆名さんには悪いが――前言撤回だ。
今日ほど、自分の超能力を恨んだ日はない。
**
会社の車を返しに行くと言って、ゲンさんは帰ったらしい。
「ブッ!! アハハハハハっ!! ……あ~おかしい。マジか~、そんな理由でドンパチしてたのかよおれたち」
「残念ながらな……まだ鳥肌が収まらないよ。ああ、気持ち悪かった……」
あの写真の"情報透視"で解けた
勅使河原たち<
命令の内容は中身の消去。それしか言われなかったもんだから、あいつらも念を入れて日曜の使われてない墨田区埠頭の倉庫へ向かった。
上役が地域のボスから"始末屋"を貸すと言って、合流する手筈だったのが劉とセルソだった。
写真には"防壁能力"が仕掛けられていたからライターで燃やしたり素手で破いて処理することが出来なかったようだ。加茂川の念動力でも駄目だった。
写真を超能力で確実に消し炭と化すため、発火能力者の劉が呼ばれたようだが、こいつが遅刻してきた。それでやっと早朝に合流していよいよ写真を燃やすという所で、物音に気付いて"透明視"を使ってしまった蘆名かさねが鉢合わせてしまった。
同じく"透視"系能力者のダヴィットが気配に感づいて……後は話の通りだ。
あの写真に写っていたおっさんが<
なぜ、そんな写真を"視られた"くらいで勅使河原たちが蘆名かさねを全力で殺しに来たのか。超能力には"情報共有"や"情報物質化"、"記憶奪取"の類もある。それであの写真情報が巷に広まってしまえば処理を命じられた自分らが逆に組織から始末されると考えたからだ。
はあ……写真への"
「
「俺もなの? 洵がだいたい発端だろ。まあ今度、
「み、
うわっ! あ、蘆名さんの存在忘れてた。
「唯一の彼女だよ。あれ? 唯一、彼女居るって教えたんじゃないの?」
「わざわざ言う必要ないだろ。っていうか事務所のオーディオでまた何流してるんだ、これ?」
先刻からずっとひたすら一曲のアイドルソングらしき曲がリピートで再生されている。
「おいおい、知らないの? 超能力アイドル<IYO>ちゃんのクリスタルビットって曲だよ。グランジのアングラな退廃的リフと無機質なインダストリアル・ミュージックの要素が各所に散りばめられてて最高なんだよね」
呪文かなにかなの?
「いつもながら、ミーハーなのかコアなのか分からん音楽センスだな……」
「良いものは良いんだよ。てか、唯一も鈍感なのはいつもながらだよな」
ん? 今の会話の中で俺が鈍感な部分があったか?
あれ……蘆名さんが虚空を見つめてる。
「……
怨霊が取り憑いたような声ですごいプライベートな質問をド直球でされた。
「え? あー……まあ、付き合って五年になるからなあ。俺の仕事も理解してくれてるし。あと一時間くらいでご飯作りに来てくれるから、一緒に食べる?」
「……あちゃ~」
あちゃ~ってなんだよ。なんかマズイことでもあるの?
「ええ、ぜひ(暗黒微笑)。フフフ……」
闇堕ちしたキャラみたいな笑いしてるけど、喜んでるってことでいいよね?
今日も朝から色々あったな。事務所の階段めちゃくちゃになってるけど、とりあえず皆無事で良かった。
窓の外を眺める。隅田川はそんなドタバタなどまるでなかったかのように、ゆるゆると温和に流れていた。
PSI(サイ)は投げられた 正気(しょうき) @shoki-sanity
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