第15話 ゼロと森羅

 夏真っ盛りの時期に開かれる、猟友会が主催する祭り、討滅祭。


 普段は狩りに明け暮れる狩人たちが都市に戻り、一年の慰労と次の一年のために英気を養う、人類にとって重要な一日。

 討滅祭に合わせて王都で行われる本校と女学院の交流試合もまた、次世代の狩人の器を測るものとして、大きな注目を集める慣わしだった。


 もとより交流試合には高い関心が向けられている。だが、今年の交流試合は例年のものとは比較にもならないほどに特別だった。


 エルダーガーデンの森羅とペラギアの澪。

 昨年度も代表に選出され、天才と称されるだけの才覚を見せつけた森羅と、古代種でありながら修道院の狩人となり、豊穣の悪魔追撃戦を一人で完遂した澪。

 双子の戦いは、ありとあらゆる方面の興味を惹きつけていたのだ。


「とうとう、ね」


 控えの間で、人が溢れる会場を覗きながら譲葉が言う。

 交流試合が行われるのは、王都でも古い建築物の一つである闘技場。女学院の制服に、ペラギアのヴィジットを羽織った澪は頷いた。


「ああ。ようやく、戦える」


 澪に張り詰めるのは戦意と緊張、そして歓喜。

 譲葉がこの計画を持ちかけてきたときから、ずっと待ち望んでいた瞬間がやってきたのだ。高揚は隠せないし、隠さない。


「ごめんなさいね、こんなに待たせちゃって」

「いいや。姫の助力がなければ、この場はあり得なかった。すべて姫のおかげだ」


 時間がやってくる。澪は立ち上がると、ベンチに立てかけていた刀とサブマシンガンを手に取った。


「姫、ありがとう。あなたのおかげで、ゼロも戦える」

「もう。駄目よ、澪。こんなところで満足してたら。私たちの楽園証明はここが始まりなんだから」


 澪の楽園は、譲葉が見出した希望は正しかったと証明すること。

 譲葉の楽園は、己の英雄の価値を認めさせること。


 二人の楽園は不可分。確かに、と澪は笑って、片手を挙げた。


「そうだな。ここが始まりだ。行ってきます、譲葉」

「ええ。いってらっしゃい、エルダーガーデンのゼロ」


 手と手が打ち合わされて、乾いた音が響く。

 闘技場にはすでに森羅の姿があった。

 障害物の存在しない、争うためだけにある空間。澪はすう、と息を吸って、身体中に酸素を取り込む。


「久しいな、森羅」

「……ああ」


 会話はそれだけ。双子の間に通う感情は、混じり気のない敵意のみ。

 言葉などいらない。今更話すようなことは何もない。必要なのは、相手を打ち倒すこと。ただそれだけだ。


『──さて、そろそろ始めるか』


 マイク越しに男性の声が響き渡る。


『森羅、澪。お前たちの戦いは猟友会序列一位、クロック・ザ・ロックが見届ける。禁止事項は殺しだけ。それ以外はなんでもありだ』


 猟友会の序列一位。狩人の頂点が宣言する。

 二人は偶然にも共通していた、刀という獲物に触れて。


『さあ──見せてみろ』


 迷いなく斬りかかる。


「……っ!」

「ふむ」


 先に間合いへ踏み込んだのは澪だった。弱小の悪魔が相手なら間違いなく命を絶っていた居合を、森羅はどうにか受け止める。

 澪は即座に後退。飛び退いて刀を鞘に収め、背中のサブマシンガンを引き抜く。


「さて、どうする?」

「舐めるな!」


 弾丸はすべて訓練用のゴム弾。殺傷能力こそないが、衝撃の大きさは変わらない。


 引き金に指がかけられて、弾丸がばら撒かれる。森羅は呼吸を止める弾だけを防ぐと、痛みを顧みず、強引に前へ出た。


 森羅も、澪による豊穣の悪魔追撃戦の顛末は知っている。一人で対処するには絶望的な質量に対して、雑兵と言い切り圧勝したことは。

 ゆえに、澪が易々と懐に入らせてくれないことは分かっていた。


 森羅が狙うのはサブマシンガン。厄介な弾幕を防ぐため、銃身を破壊しようと刀を振るう。

 刀の軌道は完全だった。

 威力も十分。命中すれば確実に武器を奪える。だが、森羅の手に伝わったのは、攻撃を防がれた硬い感触だった。


「っ──!?」


 斬撃を受けたのは、サブマシンガンではなく刀の鍔。澪は自ら銃を投げ捨てると、瞬時に刀を抜いたのだ。

 直後、森羅の腹に痛みと衝撃がやってくる。神秘的科学の強化を受けていないはずの蹴りは、予想を遥かに上回る重さだった。


 蹴り飛ばされ、受け身は取るものの大きく後退する。澪は追撃を仕掛けてくることなく、銃を拾いながら言った。


「修道院での娯楽は対人演習だ。その手は知っているし、素直すぎる」

「……チッ」


 森羅は苛立ちに舌を打つ。

 余裕を見せる澪の姿にも、試合中だというのに講評を受ける自らの不甲斐なさにも腹が立つ。


 とはいえ、二度の打ち合いで理解した。

 目の前の女は強い。古代種ながら狩人となった事実に偽りはない。未だ学生で、実戦経験のない己が容易に勝てる相手ではない。

 懐に手を入れる。取り出したのは、イオの血液を収めた小瓶。


「……そうだ。それでいい」


 蓋を開けて、喉に血液を流し込む。

 吸血鬼が血液を摂取する。その意味を知らないはずがないのに、澪は止めようとしない。

 どころか、その声には歓喜が満ちていた。


「全力の貴様を超えてこそ、私の意味は証明される!」

「吠えていろ、ゼロ!」


 森羅の身体に熱が満ちる。血液と神秘的科学、二つの強化の恩恵を受ける。

 溢れるほどの熱に導かれるまま、森羅は跳ねた。


「──む」


 刀と刀がぶつかる。間合いに入ったのは森羅、受けたのは澪。一撃目とは反転したやり取りが、森羅の底上げを示す。


「多少の骨はあるか」

「無能が──侮るな!」


 鍔迫り合いが続いたのも数秒のこと。

 森羅は赤科学を用いて発火。炎を作り、爆発を生み出した。


 朱いヴィジットが翻る。澪が初めて取った明確な回避行動。森羅はそのまま踏み込む。

 爆発の煙を越えれば、拳銃をホルスターから抜く澪の姿が視界に映った。

 澪は拳銃を手にすると、照準を定めることなく発砲。お手本のようなクイックドロウだが、今の森羅なら弾丸も視認できる。


「お前も素直だったな」


 狙いは眉間。精度が高いだけに、見えるのなら回避も間に合う。

 弾丸を躱して更に前へ。再び爆発を作り、同時に回避地点の空気も裂く。


「っ……」


 澪の喉から漏れる小さな音。命中を確信した瞬間、拳銃のグリップで頭部を殴られて、さらに首への蹴りを畳み掛けられ、気付けば地面に叩きつけられていた。


「ぐっ──!」

「安心しろ。後遺症は残らない程度だ」


 煙が晴れる。己を見下ろして頸部に刃を突きつけるのは、カマイタチで身体を裂かれ、爆発の中に自ら飛び込んだことで血を流す澪。


 澪もダメージを受けていることは見て明らか。けれど自らの足で立つ澪と、地面に伏せる森羅では、趨勢は誰が見ても理解できる。


「ああ、神秘的科学で攻めるのは正しい。どう足掻いたところで私はその恩恵に与れないからな」


 講評が下される。

 正しいという評価の上で、地を這っているのは森羅だ。

 澪と森羅、二人の会話が外部に聞こえることはないが、空気に混ざった雑音で、勝敗が下されようとしていることは理解できる。


 敗北。

 その言葉が脳裏をよぎって。森羅は突きつけられた刀を握り締めた。


「──何を」

「……ふざけるな」


 刀が手を裂く。傷から血が流れ、腕まで真っ赤に染め上げる。

 鮮烈な痛みに肉体が反射的に手を離そうとしても、森羅は刃を握り続ける。

 

 どうしても膂力で劣る澪には、森羅を力尽くで排除することができない。やがて刀が中心から折れて、切先が澪に投げつけられる。


「ふざけるな、無能が」


 虚をつかれた澪の頬に、一筋の切り傷が生まれる。

 制止の源だった刀は失われた。森羅は立ち上がると、憎悪に満ちた目で片割れを見つめる。


 エルダーガーデンの双子。

 天才と称される兄と、無能と蔑まれる妹。

 残った兄と、棄てられた妹。


 けれど、森羅の瞳に澪を見下す意思はない。

 込められているのは、混じり気のない敵意と憎悪。十七年の人生で、顔も知らない片割れへ育み続けた憎しみが剥き出しになる。


「どうして狩人になった。どうして表舞台に戻ってきた。お前さえいなければ、すべてが上手く回っていたんだ!」


 怒りを乗せ、斬りかかる。単調ではあるが、威力、速度ともに上等の一撃。澪はそれを強引に、刀を殴り折ることで防いだ。

 根本から折れる刀。森羅の手に痺れが伝わってくると同時、回し蹴りが胴体に直撃した。


 森羅は反射的に下がり、威力をわずかでも減らそうとする。自然、距離が生まれて、お互いの表情に意識を向ける余裕ができた。

 宿るのは憎悪と怒り、そして敵意。双子の赤い瞳は、まったく同質の感情を示していた。


「……お前に理解できるのか、森羅。意味もなく、価値もなく、ただ無為に生きる恐怖が!」


 澪の銃はまだ残っている。けれど、澪は拳銃とサブマシンガンと、どちらも手にすることなく、ゆっくりと森羅へ距離を詰めていった。


「息を潜めるだけの人生に意味があるものか! 認められたかった、見返したかった、だから狩人になった! それの何が悪い!」


 叫び、殴りかかる。力こそ込められていたが、技巧はない。ただまっすぐに振るっただけの拳。

 威力は強いが、受けるのは容易い。森羅は澪の拳を掴み取り、胸ぐらを掴み上げた。


「なら無名のカラスでいればよかっただけだろう! 自分が世界にとって不都合な存在だと、どうして理解できない!」

「はっ、流石は四公家か。如何にもな台詞だな」


 澪の顔が皮肉に歪む。無愛想と言われる少女にはらしくない、溢れんばかりの情念だった。


「エルダーガーデンの森羅。お前は後継者の立場を失っても、その言葉を吐けるのか?」


 どちらからも攻撃を仕掛けられる距離。けれど、どちらも動かない。積年の感情は、武力だけで解消できるものではなかった。


「求められた理由は幻想で、生まれた意味はない。誰からも望まれない無能。それが私だ。エルダーガーデンのゼロだ」

「ああ、そうだ。それが現実だ。ペラギアの澪が英雄だとしても、エルダーガーデンのゼロに意味はない」

「……けれど、ゼロに希望を見出してくれた人がいる。だから、私はゼロの価値も証明しなければならない。そうでなければ譲葉の想いが嘘になる!」


 胸ぐらを掴まれたまま、反動も顧みない頭突き。

 肺への攻撃だ。ダメージは大きい。けれど森羅は手を放すことなく、そのまま至近距離を保ち続ける。


「後継者の立場、と言ったな」


 すべては澪と同じように、育み続けた憎しみをぶつけるために。


「それを勝ち取るために、俺がどれだけ死に物狂いで生きてきたか……貴様が知ったような口を利くな!」


 筋力に任せて、澪の身体を地面に叩きつける。


「ゼロの片割れだからと見下される。真祖ではないと失望される。俺自身は顧みられないのに、俺はエルダーガーデンを継ぐ他ない」


 澪は受け身を取ると、即座に跳ねて森羅の頭部を蹴り付ける。

 森羅がその場に留まれたのはただの意地、あるいは執念。


「だから結果を出した。求められる以上の結果を出し続けて、ようやく後継者と認められた。

 ──俺の価値は俺が勝ち取ったものだ! ただ与えられただけじゃない!」


 直撃を受けてなお、踏みとどまった。

 澪が目の前の光景へ呆気に取られているうちに、森羅は全力を振り絞って殴りつける。


 反応できていなくても腕で防いだのは、長年の経験が成せる技だろう。けれど神秘的科学と吸血と、二つで強化された森羅の全力は、澪の骨を折るには十分な威力だった。

 澪の右腕が折れる感触が拳に伝わってくる。けれど次の瞬間、折られたはずの腕で澪は森羅の顎を殴り抜き、さらに頭を掴んで地面へ叩きつけた。

「っ、ぐ──」


 的確に急所を殴られ、脳が揺れる。積み重なったダメージも相まって、森羅の足は言うことを聞かなくなっていた。


「……私の勝ちだ」


 息を荒らげながら、澪は宣言する。

 五秒が経っても、まだ森羅は立ち上がれない。やがてノイズが走り、公式に勝敗が宣言された。


「……森羅。お前、狩人の腕を折った責任、どう取るつもりだ」

「学生ごときに折られる狩人が悪い」


 張り詰めていた気が抜けて、澪も膝をつく。

 醜態とは理解しつつも、もう立ち続けていられなかった。試合のダメージよりも、抱え続けた激情を吐き出した疲労の方が大きい。


「おい、ゼロ」

「なんだ」

「俺は、お前が羨ましかった」


 先ほどとは打って変わって、静かな吐露だった。


「俺は自分の人生を選べなかった。だから、ペラギアの狩人として認められたお前が羨ましい」

「……そうか」


 小さく、息をつく。

 澪は目を閉じると、同じように、憎悪の奥に仕舞われていた本音をこぼした。


「私も、お前が羨ましい。エルダーガーデンに認められたお前が羨ましいよ」

「そうか。……おい愚妹、手を貸せ。このまま転がっているのは体面が悪い」

「自力で立て、愚兄。私の方が重傷だということを忘れるな」

「狩人が堂々と言うな」


 十七年、互いの顔も知らずに育った双子が面識を得た。前代未聞の大騒動を引き起こした異例の交流試合、その結末はたった一言で説明できる。

 けれども、当事者たちにとっての意味は大きかった。どうにか自力で立ち上がった森羅を無視して、澪は譲葉が待つ控えの間へ向かう。


 譲葉は誇らしげに、けれど大仰に喜ぶことなく澪を待っていた。己が英雄の勝利を確信していた譲葉は、いつもの穏やかな面持ちで澪を迎える。


「どうだった?」

「想像以上にしぶとかった。いや、しつこかったな」

「ええ、そうね。でも、いい顔」


 微笑む譲葉。澪は鏡に反射する自分の姿を見て、いつもの仏頂面が少しだけ緩んでいることを自覚した。


 澪はすう、と息をして、目を閉じる。

 浮かべるのは自然な微笑み。


「始まったよ、譲葉」

「うん。成し遂げましょう、私たちの楽園証明を」


 棄てられた少女と、道具だった呪い姫。二人の人生が始まった。

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神なき楽園宣言/いずれ世界を導く英雄は、名家から追放された出来損ないの修道女であり 卯月スズカ @mokusei_osmanthus

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