第14話 観測機械

 王都の地下深く。関係者と要人のほかには知らされることのない、地の底。幾重もの堅牢なセキュリティを越えてようやく辿り着ける深奥に、澪はやってきていた。


 大人一人が乗り込むのがせいぜいというサイズのエレベーターから降りて、数分ぶりに身体を伸ばす。

 澪の腰に女学院の中でも手放さなかった刀はなく、その代わり、両手には買い物袋を下げていた。


「婆様、私だ。すまないが開けてくれ。面倒臭い」


 ロックの掛かった自動扉の前で告げる。一切隠すことのない本音に、ゆっくりと開いていく扉の向こうからは楽しげな笑い声が聞こえてきた。


「く、くくっ、くっ……! あたし相手にそんなこと言う子、この三百年であんた以外にはいないよ?」

「さて。私にとっては婆様だからな。甘えた口を効いてもいいだろう?」

「あはは、そりゃそうだ! ──さて。いらっしゃい、唯我ゆいが。よく来たね」


 扉の向こうには広大で、けれど小さな空間がある。

 整然と並べられた総計五十六億ものスーパーコンピューターと、柔らかなベッドに腰かける、コンピューターとケーブルで接続された少女。


 人類の至宝。科学の極点。悪魔の出現を予知し、伝える観測機械、その正体。


 観測機械は女学院の制服を着た澪の姿を上から下まで眺めると、満足そうに頷く。


「うん、似合ってる。年頃の娘らしい格好もいいじゃないか」

「……あまりからかわないでくれ。正直、未だに慣れていないんだ」


 気恥ずかしげにする澪を見て、観測機械は楽しそうに笑う。澪は不服げに息をつくと買い物袋を渡し、観測機械が座るベッドへ上がった。

 ベッドには、無造作に伸ばされた亜麻色の髪がヴェールのように広がっている。澪は一房を掬い取ると、櫛で丁寧に漉き始めた。

 一方、観測機械は買い物袋からハンバーガーを取り出して、目を輝かせる。


「お、これこれ。お使い助かったよ。時々無性に食べたくなるのに、誰も買ってきちゃくれないんだ。唯我も食べるだろう?」

「これが終わったら」

「そんなこと言ってたらますます冷えるじゃないか。口、開けなさい」

「ん」


 観測機械の促しへ素直に甘える。二人のやりとりは、譲葉やペラギアの者が見ても呆気に取られる光景だろう。


 観測機械は、澪のもう一人の名付け親だ。エルダーガーデンへ予言を告げた際、観測機械は生まれてくる娘に「唯我」と名を付けた。結局は古代種だったことでその名は与えられなかったが、観測機械だけは今も唯我と呼び続けている。

 真祖の再来という期待を受け、生まれた古代種。混乱を極めた顛末は、観測機械の思惑通りだったのだ。


「唯我、女学院はどうだった?」

「貴重な知見を得た。やはり私は外のことを何も知らないようだ」

「そうだね。……あんたにだって、可能性はあるはずだったのにね」


 小さく項垂れる観測機械。澪はむ、と口を尖らせる。


「婆様。私は婆様のそんな顔が見たいわけじゃない」

「あはは、ごめんごめん。でもね、唯我。あたしがあんたに今の生き方を強いたようなものなんだよ」

「知っている。だから感謝している。何度も言っているだろう」


 すべてが観測機械の思惑通りだった。

 予言を誤読させれば、生まれた娘は修道院に送られて、やがて狩人となる。澪という狩人を生み出すことが、観測機械の目的だったのだ。


「婆様の予言のおかげで、私はペラギアの澪になれた。院長や姉妹と出会えた。狩人になれた。譲葉と出会えた。感謝こそすれ憎むはずがあるものか」

「……長く生きられなくても?」

「ああ」


 断言し、頷く。観測機械の髪を梳く手つきに淀みはない。


「婆様。私の身体は、あとどのくらい保つ?」

「二年か、三年か。成人を迎えられるかは怪しい」

「そうか。……間に合ってよかった」


 寿命を迎える前に森羅との対峙が成立したことに、心から安堵の息をつく。悲痛な表情をする観測機械とは実に対照的な顔だった。


 古代種が狩人となり、現行人類と肩を並べて戦えるカラクリの正体は、亜人成立期から理論は存在していた、只人を超人へ変える技術。

 澪こそがその施術の実証であり、人類初の被験体なのだ。


 とはいえ、幼少期からの度重なる手術や無理な投薬が身体に与えた負担は著しい。そんな状態で戦場に立ち続けたこともあって、長く生きられないとはかねてより断言されていた。

 観測機械は小さく息を吐き出すと、微かに声を震わせながらも、元の調子を装って言った。


「唯我、思う存分見せつけておいで。あんたが掴み取った強さを」

「ああ。森羅を倒して、無価値だった私を乗り越える。それが私の楽園証明の第一歩だ」

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