生意気な後輩

亜鉛とビタミン

生意気な後輩

「先輩、それって矛盾ですよ」


 と、後輩が凛とした顔で言った。


「うん、ホント、最高に矛盾です」


 今日は高校の卒業式だった。右手に握った紫紺色の筒には、私の卒業証書が入っている。


「矛盾?」


 私は疑問を呈した。


「そう、矛盾です」


 後輩はキッパリと言った。


「分からないんですか?」


 夕方の渡り廊下は、私たち二人だけを世界にぽつんと置き去ったように、しんと静まり返っている。


「分からないよ、どういう意味なの?」


 高校を出て、私は東京に行く。東京にある音大でティンパニを学ぶのだ。地元を離れ、東京に行けば、後輩と離れ離れになる。私は、後輩を悲しませたくないと思った。悩み悩んだ末に絞り出した「別れよう」という私の一言に、矛盾などないはずだった。


「鈍いなぁ、先輩は」


 そう言って、後輩は微笑んだ。


「僕が悲しむって? そんなわけ、ないじゃないですか」


 私の気も知らないで、後輩は生意気なことを言うのだ。彼はいつもそうだった。そういう時は決まって、今みたいに穏やかな顔をする。そんな彼のことを、私は好きになったのだ。


「先輩を音大に推したの、僕ですよ? 課題曲の練習にも付き合ったし、志願書を書くのも手伝ったじゃないですか」


「それは、そうだけど……」


「だから、先輩が東京に行くの、純粋に嬉しいんです」


 後輩は私の右手を握った。マレットを握り、ティンパニを叩くための右手だ。三年間、朝から晩まで練習に使い倒したせいで、硬い豆の痕だらけになっている。


「先輩のこと、先輩が嫌になるまで、一番近くで応援させてください」


 と、後輩は言った。


 また、私の気も知らないで。そう思った途端、視界が急にぼやけた。


「もちろん、良いですよね?」


 私の後輩は、生意気に微笑んでいた。

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