星を注ぐ

すごろくひろ

星を注ぐ

 時刻は午後九時四十五分。限界集落といわれるこの村が寝静まる時間を迎えた。その周りには店も交通機関も何もなく、ただただ田畑が広がるばかりだ。この集落の住民のほとんどが、六十五歳以上の高齢者しかいない、いわゆる限界集落である。そのため、この時間になれば、微かな街灯以外に存在を示すものはいない。

 なぜこうなったか。技術の進歩や時間とともに、窮屈さや不便を感じ、若者たちは卒業を機に都会へと旅立ってしまったことは想像に難くない。盆や正月といった、たまに訪れる帰省の時期や冠婚葬祭を除けば、この時間に起きている住人はほとんどいない。

 最近は、生まれ育った都会の喧騒に嫌気がさして、田舎へ移住したい若者も増えているらしいが、そんな新参者に対する目は、必ずしも好意的とは限らない。ある村では、そんな得体のしれない新参者に対して、敵愾心や好奇、侮蔑といった様々な目を向けたり、田舎のしきたりを押しつけられたりして疎外されていると苦しむケースもよく聞かれる。逆に、新参者に好き放題を許した結果、村をまるごと乗っ取られ、一帯が無法地帯と化した結果、二進も三進も行かなくなるといったケースもある。郷に入っては郷に従えとは言うが、いわゆる都会と田舎における暮らしや習慣についていけなくなるのも一つの要因かもしれない。

 さて、実はこの集落にも一人の若者が民家に暮らしている。名は勇作という。都会で暮らしていたが、体調の関係で、一時的にこの集落で祖父母と同居しているのだ。彼は、こっそり折り畳み椅子と懐中電灯、カメラを持って軒先へと出た。念のため玄関に鍵をかけた後、ホットココアを片手に椅子へ腰かけた。

「今日も綺麗だ」

 勇作は星を見上げながら、物思いに耽っていた。彼も最近、都会から引っ越してきた若者である。ただし彼の場合は、新参者とは言えない。小学校に上がる前までは、この集落で暮らしていたため、集落の中では、祖父母に同伴して孫だと紹介してもらえば、「ああ!」「大きくなったなあ」などと思い出されるようだ。また、これは集落に限らぬ話だが、知らない親族からは、部外者として邪険に扱われることも度々ある。勇作のような出で立ちの人間には少々つらいものではある。仕方ないと割り切りつつも、尾を引かないように、嫌なことがあればこうして夜空を見るのだ。


 突然、隣家の明かりが点く。ふと窓を見ると、幼馴染の七海が顔を出していた。彼女は懐中電灯を使ってモールス信号で彼に尋ねた。

『何しとるん?』

『星を見とる』

『一緒にいい?』

『いいよ』

 その後、七海は下りてきた。勇作は、椅子から離れて七海を座らせ、ホットココアを手渡した。

「綺麗だね」

 七海はじっくりと夜空を見上げる。彼女の横で、勇作はただ頷くばかりだった。


 実はこの集落には、同じ名字の人間しかいない。ずっと住んでいる住民たちにとっては、みんな顔馴染みなのだ。一つだけ変わったところと言えば、この集落は二つの自治体を跨いでいる。幼いころからの顔なじみである勇作と七海も、住んでいる自治体が違う関係で、小学校は別々にならざるを得なかった。一度、市町村合併の話が上がったときは、学区の改編も行われ、同じ集落のみんなが同じ学校に通える可能性が浮上したが、結局は、市町村合併の話は破談となった。また、時同じくして、勇作の父親が東京へ転勤することになり、勇作もこの集落を離れてしまったのだ。


「勇作って時々こう星見とるよな」

「見えてる星が過去の姿だと思うと、なんか儚く感じてね」

「綺麗でいいじゃな」

「僕なりのロマンだから」

 勇作の返答に少し困りながらも、七海はまた夜空を見つめる。しばらくの沈黙の後、七海は切り出した。

「私ね、来月引っ越すの」

「……とうとう出発するんか」

 七海のずっと叶えたかった夢。途上国の人たちを助けたるために青年海外協力隊として活躍したいと話していたのを思い出した。

「怖いな」

「あんたが怖がってどうすんのよ」

 ぽつりと呟く勇作に七海は軽く小突いた。

「でも、私の夢だからいいんじゃ」

 その言葉に勇作は何も返すことができなかった。この星空の下、どんな星よりも七海が一番明るく見えた。勇作はなんだか悔しさを覚えた。前進している七海に対して、今の自分の有様になんだか惨めさを覚えてしまった。

「もうすぐ十時になるし、女の子は早く家に戻りなさい」

 そう言って、勇作は七海を立ち上がらせて、片づけはじめた。七海も最初は子どもじゃないんだからと離れようとしなかったが、だんだん寒さも厳しくなってきたため、撤収することにした。家の中に一式をしまうと、七海を家まで送っていった。

「それじゃ、元気でな」

「あっ、待って」

 七海は勇作を呼び止めた。勇作は首を傾げながらも、七海の家の玄関先で待っていた。

「これあげる」

 七海は、勇作に星座盤を手渡した。

「また見るとき、これ使って」

 勇作は星座盤を受け取ると、即座に回れ右をした。

「ありがとう、じゃあね」

 勇作は目を合わさずに七海に礼を言って、その場を後にした。早足で家に戻った途端、雨は降り出した。そして雨は強くなり、一晩中止むことはなかった。


 あくる日、七海は集落のみんなに見送られながら、新天地へ旅立っていった。

 勇作は、この日は家から出てくることはなかった。

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