ぶつかり、弾ける青と黄色

 黄泉川に連行されてから、どれくらいの時間が経っただろう。


 今は9月の中頃なのだから、夕焼けの空が暗くなっているとしてもそこまで長い時間ではないとは思う。けれど、道中まで黄泉川が無言なこともあって、体感としては短くはなかった。


「黄泉川! いい加減、どこ行くかくらい教えてくれてもいいだろ」


 痺れを切らして苛立ちをぶつけるが、黄泉川はまったく取り合わずに歩き続ける。


 そして、狭い路地から大通りに差し掛かったところで、俺は既視感を覚える。


「……ここって」


「はっ、思い出してきたか? 目的地はあそこだ」


 ようやく口を利いた黄泉川が、顎で前方を示す。そこには、市立にしては大規模な中学校があった。


「……俺たちが、通ってた」


「おう。卒業してそこまで経ってねーけど、懐かしくね? つか、じゃっかん校舎キレイになってねーか?」


「……耐久性とかの問題から改修するとは聞いてたけど」


「マジかよ! オレたちがいる間にやっとけっつー話だよな」


 なにが可笑しいのか、大袈裟に笑って黄泉川が校門の脇にある自販機に近づく。


「特別に奢ってやるよ」


「? 気持ちはありがたいけど……いまの俺は飲めないぞ?」


「だーっ、そうだった。コーラも飲めないとかほんとに不便な身体だな。羨ましいなんていったこと、撤回するわ」


「それより、どういうつもりだよ。なんだって、こんなところに……」


「落ち込んでる友達を励ますためだよ」


「……励ます?」


 眉を顰めると、黄泉川は自販機に小銭を突っ込んでから、頷く。


「なあ、オレと藍田が出会ったのはここだよな? いろいろ話をして、友達になったのは。でもよ、オレはお前のことを知らなかった。同じ学年にいることも認知してなかった」


「……だろうな」


「なら、どうしてオレとお前は友達になったんだ?」


「それは、赤羽根が俺を黄泉川に紹介したからだろ?」


「正解――っていいたいとこだが、そいつは違うな。いくら翼から紹介されたって、オレは興味のない人間には関わらない。そこまでヒマでもないんでな」


 ガタン、と自販機からペットボトルが吐き出される。黄泉川がキャップを外すと、コーラの炭酸が小気味よく弾けた。


「オレは、お前の歌が好きだったんだ」


「……え?」


「こんなこと、まっさか本人にいう日がくるとは思ってもみなかったんだけどな。はっずいけど……仕方ねぇわな。オレは歌を歌うお前を……正確には、分不相応の夢を諦めることなく努力するお前を認めてたんだ」


「……そう、なのか」


 分不相応の夢を諦めず、努力する俺。

それが黄泉川紡にとって価値のある藍田蒼汰なのだとしたら、確かに辻褄は合う。


 神林の激励もあって、最後まで碧と戦うことを決めた。まさしくそれは分不相応で無謀な目標でもあり、それを掲げることで、奇しくも黄泉川が認めていた藍田蒼汰の価値と重なったのかもしれない。


「オレさ、よく天才だとかいわれるだろ? 体格がでかくて、運動神経はガキの頃からよかったから、なにをやらされてもそれなりにはできて。気付けばバスケで全国を狙えるほどになった」


「実際、すごいだろ。ウチのバスケ部だって、黄泉川が入るまではそのレベルではなかったんだし。お前がいたからこそいけたって、みんなが言ってたぞ」


「……オレも、そう思ってたんだ。だけど、全国に行ってわかった。オレは天才なんかじゃない。そこそこバスケができるヤツってことに過ぎないって思い知らされたんだよ」


 黄泉川がフェンスに寄りかかる。濃紺に色づく空を見上げて、鼻を鳴らす。


「井の中の蛙大海を知らず、ってな。地元で天才と持て囃されたところで、所詮はその程度。あっさり負けて、思い知ったんだ。あぁ……オレはここまでなんだってな」


「……」


「挫折なんか知らなかった中学のオレは、すぐに諦めた。無駄なことはやめよう。これ以上、足掻いたってダサいだけだってな。……そんときだ。翼に、お前を紹介されたのは」


 空に投げられていた黄泉川の視線が、俺を射抜く。暗がりでも強く煌めく黄泉川の瞳には、心なしか怒りの炎が揺らめいていたような気がした。


「自作の曲を作ってミュージシャンを目指してる奴がいる。そんなことを聞かされたときは、正直笑った。めちゃくちゃ痛いやつが同じ学年にいる。当時、バスケのことで苛立ってたオレは、翼に曲を聴かせてくれって頼んで……ビビった」


「想像以上にダサくてか?」


「ちげーよ。アホみたいに響いたんだよ。別にそこまでカッコいい音でも、イケてる歌声でもねぇ。ガムシャラにギターをじゃかじゃか鳴らして、恥ずかしげもなく歌っているその曲に、揺さぶられたんだ」


「……」


「気付けば翼に会わせてくれって頼んでた。それでお前と会って、話しをして。オレたちは仲良くなった。同時に、オレはまたバスケを始めた。どんなに無様でも、挑戦することはダサくはないってことをお前に教わったからだ!」


 黄泉川の叫びが、夜の空気を震わせる。がしゃりと音を立ててフェンスから離れ、俺に詰め寄ってくる。


「なぁ、どうしてだ? どうしてお前は、音楽をやめたんだ?」


「……」


「お前がいるから、オレは諦めなかった。どんなに辛くても、一緒に夢を追いかけている奴がいるってだけで、オレは戦えた。なのになんで、先にお前が辞めちまうんだよ? 死んだような目をして、毎日をつまらなさそうに過ごしてるんだよ!?」


「……っ」


「お前の声が録音できないのはそれがあるからじゃないのか? 翼に認識されないのは! 碧に負けちまうのは、心の根っこで諦めてるからじゃねぇのか!」


「……るせんだよ」


「口では碧に勝つっていっても、それじゃ勝てねぇよ。お前の歌に心を動かされたオレにはわかる。いまのお前は、苦しそうなんだ。碧みたいに、ちっとも楽しそうに歌わねぇ。あれじゃあ、たとえ声が聴こえたって、誰も認めてなんか――」


「うるっせんだよ!」


 煮えたぎるように熱い激情が、迸る。面食らって黙る黄泉川に、俺は隙を与えることなく畳みかける。


「お前になにがわかる? はじめから、なんでも持っているお前に! 全国で勝てない? 挫折しそうになったところを、俺の歌に救われた? ふざけんなよ。なんだよそれ。俺の歌なんかを聴くだけで実力が伸びたなら、それは俺の力じゃない。もともとお前に才能があっただけなんだよ」


「――なっ」


「はじめから上手くいくお前は、失敗を知らない。だから、最初の失敗で実力がないと思い込む。そうじゃない。そもそも才能や力がなきゃ、全国なんか立てるわけないだろ。そこに立てない人間が大半なんだ。けど、お前はそれを自覚していない。結局、自分の才能に自惚れてんだよ」


 頭のどこかで、やめろという警告が鳴り響く。これ以上、踏み込んだら決定的になにかが壊れてしまう。それを理解しながらも、俺の舌は止まらない。


「昔からお前はそうだ。恵まれているのに、それに気付かない。それが当たり前だという認識をして、ヘラヘラ笑っていってくるんだ。『そうか? そんなことねぇよ』って。そんなことあるに決まってんだろ。お前には才能があって、みんなもそれを認めてる。……赤羽根だって、お前のことを認めてる。……そんな奴が、言ってくるなよ。俺なんかの曲を聴いて、凄いなんて……。余計に、惨めに思えてくるんだよ!」


 心の奥に仕舞い込んでいた感情のすべてが、言語となって滑り落ちる。


 途端、とてつもない疲労感が襲ってくる。眩暈がして、動悸が激しくなる。乱れる息を整えもせず、俺は俯く。


「……あの曲は、赤羽根と作ったんだ。俺が作曲しているなんて、世界中で赤羽根ひとりしか知らなくて、俺は嬉しかったんだ。俺の歌は、世界中の誰でもない、赤羽根にさえ認めてもらえばいい。二人だけの秘密だって。けど、ある日お前が来た。赤羽根が曲を教えて、別に望んでもいない奴から褒められた。そして、そいつは学校一の超人……。しかも、赤羽根とは幼馴染みって知って、全部がどうでもよくなった。世界はそういう風にできている。持っているやつは持っている。持っていないやつは持っていない。持っていないやつは、なにかを得ることは出来ない。それが、現実なんだ」


 ずっと、溜め込んできていた。


 赤羽根から恋の相談を持ちかけられるたびに、みんなから褒めそやされる黄泉川を隣で見るたびに、身体の芯に絡みついていたどす黒い感情だった。


 いつか、これをぶちまけたときは楽になれるのだろうか。不意にそんなことを考えるときもあったが、なぜか胸には鉛が詰まったような感覚が残っていた。


「……あー、そうか。そんな風に思ってたのか、藍田は。……オレが、お前を苦しめてたのか」


「あぁ。そうだ」


「それは悪かった。やっぱオレはバカなんだな。仲いいとかいいながら、ちっとも汲んでやることができなかった。……ただまぁ、清々してるよ」


「清々?」


「お前は見たまんまの人間って知れて。影に潜んで、光に出ることも怖がって不平不満を吐くだけのダサいヤツだって。オレが一番、興味のない類の人間だ。だから――」


 そこで、黄泉川の声が途切れる。まるで、電源を落とされたロボットのように目を丸くして硬直

し、俺はどうしたのかと目の前で手を振る。


「お、おい。いきなりなんだよ。またふざけてんのか、黄泉川……!」


「あれ? オレ、こんなところでなにしてんだ?」


「は? お前、いい加減に――」


「なんで中学のとこに……? 散歩でもしてたっけか? 誰かと喋ってた気がすんだけど……まぁ、いっか」


 そう言って、黄泉川が踵を返す。


 あまりに脈絡もない言動に驚きながら、俺は制止をするために進路に立ちふさがる。しかし、黄泉川が意に介すことはない。


 迷いのない足取りで道を辿り、俺をすり抜けて去っていく。


「……はっ」


 思わず、笑みがこぼれた。


 俺は、価値を失ったのだ。黄泉川紡が認めてくれていた価値がないことが明らかになって、再び黄泉川には認識されなくなったんだ。


「……終わった」


 なにもかも、すべてが。

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青くて蒼くて碧い影 宇波瀬人 @oneoclock

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