Q5.大ヒントが必要?
練習開始
退屈だったから。
なぜ音楽をはじめたのかと問われたら、俺はそう答えていたと思う。
毎日送る日々が、どうしよもなく退屈だったのだ。
俺のようなタイプの人間ではなく、才覚や能力、人々に認められる力を身に着けている人にとっては無縁の話だろう。そういったタイプの人間には、この世界は美しく、尊いものに映っているはずだ。
けれど、俺はそうじゃない。
同じ時間を繰り返しているのかと錯覚さえするほどに、見える景色は代わり映えしないものばかりで。眠気を誘う授業も、バカ騒ぎする同級生も、息を潜めて影で過ごす自分も。なにひとつ、変わることはない。
とにかく、ヒマで仕方ない。なにか趣味でも出来ればいいなと思っているときに、俺はヒストリアというバンドと出会った。
自身の恥ずかしくて暗いを、激しいロックサウンドに乗せて歌い上げるその姿に、惰性で動き続けていた俺の心臓の鼓動が、高鳴った。
気付けば親にギターを買ってくれとせがんでいた。滅多に物をねだらないからか、親はその願いを聞き入れてくれた。
中古ではあったが、そんなことは俺には関係はなかった。無我夢中で作曲をして、作詞の作業に移った。
しかし、見切り発車で作曲をしてしまったがゆえに、曲のコンセプトは決まっていない。そこではじめて息詰まる俺の前にあらわれたのが、学年一の才媛、赤羽根翼だった。
俺と同じような音楽の嗜好性を持つ赤羽根も協力してくれることになり、二人で作詞を練るなかで、俺は音楽への感謝をテーマにしたいと口にした。
退屈だった俺の世界を、多少はマシなものにしてくれた音楽。そんな存在への感謝をはじめての曲とするのは、しっくりくるものがあったのだ。
「蒼汰くんは、恋してるんだね」
曲のコンセプトを伝えると、赤羽根はそう言った。
「恋?」
「うん。ようは、音楽のことが好きなんだよね? なら、感謝っていうよりはラブソングにしたほうが聴き手としてはわかりやすいかな? 感謝ってなんか仰々しいしね」
「……なるほどな」
音楽への感謝をひとつの恋として表現する。俺では到底思いつかないアプローチに感嘆しながら、俺は赤羽根の助言を取り入れることにした。
みんなが寝静まる夜に、ひとりだけ眠れない少年を軸として、孤独に苛まれる場面までをワンコーラスとした。これは、日々の退屈さに辟易していた俺にとっては実感しやすいものであり、存外スラスラと書けた。
問題は、二番からの詞だった。ひとりぼっちの夜に絶望する主人公のもとに、同じく眠れない少女があらわれる。二人は、夜の世界で言葉を交わし、心を通わせて主人公は恋に落ちる……というものなのだが、恋などろくにしたことのない俺には実感が湧きづらい。
ひとまず、完成は後に回してワンコーラスを歌ってみようということになった。
ギターを片手に、オリジナルのサウンドと詞を演奏する俺。そんな俺を赤羽根はじっと見つめ、曲が終わると笑みを咲かせた。
「すっごいよ、蒼汰くん! すっごくカッコいい!」
大きな瞳を輝かせて手を叩く赤羽根の言葉が世辞の類ではないのは、間違いなかった。
その瞬間だった。
俺の心臓がいつもと違う鼓動を刻んだ。それは、ヒストリアの曲を耳にした際の高鳴りと同じで、俺はなぜそれが起きたのか理解できなかったが、二番の詞があっさりと書けたことで自覚した。
あぁ、俺は赤羽根に恋をしたんだと。
もっと、赤羽根に認めてもらいたい。カッコいいと褒めてもらって、歌を聴いてもらいたい。みんなが惹きこまれるあの瞳を、俺にだけ向けてもらいたかった。
その一心で詞を書き上げた俺は、曲ができたことを赤羽根に伝えに走って――出会ったんだ。
「おっ、おまえが藍田か? 話は翼から聞いてるぜ。オレは黄泉川紡。おまえの曲の虜になっちまった、ファン第二号だ」
そう言って爽やかな笑みを貼り付ける、黄泉川紡に。
「――っち。だ、っち。――藍田っちってば!」
瞼を押し上げると、心配そうに眉を下げて俺を揺さぶる神林の顔が広がった。
「神林? どうしたんだ、そんな必死に……」
「どうしたんだ? じゃないよ! れんしゅう! 放課後になったから来たのに、爆睡決め込んでるんだもん」
「……あ、あぁ。そっか、もうそんな時間か。悪い」
壁にかかる時計は16時を示している。学校の授業は終わり、文化祭の準備に取り掛かる時間だ。
「ったく、良いご身分だなぁ透明人間ってのは。授業も受けず、昼寝もできてよ。存在が認識されないってことは、欠席点も取られないんだろ? 羨ましいぜ」
神林の背後から顔を覗かせて、黄泉川が冗談めかした嫌味をいってくる。
「アホいうな。羨ましくなんかないっての。ヒマでヒマで仕方ないんだからな」
「つっても、やりたい放題には変わりないだろ? 女子風呂にも女子トイレにも入り放題ってわけだ」
「なっ! そんなこと、あたしが認めないからね! 藍田っち……してないよね?」
「してるわけないだろ! 黄泉川がからかってるだけだから、あんまり本気にすんなよ」
純粋で素直なために黄泉川に弄ばれる神林を諭すと、神林の怒りの矛先が黄泉川に向けられる。そのままプリプリと文句を呈する神林とどうどうと宥める黄泉川の様子を眺めていると、音楽室の扉が開いた。
「やぁ。みんな、はやいね」
ひょこりと部屋に入ってきたのは、碧だった。背中には背丈を超えるギグケースを背負っているが、まるで重さを感じさせないくらいに柔和な笑みを浮かべて歩いてくる。
「アオちゃんは遅かったね。クラスのみんなに捕まってたの?」
「そうなんだよね。ま、オバケ喫茶を提案したのはボクだし仕方ないんだけどさ。どっちかっていうと、こっちのほうが大切だしね。ボクにとっては」
いや、と碧は緩くかぶりを振って、
「ボクたちにとっては、か」
意味ありげに俺を一瞥する。
「……だろうな。なにせ、これが俺たちの最終決戦になるわけだし」
「なっははは。そうじゃない、そうじゃない。ほんっと、キミはなんにもわかってないよねー」
ケタケタと笑いながら、碧は音楽室の中央まで進む。ギグケースをおろし、ネックの部分を愛しそうに撫でてから、振り向いてくる。
「大勢の人前で演奏できる。それはボクたちの夢だったじゃないか」
「……」
「あぁ。それとも、ボクだけの夢だったかな?」
「……いいや、俺の夢でもある。必ず、俺の歌を届けてみせる」
「うんうん。その意気やよし。なら、さっそく練習しなくちゃね」
相変わらず、何を企んでいるのか読めない碧ではあるが、言っていることはもっともではある。警戒することを忘れないように心がけながら、俺と黄泉川、神林の三人は所定の位置につく。
俺を含めれば四人組ではあるが、俺の存在は他人からは観測されない。そのため、客観的には碧、黄泉川、神林のスリーピースバンドに映り、位置もそれに倣うことになる。
ドラムの黄泉川を後方中央に据え、両サイドの前方にベースの神林、ギター兼ボーカルの碧が立つ。そして、俺の位置は一番ど真ん中となる。もちろん、通常であれば黄泉川を隠してしまうのでタブーとなるが、透明人間と化している俺には関係ない。ただし、ほかに問題点があるとすれば……。
「このスタンドマイク、不審に思われないか?」
存在価値を失い、他人や物に干渉できない俺はマイクを持つことができない。一応、マイクをスタンド形式にすれば解決するが、無人の空間にスタンドマイクがあるとなれば客としては不思議に思うだろう。
「でも、そうじゃないと藍田っちの声が聴こえないし」
「文化祭のテンションと曲がはじまっちまえば、みんな気にしないんじゃねーの?」
「言われてみれば、そうかもしれないけどな」
「まーまー。いいじゃん、細かいことはどうだって。いまはとにかく、やってみよ」
今更そんなことを気にしては先に進めない。
俺がすべきことは、自分の歌をみんなに届けること。それだけを考えればいいんだ。
「じゃー、いくぞ。ワン、ツー、ワンツースリフォー」
黄泉川の不慣れな調子でカウントがされ、遂に曲ははじまる。
ギターのリフが鳴らされ、ベースの重低音が響く。
俺のファンだといってくれるだけあって、神林の技量は十分だ。当然、この曲を作った俺のドッペルゲンガーである碧の演奏も完璧ではあるが、唯一、初心者の黄泉川のドラムは頼りない。どうにかリズムを作ろうと焦るあまり、かなりはやいテンポのまま、歌い出しに入る。
「「Goodnight そう言ってみんなが眠る なのになんで? 僕は眠りに就けないの? 真っ暗な夜 シンとした静けさに耳鳴りがする」」
音楽室に、俺と碧のデュエットが響き渡る。
けれど、実際に俺の声が響いているのかはわからない。それを確かめるためにスマホで録音をしているが、ちゃんと録れているかが気になって仕方ない。胸の奥でわだかまる緊張に目を泳がせる俺は、隣で歌う碧の横顔を窺う。
そこには、いまだかつてないほどに輝かしい笑みを弾けさせる、純粋無垢な少女がいて。存在証明の行方などまるで興味ないといったばかりに歌い続ける碧に、俺は凄まじい焦燥感を覚える。
俺も、歌わなくちゃ。頑張って、声を響かせなくちゃいけないんだ!
練習なんて関係ない。持てる力を振り絞って、俺たちはワンコーラスを歌い終える。
「すまん! オレのドラムのせいで全体がめちゃくちゃになってやがる」
「そんなことないよ! 初めてでこれでしょ? 完璧ではないけど、ちゃんとした音になってるよ」
「卑下することないよ、ツムグ。ミドリがいうように、初めてでそれだけできれば上出来だ。ね? ソウタ」
「あ、あぁ。さすが黄泉川」
お世辞ではなく、それは本音だった。
たしかに、指摘するところを挙げればキリはないが、話しにならないほど聞き苦しいわけでもない。本番までにはどうにかなりそうという予感を感じさせるあたり、やっぱり黄泉川のポテンシャルは計り知れない。
「とりあえず、本番までにはもう少しマシにしないとな。んで? 歌のほうはどうなんだ?」
「うん! 確認してみるね」
神林が鞄のほうへと走り、スマホを取り出す。アプリを開き、録音したデータを再生する。
すると、三人の楽器の音とともに歌声が流れる。細くしなやかでいて、楽しそうに明るいその声音は、俺ではない。明らかに碧のものであり、録音されたデータに俺の声は一切入ってはいなかった。
「ありゃ~、ボクしか聴こえないね。歌ってるときはイイ感じかもって思ってたけど」
「あ、あたしも……。そんなに簡単にはうまく……いかないよね」
「……なんでだよ。もう俺は絶望なんかしてない。碧に勝つ気でいるのに、これ以上なにが必要だってんだよ」
「藍田……」
いったい、なにをすれば俺の声は響く? どうすれば、碧に勝てる?
頭の中をグルグルと疑問が駆け巡り、苛立ちと焦りに翻弄されているときだった。
「失礼しまーす」
不意に、来訪者があらわれる。
全員が扉のほうをみやると、にこりと微笑む赤羽根がいた。
「ば、ばっさー!? どしたの、おばけ喫茶のほうは大丈夫なの?」
「うん、そっちは順調。わたしが抜けても問題なさそうだったから、こっちの様子を見にきたの。部屋から漏れる音を聴いてたけど、こっちも順調そうね。紡がドラムをやるって知ったときは驚いたけど、普通に叩けてたし」
「マジか? オレ的にはイマイチだったんだけどな」
「そうなの? 素人のわたしにとっては、そこまで違和感なくて、上手だなって聞き入ってたたのに」
「ま、それはボクの演奏がカバーしてるだろうからね。歌もうまかったでしょ?」
「それはもう凄かったよ。本当に碧はミュージシャン目指してるんだなって、碧の本気と才能を感じた。あと……なんでかな? あの歌、どこかで聴いたことがある気がして……。とにかく、好きだなって感じた。あれも、碧が作った曲なんでしょ?」
そう問いかける赤羽根の瞳に、疑念はない。純粋なまでに尊敬の念が籠った視線を碧に注ぎ、碧はそれに応えるように得意気に笑む。
「あぁ、そうだよ。ボクが作ったんだ」
ギリ、と歯が軋む。
別に、碧の言葉に嘘はない。あいつは、俺のドッペルゲンガーである存在だ。つまり、俺が作った曲はイコールで碧が作ったものにもなりうる。
理屈ではわかっている。ただ、理性がそれを許さないだけだ。
「ば、ばっさー! あの、歌のなかでアオちゃん以外の声って聴こえなかった?」
「お、おい。神林……!」
恐らく、気を遣って訊いてくれたのだろうが、録音されていなかった以上、望みは薄い。いたずらに赤羽根を困惑させるだけだという勘は、当たったようだ。
赤羽根は小首を傾げて、顎に指を添える。
「……ううん。聴こえ……なかったけど」
「そ、そうだよね! ならいいんだ! ……あ、いや……よくはないんだけど」
「……いいんだ、神林。ありがとう」
「藍田っち……」
トレードマークであるポニーテールが萎れ、落ち込む神林。そんな神林の姿に、赤羽根が心配したように覗き込む。
「ど、どうしたのみどり。なにかあったの?」
「ち、違うの! これは……えーっと」
「ドッペルゲンガーだよ」
「「へっ!?」」
赤羽根のみならず、俺と神林までもが愕然として黄泉川を見る。一方の黄泉川はやれやれと肩を竦めて、
「密かにバンドをしたがっていた神林には、架空のチームメンバーがいたんだよ。そいつは、きみどりっていってな、神林の練習相手だったんだ。無意識にそいつを探しちまったんだろ」
「え、そうなの? ごめん、みどり。わたし、そうとは知らずに……」
「え、ええええええ!? なにその、あたしも知らない悲しき事情!? 黄泉川くん、なに勝手を――」
「まぁまぁ、無理すんなって。別にだれも引きやしねーよ。つーわけだ、翼。あんまり深堀りしてやんないでくれるか?」
「う、うん。わかった」
「ちょっと待ってー!」
神林の断末魔も虚しく、赤羽根は素直に黄泉川の口車に乗る。そのまま、練習の邪魔しちゃってごめんと足早に去っていくことで、どうにか事なきを得る。
「ふぅ。なんとかなったな」
「なってないよ! なんかあたしがとんでもなく憐れで可哀想なやつになってるよ!」
「うるせーな。そもそも、お前が余計なこと言うから翼が不審がってたろ。自己責任ってことで我慢しろ」
「うっ、確かに。……反省します」
至極真っ当な黄泉川の言い分に、神林が項垂れる。そんな神林に溜息をひとつ零し、黄泉川が俺の肩を叩いてくる。
「……にしても、マジで見えないんだな。翼は、藍田のことを」
「……あぁ、そうだ。ここにいる三人以外、俺を認識することはできない」
「んで、スマホでさえもお前の歌を録ることはできない……ってか」
あまり物事を難しく捉えない黄泉川が、珍しく渋面を作る。なにかを思案するように黙考し、やが
て碧と神林に視線を移す。
「神林、碧。今日の練習はここらで切り上げねーか?」
「ふぇ? まだ一回しか合わせてないのに?」
「演奏は思ったより酷くはなかったし、練習以上にどうにかしねーといけない課題もあるしな。おい、藍田。ちと付き合わねーか?」
「……どこ行くんだよ」
「さぁな。そいつは着いてからのお楽しみだ。いいから行くぞ」
有無をいわせずに、黄泉川が俺の肩を持つ。慌てて抵抗とするが、バスケ部エースのフィジカルに敵うはずもなく、俺はほぼ攫われるように外へと連れ出されるのだった。
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