黒に染まって

牛本

黒に染まって


 気が付くと私は、何処か暗いところにいた。

 酷く埃臭くて、静かな空間。


「……」


 声を出そうと思っても出ない。なぜだろうと思ったが、しかしそれは当然であるかのように受け入れることが出来た。

 幸い、手足を動かすことに支障はないようで、その暗い空間から脱出しようと動き始める。


 暗いせいで目は見えなかったが、その分感覚が研ぎ澄まされているようで、手に取るように周囲を把握することが出来た。


 ――どうなってるんだろう。


 周辺は自分の身体程に巨大なものが置かれていて、迷路のようでもあった。どういう訳か体はいつもの数倍は軽く、障害をものともせずに突き進むことが出来る。


 ――あ、出口かな。


 しばらくそうして歩いていると、遠くの方で絵強い光を感じた。

 何故か出口に向かう足は重かったが、しかし理性で本能を押さえつけ、進んでいく。

 私は従来引きこもり気味でもあったため、暗いところを好むが、光が苦手なわけではなかったはず。

 どうしたのだろうと考えながらも、ついには光の元へと出る。


 酷く、まぶしかった。

 しかし、先程よりも格段に広いようだった。


 恐る恐るの足取りで歩いていると、何かが私を見ていることに気が付いた。


「にゃあ」


 猫だった。

 あり得ない程に巨大な猫が、そこにはいた。


「にゃ!」


 素早く振り下ろされたネコパンチを会心の動きで回避する。

 そのまま先程までの暗がりへと避難すると、猫は遠くからこちらを覗いているようだったが、追ってくることはなかった。


 だが、一体どういうことなのだろう。


 ――あれは、間違いなくクロだ。


 真っ黒なその毛と、あの鳴き声は聞き慣れたクロのもの。だが、それはおかしくないだろうか。

 クロは私の両の腕に収まる程の大きさのはずなのだから。


 ――私が、小さくなった?


 そう思えば、周囲の巨大な障害物にも納得がいく。

 でも、何故そんなことが起きているのだろうか。


 ――なんか、したかな。


 いつもと変わらない日常だったはずだ。

 いつものように昼頃に起き、朝食兼昼食を食べると自室に戻る。

 そしてベットの上でスマホなんかを眺めていたような気がする。


 ――まあ、考えても仕方ないか。


 私はもう一度光のする方へと走っていく。


「にゃあ!」


 当然、外で様子を伺っていたクロがネコパンチを飛ばしてくるが、軽快なステップを踏んで全て避けきった。


 この場が家の中だと分かってしまえば、あとは自分の部屋に帰るだけだ。それからのことは後の私が考えてくれるだろう。


「にゃあ」


 避ける。


「にゃあ」


 避ける。


「きゃああああ!」


 悲鳴に顔を上げると、巨人が居た。

 まるで漫画で見る豚の化け物、通称オークのような姿をした贅肉の化け物は母親だ。


「いやああああ!!」


 母親は耳障りな声を上げて私から逃げていく。

 何をそんなに驚ているんだと自分の母親が情けなくなった。


 私は未だネコパンチを繰り返すクロの愚行に辟易としながらも、ついには自室の前まで辿り付く。


「にゃあ!」

「まてええええ!!」


 ――ふっ……遅い。


 背後にはクロと、そしてドタドタとこちらへと駆け寄ってくる贅肉の音が聞こえてくるが、此処まで来てしまえばあとは私のものだ。


 ドアの隙間から室内に侵入を果たした私は、ベットの上ですやすやと寝息を立てる私を発見した。


 ――今日もなかなかかわいいね、私!


 そんな私に向かって、全力で駆け寄る。

 部屋のドアがバン! と開かれ、鬼の形相をした母親が入ってくる。


「出てこいこの野郎!」


 ――野郎じゃねえよ!


 母親の馬鹿にでかい声量に思わず身体が硬直しそうになるが、気合一発耐える。

 此処までくればもう後は飛び込むだけである。

 なんとなく、今なら飛べそうな気がした私は空中を舞い、一直線に私の口元を目指した。


 遠くに見える母親が絶望を顔に浮かべている。

 なにか、とんでもないことをしてしまっているのではないかという気もしてくる。


 しかし、今更だ。

 もう体は止まらない。


 ――ただいま私! 今元の姿に戻るからね!


 意識が薄れゆく中、薄らと目を開いた私の顔が見えた。




「きゃあああああ!!!!」


 母親の悲鳴に目を覚ます。

 どうやら元の姿に戻れたみたいで、思わずホッと息をついた。


「あ……あんた」


 母親に視線向けると、戦慄の表情でこちらを見て固まっていた。

 私は思わず胡乱気な顔をしてしまう。


「え、なに?」

「あんた……口に……」

「口?」


 そう言えば、先程私は私の口に向かって飛び込みを決めた筈だった。

 それが成功したから、元の身体に戻れたのだろうか。


 しかし、果たして私は何になってしまっていたのだろうか。


「あれ、ナニコレ」


 口の中に異物感を覚える。

 口内に指を入れて、それを取り出した。


 手足を忙しなく動かし、ワシャワシャと空中をかき回すその存在。

 長い触覚にギザギザとした手足。

 何より、私の唾液によって従来の光沢をより一層強め黒く光るそのボディは――


「おえええええええ」

「は、早くうがいしてきなさい! あ、離さないで! 逃げちゃうでしょ!」


 ――どうやら私はゴキブリになっていたみたいだ。










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