第110話 外伝③


 夜明けとともに、アンリから書記官としての書類の書き方の講義が始まる。

 公用書類、他国への外務書類、報告書類。それぞれ書き方は異なり、細かな決まりがある。しかし、これを学ぶからと言って私はその書類を王宮で書くことはないようだ。


 王宮には、正規の書記官がいる。

 私はそれを把握し、回ってきた書類に不備がないかを確認するために学んでいると教えて貰った。

 間違いがあれば、指示して訂正をさせるようだ。

 溜息しか出てこない。


「それでは、休憩にしましょうか」

 

 アンリの声に、私は椅子に深く身体を預けた。


「覚えることは多いでしょう」

「はい。私には学院の講義よりも大変です」

「王宮には、細かな決まりごとが多いのよ」

「ですが、なぜ私なのでしょうか。私は臨時王宮にも仕官の希望書を送りましたが、書類で落とされました」


 私の言葉に、アンリは静かに笑った。


「臨時王宮は腐敗しています。先王の王宮がそうだったのだから、仕方がないのですけどね。でも、わたしはダリアさんを推薦しましたよ」

「私を、ですか」


 どういう事だろう。アンリ先師とは特別講義で何度か会っただけだ。


「覚えていませんか。特別講義後に質問に来たのはあなたとイアザさんの二人だけでした」


 イアザ、彼女も推薦されていたのだ。


「イアザさんは、来なかったと聞きました」

「そうですね。残念ですが、イアザさんとはご縁はなかったみたいです」

「でも、それは招待の仕方が間違っているのではないでしょうか。はっきりと内容を伝えれば、彼女もきっと来ました」


 私の言葉に、アンリが困ったように笑う。


「この国は、王宮官吏に権力が集中しています。もし、国体を変更するとなると全力で阻止してくるでしょう。その為に、王様たちは全てを水面下で準備して、一気に改革を行うのではないですか」


 そうか。内容を伝えて、参加しないとなったらそのことは王宮官吏も知ることになる。

 その為に、内容は伝えずに決断を即したのだ。

 自らの決断を出来ない者に、国の決断など出来ない。

 確かに、その通りだ。

 頷く私に、微笑んだ。


「あなたは、講義後にした質問を覚えていますか」

「はい。臨時王宮から出る布告に、矛盾点があります。一つ一つの布告に視野の狭隘さがあるように思いますが、その理由について教えてほしいと尋ねました」

「そうですね。お答えはもう少しすれば分かります、でした。少しが三年もかかりましたね」


 そう言うとアンリは立ち上がった。


「では、実践で見て見ましょうか」


 そのまま扉を開けて部屋を出る。


「どちらに行かれるのです」


 私が問いたいことを廊下にいたブラドが尋ねた。この人は、ずっとこの場所にいたのだろうか。


「ダリアに他の部署の仕事を見せてあげたいの」

「そうですか。では、お供します」

「お願いします」


 アンリは当然のようにブラドを連れて進んでいく。

 入ったのは隣の部屋だ。

 ここも私の部屋と同じで、ベッドが二台に小さな机が置かれているだけ。

 机に座り、書類を広げているのは同級生だったバイズだ。


「おう、ダリアじゃないか。おまえも呼ばれたのか」


 彼が顔を上げる。

 その顔は憔悴し切っているように見えた。


「ちょっと待ってろ、こっちも休憩にする」


 そう言うと、机の上にある呼び鈴を押した。

 ここで音は響くことはないから、他の部屋の誰かを呼んだのだろう。


「アンリさんがいらっしゃるということは、ダリアが秘書官なんだな」

「秘書官を知っているの」


 進められるままに、ベッドに腰を下ろした。


「守秘義務があるけど、秘書官には全てを話してもいいと言われたよ」

「そうですね。バイスさん、している仕事を教えてあげて貰えますか」


 アンリの言葉に、バイスが重い息を付く。


「言えば、愚痴になりますよ」

「愚痴を言える余裕があれば、いいですね」


 その言葉に、バイスはもう一度深い息を付いた。


「銀行というのを作る。この銀行というは金融拠点になり、国中を網羅するんだ」

「その金融拠点というのは、何」

「正直、学んでいる最中だ。指示書を読み込んでいるが、難しすぎるからな。分かったのは、この国に流通する商業ギルの硬貨では、圧倒的に流通量が少ないんだ。そこで、国は新たに独自の貨幣を制定し、それを発行する」

「ちょっと待って。それは商業ギルドが許さないわ。それに、誰もその貨幣を使わないわ」


 私の言葉に、バイスが嬉しそうに頷く。


「さすがにダリアは頭がいいな。それだけで意図していることが理解できるのだから。いいか、まず商業ギルドのことは、他の誰かが対策を作成しているはずだ。まずは、新規の貨幣流通の為に既存の貨幣は使えないようにし、新貨幣との交換を義務付ける。銀行はそれを交換し預かる業務もする。そしてな、王宮は国債というものを発行して、それを銀行に買わせるんだ。これが、不足する国家予算を補填する」


 国家予算の補填。でも、その新貨幣で物を売る商業ギルドはない。


「その銀行をな、まずは全国、四十九箇所に作る」


 そこで言葉を切ると、バイスが目を向けてくる。問いかける目だ。

 そうか。


「商業ギルドの排除、国を十三から四十九に分割」


 呟く。


「やはり、ダリアが秘書官だな。頭がいいのは知っていたけど、理解の早さが違うよ。とにかく、それに向けての詳細を詰め、新貨幣の草案を作るのが今の仕事さ」


 何、王はこの国で何をしようとしているの。

 簡単に言うけれど、商業ギルドの排除は国が成り立たなくなる。

 四十九にも分断すれば、公領主も公貴も反発は激しい。

 国は、内乱に沈む。


「ダリア。王は百年先を見据えています。王宮官吏のように足元だけを見れば、布告に矛盾も出来ます。王宮官吏の視点で布告を出せば、狭隘な視点での布告になり、幾つもの矛盾が生じます」


 アンリの言葉が終わると同時に、ブラドが扉に進んだ。

 廊下を進んできたのは、この宿の給仕だ。

 持って来たカップとケトルをブラドに渡している。


 でも、ブラドはどうして給仕が来たのが分かったのだろうか。

 それに、部屋の中でも深くフードを被るのはなぜなのだろうか。

 ブラドが机に置くカップとケトルを私が受け取った。


「でも、ダリアはその恰好を何とかしないとな。その服で、新王たちと会ったのか」

「時間がないと言われたから」


 ブラドに目を向ける。

 私だって、こんな汚れた格好で謁見などしたくなかった。


「でもな、政務服の支給を待っても無駄だぞ」

「どういうこと。王宮官吏になれるのではないの」

「サラ様に、俺も聞いたんだ。俺もこの格好だからな」


 バイスが袖の破れた服を見せる。


「政務服は廃止らしい。それだけで年に百五十シリングを削減できるんだってさ」

「でも、その職務も役職も分からなくなるわ。上級官吏の一種か、二種か、それに二級官吏かも区別が付かない」

「俺も同じことを聞いたよ。ならば、それを知ってどうするのだと言われた。服に挨拶をしているのかと聞かれたよ」


 バイスが思い出したように笑う。

 服に挨拶。確かにその刺繍で平民も役職を知り、挨拶している。


「官吏というのは、何も生産をしない存在だと言われた。民から集めたお金で養ってもらっていると。官吏はこれから五種正装で、それはそれぞれが用意をするらしい」


 そんなこと、考えたこともなかった。

 王宮官吏だけで、偉い存在。尊敬を集める存在。国を導く存在だと思っていた。民に養われているなど、考えたこともなかった。

 私はカップにそれぞれお茶を注ぐと、そのまま腰を落とした。


「さぁ、お茶を飲んだら行きましょうか」


 アンリの声にただ頷く。

 バイスが奥さんの話、子供の話をするのを聞きながらお茶を飲むと、挨拶も早々に部屋を出た。

 まだ、頭の整理が出来ない。


「では、ダリア。戻って先行して公布する法令を書いてみましょうか」

「は、はい。どんな法令なのですか」


 私の言葉に、アンリが微笑む。


「二つあります。一つは軍を全て王立軍とし、衛士も兵も全て王の兵とする。私設の軍、及び兵の雇用はそれを認めず、持てば反乱の意志ありとみなす」


 その言葉に、私は笑うことは出来なかった。


「もう一つは、奴隷制は廃止する。これを売買することは禁止し、所有されている全ての奴隷を布告と同時に解放する」


 国を分割することもそうだが、それで分かった。

 王の狙いは、公貴の廃止だ。

 商業ギルドを敵に回し、公貴を敵に回す。

 この国は、内乱で消えるかもしれない。


 その私の思いを理解しているように、

「私はサラ様に呼ばれて、三日も前からここにいました。王にも二度謁見をしました。王は百年先、千年先を見据えています。私はその構想の一部を聞いただけですが、この国は生まれ変わります。創聖皇が用意して下さった王は、本物の王様ですよ」

アンリの声が耳を打つ。


 本物の王様。もし、内乱すらも収められるならば、この国はとてつもないことになりそうだ。

 そして、私はその為に王様に必要とされたのだ。

 これ以上の誉れがどこにあろうか。これ以上の喜びどこにあろうか。私は湧き上がってきた感情を抑えるように、顔を上げた。

 私は、命を賭けられる場所に巡り合えた。チャンスを掴み取ったのだ。


「分かりました。それでは、急ぎましょう」

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王旗を掲げよ 彩雲編 秋川 大輝 @snufkin2008moomin

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