第109話 外伝②
シリン街道駅。
ゲートを潜った先は二軒の宿屋と小さな商店、それに三軒の倉庫が並だけの小さな街道駅になる。
何度か炭を商店に収めに来たことがあるが、ほとんど人の姿など見たことがない街道駅だ。
いや、そうだったはずだ。
鎧を身に付けた騎士が間隔を空けて立ち、宿には王国旗と並んで、初めて見る旗が掲げられている。
あれが、王旗。
十字に交差した剣の旗。今までの王旗とは全く異なる紋章で、危険な感じのする紋章だ。
しかし、同時に騙されたのではなかったことに安心もする。
窓に張り付くようにその旗を見ていると、馬車は一軒の宿の前に止まった。
御者台からブラドが下り、馬車の扉を開ける。
「それでは、ご案内いたします」
先に立つブラドに、宿の入り口に立つ騎士が道を開けた。
本当にここに、王様と印綬の継承者の方々がいるのだ。
サラ様が、呼んで下さったのは本当なのだ。
宿に入ると、一階の食堂には重い空気が満ちているように感じられた。何人もの人々が疲れたように椅子に座り込んでいる。その中には、私の見知った顔もあった。
同じ上級学院で席を隣にしたバイズ、ミレイ。奥には一学年上だったサイクの姿もある。皆が学園の誇った英才たちだ。
サラ様に謁見したはずの英才たちが、なぜあのような暗い表情で、憔悴した顔で、無言のまま座り込んでいるのだろうか。
彼らは輝く星のごとき逸材達ではないのか。
それぞれが立派な服を着、中には刺繍に飾られた政務服を身に纏った者までもいる。
それを見て、初めて私は自分のこの格好が恥ずかしくなった。
サラ様に会うのだ、せめて三種の正装くらいはしなければ、不敬に当たる。
「あの、ブラドさん。先に服を着替えるわけにはいきませんか」
聞こえなかったのか、ブラドはそのまま階段を上がって行ってしまう。
ちょっと待って。
慌てて追いかけ、階段を上りながらもう一度声を掛けようと口を開けた。
しかし、声を出すことは出来なかった。
ブラドは、階段を上がるとその場に膝を付いたのだ。
「主上、申し訳ございません、遅れました。残念ながら、イアザ・チリダスは同道しておりません」
そこにいたのは、私よりもまだ若い少年だ。
ルクスの威圧感はないが、上級公貴なのだろう。ブラドの主であり、サラ様に仕えている側近だ。
私も礼を示した。
「構わない、おまえが気にするな。それよりもこの人か」
「はい。ダリア・ガレルスという公貴の娘になります」
「なるほど、ルクスに問題はないな。それでは案内しよう」
少年は私を一瞥すると、その背を向ける。
その態度はおかしい。
いくら、サラ様の側近と入っても、それではサラ様の評価さえ落としてしまう。
「お待ちください」
咄嗟に、私は声を掛けた。
少年の足が止まり、振り返る。
「サラ様は礼の印綬の継承者であらせられますよね。従者がその態度では、サラ様の印綬が泣きましょう」
手にしたチャンスを指の間から落としてしまう。そう思いながらも、黙っていることは出来なかった。
「私は招待をされました。サラ様から招待状を頂きました。一言あってもよろしいのではないでしょうか」
「一言とは」
少年の通る声が耳を打つ。
「ここまで急いだ私に対しての、労いの言葉です」
「何を勘違いしている。渡されたのは面談の機会を与える招待状だ。ダリアと言ったか、おまえはおまえの未来の為に話を聞こうという相手に、足を運んだから労えというのか」
その言葉は、胸を貫いた。
確かに言う通りだ。私は王宮に急ぐサラ様から、わざわざ時間を割いて貰ったのだ。
駄目だ。私は何を勘違いしたのだ。
「申し訳ありません。その通りでした、礼を逸したのは私です」
その場に膝を付き、再び礼を示した。
ここで帰れと言われても、私には頷くことしか出来ない。なぜ、あんなことを言ったのだろうか。
サラ様に呼ばれたことに、ここにいた逸材たちと肩を並べられることに、舞い上がってしまったのだろうか。
「本来ならば、互いにへりくだることが礼になるかも知れないが、おれは敬語を知らない」
そのまま。少年は進みだす。
帰って母に何と言おう。それよりも、家にはどうやって帰ろう。もう、送ってもくれないだろう。
息が漏れた時、
「何をしている。時間はない、急げ」
少年の声が聞こえ、ブラドに手を差し伸べられた。
「はい」
この先に足を進めてもいいの。
ブラドに頭を下げて、その後を追う。
少年はすぐ横の扉を開けて、部屋に入った。
続けて部屋に入る私は、もう一度息を付くしかなかった。
圧倒的な威圧感に足が竦んだ。
奥に並んで座っているのは、サラ様だけではなかった。
左の黒髪の男の人がアレク様、その隣の大きな方がラムザス様。そしてサラ様とシルフ様が並んでいる。印綬の継承者様方が並んでいるのだ。
どういうことなのだろう。
震える足を抑え付け、私はその場で礼を示した。
その目に、印綬の方々が立ち上がり、進んでいく少年に礼を示すのが見える。
側近の従者ではない。
あの方が王様だったの。
創聖皇の用意された、英雄王。
でも、ルクスの威圧を感じなかったのはなぜなのだろうか。
「ダリア・ガレルス。礼はいいから進みな」
少年の柔らかな声に、私は立ち上がった。
作業用の服は木炭が黒く染みのように広がり、爪は黒く汚れたままだ。
「このような恰好で御前にまかり出ることをお許しください」
顔を上げることが出来ない。
「仕事をしている服だ。どんな正装よりも気高く立派ではないか。顔を上げろ、ダリア」
野太い声はラムザス様のものだ。
「そうよ。ここにいる中で、服装を気にする人はいないわ。それよりも、ダリア。ここに来たということは、覚悟を決めたとみていいのかしら。あなたには、ここで見聞きしたことに守秘義務が生まれ、家でも話してしまえば罪に問われるわ」
初めて聞くサラ様の声は、優しく心地がいい。
「はい。家にもすぐには帰れないとお聞きしました」
「そうね。特にあなたは学ぶことから始めることになるわね」
「学ぶ、何を学べばよいのでしょうか」
私の言葉に、
「アンリ、ここに」
声が掛けられ女性が入って来る。
白髪だが、歳を感じさせない気品のある女性。この方は王宮書記官をしていた上級官吏だ。
かつて、学院での特別講座で講義を受けたことがある。
「ご無沙汰をしております、アンリ先師。一度、ご教授を頂いたダリアと申します」
「覚えておりますよ」
女性が、笑みを浮かべた。
その私に、改めて紹介をするように、サラ様が口を開く。
「アンリは、三年前に退官された書記官です。あなたには書記官の基礎を学んでもらいます」
書記官。私は書記官の仕事するのだ。
その私の思いを打ち消すように、声が続く。
「ダリア・ガレルス。あなたを秘書官に任命します」
秘書官、初めて聞く役職になる。書記官ではないの。
「隆也王付きの秘書官ですから、常に王に付き従って貰います。職務は、王宮各部署の調整、指示、そして王の時間管理になります」
「それらは、侍従長の仕事ではないのでしょうか」
「いえ、侍従は内向きを秘書官は外向きの仕事になるの。ですから、あなたの職務上、わたしたちであろうと誰であろうと最優先で面会する権利を持ち、他の部所の者はあなたに対しての守秘義務はなくなるわ。その代わりに、あなたにはより強い守秘義務が生まれる。分かるわね」
「はい」
私が王の代理になるのだから、他の人はその質問に答えなければならない。それは理解できる。でも、そんな大役を私がするの。
「ここに集まった皆は、特命政務官として隆也王の直隷の政務官たちになります。待遇は二種政務官になり、あなたたちに指示が出来るのは、隆也王のみです。どこから横槍が入ろうと、跳ね除けられます。思うように仕事を進めて下さい」
思うようにと言っても、王宮は上下が厳しいと聞いた。
雲の上の存在になる一種政務官に言われれば、断れるとは思えない。
「王が王宮に入られ、数か月もすれば即位式です。即位式は内外に王を示し、王は国の未来を示され、新たな施政が公布されます。ここに集まっている人たちは、この数か月の間に新たな国体造りをしていきます。あなたもここで書記官の基礎を学び、併せて先行で公布する法令を記します」
だめだ。思考が付いて行かない。
国体を造り替える。国体は万国共通儀典に記されたもののはずだ。それを造り替えてしまう。
それに先立って、布告する法令を示す。
「書記官の基礎を覚え、それぞれの政務官と面識を持ちなさい。一月も経たないうちに、皆と一緒に王宮に入るのです」
頭の整理が追い付かず、私は礼を示すしかなかった。
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