第108話 外伝①
小雨の上がった空を見上げた。
赤く染まる空に、輝く彩雲が走っている。
五日前に走った彩雲だけど、見る度に心が震えてくる。
この国に、王が継承されたのだ。
新たに立たれた王は、天外のラミエルを討伐したという。英雄王という名で反乱兵にも歓呼で称えられたという。
噂で聞いたけど、王は創聖皇が自ら用意された王だという。
それだけの王がこの国に立ったのだ。
王都の片隅、名ばかりの公貴でしかないが、それでも私の家の生活も少しは楽になるはずだ。
丘に続く細い道を進みながら、私は肩に下げた炭袋を持ち直した。
丘を越えて家が見えた時、その足は止まる
家の前に、一両の馬車が停まっていた。
荷馬車ではない、座席のある箱形の馬車。公貴の乗るような馬車だ。
しかし、私の家は他の公貴とも疎遠になり、家を訪ねてくる人などいないはずだ。
何かが起こったのだろうか。
胸騒ぎに駆られ、私は丘を駆け下りた。
家の扉は大きく開かれ、ローブを身に纏った男の背と応対している母の姿が見える。
誰が来たのだろう。
「ダリア。あなたにお客様よ」
私に気が付いた母が、声を上げる。
「ダリア・ガレルスさん」
男が顔を向けた。
誰なの。フードに隠れ、その顔ははっきりとは見えない。
「あなたは」
「申し遅れました。ブラドです。礼の印綬の継承者、サラ様の使いです」
サラ様。名前は知っているが、それだけだ。いや、サラ様の名前ならこの国に知らない者はいない。
「な、何の御用でしょうか」
慌てて炭の入った袋を置き、黒く汚れた手をスカートで拭う。
「この先にあります、シリン街道駅への招待状です。サラ様があなたを王宮に招きたいとそこでお待ちです」
「どういうことです」
思わず声に出た。
何の面識もないサラ様が、なぜ私を呼ぶのかが分からない。
「ガレルス家は、中央公貴とは言っても公貴の末席にすぎません。また、私自身も上級学院では大した成績も残せませんでした。誰かとお間違えではないでしょうか」
そう、正直私はそこで現実を知ったのだ。他の修士のような華やかさもなく、試験でも成績を残せなかった。
「いえ、間違いはありません」
ブラドは胸元から書類を出した。
「ガレルス家。この周辺の山を領地に持ち、産物は主に木材と木炭。現在、使用人はおらず炭職人は三人を抱えるのみ」
その書類を読みだす。
「父親は二年前に他界、現在は母親と二人暮らし。ベルド上級学院に進み。成績は四十二人中二十三位。二年前に卒業後、家業を手伝っています」
私のことを調べているのだ。でも、それならば分かるはずだ。私を呼ぶ意味などないことを。
「しかし、この成績は改竄されたものです。同学年にいた上流公貴が、成績上位者になるように裏から手を回したものです」
男の顔が上がった。
フードの奥から、鋭い目が射貫いてくるようだ。
「試験の成績は、上位五本の指に入り、科目によってはトップです」
その言葉は、心に突き刺さるようだった。
今までの沈んでいた心と劣等感を吹き流す一言だった。
「ほ、本当に」
「はい。こんな所で嘘をついても意味はありません。それ故に、招待が掛かったのです」
心が晴れてくる。
同時に、しかしとも思う。
このブラドが本当のことを言っているという証拠がない。
「私は、シリン街道駅でサラ様にお会いをするのですね。それは、王宮に入るための試験でしょうか」
「いえ。ただ、来ればその内容をお伝えします」
怪しい。招待状を出しておいて、内容を教えないのは不自然すぎる。
「それでは、招待状を見させて頂けませんか」
「こちらも、来るとのお返事を頂いて初めて渡すことになっております。ただ、裏書はお見せしましょう」
ブラドは招待状の裏を見せた。
そこに掛かれているのは、サラとだけ書かれたサイン。天籍に移っているために、家は関係なくなり、名前はサラだけになる。
私はその筆跡を知りようがない。
しかし、水晶インクを使ったそのサインからは、込められたルクスの溢れ出すような威圧感があった。
これだけのルクスの込められたインク。確かにサラ様のものかもしれない。
でも。本当に信用をしていいのだろうか。
「ダリア、家に入って貰ったらどうです」
母が後ろから掛ける声に、
「こちらも、時間がありません」
ブラドが先に応える。
「先を急ぐのですか」
「サラ様は王と一緒に王宮に向かっております。無駄な時間はありません」
当然のように言う。
確かに、これは愚問だ。
「分かりました。では、お会いだけして、すぐにここに戻るようにします」
私の言葉に、ブラドが困ったように笑った。
「それは叶いません。しばらく街道駅では王宮に向かう準備をして頂き、その後は真っ直ぐ王宮に向かうことになります」
そう言うと足元に置いた木箱を持ち上げた。
「ガレルス家の重商連合への借入金は八シリング、家の当座の費用とあなたの支度金にそれぞれ一シリング。ここに十シリング分のリプル金貨を用意しています」
その重そうな箱を差し出してくる。
「どういうことですか」
「言葉通りです。最低一月は帰ってはこられません。その為の支度金です」
本当にそうなの。私はこのお金で買われるのではないの。
ルクスの強いサラ様のものだというサインは見たけれど、それは確証にはならない。
「す、少し考えさせてください。母にも相談させてください」
「それも叶いません」
ブラドが即座に首を振った。
「ここに来る前。イアザ・チリダスさんに案内をしましたが、考えても答えが出そうもありませんでしたので、招待状は破棄しました。ここでの時間ももうありません」
イアザ、同じ学院の同級生だ。思慮深くて慎重な人だった。
彼女ならば、この怪しげな話には乗らないだろう。
「なぜ、そんなに急ぐのですか。母と相談する時間が欲しいだけです」
本当に怪しすぎるのだ。
その私の言葉に、再びブラドの目が射貫いてくる。
「最後に、主上のお言葉を伝えましょう。自らの未来を即断できぬ者に、国の未来を即断できようか。目の前に現れた機会は、即座に掴まなければ消えてしまうもの」
「それをサラ様が言われたのですか」
「いえ、私はサラ様の使いで来ているだけです。私の仕えるのは、主上お一人です」
言っていることが分らない。
サラ様の使いだけど仕えてはいない。
サラ様の他に仕える人がいる。
こんな話には乗れないと追い返すのが普通だ。
しかし、その最後の言葉気になる。
国の未来を即断できないというのは、王宮官吏の中でも上級管理を求めているという意味だ。
そして、目の前に現れた機会、チャンスはすぐに手を伸ばさなければ消えてしまうというのも理解できる。
私が、そうだったのだ。
「お母様。私、行ってきます。ブラドさん、服を着替える時間はありますか」
「いえ、その為の支度金を用意しています。すぐに馬車に乗ってください」
そう言うと、差し出した木箱を開ける。
びっしりと詰められた金貨は一部が仕切られていた。
「分かりました」
私は仕切られた金貨を取った。
同時に、私はチャンスを掴んだのだと心の声を聞いた気がした。
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