第二錠 動態する死

 再びこの世での生を感じる。ああ、まただ。死は遠ざかって、また生きてしまっている。これが叶えられた願い、なんとも融通の利かない、くだらない呪い。そう理解する。

 日に二度も死んだ人間はおそらく私が初めてだろう。いや、そうなると本当に人間というカテゴリなのか?うーむ。相変わらずの最悪な目覚め、その酸欠の頭で考えるには少々難しい問題であった。一つ確かなこと、それは飛び出した先の狭い路でつい先ほどひき逃げをくらったということだけだった。さっきの運転手、絶対許さねえからな、顔覚えたぞ。

 だがまた蘇ってしまった手前、下手に救護行為などされても面倒なもので。ややこしい事態になることは目に見える。死んでも蘇るような人間が見つかると、ロクな目に合わないことはフィクションでもお約束だろう。


 数回の深呼吸の後に瞼を開ける。にじみが残る視界。そこに見えるはずの空はなく、こちらを息が荒く見下ろす見ず知らずの男。あっ、目が合った。黒の上着を羽織った痩身の若い男。私を助けるわけでもなく、理由はわからないが、こちらを見やりながら手のスケッチブックに何かを描いている。必死に、失われるものをかき集めるように。その顔には苦悶や焦りのような表情が浮かんでいる。

 現場の状況を記録しようとしている…のか?随分と原始的な方法だ。デジカメとか携帯端末なりを持っていないのだろうか。いや、そもそも何のためにそんなことを。疑問は浮かぶばかりだった。

 ひとまず干渉してこない彼は無視、上体を起こして状態を確認する。身体は…問題ない。痛みもなく、何事もなかったかのようにここにある。さらに血に塗れた上にアスファルトですり下ろされた服を除けば、だが。辺りを見渡すと野次馬が集まっている様子はなく、いるのは目の前の彼だけ。人通りの少ない道であったのは幸運だった。しかし、先ほどまで立って描いていたはずの彼は、何故か胡坐をかき、

「やはり二回目も変わらないか」

 そう小さく呟く。まずい、見られていたのか。それも飛び降りさいしょの時から。…一体どこから見られていたのか、まさか屋上の?

「しかし、なぜこんなにも…」

 声は……違う、気がする。話し方もこんなのだったろうか?

「美しいと感じたのか」ん?

「なにが―「でも、今はそれがない」

 投げかけようとした疑問は、重ねられた言葉に阻まれる。それを発した本人は至って真剣であり、彼の苛立ちを表すように鉛筆の頭は紙を叩く。

「あの美はどこから来て消えていったのか。なぜだ、なぜ今まで感じてこなかったのか」

 ふむ、わかった、ヤツはバカだ。それも危険な方の。目の前にいるヤツは何かしらの狂気を孕んだ理解しがたき人間に違いない。やはり屋上のとは違う。そう認定し、ヤツを観察する。今のところはこちらを見ていない。いける、そう判断して後ずさる。座った状態のままで。肉食の野生動物から距離を取るようにじりじりと。

 だが、1mも距離を離さない内にヤツの視線は戻る。私を見下ろして、少し考えた風に手を顎に当てながら、

「よし、もう一度死んでくれないか。何かわかるかもしれない」

 ランチに誘うような気軽さで提案してくる。ナニヲイッテイルンダ、コイツハ。あんな体験二度とごめんだ。その苦しみを知らぬ者からの無神経な申し出に湧いてくる怒り。無論、通すはずもなく、

「てめぇが!いっぺん!死んでみろやぁぁ」

 立ち上がり、怒りを込めた言葉で応える。そして、そのままの勢いで横っ面めがけてこぶしを一発。これが私の答えだ、わかったか。

 ヤツによける素振もなく、振りかぶったこぶしが肉を打つ。だが、こたえていないようで、

「それは難しいな。ボクはキミみたいに生き返る保証はないし、なにより痛いのは嫌だからね」頬をさすりながら、これまた自分勝手なことを飄々と言ってのける。

「お前なぁ…」

 伝わらない言葉と怒り、これでは独り相撲ではないか。すっかり毒気を抜かれてしまう。バカに付ける薬はない、といったところか。

「…なぜそんなにも、私の死に固執する。理由は?」

「死の間際から起き上がろうとするキミが美しかった。それが何なのか、知りたいだけだ」

 そう言って、先ほどまで描いていたであろう一枚を差し出す。地に臥し、藻掻かんとする人物が描かれた黒一色モノクロの世界。これが私、なのか?乱雑で決して上手いとはいえない暗い絵。だが、どこか引き込まれるような不思議な感覚。美であるかはさておき、何かを想起させるエネルギー。それが『死と生』であると直観する。体験したからこそわかってしまった。だが、それを認めたくはなかった。私にとっては両方ともクソだから、そう実感したから。

 ヤツは目を輝かしてこちらの反応を待っている。正直な感想を告げるのも癪なので直ぐには言わない。その代わりに、

「お前の名前は?」

「名前。うん、名前ね。コヤシキ、小屋敷コウイチ。どうだい、その絵。わかってくれたかなぁ」やかましい。

「よぉし、小屋敷君。言いたいことはいろいろあるが、『死と生』こんなものを美しいと思うな。そして私は死なない。死のうとも思わない、今もこれからもだ。だから、あきらめろ」

 自分にも言い聞かすように宣言し、絵を突き返す。これが本心だ。絵を手に唖然として固まる小屋敷をおいて駆け出す。帰る場所へと向かって。上がる息と心臓の鼓動、風を全身で感じながら。


 死を以って死への思いと未練を断ち切り、私は生きることを選ぶ。両方ともクソなら、ましな方へ。もう少しだけ続くと信じる道にすがって、もうちょっとだけ頑張ってみようと思う。

 ああ、治ったんだ、もう大丈夫。

 私の『病』は癒された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『抗絶望薬_糖衣錠』 三柿にしん @mikaki_nishin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ