第4話 エルダーリッチ
「あった。ここが屋根裏部屋だな」
いくつかのバリケードは突破された形跡があったが、最上階に続くバリケードは健在だった。机と椅子を交互に並べた即席のバリケードは、天井近くまで設置されていて、きちんと考えて崩さないと、下敷きになる可能性もあった。
「……校庭に、魔物が四体。こちらに気がついているみたいだ」
最悪なことに、裏山にいた魔物が校庭まで移動していた。
足取りは遅く、ふらふらとしている。
それでも、これだけ離れていて、探知の魔術を使わずとも、邪悪な気配を感じる。
「しゃ、ようやく通れるようになったぜ」
東堂の言葉に視線を戻す。
彼は机を足場に天井の蓋を外した。
天井から一人の少年が私たちを見下ろしている。日焼けした肌に雀斑、丸い目はどこか素朴さを感じさせる少年だ。
「ウィズリー、無事だったんだね」
ニクサラが微笑みながら話しかける。
彼女の知り合いなのだろうか。年齢としては近いようだが、それにしては彼の表情が……。
ぎこちない。
居心地の悪さを誤魔化せていないというべきか、余所者の私たちよりもニクサラの事を露骨に警戒している。
「……ああ、おかげさまで」
ウィズリーと呼ばれた少年が話した次の瞬間だった。
────ドカンッ!
窓ガラスが割れ、その破片が室内に散乱する。咄嗟に顔を手で覆い、ニクサラを抱えて地面に転がる。
「伏せろ! 攻撃されてる!」
私の忠告と同時に、東堂がウィズリーの腕を掴んで地面に引きずり倒した。
一発、二発、三発。
私と同じ術式でありながら、私のよりも高威力な魔術が放たれる。
弾ける火の粉が木造の建物に引火するのも時間の問題だ。
「裏口から逃げるよ!」
「ダメです、ハルカさん。裏口には落とし穴があります!」
「なんで学校に落とし穴を作るんだ!」
「迎撃の為です!」
ニクサラの返事に私は舌打ちがしたくなるのを堪える。立て篭もるなら、罠を設置する。ここ以外に逃げる場所がないからだ。
「春香、覚悟を決めろ! ここで魔物を仕留めねえと、街道に放ることになるぞ!」
「クソッ! 魔力に残りがねえっていうのに!」
残りの矢は七本。
魔物としての格が上がるほどに、その肉体は頑丈になる。場合によっては再生力も向上するらしい。
弓矢が通用する相手には思えない。
「どのみちここにいても炎に巻かれるだけだ。ウィズリーさん、ニクサラさん、二人には申し訳ないけど共に魔物と戦って欲しい。……私と、東堂だけで勝てる相手だとは思えない。この村を脱出するには、あの魔物を倒すしかないみたいだ」
村の異変に巻き込まれた被害者の二人は、驚きに目を見開きつつも静かに頷いた。
それぞれ得意としている武器を手にしている。
「中央にいる魔物、女の子のゾンビだが、恐らくエルダーリッチ。魔術を駆使するゾンビだ。場合によっては、邪神の神官が使う奇跡も使うと思う。直線上に立つのは可能な限り避けて。側に控えているゾンビは、何か細工を仕掛けられてるかもしれない」
可能な限りの情報を伝える。
……子どもを争いに巻き込むなんて、常識や倫理に照らし合わせても正しい行いじゃないことは理解している。
「春香、お前、正気か?」
「分かってるさ、君の言いたいことぐらい。それでも、ここで私たちのどっちかが倒れたら終わりだ。街道に魔物が出ないわけでもない。なら、ここで賭けるしかない」
弓の弦を弾いてしなりを確かめる。
ある程度の謗りを受ける事は覚悟の上で、決断を下すしかないのだ。
「もちろん、二人を目の前で死なせるつもりはない。何としてでも勝つぞ、東堂」
「当たり前だ。死んだら墓に唾を吐くぞ」
お互いに発破をかける。
気休めの同情や慰め、無責任な言葉は何の価値もない。同じ目標を抱く仲間だからこそ、この困難を乗り越えられると信じている。
武器を手に、私たちは階下を目指した。
既にファイアーボールによって延焼が始まり、焦げ臭い匂いと目に染みる煙が広まりつつある。
服の袖で口元を守りながら、階段を降りてゆく。
そして、校庭に出た。
背後で建物が崩れ落ちる音がしたけれど、最後尾は私だったので全員が無事なのは確認済みだ。
「やっぱりエルダーリッチか。なんで街中に出現してるんだよ……」
エルダーリッチ。
ゾンビ系の魔物でも、滅多に出会えない。魔術と奇跡を操り、人と変わらない知能や知性を獲得することがある。
何年もかけて魔物が進化するか、なんらかの邪法によって発生するとされている。
恐らくは、リリーなのだろう。
薄汚れてはいるが、ツインテールを結える青いサテンのリボンが風に揺れていた。
「しにぞこない、しにぞこない、しにぞこない、うぃずりーにちか、ちか、ちかよる、ちかよるなななななあああああああああっ!」
絶叫。
目を見開き、あらんかぎりの声量で叫ぶやいなや、側に控えていた小柄なゾンビたちも呼応して叫ぶ。
「来るぞっ、構えろ!」
弓の下リムを地面に突き刺し、矢を番える。
東堂の警告が飛ぶとほぼ同時に、魔物たちが攻撃態勢に入った。
矢を放つ。
ニクサラ、ウィズリー、東堂の頭上を飛び越えた矢は、エルダーリッチの頭部を狙う。
「ばんぶつのそたるマナ、われらをまもりたまえ!」
エルダーリッチは、舌足らずな詠唱だが、確かに防御壁を展開した。
矢の威力を半減させ、僅かに肌を切る程度の損傷に留める。
「くそっ、さすがは冒険者学校の生徒。魔物になっても、腕は衰えたないってか!」
矢筒から矢を補充し、番える。
その間、僅か、十数秒。
瞬きのような時間であっても、戦局は変わる。
東堂が向かってきたゾンビにバスタードソードを振り下ろし、足を損傷させて動きを封じる。
駆け寄ったニクサラが、魔物の背中に短剣を突き刺した。
残ったもう片方のゾンビが、ウィズリーに向かう。涎を撒き散らしながら、その歯で首筋に噛みつこうとしていた。
「万物の祖たるマナよ、我らが敵を苛む土の足枷を作り出せ! マッドトラップ」
土に魔力を流し、ゾンビの足元を起点に魔術を発動させる。土が盛り上がり、即席のトラバサミとなってゾンビの足を拘束する。
校庭の土も、魔力を流せば金属に劣らない頑丈さを獲得する。時間経過と共に魔力が流出して元の柔い土に戻るが、行動を封じるには十分だ。
弦を限界まで引き絞る。
腕だけでなく、全身の筋肉を使って。
見栄えの悪さから人気のない剛射術だが、威力はあるのだ。
稼いだ時間で、矢を放つ。
狙うはウィズリーを噛もうとしたゾンビ。
大人よりも小柄で、子どもと呼んでも差し支えない体格の魔物。
寸分のミスもなく、矢は魔物の頭部を抉り飛ばした。
返り血を浴びても、ウィズリーは歩みを止めない。
歯を食いしばり、ブロードソードを振り下ろす。
「ぎぃあああああっ!」
エルダーリッチが苦悶の叫び声を上げる。
何も知らないでいれば強敵であっても、数を揃えて殴れば、肉体が崩壊するまでの時間を短縮できる。
魔物を討伐する時の常識だ。
「マナよ、マナよ、われらのいかりをせかいにしめせ! もえろ、もえろ、なにもかも!」
起点指定の爆発。
諸共を狙った、捨て身の魔術。
人間の足では撤退も避難も間に合わない。
矢を番える。
もう魔術は使えない。
それでも、最悪を防ぐ為に足掻くのが冒険者という仕事だ。
弓の弦を限界まで引き絞る。
筋肉が悲鳴をあげているのを無視して、息を止めて狙いを定める。
視界がモノクロに染まっていく。
アドレナリンなのか、脳の処理なのか、理由はどうでもいい。
スローモーションとなった世界の中で、私は矢を放った。
────ズバンッ……
矢を放った音が、大気を震わせる。
反動で弦が何度もしなるのを、頬で感じた。
「が、が、がっ」
エルダーリッチの口から、泡混じりの血と唾液が流れ落ちる。深く突き刺さった矢によって閉じることができなくなった発声器官は、詠唱の完了を目前にして機能を失った。
ゆっくりと地面に斃れ、幾度かの痙攣を繰り返した後、沈黙。戦闘不能に追い込んだのだと理解するのに、少し時間がかかった。
ニクサラが呟く。
「アルストロメリア王国流剛射術を、あの十数秒で三回も……。すごい、すごい。本当に、御伽噺の冒険者みたい……!」
夢見心地かのように呟きながら、ニクサラは躊躇うことなくエルダーリッチに跨ると、短剣を振り下ろした。
何度も。
何度も。
何度も、何度も。
何度も、何度も、何度も、何度も。
「ニクサラさん、もういいよ。もう十分だろ、復讐は」
軋む体を無理やり動かして、彼女の肩を掴んで振り向かせれば、そこには酷薄な笑みを浮かべて満足そうにする美少女の姿があった。
彼女は、取り繕う事もせず、頬を流れる返り血もそのままに立ち上がり、元村人たちにとどめをさした短剣を胸に抱える。
「ああ、バレちゃいましたか」
そして、少し残念そうに目を伏せた。
「できれば、もうちょっとだけ冒険者さんの旅に同行したかったです」
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